守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
怪盗Xiは、カフェテラスで紅茶を飲みながら、深刻な顔をしていた。
向かいには桂木弥子。
横には泉京香。
テーブルの上には、紅茶とケーキと、なぜか小さなメモ帳が置かれている。
弥子はショートケーキを一口食べてから、首を傾げた。
「Xi、どうしたの? さっきから難しい顔してるけど」
Xiはカップを置いた。
「嫌な予感がする」
「何が?!」
「ログナー司令。多分、また僕のこと勧誘してきそうなんだよな」
「あ~……」
弥子は納得してしまった。
泉も少し考えてから、困ったように頷いた。
「前回の変な飲み物の件もありましたし、ログナーさんとしては、ソープさんのお目付け役を常設したいと思っても不思議ではありませんね」
「ほら。泉さんまでそう言う」
Xiは頭を抱えた。
「僕は一週間だけの外注だったんだよ? 正式採用じゃないし、ミラージュナイトでもないし、血の十字架も背負ってない」
「でも、かなり役に立ってたよね」
弥子が悪気なく言う。
「ソープさんの買い食い止めてたし、変な飲み物も警戒してたし、ラクスさんも助けたし」
「弥子ちゃん、事実を並べないで。逃げ道が減る」
泉が真面目に言った。
「実績としては、かなり強いですね」
「泉さんも事実で殴らないで」
Xiはため息をついた。
「しかも、カイエンに剣まで教わっちゃったし」
「紙ナプキン飛ばしてたね!」
「弥子ちゃん、その言い方だと僕が紙ナプキン専門の怪盗みたいになる」
「でも、最終日にはバイクの軌道逸らしたじゃん!」
「未完成。あれは未完成」
「でも、すごかったよ」
Xiは少しだけ黙った。
褒められると困る。
特に弥子みたいにまっすぐ言われると、逃げ方が分からない。
「……まあ、とにかく」
Xiは話を戻した。
「ログナー司令がまた条件を出してきたら、僕は断りたい」
「断れるかなあ」
弥子が言った。
「そこ疑わないで」
「だって、ソープさんが“またお願いできる?”って言ったら?」
Xiは固まった。
「……それは、まあ」
泉が静かに言う。
「断りにくいですね」
「泉さん、そこは否定して」
「事実ですので」
「正論が一番逃げ道を塞ぐんだよなあ……」
*
弥子はケーキを食べ終えると、メモ帳を引き寄せた。
「じゃあ、ログナーさんが諦めるような条件を出せばいいんじゃない?」
「諦める条件?」
「うん。前回よりずっと高い報酬にするとか」
Xiは少し考えた。
「前回は、一週間でフェザーゴールド三枚」
「でしたね」
泉が言う。
「ただ、あれはかなり安かったのでは?」
「泉さん?」
「業務内容を考えると、ソープさんの同行補助、危険回避、報告書作成、緊急時の護衛補助まで含まれていましたから」
「今日は止める側でいてほしいなあ」
Xiは渋い顔をした。
弥子はメモ帳に大きく書く。
『前回:一週間 3フェザーゴールド』
「じゃあ、倍以上にすればいいんじゃない?」
「倍以上」
「一週間で七枚とか!」
「それ、結構すごいね」
「それでも諦めなかったら、十枚!」
泉が少し考える。
「ただ、期間で提示すると交渉されるかもしれません。日当で設定した方が分かりやすいのでは?」
「泉さん?!」
Xiが目を見開く。
「今、かなり具体的に逃げ道を塞ぎに来たよね?」
「いえ、あくまで条件交渉として」
「条件交渉が本職みたいになってる!」
弥子はメモに書き加える。
『日当制?』
「じゃあ、一日一枚!」
Xiが少し笑った。
「一日一フェザーゴールド?」
「はい! 前回より高いし、さすがにログナーさんも考えるんじゃないですか?」
泉も頷く。
「日当一フェザーゴールドなら、かなり強気な条件に見えますね」
「見える、じゃなくて強気だよ」
Xiは腕を組んだ。
「一日一フェザーゴールド。最低ライン。これ以下では受けない」
「いいですね!」
弥子は楽しそうに言った。
「強気の怪盗っぽい!」
「怪盗だからね。安売りはしない」
Xiは少しだけ自信を取り戻した。
「ログナー司令も、これならさすがに――」
その時、カフェテラスの入口から声がした。
「何なら、さすがに、だ?」
Xiの肩が跳ねた。
振り向く。
ログナーが立っていた。
隣にはソープ。
さらに、カイエンとアウクソーもいる。
Xiは小さく呟いた。
「出た」
カイエンが笑う。
「悪いな、外注後輩。ちょうど通りかかってな」
「絶対ちょうどじゃない」
ソープが穏やかに微笑む。
「Xi、こんにちは」
「こんにちは、ソープ」
