守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
その日、怪盗Xiは、ひどく機嫌が悪かった。
いつものカフェテラスに現れた瞬間から、眉間にしわが寄っている。
椅子に座るなり、彼はぼそりと呟いた。
「……あのクソ親父」
その一言に、桂木弥子が反応した。
「Xi、どうしたの? 何かあった?」
Xiは、テーブルに肘をつき、深いため息をついた。
「あったよ。すごく嫌なことが」
「嫌なこと?」
「シックスが、キノコを箱で送ってきた」
「キノコ?」
弥子は首を傾げた。
「普通に差し入れじゃないの?」
泉京香も、少しだけ困ったように微笑んだ。
「そこだけ聞くと、良い家族のようにも聞こえますね」
「就職祝いかも!」
弥子が明るく言った。
「日当一フェザーゴールドの外注契約祝い!」
「絶対違う」
Xiは即答した。
「箱に添え状が入ってたんだよ」
「添え状?」
「うん。こう書いてあった」
Xiは、懐から一枚の紙を取り出した。
読み上げる声には、深い嫌悪が混じっていた。
「『我が一族自慢の山で採れた至高のキノコだ』」
弥子の目が輝いた。
「至高のキノコ!」
「弥子ちゃん、そこで食いつかないで」
Xiは紙をめくる。
「しかも追記があった」
泉の表情が、少し真面目になる。
「追記、ですか」
Xiはうんざりした顔で続けた。
「『慣れると癖になる。常人が食べると幻覚で己の前世と対話するがね』」
沈黙。
カフェテラスの空気が、一瞬止まった。
弥子が、そっとメニュー表を閉じた。
「……前世と対話は、ちょっと」
「ちょっとで済ませないで」
泉も静かに言った。
「それは食品ではなく、危険物では?」
「でしょ?!」
Xiは勢いよく頷いた。
「ただのキノコじゃないんだよ。シックスが“我が一族自慢”って言った時点で危険信号。“慣れると癖になる”が付いたら、もう通行止め」
弥子が小さく手を挙げる。
「でも、キノコってバター醤油で炒めると――」
「通行止め」
Xiは即座に言った。
「まだ最後まで言ってない!」
「言う前の顔だった」
泉も頷く。
「今回ばかりは、Xiくんが正しいと思います」
「泉さんに正論で味方されると、心強いけど少し複雑だなあ」
*
そこへ、カイエンとアウクソーがやって来た。
カイエンはコーヒーを片手に、Xiの顔を見て眉を上げる。
「何だ。朝から死んだ魚みたいな顔してるな」
「シックスのキノコが来た」
「ああ、駄目だな」
「判断が早い!」
カイエンは椅子に座りながら当然のように言った。
「シックスが“慣れると癖になる”と言ったものは、食うな。飲むな。嗅ぐな。近づくな」
「完璧な判断」
Xiは深く頷いた。
アウクソーも静かに言う。
「マスター、念のため、その箱には近づかない方がよろしいかと」
「近づかねぇよ。前世と対話なんぞしたくない」
カイエンは軽く手を振った。
「僕の前世とか、ろくなもんじゃなさそうだ」
露伴がいれば、そこで食いついただろう。
だが幸い、この時点ではまだいなかった。
幸い、この時点では。
ソープが、遅れてカフェテラスに現れた。
「おはよう。何の話?」
Xiは即座に言った。
「ソープ、座って。あと、キノコには近づかない」
「キノコ?」
ソープの目に、わずかに好奇心が宿る。
Xiはそれを見逃さなかった。
「その目。文化調査じゃなくて危険地帯見学の目」
「まだ何も言ってないよ」
「言う前の目だった」
ソープは少しだけ笑った。
「幻覚で前世と対話するキノコ、か。地球には面白いものがあるんだね」
「地球のせいにしないで。シックスのせいだから」
その時、背後から低い声がした。
「陛下。その箱には近づかないでください」
ログナーだった。
Xiは振り向くなり、真顔で言った。
「ログナーさん。ヤクト・ミラージュ貸して。ちょっとあの山消すから」
沈黙。
弥子がぽかんとした。
「いきなり山を?」
ログナーは少しだけ考えた。
「野焼きにヤクトは過剰だな。あれのバスターランチャー四十四連発は地軸が傾く」
「この間、それを僕に貸与する流れだった気がする!」
Xiは叫んだ。
ログナーは淡々と続ける。
「ここはLEDミラージュの通常装備で行こう。フレームランチャーで焼却処理だな」
「それなら……まあ……」
Xiは一瞬だけ納得しかけた。
ログナーは当然のように言った。
「数億度の火炎、インフェルノナパームで山ごと灰にする」
