守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
怪盗Xiは、届いた箱を前にして、しばらく無言だった。
その箱は、今までのものより少し大きかった。
キノコの時の木箱ほど不気味ではない。
チーズの時の冷蔵便ほど露骨に危険でもない。
段ボール箱。
常温保存。
賞味期限も長い。
そして、箱の側面には大きくこう書かれていた。
『高級和牛ゴロゴロカレー』
桂木弥子の目が輝いた。
「カレー?!」
Xiは即座に言った。
「食いつかない」
「でもカレーですよ?!」
「カレーでも食いつかない」
「高級和牛ゴロゴロって書いてありますよ?!」
「そこだけ見るな」
泉京香が箱を見ながら、少しだけ首を傾げた。
「今回は、レトルトカレーなんですね」
「うん」
Xiは深く頷いた。
「日持ちする。常温保存できる。温めればすぐ食べられる。いかにも“なかなか自炊できないだろうから送ってやった”感がある」
弥子が明るく言う。
「いい親心じゃないですか!」
「差出人がシックスでなければね」
その一言で、場の空気が変わった。
カイエンが即座に言った。
「捨てろ」
「判断早い!」
Xiが思わずツッコむ。
カイエンは当然のようにコーヒーを飲んだ。
「キノコとチーズで学習した。シックスから来た食い物は、食い物じゃねぇ」
「師匠、完璧な判断」
「今、師匠って言ったな」
「言ってない」
アウクソーは箱に近づきすぎない位置から、静かに言った。
「製造元の記載はございますか?」
泉が箱の裏面を確認する。
「ええと……製造者、株式会社ヘキサクス」
Xiが両手を広げた。
「はい通行止め!」
弥子が叫ぶ。
「まだ中身見てません!」
「見る前から通行止め!」
泉も表情を固くした。
「ヘキサクス製となると、通常食品として扱うのは危険かもしれませんね」
「泉さんが言うと説得力がある」
Xiはうなずいた。
「僕はもう、シックスの“親心”を信用しない」
*
箱の上には、封筒が貼り付けられていた。
Xiはそれをつまむように剥がし、中の紙を取り出す。
「添え状がある」
弥子がわくわくした顔をする。
「何て書いてあるんですか?」
「今から読むけど、期待しないで」
Xiは深呼吸した。
そして読み上げた。
「『我が子よ。なかなか自炊もままならぬだろう。親心として、我が一族自慢の至高のカレーを贈る』」
泉が小さく言う。
「そこだけ聞くと、本当に普通の差し入れですね」
「ここだけならね」
Xiは続ける。
「『高級和牛を惜しみなく使った。慣れると癖になる』」
カイエンが顔をしかめた。
「出たな」
Xiも頷く。
「危険ワード」
弥子が首を傾げる。
「でも、カレーって癖になるものじゃないですか?」
「シックスが言うと意味が変わるんだよ」
Xiは紙の最後の行を読む。
「『常人は銀歯が抜ける辛さだがね』」
沈黙。
カフェテラスの空気が止まった。
弥子が、ぱっと顔を上げた。
「あたし虫歯ないよ! だから食べたい!!」
Xiが即座に叫ぶ。
「本質はそこじゃない!」
泉も慌てて言う。
「弥子ちゃん、銀歯の有無で安全性は判断できません!」
カイエンが真顔で言う。
「弥子、落ち着け。シックスの場合、それが比喩じゃない可能性がある」
「比喩じゃない?!」
ネウロがいつの間にか背後に立っていた。
「クク……弥子。貴様の胃袋は頑丈だが、歯科領域までは保証されておらん」
「歯医者案件?!」
Xiが箱を指さした。
「食品じゃなくて医療リスクになってるんだよ!」
*
そこへ、ソープとログナーがやって来た。