「何の話をしていたの?」
「聞かないで」
ログナーは席に着いた。
「ちょうどよい。こちらも話がある」
Xiは紅茶を置き、深く息を吸った。
「来たな……」
*
ログナーは、いつものように無駄のない動作で書類をテーブルに置いた。
泉がその書類を見て、少し姿勢を正す。
「契約書ですか?」
「業務委託案だ」
「泉さん、反応が早い」
Xiが言う。
ログナーは淡々と続けた。
「前回の一週間外注任務、およびその後の飲料文化調査における対応を踏まえ、ソープ様の地球滞在時における臨時お目付け役として、再契約を打診する」
「打診しないで」
「条件を聞け」
「聞いたら逃げ道が減る」
カイエンが笑った。
「学習してるな」
「誰のせいだと思ってるの、師匠」
カイエンの目が光った。
「今、師匠って言ったか?」
「言ってない!」
「言ったな」
「言ってない!」
ログナーは話を戻した。
「期間は必要時ごとの短期契約。任務内容は、ソープ様の同行補助、危険飲食物の事前制止、文化調査時の安全確認、必要に応じた簡易報告」
「危険飲食物の事前制止って、完全に前回の反省じゃん」
「必要項目だ」
ソープが少し困ったように笑う。
「僕、そんなに危険なものに近づいてるかな」
その場の全員が、少しだけ沈黙した。
弥子が小声で言う。
「近づいてますね」
泉も言う。
「かなり」
カイエンも言う。
「無自覚にな」
Xiが言う。
「文化調査の顔で近づくから一番危ない」
ソープは少ししょんぼりした。
「そっか」
ログナーは続ける。
「報酬は、前回実績を踏まえて見直す」
Xiはついに身を乗り出した。
「じゃあ条件を言うよ」
「聞こう」
Xiは、わざと強気に言った。
「最低でも、日当で一フェザーゴールドだ! それ以下では受けない」
場が少し静かになった。
弥子は「決まった」と言わんばかりの顔をする。
泉も、さすがにログナーが考えるだろうと思った。
カイエンは少しだけ眉を上げた。
ログナーは一秒も迷わず言った。
「OKだ」
Xiが固まった。
「オッケーなの?!」
「妥当だ」
「妥当なの?!」
「業務内容を考えれば、むしろ安い」
「安い?!」
弥子が口を開けた。
「一日一フェザーゴールドって、高いんじゃないんですか?」
カイエンが笑った。
「僕に仕事を頼もうとしたら、一日十フェザーゴールドでも足りないことがあるぞ。キャッシュならな」
「十?!」
弥子が叫ぶ。
Xiも目を見開く。
「カイエン、高っ!」
「剣聖を一日拘束するんだぞ。安くはねぇよ」
泉が冷静に言う。
「そう考えると、Xiくんの日当一フェザーゴールドは、護衛補助や監督業務込みなら、確かに極端に高いとは言えないかもしれません」
Xiが泉を見た。
「泉さん! 今日は止める側でしょ!」
「申し訳ありません。条件の妥当性を考えると……」
「正論が今日も僕を刺す!」
ログナーは頷いた。
「前回任務の実績、ソープ様の行動予測能力、弥子の暴走抑制、危険飲料への警戒、簡易ソニックブレードの実戦使用。これらを考慮すれば、日当一フェザーゴールドは十分に許容範囲だ」
「僕の実績を並べないで!」
「事実だ」
「その言葉、みんな便利に使いすぎ!」
*
Xiは頭を抱えた。
「今のは、“これで諦めるだろうと思った”ラインだったのに!」
ログナーは、まったく表情を変えずに言った。
「見積もりが甘い」
「見積もりで負けた!」
カイエンが腹を抱えて笑っている。
「怪盗が見積もりで負けるのは珍しいな」
「笑わないで!」
弥子はメモ帳を見ながら言った。
「じゃあ、もっと上げる?」
「弥子ちゃん、今さら煽らないで」
泉が言う。
「交渉の場で、一度提示した条件をすぐ吊り上げるのは印象が悪いかもしれません」
「泉さん、完全に契約実務側!」
「いえ、一般論として」
ログナーは書類を一枚差し出した。
「では、日当一フェザーゴールドを基準に契約書を修正する」
「待って! まだサインするとは言ってない!」
「口頭で条件を提示し、こちらは受諾した」
「成立してない!」
「契約書で確認する」
「泉さん!」
Xiは助けを求めるように泉を見た。
泉は少し困った顔で言った。
「契約書は、確認した方がいいですね」
「止めてほしかった!」
ソープが穏やかに言う。
「Xi、無理はしなくていいよ」
「そう言われると、逆に断りにくいんだよ」
「でも、来てくれたら助かる」
「一番だめな言い方!」
Xiは背もたれに沈み込んだ。
カイエンがにやにやしている。
「よかったな。日当一枚の外注後輩」
「肩書きが更新された!」
