守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiは入浴剤も信用しない

 怪盗Xiは、その日、箱を開ける前から嫌な顔をしていた。

 

 いつものカフェテラス。

 テーブルの上には、小ぶりな段ボール箱。

 

 冷蔵便ではない。

 常温保存。

 食品でもない。

 

 ラベルには、洒落た金色の文字でこう書かれていた。

 

 HEXA BATH SALT

 人間を磨け。後悔は角質だ。

 

 Xiは、それを見ただけで両手で顔を覆った。

 

「もう駄目だ」

 

 桂木弥子が首を傾げる。

 

「今度は何?」

 

「入浴剤」

 

「入浴剤?」

 

 泉京香が少し意外そうに言った。

 

「お風呂に入れるものですか?」

 

「そう。普通ならね」

 

 Xiは箱を指さした。

 

「差出人はシックス。製造元は株式会社ヘキサクス」

 

 カイエンが即座に言った。

 

「捨てろ」

 

「判断が早い!」

 

「キノコ、チーズ、カレー、栄養ドリンク。もう学習済みだ」

 

 Xiは深く頷いた。

 

「正しい。非常に正しい」

 

 弥子は箱を見ながら言う。

 

「でも、入浴剤なら食べ物じゃないし……」

 

「食べ物じゃないから安全とは限らない」

 

「確かに……」

 

 泉はラベルを読んで、眉を寄せた。

 

「“後悔は角質だ”というコピーが、かなり嫌ですね……」

 

 Xiはうなずく。

 

「飲み物に“疲労は退化だ”って書く会社だからね。入浴剤にも思想を混ぜてくる」

 

 弥子が小さく言う。

 

「思想入り入浴剤……」

 

「嫌すぎるでしょ」

 

     *

 

 Xiは箱に貼られた封筒を剥がした。

 

 もう慣れた手つきだった。

 

 慣れたくなかった。

 

「添え状がある」

 

 泉が緊張した顔になる。

 

「また、追記がありますか?」

 

「絶対ある」

 

 Xiは紙を開いた。

 

「読むよ」

 

 皆が少しだけ身構えた。

 

「『我が子よ。HEXA-BOOSTでよく働いた後は、身体を休めることも重要だ』」

 

 泉が思わず言った。

 

「シックスさんがそれを言うんですか……」

 

「そこなんだよ!」

 

 Xiは紙を握りしめる。

 

「三日三晩働かせるドリンク送っておいて、次に“身体を休めろ”って言うんだよ。どの口で!」

 

 カイエンが苦笑する。

 

「まあ、あいつの口だろ」

 

「一番駄目な口!」

 

 Xiは続きを読む。

 

「『我が一族自慢の鉱山で採掘させた、至高のバスソルトを贈ろう』」

 

 弥子が少し反応する。

 

「バスソルト……」

 

 泉も、わずかに表情を動かした。

 

「鉱物系の入浴剤、ということですか」

 

「二人とも、まだ乗らないで」

 

 Xiは先に釘を刺す。

 

「問題はここから」

 

 紙の最後の行を読む。

 

「『慣れると癖になる。常人なら湯船に浸かった瞬間、古い皮脂と後悔が溶け落ちる。ある意味、ピーリング効果は抜群だ』」

 

 沈黙。

 

 カフェテラスに、妙な風が吹いた。

 

 泉が、少しだけ小さな声で言った。

 

「ピーリング効果……」

 

 Xiが即座に手を上げる。

 

「通行止め」

 

「まだ何も言っていません」

 

「今、ちょっと心が揺れた」

 

 泉は目を逸らす。

 

「いえ、その……美容用のバスソルトやピーリング効果という言葉自体は、普通にもありますし」

 

「でもこれはヘキサクス製」

 

「はい……」

 

「差出人はシックス」

 

「はい……」

 

「後悔まで溶ける」

 

「そこが一番怖いです……」

 

 弥子が手を挙げた。

 

「後悔が溶けるなら、食べすぎた罪悪感も……?」

 

「溶けない!」

 

「まだ最後まで言ってない!」

 

「言う前の顔だった!」

 

 ネウロが、いつの間にか弥子の後ろに立っていた。

 

「クク……貴様の罪悪感は皮膚ではなく胃袋に沈んでいる。湯船では落ちん」

 

「ひどい!」

 

     *

 

 そこへ、ラクス・クラインとキラ・ヤマトがやって来た。

 

 ラクスは箱のラベルを見て、静かに目を細める。

 

「入浴剤ですの?」

 

 Xiは即座に立ち上がった。

 

「ラクス、近づかないで」

 

 キラもラベルを読んで顔をしかめた。

 

「……これは、やめた方がいいと思う」

 

「キラが早い」

 

 Xiはうなずいた。

 

「正しい」

 

 ラクスは少しだけ首を傾げる。

 

「でも、バスソルト自体は素敵ですわね。香りが穏やかで、肌に優しいものなら」

 

