守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
六日目。
怪盗Xiは、紙ナプキンと真剣に向き合っていた。
場所は河原ではない。
カフェテラスである。
テーブルの上には、白い紙ナプキンが一枚。
その正面に、黒衣の怪盗Xiが座っている。
外套は、今日もバッグの中だった。
スパッドもケースの中だった。
だが、Xiの目つきだけは妙に真剣だった。
「……」
紙ナプキンは動かない。
当然である。
紙ナプキンだからである。
だが、Xiは見つめていた。
まるでそこに、倒すべき強敵でもいるかのように。
向かい側でソープが紅茶を飲んでいる。
「Xi、真剣だね」
「真剣だよ。今、僕は紙ナプキンと向き合ってる」
「強敵?」
「ある意味ね」
ソープは楽しそうに笑った。
「紙なのに」
「紙だから難しいんだよ。軽い。逃げる。変な方向に飛ぶ。あと、失敗すると何も起きない」
「何も起きないと、ちょっと寂しいね」
「かなり寂しい」
Xiは深く息を吸った。
昨日、カイエンは言った。
真空斬り“ソニックブレード”。
熊を撃退した、あの一流の剣技。
それをいきなり再現しろとは言わない。
当然だ。
言われたら帰る。
だがカイエンは言った。
まずは、空気を動かせ。
刃ではなく、手首と角度で風を作れ。
紙ナプキンを動かせ。
それが、真空斬りへの入口だと。
「入口が地味すぎるんだよなあ……」
Xiは呟いた。
ソープは微笑む。
「でも、入口ってそういうものかもしれないよ」
「急にいいこと言う」
「紙ナプキン、動くといいね」
「うん」
「動いたら、たい焼き?」
「そこに繋げない」
「じゃあ、団子?」
「繋げない」
「ケーキ?」
「古い請求書はもう使えないからね」
ソープは少し残念そうに目を逸らした。
「まだ一枚あるよ」
「あるの?!」
*
少し前。
カイエンは、Xiをカフェテラスまで呼び出していた。
「今日はソニックブレードの基礎だ」
カイエンはさらっと言った。
Xiは即座に顔をしかめた。
「嫌な単語が出た」
「真空斬りだ」
「もっと嫌な説明がついた」
「剣は抜かない。スパッドも起動しない。まずは手首と足、体の連動だけだ」
「それなら……まあ」
「紙ナプキンを飛ばせ」
Xiは目を細めた。
「急にすごく地味になったね」
「地味なことを正しくできない奴に、派手な技はできねぇ」
「それは正論」
「空気は斬るものだ」
「それは正論かな?」
カイエンは、テーブルに紙ナプキンを一枚置いた。
「腕力じゃない。手首の返しと、体の抜きだ。押すな。叩くな。空気を流して、切り口を作れ」
「紙ナプキン相手に切り口って言われても」
「まずやってみろ」
Xiは右手を軽く構えた。
手首を返し、空気を払う。
「えいっ」
紙ナプキンは動かなかった。
弥子が横で言う。
「あっ、動かない」
「言わなくていいよ!」
カイエンは腕を組んだ。
「手首が死んでる」
「言い方!」
「肩で振ってる。だから空気が潰れる」
「空気が潰れるって何?」
「潰れるんだよ」
「剣聖の説明、たまに雑!」
ソープは楽しそうに見ている。
泉も同席していた。
なぜかノートを持っている。
「今のは、力を入れすぎということでしょうか?」
「そうだ」
カイエンは頷く。
「力を入れたら駄目なんですか?」
「入れる場所が違う。力を出すんじゃなくて、通す」
泉は真面目にメモを取る。
「力を通す……」
Xiは泉を見た。
「泉さん、これ会社員的に何か分かる?」
「ええと……書類を強く押しても整理できない、という感じでしょうか」
「分かるような分からないような」
「雑な例えですみません」
「でもカイエンよりは地球寄りで助かる」
カイエンが軽く眉を上げる。
「もう一回だ」
*
Xiは再び紙ナプキンに向き合った。
今度は肩ではなく、手首。
足の位置を変える。
昨日教わった重心の残し方。
イナゴの脚で見た、角度と遅れ。
紙ナプキンの端を見る。
ただ前から押しても動かない。
いや、動くかもしれないが、それはソニックブレードではない。