ソープは箱を見るなり、穏やかに目を輝かせた。
「カレー?」
「ソープ、下がって」
Xiが即座に言った。
「まだ近づいてないよ」
「近づく前の目だった」
ソープは少し笑った。
「高級和牛のカレーか。地球の食文化としては興味深いね」
「文化調査の顔で危険物に近づかない!」
ログナーは箱と添え状を確認し、短く言った。
「封鎖対象だな」
「ですよね」
Xiは即答した。
弥子が悲しそうに箱を見る。
「でも、レトルトカレーですよ? 温めるだけですよ?」
ログナーは淡々と答えた。
「加熱により香気成分が拡散する恐れがある」
泉が震えた。
「レトルトカレーを温めるだけで、そこまで警戒することになるとは……」
カイエンが苦笑する。
「シックス産だからな」
Xiは深く頷いた。
「キノコは開けたら危ない。チーズは嗅いだら危ない。カレーは温めたら危ない。三段落ちとして完成してるよ」
弥子が小さく言う。
「食べる前に全部止められてる……」
「食べたら終わるからね」
ログナーは端末に何かを打ち込みながら言った。
「ヘキサクス製レトルト食品。辛味刺激、歯科損傷、加熱時の揮発成分に注意。陛下への提供は却下」
ソープが少し残念そうに言う。
「一口だけでも?」
「不可です」
「まだ何も」
「言う前の目です」
Xiが感心したように言った。
「ログナー司令、完全に読めるようになってる」
*
弥子はまだ諦めていなかった。
「でも、高級和牛ゴロゴロなんですよね」
「そこを強調しない」
Xiが止める。
「和牛ですよ?」
「和牛でも駄目」
「カレーですよ?」
「カレーでも駄目」
「虫歯ないですよ?」
「もう一回言うけど、本質はそこじゃない」
泉が優しく言う。
「弥子ちゃん、普通のカレーならあとで食べましょう」
弥子が反応する。
「普通のカレー?」
「はい。安全なお店の」
カイエンも頷く。
「普通のカレーなら、僕も食いたいな」
Xiが言う。
「じゃあ後で普通のカレー会にしよう。シックス関係なし。ヘキサクス関係なし。銀歯が抜けないやつ」
弥子の顔が少し明るくなる。
「和牛は?」
「予算次第」
「そこ現実的!」
ネウロが笑う。
「クク……シックスの悪意に負けても、カレーへの執念は折れぬか」
「普通のカレーは食べたいです!」
「そこは正直でよろしい」
*
ログナーは箱の処理方法を検討していた。
「開封せず、密閉状態のまま回収。分析は遠隔操作で行う」
Xiが言う。
「分析するんだ」
「ヘキサクス製食品の危険性評価は必要だ」
「食品っていうか、もう兵器扱いじゃない?」
ログナーは表情を変えずに答える。
「辛味による歯科損傷、嗅覚刺激、摂食後の行動異常が予想される。兵器転用の可能性は否定できない」
「カレーから兵器に行かないで」
カイエンが笑う。
「バッハトマに送るか?」
「師匠、前回のチーズで味をしめないで!」
ログナーは少し考えた。
「今回は臭気兵器ではなく辛味兵器だ。用途が違う」
「真面目に分類しないで!」
泉が青ざめて言う。
「外交上、食品を装った危険物の送付はかなり問題では……」
露伴が現れた。
「食品を装った危険物?」
Xiが両手で顔を覆った。
「また来た!」
露伴はすでに手帳を持っている。
「高級和牛ゴロゴロカレー、製造元ヘキサクス、銀歯が抜ける辛さ。これは面白い」
泉がすぐに立ちはだかった。
「先生、今回は食べないでください」
「食べるとは言っていない」
「辛さのリアリティを確認しようとしそうです」
「否定はしない」
「否定してください」
露伴は箱を見る。
「だが、銀歯が抜ける辛さというのは困るな。僕は歯を痛めるわけにはいかない」
