守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiはチーズも信用しない

 バッハトマ魔道帝国。

 

 ボスヤスフォートは、執務室に届いた箱を見ていた。

 

 それは、冷蔵保存を示す札のついた小さな荷物だった。

 

「私宛にクール宅急便?」

 

 ボスヤスフォートは、細い目をさらに細める。

 

「差出人は?」

 

 側近が伝票を確認する。

 

「……記載がございません」

 

「無記名か」

 

 ボスヤスフォートは、箱を見た。

 

 箱は、妙に厳重に包まれていた。

 

 冷蔵。

 密閉。

 さらに、外側には見慣れぬ赤い印。

 

 封。

 

 ではなく。

 

『開封注意』

 

 だった。

 

 ボスヤスフォートは、わずかに眉を動かした。

 

「……送り返せ」

 

 側近が驚く。

 

「よろしいのですか?」

 

「よい。無記名の冷蔵品など、ろくなものではない」

 

 箱の中から、かすかに何かが漏れた。

 

 匂い、というほどではない。

 

 気配に近い。

 

 その場にいた側近の一人が、急に遠い目をした。

 

「……あれ、私はなぜ、八歳の頃に池へ落ちた記憶を……」

 

 ボスヤスフォートは即座に言った。

 

「開けるな。今すぐ封鎖しろ」

 

     *

 

 数時間前。

 

 いつものカフェテラス。

 

 怪盗Xiは、テーブルの上に置かれた小さな箱を前に、深刻な顔をしていた。

 

 その箱は、冷蔵便で届いたものだった。

 

 白い発泡スチロールの箱。

 保冷剤。

 厳重な包装。

 そして、添え状。

 

 Xiは、添え状をつまむように持っていた。

 

「……また来た」

 

 桂木弥子が、恐る恐る訊く。

 

「今度は何?」

 

「チーズ」

 

 カイエンが少しだけ反応した。

 

「チーズ?」

 

 Xiは顔をしかめる。

 

「シックスから」

 

 カイエンは即答した。

 

「捨てろ」

 

「判断早い!」

 

「前回のキノコで学習した」

 

 Xiは深く頷いた。

 

「よかった。師匠がまともで」

 

「今、師匠って言ったな」

 

「言ってない」

 

 弥子が小さく手を挙げる。

 

「でも、チーズですよね? チーズなら、ピザとかグラタンとか、

あとお酒のつまみとか……」

 

 Xiは即座に言った。

 

「通行止め」

 

「まだ普通のチーズの話です!」

 

「普通ならね。シックス産は普通じゃない」

 

 泉京香が、箱を少し離れた位置から見ている。

 

「添え状には、何と書いてあるんですか?」

 

 Xiは嫌そうに紙を開いた。

 

「読むよ。いい? 心の準備して」

 

 弥子がごくりと息を飲む。

 

 Xiは読み上げた。

 

「『我が子の師匠がチーズ好きと聞いて、

我が一族自慢の蔵で熟成させた至高のチーズを贈ろう』」

 

 カイエンの顔が、一瞬だけ揺れた。

 

「僕宛かよ」

 

 アウクソーがすぐにカイエンを見る。

 

「マスター、どうかお控えください」

 

「まだ何も言ってないだろ」

 

「お顔が、少し興味を持たれていました」

 

「……よく見てるな」

 

 Xiは続けた。

 

「追記がある」

 

 泉が静かに身構える。

 

「追記、という時点で不安ですね」

 

「『慣れると癖になる。常人は臭気だけで記憶の一部を失うがね』」

 

 沈黙。

 

 カフェテラスの空気が止まった。

 

 風だけが、そよそよと吹いている。

 

 Xiは深刻な顔で言った。

 

「この店を選んでよかった。屋外だから」

 

 泉が青ざめる。

 

「臭気だけで記憶を……?」

 

 弥子もさすがに距離を取った。

 

「食べる前から危険なんですか?!」

 

「そう。今回は食べる以前に嗅ぐな」

 

 カイエンは、少し考えていた。

 

「記憶の一部を失うチーズ……」

 

 Xiがぎょっとする。

 

「師匠?」

 

 カイエンは遠い目をした。

 

「忘れたい黒歴史が消えるチーズ……?」

 

「師匠! ヤバいって!!」

 

 アウクソーが、いつになく強い声で言った。

 

「マスター、おやめください」

 

 カイエンは苦笑した。

 

「分かってる。冗談だ」

 

「冗談に聞こえなかったよ!」

 

     *

 

 そこへ、ソープとログナーが現れた。

 

 ソープは箱を見るなり、興味深そうに首を傾げた。

 

「今度はチーズ?」

 

 Xiは即座に立ち上がった。

 

「ソープ、下がって」

 