空気を切る。
そう言われても、まだ分からない。
だが、相手の認識をずらすことなら分かる。
紙ナプキンに正面から向かわない。
横を通る。
遅れて端に触れる。
そこに風を置く。
「……えい」
今度は、紙ナプキンの端がふわりと浮いた。
弥子が声を上げる。
「動いた!」
Xiも目を見開く。
「今、動いたよね?」
ソープが微笑む。
「うん。少し」
カイエンは短く言った。
「惜しい」
「今のは惜しいんだ」
「返しが浅い。あと、喜ぶのが早い」
「紙ナプキン相手に喜ぶタイミングまで指導されるの嫌だなあ」
カイエンは続ける。
「でも、最初よりいい。昨日の流しが入ってる」
「昨日の?」
「枝を流した時の手首だ。力を逃がす感覚を、今度は空気に使ってる」
Xiは少しだけ黙った。
「……なるほど」
「分かったか」
「分かりたくなってきてるのが嫌だ」
カイエンは笑った。
「もう一回」
「はいはい、師匠」
Xiは言ってから固まった。
カイエンがにやりと笑う。
「今、何て言った?」
「言ってない」
「師匠って言ったな」
「言ってない!」
弥子が手を上げる。
「言いました!」
泉が小さく頷く。
「聞こえました」
ソープも言う。
「うん。言ったね」
「ソープまで!」
カイエンは満足そうだった。
「よし。外注弟子として一歩前進だな」
「撤回! 今の全面撤回!」
*
訓練は続いた。
紙ナプキンは、何度も動かなかった。
たまに端が浮いた。
たまにくるりと回った。
一度だけ、テーブルの端から落ちた。
それを見た弥子は拍手した。
「すごい! 落ちた!」
「落とすのが目的じゃない!」
「でも動きましたよ!」
「結果だけ見るとそうだけど!」
カイエンは紙ナプキンを拾い直し、テーブルに置いた。
「狙った方向に飛ばせ。偶然で落とすな」
「紙ナプキンにそこまで要求する?」
「紙ナプキンを制御できない奴が、真空波を制御できると思うか?」
「思わないけど、言い方が重い」
ソープは紅茶を飲みながら、ふと横を見る。
「Xi、そろそろ休憩しない?」
「うん。そうしたい」
「甘いもの頼む?」
「頼まない」
「即答だね」
「六日目だからね。君の流れはだいぶ読める」
ソープは少し嬉しそうに笑った。
「読まれてるんだ」
「読めないとお目付け役できないから」
弥子が言った。
「Xi、もう普通にソープさんのお目付け役、馴染んでるよね」
Xiの動きが止まった。
「馴染んでない」
泉が柔らかく言う。
「いえ、だいぶ自然になっていますよ。ソープさんの言い回しに対する反応も早いですし」
「泉さんまで?」
カイエンが笑う。
「昨日より小さいログナー感が増したな」
「それは最悪の評価だよ!」
ソープがにこにこと言う。
「でも、Xiがいてくれると助かるよ」
「その言い方は反則」
「反則?」
「うん。反論しづらい」
カイエンはコーヒーを飲みながら言った。
「六日も一緒にいりゃ、息も合ってくるだろ」
「息なんて合ってない」
ちょうどその時、店員がメニューを持って近くを通った。
ソープがメニューに目を向ける。
「季節限定パフェ」
Xiが即座に言う。
「今日は駄目」
「一口だけ」
「頼まなきゃ一口もない」
「半分なら」
「半分にするには一個必要」
「じゃあ、弥子と分ける」
「それは一番危険」
弥子が叫んだ。
「なんで?!」
「量が増えるから」
泉が頷く。
「その判断は適切です」
「ほら」
Xiが言う。
ソープは笑った。
「息、合ってるよね」
「合ってない!」
弥子も笑う。
「完全に合ってる!」
「合ってない!」
カイエンが言う。
「外注後輩、もう板についてるぞ」
「板についてない!」
Xiは紙ナプキンよりも強敵に囲まれている気分だった。
*
その時だった。
背後から声がした。
「今のは何だ」
Xiは肩を落とした。
「出た」
カイエンは額を押さえた。
「またか」
振り向くと、岸辺露伴が立っていた。
手帳を持っている。
ペンも持っている。
目は輝いている。
「紙ナプキンが動いた」
露伴は言った。
