守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
怪盗Xiは、カフェテラスの席で、目の前の箱をじっと見つめていた。
箱は大きい。
冷蔵便ではない。
危険物ラベルもない。
ヘキサクスのロゴもない。
差出人の名前もない。
ただ、南国風の明るい絵柄が描かれた箱だった。
そこにはこう書かれている。
『完熟パイナップル詰め合わせ』
桂木弥子の目が輝いた。
「パイナップル!!」
Xiは即座に言った。
「まだ喜ばない」
「でも、普通の果物じゃないですか!」
「普通に見えるものほど危ない時期に入ってるんだよ」
泉京香が箱を確認する。
「差出人、不明ですね。製造元や販売元の記載も……少なくとも外側には見当たりません」
「それが逆に怖い」
Xiは腕を組んだ。
「今までなら、差出人がシックス、製造元ヘキサクス、添え状に“我が一族自慢”だった。今回はそれがない」
弥子が首を傾げる。
「じゃあ、普通の贈り物かも?」
Xiは箱を見たまま、低く言った。
「普通なら、いいんだけどね」
そこへカイエンとアウクソーがやって来た。
カイエンは箱を見るなり、眉を上げる。
「今度は何だ」
「パイナップル」
「差出人は」
「不明」
「……不明?」
カイエンの表情が少しだけ真面目になった。
「逆に怪しいな」
「師匠、分かってる」
「今、師匠って言ったな」
「言ってない」
アウクソーは箱を慎重に見つめる。
「マスター、開封前に確認をされた方がよろしいかと」
「そうだな」
カイエンは軽く顎で箱を示した。
「Xi、数を数えろ」
「数?」
弥子が箱の蓋を少しだけ開けようとする。
Xiが即座に止めた。
「弥子ちゃん、ストップ。僕がやる」
慎重に蓋を開ける。
中には、大きなパイナップルがきれいに並んでいた。
一つ、二つ、三つ。
四つ、五つ。
六つ。
その瞬間、Xiの顔が固まった。
「……六個」
弥子がぽんと手を打った。
「シックス!」
Xiは両手で顔を覆った。
「やっぱり駄目だ!!」
*
泉が困ったように言う。
「でも、数が六個というだけでは……」
「泉さん、今回ばかりはそこから疑っていい」
Xiは箱から一歩下がる。
「差出人を書かない。ロゴも消す。でも六個入り。自己主張だけはする。あいつならやる」
カイエンがうなずく。
「やるな」
「師匠の信頼が変な方向に厚い」
「信用じゃねぇ。警戒だ」
弥子はまだパイナップルを見ていた。
「でも、見た目はすごく美味しそうですよ。完熟っぽいし」
「見た目に騙されない」
「甘そうだし」
「甘さに騙されない」
「パイナップルって酵素があるから、お肉も柔らかくなるんですよね」
「弥子ちゃん、その知識を今ここで前向きに使わないで」
その時、箱の底に何かが見えた。
Xiが目を細める。
「……待って。底に何か貼ってある」
泉が身を乗り出す。
「添え状ですか?」
「底に貼るなよ……」
Xiは慎重に紙を剥がした。
そこには、見慣れたような、見慣れたくない筆跡があった。
Xiの表情が完全に死んだ。
「確定」
弥子が訊く。
「何て書いてあるの?」
Xiは深く息を吐いた。
「読むよ」
カイエンがコーヒーを置く。
泉が姿勢を正す。
アウクソーがカイエンの前に静かに立つ。
Xiは読み上げた。
「『我が一族自慢の南の島で育てた至高のパイナップルだ』」
弥子が少しだけ反応した。
「至高のパイナップル……」
「弥子ちゃん、戻って」
Xiは続ける。
「『慣れると癖になる。常人は強烈な酵素で、飲み込む前に口内の粘膜が全部溶けるがね』」
沈黙。
弥子は、そっと口を閉じた。
泉の顔が青くなる。
「食品の説明ではありませんね……」
Xiはさらに最後の一文を読んだ。
「『安心したまえ。痛覚より先に味覚が進化する』」
カイエンが低く言った。
「捨てろ」
「判断早いけど正しい!」
Xiは添え状を畳んだ。
「痛覚より先に味覚が進化するって何?! 痛いと感じる前に味覚を壊すってことじゃないの?!」
ネウロがいつの間にか弥子の背後に立っていた。
「クク……食物を食う前に、食物に食われるとはな」
弥子が青ざめる。