「鬼か!!」
*
カイエンが腹を抱えて笑っていた。
「山ごと通行止めか」
「僕の“通行止め”を物理兵器化しないで!」
Xiは頭を抱える。
ログナーは真面目だった。
「対象は幻覚性キノコ群生地。陛下および関係者への接触リスクがある。焼却は妥当だ」
「妥当の基準がAKD火力!」
泉が恐る恐る手を挙げた。
「あの……LEDミラージュというのは、実戦でよく使われるものなのですか?」
ソープが答える。
「作ってはみたけど、LEDの稼働はまだ実例が数件程度しかないんだ」
ログナーが補足する。
「インフェルノナパームに至っては、実戦での使用例は現在のところない」
泉の顔が青くなる。
「完全に奥の手じゃないですか……」
「奥の手をキノコに使わないで!」
Xiが叫ぶ。
ソープは少し考えた。
「でも、良いデータは取れるかもしれないね」
「ソープまで乗らないで!」
さらに、泉が訊いた。
「なぜそんなに実戦使用回数が少ないんですか?」
ソープは穏やかに答えた。
「そもそも、異界からの侵略者対策の兵器だからね。インフェルノナパームも、悪魔やサタンを魂も残さず焼き尽くすためのものだ」
その瞬間、ネウロが薄く笑った。
「ほう……」
Xiはネウロを見た。
「興味持たないで」
ネウロは愉快そうに笑う。
「クク……魂も残さず焼き尽くす、か。ずいぶん大きく出たものだな」
「悪魔側のリアクションが一番怖いんだよ」
Xiはログナーを見る。
「でも、今回の作戦目的は……?」
ログナーは即答した。
「野焼きだな」
「最初にヤクト・ミラージュって言い出したの僕だけれども!!」
*
その時、弥子がそっと言った。
「でも、焼きキノコって美味しいですよね」
全員が振り向いた。
Xi、ログナー、カイエンが同時に言う。
「通行止め」
「却下だ」
「やめとけ」
弥子は両手を上げた。
「三人がかり?!」
泉も言う。
「弥子ちゃん、前世と対話するキノコは、バター醤油でも危険です」
「バター醤油でも……」
弥子は少ししょんぼりした。
ネウロが笑う。
「貴様の胃袋も、前世との対話までは想定していまい」
「それは、ちょっと……」
Xiはほっとした。
「よかった。そこでは止まれるんだ」
ソープは箱を少し気にしている。
ログナーがその視線を遮るように立った。
「陛下」
「うん?」
「近づかないでください」
「まだ見ているだけだよ」
「見ている時点で危険です」
Xiが頷く。
「ログナー司令の今日一番の正論」
カイエンも言う。
「ソープは好奇心で近づくからな」
「文化調査だよ」
「今回は文化じゃなくて災害」
Xiはきっぱり言った。
*
そこへ、最悪のタイミングで声がした。
「前世と対話するキノコ?」
全員が振り向く。
岸辺露伴が立っていた。
手帳を持っている。
ペンも持っている。
目が輝いている。
「これは聞き捨てならないな」
Xiが叫んだ。
「聞き捨てて!」
露伴は近づこうとする。
「幻覚、前世、食材、シックスからの贈り物。これは取材価値が――」
泉が立ちはだかった。
「先生、ありません」
「ある」
「ありません」
「ある」
「近づかないでください」
露伴は少し不満そうに言った。
「僕は食べるとは言っていない」
「今の先生は、描くためなら匂いくらい嗅ぎそうです」
「否定はしない」
「してください」
ログナーが低く言った。
「岸辺露伴。その箱は危険物として封鎖する。取材は許可しない」
「許可を取る気はないが」
「ならば強制的に遮断する」
露伴は少しだけ眉を上げた。
「本気だな」
「陛下の安全に関わる」
「なら仕方ない」
Xiが驚いた。
「あ、引いた」
露伴は手帳を閉じる。
「食べて前世と対話するより、食べずに想像する方が安全だ。漫画家は生きて描かねばならない」
泉がほっとする。
「先生が珍しくまともです」
「珍しくとは失礼だな」
だが露伴はすぐに言った。
「ただし、箱の外観だけは描く」
「そこは諦めないんだ」
*
カフェテラスの端に、問題の箱が置かれた。
黒い木箱。
金色の文字で、こう書かれている。
『我が一族自慢の山で採れた至高のキノコ』
Xiはそれを見ただけで顔をしかめた。
「字面がもう嫌」
ログナーは距離を取って観察する。
「封鎖対象だな」
泉が訊く。
「開けずに処理した方がいいのでは?」
「その通り」
ログナーは頷く。
弥子が少し寂しそうに言った。
「中身を見ないんですか?」