「これは穏やかじゃない」

 

 Xiは即答した。

 

「肌に優しいどころか、必要な角質まで持っていく可能性がある」

 

 泉が青ざめる。

 

「必要な角質まで……」

 

 キラはラクスの前に自然に立った。

 

「ラクス、これは本当に試さなくていいから」

 

 ラクスは微笑む。

 

「キラ、心配性ですわ」

 

「今回は心配するよ」

 

 Xiが深く頷く。

 

「キラ、今日は全面的に正しい」

 

 カイエンが箱を見ながら、ぽつりと言った。

 

「後悔が溶け落ちる、か……」

 

 Xiがぎょっとする。

 

「師匠?」

 

 アウクソーが即座に反応した。

 

「マスター、おやめください」

 

「まだ何も言ってねぇ」

 

「お顔が、少しだけお試しになりたい時のお顔でした」

 

「……よく見てるな」

 

 Xiが両手を広げる。

 

「チーズの時と同じ流れ!」

 

 カイエンは咳払いした。

 

「冗談だ」

 

「冗談に聞こえなかった!」

 

     *

 

 そこへ、ソープとログナーも現れた。

 

 ソープは箱を見て、興味深そうに目を細める。

 

「入浴剤か。今度は食べ物じゃないんだね」

 

「食べ物じゃないけど危険」

 

 Xiが即答する。

 

「皮膚接触型の危険物だよ」

 

 ログナーはラベルと添え状を確認した。

 

 そして、静かに言った。

 

「封鎖対象だな」

 

「やっぱり」

 

 Xiはうなずく。

 

 泉が遠慮がちに手を挙げた。

 

「あの……試しに一回だけ……薄めて使うっていうのは……?……」

 

「通行止め!」

 

 Xiの声がカフェテラスに響いた。

 

 泉ははっとした顔になる。

 

「す、すみません。今のは少し、言ってみただけです」

 

「泉さんまで揺れるなんて、今回のコピー危険すぎる」

 

 ログナーが淡々と言う。

 

「水に溶かすな」

 

 弥子が驚く。

 

「入浴剤なのに?」

 

「水に溶かすことが本来の使用法である以上、危険が拡散する可能性がある」

 

 Xiが言った。

 

「本来の使い方を封じられた入浴剤!」

 

 ログナーは続ける。

 

「浴槽、排水経路、蒸気成分への影響を確認する必要がある。排水系統に流入した場合、被害範囲が広がる」

 

 泉が小さく震えた。

 

「入浴剤の話とは思えません……」

 

 カイエンが苦笑する。

 

「シックス産だからな」

 

 ソープは箱を眺めながら言った。

 

「でも、もし本当に後悔に影響するなら、精神作用もあるのかな」

 

「ソープ、その顔は研究者の顔」

 

 Xiが言う。

 

「ここで開けない。ここで溶かさない。ここで試さない」

 

「少しだけ分析なら」

 

「分析班も湯船に沈めないで!」

 

 ログナーは頷く。

 

「分析は遠隔、無人環境、完全密閉下で行う。水溶時の反応は小規模実験に限定する」

 

 Xiはため息をついた。

 

「入浴剤の実験計画じゃないよ、それ」

 

     *

 

 岸辺露伴は、当然のように現れた。

 

「後悔が溶け落ちる入浴剤?」

 

 Xiは空を仰いだ。

 

「ほら来た」

 

 露伴は手帳を開いている。

 

「これは面白い。入浴、皮膚、後悔、精神作用。人間の内側と外側の境界を洗い流すわけだ」

 

 泉がすぐに前に立つ。

 

「先生、駄目です」

 

「まだ何も言っていない」

 

「試しそうです」

 

「否定はしない」

 

「否定してください」

 

 露伴は箱を見る。

 

「だが、後悔が消えるのは困るな」

 

 Xiが少し驚く。

 

「露伴先生、そこでは止まれるんだ」

 

「後悔も記憶も、漫画家にとっては材料だ。なくなっては困る」

 

 泉がほっとした。

 

「では、封鎖ですね」

 

「外箱だけ描く」

 

「そこは描くんですね」

 

 ネウロが笑う。

 

「クク……貴様らは、よくもまあ毎度、差し入れひとつで大騒ぎできるものだ」

 

 Xiが箱を指さす。

 

「毎度差し入れが差し入れじゃないんだよ!」

 

     *

 

 ログナーは、箱を慎重に確認した。

 

 粉末の飛散リスク。

 吸入時の影響。

 水溶時の反応。

 加温時の揮発成分。

 皮膚接触時の作用。

 

 完全に危険物評価だった。

 

 弥子が言う。

 

「お風呂で使うものなのに、項目が怖い……」

 

 泉が頷く。

 

「美容という言葉に油断してはいけませんね」

 

 Xiは力強く言った。

 

「そう。シックス産の美容は信用しない」

 