「出世だ」
「出世じゃない! 単価が上がっただけ!」
弥子が言う。
「でも、日当一フェザーゴールドなら、かなり良い仕事ですよね!」
「弥子ちゃん、そういう見方しないで」
「食費いっぱい出ますよ!」
「報酬を食費換算しないで!」
ログナーは静かに言った。
「食費補助は別途検討する」
「別途あるの?!」
Xiは思わず叫んだ。
カイエンがさらに笑った。
「待遇いいじゃねぇか」
「待遇の良さで逃げ道を塞ぐな!」
*
アウクソーが静かに紅茶を注ぎ足した。
「Xi様、お茶をどうぞ」
「ありがとう、アウクソー」
Xiはカップを受け取り、少し落ち着こうとした。
だが、ログナーはさらに追撃する。
「なお、訓練についてはカイエンの指導継続を推奨する」
「ほら来た!」
「簡易ソニックブレードの伸びしろが確認されている」
「伸びしろとか言わないで」
カイエンが言う。
「実際、伸びるぞ。お前」
「師匠まで!」
「今、師匠って言ったな」
「言ってない!」
弥子が手を挙げる。
「言いました!」
泉も微笑む。
「聞こえました」
ソープも言う。
「言ったね」
「全員で追い込まないで!」
ログナーは書類を整えた。
「業務内容に、訓練時間は含めない。あくまで別枠だ」
「そこは含めないんだ」
「カイエンの指導を受けられること自体が、報酬の一部に近い」
カイエンが笑う。
「僕の稽古は高いぞ」
「でしょうね!」
Xiは頭を抱えた。
「日当一フェザーゴールドに、カイエンの指導付き。ソープのお目付け役。危険飲食物監査。報告書あり……」
弥子が目を輝かせる。
「すごく立派な仕事ですね!」
「立派にしないで!」
泉が言った。
「ただ、正式採用ではない、という文言は明記した方がいいと思います」
Xiが顔を上げる。
「泉さん!」
「そこは大事です」
「やっと味方!」
ログナーは頷いた。
「明記しよう。正式なミラージュナイト採用ではなく、外注契約である、と」
「よし」
「ただし」
「ただし?」
「将来的な正式採用の可能性を妨げるものではない」
「その一文いらない!」
カイエンが笑いすぎて肩を震わせている。
「逃げ道、細いなあ」
「誰のせいだよ!」
*
最終的に、Xiは契約書を手にした。
まだ署名はしていない。
だが、条件はほぼ固まっていた。
日当一フェザーゴールド。
必要時の短期外注。
正式採用ではない。
危険飲食物・文化調査時の安全監督。
ソープの同行補助。
簡易報告。
カイエンによる訓練は別枠。
Xiは紙面を見ながら、小さく呟いた。
「僕、また負けてない?」
弥子が言った。
「でも、かなり条件良くなりましたよ!」
「そういう問題かなあ」
泉が言う。
「自分の条件を通した、という意味では負けではないと思います」
「泉さん……」
「ただ、その条件を相手が即受けしただけで」
「そこが負けなんだよ!」
ソープは嬉しそうに微笑んでいる。
「また一緒に来てくれる?」
Xiは、しばらく黙った。
それから、目を逸らして言った。
「……契約書、ちゃんと読むから」
「うん」
「サインするとは言ってない」
「うん」
「その“うん”、信用していい?」
「今日は信用していいよ」
「今日はって言った」
ログナーは静かに紅茶を飲んだ。
「回答期限は来週までとする」
「早い!」
「判断は早い方がいい」
「追い込みが強い!」
カイエンが立ち上がり、Xiの肩を軽く叩いた。
「頑張れよ、日当一枚の外注後輩」
「その呼び方、絶対やめろ!」
弥子がメモ帳に大きく書いた。
『Xi、日当1フェザーゴールドで交渉成立?』
「成立って書かないで!」
露伴がいつの間にか背後にいた。
「面白いな。怪盗Xi、見積もりで負ける」
「いつからいたの?!」
「日当一フェザーゴールドのあたりからだ」
「一番見られたくないところ!」
露伴は手帳に書く。
『怪盗Xiは見積もりで負ける。
高く吹っかけたつもりが、相手の予算規模を見誤った。
怪盗にとって最大の敵は、時に国家予算である。』
泉が横から見て、少し笑った。
「先生、それは少し良いですね」
「良くない!」
Xiは叫んだ。
ソープは楽しそうに紅茶を飲んでいる。
カイエンは笑っている。
ログナーはもう次の契約条項を考えている。
弥子はケーキを食べている。
泉は契約書の文面を確認している。
怪盗Xiは、紅茶のカップを見つめながら、深くため息をついた。
「一日一フェザーゴールドでも逃げられないのか……」
ログナーが静かに答えた。
「妥当だ」
Xiは天を仰いだ。
「その妥当が一番怖いんだよ!」