「いや、正確には、怪盗Xiが手首の動きだけで空気を動かし、紙ナプキンの端を浮かせた。しかもカイエンが“ソニックブレードの基礎”と呼んでいる。説明しろ」
「最初から見てたの?」
Xiが訊く。
「“紙ナプキンを飛ばせ”のあたりからだ」
「また最初からじゃん!」
露伴は手帳を開いた。
「真空斬りソニックブレード。その初歩が紙ナプキンとは面白い。非常に面白い」
「紙ナプキンしか動かしてないんだよ!」
「だからいいんだ。成長過程にはリアリティがある」
「成長扱いするな!」
カイエンが立ち上がる。
「露伴、訓練の邪魔だ」
「邪魔はしない。観察する」
「それが邪魔だと言ってる」
露伴はXiを見る。
「それに、君も随分馴染んできたな」
「馴染んでない!」
「ソープの注文傾向を先読みし、弥子の介入を警戒し、カイエンの指導を受け、ログナーへの報告を続ける。これを馴染んでいないと言うのは無理がある」
「全部並べないで!」
泉が小さく言う。
「事実ではありますね」
「泉さん、そこは味方して!」
ソープは穏やかに笑った。
「Xi、もう僕が何を言いそうか分かるでしょう?」
「分かる」
Xiは反射で答えてしまった。
場が静かになった。
「……今のなし」
カイエンが笑った。
「遅い」
弥子が言う。
「完全に相棒感ある!」
「ない!」
露伴がすばやく書く。
「怪盗Xi、ソープのお目付け役として六日目にして順応。本人は否定」
「書くな!」
露伴は続ける。
「そして、ソニックブレード基礎訓練。紙ナプキン一枚を動かす」
「成果が地味!」
「地味な基礎こそリアリティだ」
「くっ、言い返しにくい!」
*
露伴が現れたことで、訓練は一時中断となった。
中断というより、取材防衛戦になった。
露伴はカイエンに詰め寄る。
「ソニックブレードとは何だ。真空斬りというからには、空気を圧縮するのか? それとも刃筋によって衝撃波を発生させるのか? 騎士の技術なのか、体術なのか、剣技なのか?」
「質問が多い!」
「答えればいい」
「答えるか!」
カイエンは逃げようとするが、露伴は逃がさない。
Xiはその隙にソープを立たせる。
「今のうちに行くよ」
「まだ紙ナプキンが」
「紙ナプキンは後で!」
「パフェは?」
「パフェも後で!」
「後で?」
「……しまった」
ソープが嬉しそうにする。
「後でならいいんだ」
「今のは言葉の綾!」
弥子がすぐに言う。
「後でパフェ! あたしも!」
「弥子ちゃんも乗らない!」
泉が立ち上がる。
「では、いったん場所を変えましょう。露伴先生が落ち着くまで」
「僕は落ち着いている」
露伴が言う。
「落ち着いている人は、紙ナプキンの動きでそこまで目を輝かせません」
「君は手厳しいな」
「事実です」
ログナーの言葉が、なぜか泉の口から出たように聞こえた。
Xiはぞっとした。
「みんな少しずつログナー司令みたいになってない?」
カイエンが笑う。
「中心はお前だろ、小さいログナー」
「だからその呼び名やめて!」
*
場所を変えたのは、近くの公園だった。
さすがにカフェテラスで紙ナプキンを飛ばし続けるわけにもいかない。
公園のベンチに座り、Xiは小さな紙を一枚置いた。
紙ナプキンではない。
泉がメモ帳から切り取った紙だった。
「練習続けるの?」
Xiが自分で言ってから、少し驚いた。
続ける気でいる。
カイエンも、それに気づいたらしい。
にやりと笑う。
「やる気じゃねぇか」
「違う。紙ナプキンで終わるのが嫌なだけ」
「それをやる気と言う」
「言わない」
ソープが隣で言った。
「がんばって」
「その応援も断りにくい」
Xiは手を構えた。
肩ではない。
手首。
足。
重心。
空気の流れ。
紙の端。
昨日の枝を流した感覚。
イナゴの脚の角度。
ディレイアタックの遅れ。
紙ナプキンの端が浮いた時の空気。
全部を、少しだけつなげる。
「……えい」
紙が、ふわりと浮いた。
そして今度は、狙った方向へ少しだけ滑った。
弥子が歓声を上げる。
「飛んだ!」
ソープも笑う。
「飛んだね」
泉が拍手する。
「今のは、さっきより安定していました」