「まだ近づいてないよ」

 

「近づく前の目だった」

 

 ログナーは箱と添え状を見た。

 

「シックス由来か」

 

「はい」

 

 Xiは添え状を渡す。

 

 ログナーはそれを読み、表情を変えずに言った。

 

「封鎖対象だな」

 

「ですよね」

 

 泉が言う。

 

「焼却処分……は、今回は危険でしょうか?」

 

 ログナーは頷いた。

 

「加熱により臭気成分が拡散する可能性がある」

 

「チーズの処理の話ですよね……?」

 

 泉が震える。

 

 Xiは真顔で言った。

 

「シックス産だから危険物処理の話だよ」

 

 ログナーは箱を見ながら続けた。

 

「密閉、冷凍、封印。必要ならば隔離保管。処分方法は分析後に判断する」

 

 弥子が小さく言う。

 

「チーズの保存方法じゃない……」

 

 カイエンが肩をすくめる。

 

「普通のチーズなら冷蔵でいいんだがな」

 

 ソープは少しだけ身を乗り出した。

 

「臭気で記憶に影響するなら、成分分析は興味深いね」

 

 Xiとログナーが同時に言った。

 

「ここで開けない」

 

「ここで開けません」

 

 ソープは少し困ったように笑った。

 

「分かってるよ」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

 Xiは疑わしそうに見る。

 

「その“うん”、ちょっと研究者のうんだった」

 

     *

 

 ネウロが、いつの間にか弥子の後ろに立っていた。

 

「クク……臭気で記憶を削る乳製品か。ずいぶんと品のない悪意だな」

 

 Xiが顔をしかめる。

 

「品があったらいいわけじゃないよ」

 

 弥子がネウロを見る。

 

「ネウロ、これ食べられる?」

 

「吾輩は謎を喰うのであって、記憶障害を起こすチーズを喰うのではない」

 

「魔人も食べない!」

 

「当然だ」

 

 そこへ、予想通りというべきか、岸辺露伴が現れた。

 

「臭気だけで記憶を失うチーズ?」

 

 Xiは両手で顔を覆った。

 

「また来た!」

 

 露伴はすでに手帳を持っていた。

 

「これは取材価値がある。熟成、臭気、記憶障害、シックスからの贈り物。非常に面白い」

 

 泉がすぐに前に出る。

 

「先生、近づかないでください」

 

「食べるとは言っていない」

 

「嗅ぎそうです」

 

「否定はしない」

 

「否定してください」

 

 露伴は箱を見つめた。

 

「だが、記憶の一部を失うというのは危険だな。原稿の構成や取材メモが飛ぶと困る」

 

 Xiが感心したように言う。

 

「そこでは止まれるんだ」

 

 露伴は真顔で答えた。

 

「漫画家にとって記憶は財産だ」

 

 泉がほっとした。

 

「では、今回は封印に賛成ですね」

 

「外観だけ描く」

 

「そこは諦めないんですね」

 

     *

 

 ログナーは、箱の周囲に簡易的な封鎖線を設定した。

 

 カフェテラスの店員は、また何も見なかった顔で水を置いて去った。

 

 強い。

 

 相変わらず強い。

 

 ログナーは端末を操作しながら、低く言った。

 

「臭気による記憶障害。対象の認識能力や戦闘継続能力を低下させる可能性がある」

 

 Xiが嫌な顔をした。

 

「ログナーさん?」

 

「これは、ある意味兵器になるな」

 

「チーズを兵器にしないで」

 

 泉が震える。

 

「今、チーズを見ておっしゃいました?」

 

「臭気兵器としての戦術利用は可能だ」

 

 カイエンが少し笑った。

 

「バッハトマにでも送りつけるか?」

 

 Xiが叫ぶ。

 

「師匠まで非道側に行かないで!」

 

 ログナーは真面目に考え込んだ。

 

「バッハトマ魔道帝国宛に、無記名で送付する案はある」

 

「あるの?!」

 

「差出人をシックスとすれば、事実にも反しない」

 

「理屈は合ってるけど非道!」

 

 弥子が小声で言う。

 

「ボスヤスフォートさん、開けちゃうかな……」

 

 カイエンが肩をすくめる。

 

「あいつなら、開ける前に疑うだろ」

 

 ネウロが笑う。

 

「クク……悪意ある者ほど、悪意には敏感なものだ」

 

 露伴は手帳に書き込んでいる。

 

「臭気チーズによる対バッハトマ心理戦。これは描ける」

 

 泉が言った。

 

「先生、外交問題になります」

 

「漫画にするだけだ」

 

「それが問題になり得るんです」

 

     *

 

 ソープは箱を見ながら、少し考えていた。

 

「でも、もし本当に記憶に作用するなら、仕組みは気になるね」

 