「それは嫌!!」
「やっと止まった!」
Xiは胸をなで下ろした。
*
そこへ、ソープとログナーが現れた。
ソープは箱を見る。
「パイナップル?」
Xiは即座に両手を広げた。
「ソープ、下がって」
「まだ近づいてないよ」
「近づく前の目だった」
ログナーは箱の数を見た。
「六個か」
「はい」
Xiは重々しく頷く。
「差出人不明。外装にヘキサクスロゴなし。でも中身は六個。箱底に添え状。シックス確定です」
ログナーは添え状を読み、静かに言った。
「悪質だな」
「でしょ?!」
Xiは思わず身を乗り出した。
「今回は一瞬、普通の贈答品に見えたんだよ! 外装から危険信号を消してきてる!」
泉も頷く。
「今までより、むしろ危険かもしれませんね。警戒をすり抜けようとしているように見えます」
ログナーはXiを見た。
「Xi」
「なに?」
「貴様宛の荷物は、今後すべて事前検査対象とする」
Xiは固まった。
「……だよね」
ログナーは続ける。
「差出人不明、食品、贈答品、数量六、ヘキサクス関連の痕跡、いずれかが確認された場合は開封前に封鎖する」
「クソ親父のせいで、僕自身の評価まで危ない気がする……」
ログナーは少しだけ間を置いた。
「貴様自身を疑っているわけではない」
「それは分かるけど!」
「だが、貴様の周辺を経由して陛下へ危険物が接近する頻度が高い」
「事実で殴られた!」
ソープが穏やかに言う。
「Xiのせいじゃないよ」
「ソープ……」
「でも、検査はした方がいいね」
「優しいけど逃げ道は塞ぐんだね!」
*
ログナーはパイナップルを観察した。
「強酵素性果実。口腔粘膜への損傷リスク。切断時の果汁飛散にも注意が必要だ」
泉が言う。
「切るだけでも危険なんですか……」
「シックス由来だ」
「はい……」
カイエンが笑う。
「もうその一言で全部済むな」
Xiは深く頷いた。
「説明不要。解説不要。差出人シックスなら封鎖」
弥子が少しだけ未練を見せる。
「でも、普通のパイナップルなら美味しいですよね」
「普通のならね」
Xiは強く言った。
「普通のパイナップルは悪くない。悪いのはシックス」
ソープが言う。
「南の島の果物文化としては、普通のものを調査してみたいね」
ログナーが即座に言った。
「産地確認後だ」
Xiも言う。
「差出人確認後」
泉も言う。
「加工状態も確認しましょう」
弥子が肩を落とす。
「パイナップルを食べるだけで審査が多い……」
ネウロが笑った。
「クク……貴様らの食卓は、悪意に鍛えられているな」
「鍛えられたくなかったよ」
Xiは心底疲れた声で言った。
*
その時、岸辺露伴が現れた。
「至高のパイナップル?」
Xiは空を仰いだ。
「また来た」
露伴はすでに手帳を持っていた。
「強烈な酵素で口内粘膜が溶ける。痛覚より先に味覚が進化する。これはなかなか良いコピーだな」
泉がすぐに言う。
「先生、良くありません」
「コピーとしては、だ」
「コピーとしても問題です」
露伴はパイナップルを見た。
「しかし、酵素というのは面白い。食材でありながら、こちらの肉を分解しに来るわけだ」
弥子が口元を押さえた。
「言い方が怖いです……」
ネウロが笑う。
「弥子。貴様が食う前に食われる側へ回る、貴重な機会だったな」
「機会にしなくていいです!」
露伴は箱の底の添え状を見る。
「箱の底に添え状。差出人を隠しながら、六個入りで自己主張。なるほど、シックスらしい」
Xiがうんざりする。
「露伴先生、分析しないで」
「分析せずにはいられない」
ログナーが低く言った。
「岸辺露伴。開封済みだが、これ以上触れるな」
「食べるとは言っていない」
「嗅ぎそうです」
泉が言う。
「嗅がない」
露伴は少しだけ真面目に言った。
「口内粘膜が溶ける果物の匂いは、さすがに嗅がない」
Xiが少し驚く。
「今回はちゃんと引いた」
「漫画家は口も大事だ。取材先で質問できなくなる」
「そこなんだ」
*
ログナーは処分方法を検討した。
「焼却は可能だが、果汁成分の飛散、蒸気化した酵素成分の影響を確認する必要がある」
Xiが叫ぶ。
「パイナップルを焼くだけでそんな話になる?!」