カイエンは腕を組み、少しだけ満足そうに頷いた。
「悪くない」
Xiは紙を見つめた。
「……今のは、ちょっと分かったかも」
カイエンが言う。
「何が分かった」
「押すんじゃなくて、通す。紙を動かすんじゃなくて、紙が動く場所を作る」
カイエンの目が少し変わった。
「いい」
Xiは顔をしかめた。
「褒めないで」
「褒めてる」
「逃げ道が減る」
「減らしとけ」
「嫌だよ!」
露伴が、遠くから叫んだ。
「今のは見たぞ!」
「追ってきた!」
Xiが叫ぶ。
露伴は手帳を開いたまま駆け寄ってくる。
「怪盗Xi、紙を動かす場所を作ると発言。これは良い。非常に良い!」
「拾うな!」
*
その日の夕方。
Xiは、すっかり疲れていた。
六日目にして、ソープのお目付け役としての疲れと、カイエンの訓練の疲れと、露伴から逃げる疲れが同時に来ている。
ベンチに座ったXiの隣に、ソープが腰掛けた。
「大丈夫?」
「紙ナプキン相手に疲れてる怪盗って、ちょっと嫌だな」
「でも、動いたよ」
「少しだけね」
「すごいよ」
「……ソープがそう言うと、素直に受け取りにくい」
「どうして?」
「だって君、そうやって褒めて逃げ道を塞ぐから」
ソープは少し笑った。
「そんなつもりはないよ」
「ないのが一番困る」
ソープは、しばらく黙ってから言った。
「明日で、一週間だね」
Xiは少しだけ表情を変えた。
「そうだね」
「終わったら、自由?」
「自由」
「寂しい?」
「……」
Xiは、すぐには答えなかった。
六日間。
たい焼き。
団子屋。
ケーキの請求書。
イナゴ。
カイエンの訓練。
スパッド。
紙ナプキン。
露伴。
弥子。
泉。
ログナーへの報告。
面倒だった。
非常に面倒だった。
でも。
「……少しだけ」
Xiは言った。
「少しだけ、慣れた」
ソープは嬉しそうに笑った。
「そっか」
「でも、正式採用じゃないからね」
「うん」
「明日で終わり」
「うん」
「その“うん”、本当に分かってる?」
「うん」
「怪しい」
*
その夜。
Xiは報告書を書いた。
『怪盗Xi 外注任務六日目報告
・カイエンよりソニックブレード基礎訓練を受ける
・スパッドは起動せず
・紙ナプキンを対象に空気の流れを作る練習
・最初は動かず
・数回後、端が浮く
・最終的に小さな紙を狙った方向へ少し動かすことに成功
・カイエン曰く「手首の返しがまだ甘い」
・ただし「悪くない」との評価
・露伴先生に見つかった。危険
・ソープの注文傾向を先読みできるようになってきた
・周囲から“馴染んでいる”“小さいログナー”などと言われた。不服
・明日で一週間任務終了
・僕は正式採用されていない。念のため記録
以上』
送信。
しばらくして、返信が来た。
『報告確認。
ソニックブレード基礎訓練の進捗を記録。
紙ナプキンおよび小紙片の移動は初期成果として認める。
手首の返しについてはカイエンの指導を継続せよ。
ソープ様の行動予測精度向上は、お目付け役として有用。
“小さいログナー”との評価は、実務上悪くない。
正式採用ではないとの記載、確認済み。
明日の最終報告を待つ。』
Xiは端末を見て、頭を抱えた。
「“小さいログナー”を実務上悪くないって認めないでよ……」
隣でソープが覗き込む。
「褒められてるね」
「一番嫌な角度から褒められてる」
「明日で終わりだね」
「うん」
「明日、何しようか」
Xiはソープを見た。
「普通に終わろう」
「普通に?」
「普通に散歩して、普通に帰って、普通に最終報告を書く」
ソープは少しだけ考えた。
「普通が一番難しいかもしれないね」
Xiは嫌な予感がした。
「その言い方、やめて」
ソープは、ただ微笑んだ。
その頃、遠くでログナーは端末を閉じ、低く呟いていた。
「六日目でここまで来たか」
イエッタが尋ねる。
「マスター、評価は?」
「良い。明日の最終日次第だが、継続契約の検討価値はある」
遠くで、Xiがくしゃみをした。
「……今、絶対に次の契約の話された気がする」\
彼の一週間は、残り一日だった。