 ラクスも箱を見て、静かに言う。

 

「美しくなることと、何かを削り落とすことは、同じではありませんものね」

 

 キラが少し安心したように笑う。

 

「ラクス……」

 

「大丈夫ですわ。試したりはいたしません」

 

「よかった」

 

 Xiが横から言う。

 

「キラ、変な飲み物に続いて変な入浴剤からもラクスを守ったね」

 

 キラは困ったように笑った。

 

「そんな日が来るとは思わなかったよ」

 

 カイエンが笑う。

 

「次は何から守るんだろうな」

 

「言わないでください」

 

 キラは本気で言った。

 

     *

 

 その時、Xiの端末が鳴った。

 

 差出人不明。

 

 また、メッセージだけが表示された。

 

『届いたかね。

 疲労を越えた後は、後悔を洗い流すといい。

 古い皮脂も、古い感傷も、進化には不要だ。

 湯船から上がる頃には、少し新しい自分になっているだろう』

 

 Xiは無言で端末を閉じた。

 

「駄目だ」

 

 泉が静かに言った。

 

「完全に駄目ですね」

 

 ラクスも少しだけ目を伏せる。

 

「後悔や感傷を、不要と言ってしまうのは……少し悲しいですわ」

 

 ネウロが薄く笑った。

 

「シックスにとっては、弱さも迷いも、切り捨てるべき古い皮膚なのだろうな」

 

 カイエンは黙っていた。

 

 アウクソーが静かに言う。

 

「マスター」

 

「分かってる」

 

 カイエンは少しだけ苦笑した。

 

「後悔があるから、同じ失敗をしねぇで済むこともある」

 

 Xiはカイエンを見た。

 

「師匠……」

 

「今、師匠って言ったな」

 

「言ってない」

 

「言った」

 

「言ってない!」

 

 少しだけ、空気が戻った。

 

     *

 

 ログナーは箱を密閉回収するよう指示した。

 

「HEXA BATH SALTは回収。皮膚接触、水溶、吸入、加熱、排水流入のすべてを危険評価対象とする」

 

 Xiが言う。

 

「入浴剤の扱いじゃない」

 

「シックス由来だ」

 

「はい」

 

 弥子が名残惜しそうに箱を見る。

 

「でも、普通の入浴剤なら……」

 

 泉がすぐに言う。

 

「普通のものを、用法容量どおりに使いましょう」

 

 ラクスが微笑む。

 

「香りのよい、穏やかなものがよろしいですわね」

 

 キラがうなずく。

 

「それなら安心だね」

 

 ソープも言う。

 

「普通の入浴文化調査ならできるかな」

 

 Xiは即座に言った。

 

「普通の。ヘキサクス製じゃない。後悔が溶けない。皮膚が必要以上に落ちない。排水に流しても大丈夫なやつ」

 

「条件が多いね」

 

 ソープが笑う。

 

「シックスに鍛えられたからね」

 

     *

 

 露伴は手帳に最後の一文を書いた。

 

『怪盗Xiは入浴剤も信用しない。

 キノコは前世を呼び、チーズは記憶を奪い、カレーは歯を狙い、栄養ドリンクは疲労を否定した。

 そして入浴剤は、後悔まで洗い流そうとした。

 だが、人間に必要なのは、後悔を消すことではない。

 それを抱えたまま湯に浸かり、少しだけ楽になって、また明日を迎えることだ。』

 

 泉はそれを読んで、静かに微笑んだ。

 

「先生、それは……かなり良いですね」

 

 露伴は得意げに言う。

 

「そうだろう」

 

 Xiも頷いた。

 

「今回も、最後だけはいい」

 

「最後だけとは失礼だな」

 

 弥子が手を挙げる。

 

「じゃあ、今日は普通にお風呂入って、普通に甘いもの食べて、普通に寝るのが正解ですね!」

 

 泉が言う。

 

「甘いものは一つだけです」

 

「そこは普通じゃない!」

 

「普通です」

 

 カイエンが笑った。

 

「普通に休む、か」

 

 アウクソーが穏やかに言う。

 

「はい、マスター。普通にお休みください」

 

「分かったよ」

 

 ログナーは回収されていく箱を見送った。

 

「今後、シックス由来の非食品類も事前検査対象に追加する」

 

 Xiは深くため息をついた。

 

「範囲がどんどん広がってる……」

 

 ソープが楽しそうに言った。

 

「でも、今日は誰も後悔を失わなかったね」

 

「それは勝ちだね」

 

 Xiはそう言って、カップの水を一口飲んだ。

 

 怪盗Xiは、入浴剤も信用しない。

 

 少なくとも、差出人がシックスである限りは。

 

 そしてその夜。

 

 皆は、普通の風呂に入った。

 

 普通の湯で、普通に温まり、普通に疲れを取った。

 

 後悔は消えなかった。

 

 だが、それで良かった。

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