「見ない」
Xiが即答する。
「絶対に見ない。開けた瞬間、胞子とか出そう」
カイエンが嫌な顔をする。
「それはあり得るな」
「あるんだ……」
泉が震える。
ネウロは面白そうに箱を見る。
「クク……悪意の胞子か。なかなか良い響きだ」
「よくない」
Xiは即座に言った。
ソープが言う。
「でも、本当に処分するなら、どこで?」
ログナーはすでに端末を操作している。
「人里から十分離れた場所へ移送する。対象を密閉。周辺封鎖。通常焼却を行い、残存が確認された場合のみ、追加火力を検討する」
「追加火力って何?」
弥子が訊く。
Xiが答える前に、ログナーが言った。
「LEDミラージュ」
「検討から外して!」
Xiは叫ぶ。
「通常焼却で終わって!」
ソープは少し残念そうに言った。
「インフェルノナパームのデータは取れないね」
「取らないでいい!」
泉も真顔で頷いた。
「取らないでください」
*
その後、箱はログナーの指示で厳重に封鎖された。
カフェテラスの店員は、何も見なかった顔で新しいコーヒーを置いた。
強い。
この店員もまた、強くなっている。
Xiはそれを見て、心から思った。
見なかったことにする能力が欲しい。
弥子は名残惜しそうに箱を見ていた。
「でも、キノコ……」
「弥子ちゃん」
Xiが睨む。
「食べないよ!」
「本当に?」
「前世と対話はしません!」
泉が優しく言う。
「それが正解です」
カイエンはコーヒーを飲みながら笑った。
「しかし、Xi。お前、さっきは自分からヤクト貸せって言ったな」
「言ったけど! あれは勢いで!」
「記録しておくか」
「しなくていい!」
ログナーが淡々と言った。
「記録は必要だ」
「必要ない!」
ログナーは端末に打ち込む。
『怪盗Xiより、シックス由来危険キノコ群生地に対し、ヤクト・ミラージュ投入要請あり。火力過剰のため却下。代替案として通常焼却を優先。残存時、LEDミラージュによるフレームランチャー運用を検討』
Xiは頭を抱えた。
「備考が怖すぎる!」
露伴が横から覗き込む。
「いい記録だ」
「良くない!」
露伴は手帳に書く。
『怪盗Xiはキノコを信用しない。
シックスの“我が一族自慢”は、食材を危険物へ変える呪文である。
そして恐ろしいのは、キノコではない。
それを処理する側の火力感覚である。』
泉が少しだけ笑った。
「先生、それは……かなり良いですね」
「そうだろう」
Xiはうなだれた。
「良くない。僕のツッコミが全部記録されていく」
*
夕方。
箱は無事に回収された。
誰も食べなかった。
誰も前世と対話しなかった。
山も、今のところ消し飛ばされていない。
ひとまず、勝利だった。
たぶん。
Xiはカフェテラスの椅子にもたれた。
「疲れた……」
ソープが隣で言う。
「でも、何も起きなくてよかったね」
「何も起きなかったというより、起きる前にみんなで全力で止めたんだよ」
「それも大事だね」
「うん。すごく大事」
ログナーが静かに言った。
「今後、シックス由来の物品はすべて事前検査対象とする」
「それは賛成」
カイエンも頷く。
「食い物なら特にな」
弥子は小さく言った。
「バター醤油でも?」
全員が言った。
「駄目」
弥子は肩を落とした。
「はい……」
ネウロが笑う。
「クク……食欲が悪意に敗北した、珍しい日だな」
弥子は少し悔しそうに言った。
「でも、ちゃんとしたキノコなら食べたいです」
Xiが言う。
「今度、普通のキノコ料理にしよう」
「普通の?」
「普通の」
「シックス関係ない?」
「関係ない」
「前世と対話しない?」
「しない」
弥子の顔が明るくなる。
「じゃあ食べます!」
泉が苦笑する。
「結局、キノコは食べるんですね」
ソープは楽しそうに笑った。
「地球の普通のキノコ料理なら、文化調査になるかな」
Xiは即座に言った。
「その時は、産地確認から」
ログナーも頷いた。
「同意する」
カイエンが笑った。
「全員、シックスに鍛えられてるな」
Xiは深くため息をついた。
「鍛えられたくなかったよ」
その日、怪盗Xiは学んだ。
キノコそのものが危険なのではない。
シックスが「我が一族自慢」と言った瞬間、それはもう食材ではなくなる。
そして、それを処分しようとするAKDの火力感覚も、また別の意味で危険だった。
怪盗Xiは、キノコを信用しない。
少なくとも、差出人がシックスである限りは。