Xiが言う。
「今回は歯で止まれるんだ」
「漫画家は歯も大事だ」
泉がほっとする。
「では、封鎖に賛成ですね」
「外箱だけ描く」
「やっぱりそこは描くんですね」
*
その時、Xiの端末が鳴った。
差出人不明。
メッセージだけが表示されていた。
『届いたかね。
親心だ。
忙しい我が子には、温めるだけで食べられるものがよいと思ってね。
なお、辛さに慣れると癖になる。
銀歯がない者は、代わりに忘れたい甘い記憶が抜ける場合がある』
Xiは無言で端末を見つめた。
弥子が青ざめた。
「甘い記憶……?」
ネウロが笑う。
「弥子。貴様にとっては歯より重要だな」
「ケーキとかパフェの記憶が消えるのは困ります!!」
Xiが力強く頷いた。
「やっと止まった!」
カイエンも言う。
「黒歴史ならともかく、甘い記憶は困るんだな」
「甘い記憶は人生の財産です!」
露伴が手帳に書く。
「桂木弥子、甘味の記憶を守るため、ヘキサクス製カレーを断念」
「書かないでください!」
*
結局、カレーの箱は開封されなかった。
温められなかった。
食べられなかった。
銀歯も抜けなかった。
甘い記憶も失われなかった。
ログナーの指示で、箱は密閉回収された。
回収担当は、防護装備を着ていた。
弥子はそれを見送りながら、小さく呟いた。
「レトルトカレーに防護装備……」
泉が言う。
「もう、レトルトカレーとして扱われていませんね」
Xiは深くため息をついた。
「差出人がシックスだからね」
ソープは少し残念そうに言った。
「普通のカレー文化調査なら、またできるかな」
「できる」
Xiは即答した。
「普通のカレーなら」
ログナーも頷く。
「安全な店舗、または信頼できる製造元であれば問題ない」
弥子が元気を取り戻す。
「じゃあ、普通のカレー屋さんに行きましょう!」
「いいね」
カイエンが笑う。
「僕は辛口でいい」
アウクソーが心配そうに言う。
「マスター、辛すぎるものはお控えください」
「普通の辛口だ」
「普通の」
Xiが確認する。
「シックス基準じゃなくて、地球の普通の辛口ね」
カイエンが苦笑する。
「分かってる」
*
露伴は最後に手帳へ書いた。
『怪盗Xiはカレーも信用しない。
キノコは前世を呼び、チーズは記憶を奪い、カレーは歯と甘い思い出を狙う。
シックスの“親心”は、食品ではなく罠として届く。
そして人は、危険なカレーを封鎖した後でも、普通のカレーを食べたくなる。
それが食欲というものだ。』
泉が横から覗き込み、少し笑った。
「先生、それは少し良いですね」
「そうだろう」
弥子が手を挙げた。
「では、普通のカレーを!」
ログナーが静かに言った。
「店を選定する。製造元、食材、辛さの基準を確認後だ」
Xiが遠い目をした。
「普通のカレーに行くまでの審査が厳しい……」
ソープが楽しそうに笑った。
「でも、安全な文化調査だね」
「安全が一番」
Xiは言った。
その言葉に、カイエンも泉もアウクソーも頷いた。
ネウロだけが、くつくつと笑っている。
「クク……三度目ともなれば、貴様らも学ぶか」
Xiはうんざりした顔で言った。
「学びたくなかったよ」
キノコ。
チーズ。
カレー。
三つの差し入れは、すべて封鎖された。
シックス本人は出禁。
そして差し入れも、事前検査対象。
怪盗Xiは、カレーも信用しない。
少なくとも、差出人がシックスである限りは。
そして弥子は、その夜、普通のカレーを三杯食べた。
蕃爽麗茶を横に置きながら。
Xiは言った。
「免罪符じゃないからね」
弥子は言った。
「分かってます!」
たぶん、分かっていなかった。