「シックス由来だ」
「万能回答になってる!」
泉が言う。
「密閉回収が妥当でしょうか」
「そうだな」
ログナーは頷く。
「開封済みのため、内部を再密閉する。果汁が漏れていないか確認。無人環境で分析する」
ソープが少しだけ言う。
「酵素の性質は、研究としては興味深いね」
Xiが即座に見る。
「ソープ」
「分かってる。ここでは触らない」
「ここでは、って言った」
「研究施設なら」
「研究施設の人も大事にして!」
カイエンが笑った。
「シックスの差し入れ、毎回どこかの部署が犠牲になりそうだな」
Xiはため息をつく。
「キノコ、チーズ、カレー、栄養ドリンク、入浴剤、パイナップル。もうサンプル室ができるよ」
ログナーは少し考えた。
「シックス由来危険物保管庫は必要かもしれん」
「作らないで!」
「必要性はある」
「認めたくない!」
*
その時、Xiの端末が鳴った。
差出人不明。
もう、誰も驚かなかった。
Xiは嫌そうに画面を見る。
『届いたかね。
今回は少し趣向を変えた。
表に名を書かずとも、我が子なら分かるだろう。
六つ並べた果実は、ささやかな挨拶だ。
味覚は進化し、古い粘膜は捨てられる。
痛みを恐れるようでは、まだ人間だ』
Xiは無言で端末を伏せた。
「ログナーさん」
「何だ」
「やっぱり、今後僕宛の荷物は全部検査で」
「承知した」
弥子がそっと言う。
「シックスって、パイナップルでも思想を言うんですね……」
ネウロが薄く笑う。
「クク……奴にとっては、食材も入浴剤も栄養ドリンクも、すべて進化の道具なのだろう」
泉が静かに言った。
「痛みを恐れることも、人間として必要な感覚だと思います」
ラクスはいなかったが、その言葉は、どこかラクスが言いそうな優しさを持っていた。
カイエンは短く言った。
「痛みを感じるから、手を引ける。傷つく前にな」
Xiは少し黙った。
「……師匠、たまにちゃんと師匠っぽい」
「今、師匠って言ったな」
「言ってない」
「言った」
「言ってない!」
*
パイナップルは、密閉回収された。
誰も食べなかった。
誰も口内粘膜を失わなかった。
誰も味覚を無理やり進化させられなかった。
弥子は少しだけ残念そうだった。
「普通のパイナップル、食べたいです」
Xiは頷く。
「分かった。今度、普通のを買おう」
ログナーが言う。
「産地確認後だ」
泉も言う。
「信頼できる販売店で」
カイエンが言う。
「六個入りじゃないやつでな」
Xiが言う。
「数まで条件に入った……」
ソープが楽しそうに笑う。
「地球の普通の果物文化調査だね」
「普通の、ね」
Xiは念を押した。
「差出人不明じゃない。底に添え状がない。六個入りで自己主張しない。痛覚より先に味覚が進化しない。そういうやつ」
弥子が元気よく言う。
「はい!」
露伴は手帳に最後の一文を書いた。
『怪盗Xiはパイナップルも信用しない。
差出人を隠しても、六つ並んだ果実は語っていた。
シックスの“進化”は、痛みを捨てることを求める。
だが痛みは、危険を知らせるためにある。
痛いと感じて手を引くこともまた、人間が生き延びるための知恵なのだ。』
泉がそれを読んで、静かに言った。
「先生、それはかなり良いですね」
露伴は得意げに笑った。
「そうだろう」
Xiは回収されていく箱を見送った。
「クソ親父のせいで、僕自身の評価まで危ない気がする……」
ログナーは静かに言う。
「貴様自身の評価は、むしろ上がっている」
「え?」
「危険物を認識し、開封を制止し、陛下への接近を防いだ。適切な判断だ」
Xiは少しだけ言葉に詰まった。
「……それは、どうも」
カイエンがにやりと笑う。
「よかったな。外注危険物監査員」
「肩書きがまた増えた!」
弥子が笑う。
ソープも笑う。
泉も少し笑った。
ネウロは愉快そうに喉を鳴らした。
怪盗Xiは、パイナップルも信用しない。
少なくとも、六個入りで、箱の底にシックスの添え状がある限りは。
そして、その日の帰り道。
弥子は普通のコンビニで、カットパインを買った。
Xiはそれを見て、まず数を数えた。
六切れではなかった。
少しだけ、安心した。