 Xiは即座に言う。

 

「気にしない」

 

「少しだけ」

 

「出た」

 

「分析班なら」

 

「分析班もかわいそう」

 

 ログナーは頷いた。

 

「分析するにしても、無人環境、遠隔操作、完全密閉下だ」

 

 泉が言う。

 

「チーズの分析とは思えない条件ですね……」

 

 カイエンはまだ少しだけ箱を見ている。

 

 アウクソーがそれに気づいた。

 

「マスター」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「本当だ。普通のスティルトンでいい」

 

 アウクソーはほっとしたように微笑んだ。

 

「では、今度お持ちいたします」

 

 カイエンは少し照れたように言った。

 

「頼む」

 

 Xiがその様子を見て、少し安心した。

 

「普通って素晴らしいね」

 

 弥子が頷く。

 

「普通のチーズなら食べたいです!」

 

 ログナーが即座に言う。

 

「産地確認後だ」

 

 Xiも頷く。

 

「差出人確認もね」

 

 泉も言う。

 

「包装状態も確認しましょう」

 

 弥子は肩を落とした。

 

「チーズ食べるだけで審査が多い……」

 

 カイエンが笑った。

 

「シックスに鍛えられたな」

 

     *

 

 その時、Xiの端末が鳴った。

 

 差出人は不明。

 

 メッセージだけが表示されていた。

 

『チーズは届いたかね。

 我が子の師匠に相応しい熟成だ。

 忘れたい記憶があるなら、少し嗅ぐだけでよい』

 

 Xiは無言で端末を見た。

 

 そして、ゆっくり言った。

 

「ログナーさん」

 

「何だ」

 

「この箱、封印で」

 

「承知した」

 

「バッハトマに送るのは?」

 

 ログナーは少し考えた。

 

「保留だ」

 

「保留なんだ」

 

「戦術利用の価値はある」

 

「チーズだよ?!」

 

 ネウロが愉快そうに笑う。

 

「クク……食材から兵器、兵器から外交カードへ。ずいぶん出世したチーズだ」

 

 弥子が言う。

 

「食べ物としての出世じゃないですね……」

 

「むしろ堕ちてるよ」

 

 Xiは言った。

 

     *

 

 その後、チーズの箱は厳重に密閉され、冷凍封印された。

 

 カフェテラスに被害は出なかった。

 

 誰も記憶を失わなかった。

 誰も黒歴史を消さなかった。

 カイエンも、ギリギリ踏みとどまった。

 

 勝利だった。

 

 たぶん。

 

 カイエンはため息をつく。

 

「……普通のチーズが食いたくなった」

 

 弥子がすぐに言う。

 

「チーズケーキ!」

 

 泉が見る。

 

「弥子ちゃん」

 

「普通のチーズケーキです!」

 

 Xiは少し考えてから言った。

 

「普通のならいいんじゃない?」

 

 ログナーが言う。

 

「店のものなら安全だろう」

 

 ソープが微笑む。

 

「では、普通のチーズ文化調査だね」

 

 Xiは即座に言った。

 

「シックス関係なしで」

 

「うん」

 

「普通の」

 

「うん」

 

「臭気で記憶が飛ばない」

 

「うん」

 

 弥子が手を挙げた。

 

「じゃあチーズケーキを!」

 

 カイエンが笑う。

 

「僕は普通のチーズ盛り合わせだな」

 

 アウクソーが静かに言った。

 

「スティルトンもご用意しましょう」

 

「頼む」

 

 露伴が手帳に最後の一文を書いた。

 

『怪盗Xiはチーズも信用しない。

 シックスの“我が一族自慢”は、乳製品を危険物へ変える。

 だが本当に恐ろしいのは、忘れたい記憶を持つ者の心が、

 ほんの一瞬だけ誘惑されることである。』

 

 泉が横から覗き込み、少しだけ頷いた。

 

「先生、それは少し良いですね」

 

「そうだろう」

 

 Xiは渋い顔をした。

 

「良くないよ。師匠が一瞬本気で迷ったんだから」

 

 カイエンは苦笑する。

 

「迷ってねぇよ」

 

 アウクソーが静かに言う。

 

「マスター?」

 

「……少しだけだ」

 

 Xiが即座に言った。

 

「その“少しだけ”が危険!」

 

 全員が笑った。

 

 その頃。

 

 バッハトマ魔道帝国に届いた謎の冷蔵便は、開封されることなく送り返されていた。

 

 ボスヤスフォートは執務室で静かに呟く。

 

「無記名の贈答品ほど、信用ならぬものはない」

 

 彼は知らない。

 

 それが、ある意味では正解だったことを。

 

 怪盗Xiは、チーズも信用しない。

 

 少なくとも、差出人がシックスである限りは。

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