守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiは湯けむりから逃げられない その1

 怪盗Xiは、早くも後悔していた。

 

「……明後日って早すぎない?」

 

 テーブルの上には、旅行用の荷物が並んでいる。

 

 着替え。

 洗面用具。

 手袋。

 工具。

 小型ライト。

 謎の煙幕用カプセル。

 変装道具。

 そして、泉編集が作成した分厚い紙束。

 

『二泊三日温泉合宿 行程表・持ち物一覧・危険物監査チェックリスト』

 

 Xiはそれを見下ろして、深いため息をついた。

 

「温泉旅行って、もっとこう……タオルと着替え持って、のんびり行くものじゃないの?」

 

 泉が眼鏡を直す。

 

「普通の温泉旅行ならそうです」

 

「じゃあ、これは?」

 

「普通ではない温泉旅行です」

 

「即答しないでよ」

 

 室内には、いつもの面々がいた。

 

 ソープは楽しそうに旅行案内のパンフレットを眺め、アウクソーは荷物の分類をしている。

 カイエンは壁際で腕を組み、やる気があるのかないのかわからない顔をしていた。

 弥子は旅館の食事写真を見ながら、すでに勝利を確信した顔をしている。

 

 そしてネウロは、なぜか部屋の隅で温泉卓球のラケットを検分していた。

 

「この薄い板で球を打ち合うのか。人間の娯楽は相変わらず原始的だな」

 

「それを魔界兵器みたいに見るな!」

 

 Xiはツッコみながら、チェックリストに目を落とした。

 

「えーと……危険飲食物、不審な差し入れ、危険入浴剤、差出人不明の荷物、ヘキサクス関連企業製品、シックス本人の気配……」

 

 そこで手が止まった。

 

「最後、必要?」

 

 アウクソーが静かに頷く。

 

「必要かと」

 

「必要なんだ……」

 

「むしろ最重要項目です」

 

「温泉旅行の持ち物リストに“シックス本人の気配”が入るのおかしいよね?」

 

 ソープはパンフレットから顔を上げ、穏やかに言った。

 

「でも、備えは大事だよ」

 

「備えの方向性が戦争なんだよ」

 

 その時だった。

 

 玄関の方から、呼び鈴が鳴った。

 

 ぴんぽーん。

 

 全員の動きが止まった。

 

 Xiの顔が、すっと無表情になる。

 

「……誰?」

 

 泉が時計を見る。

 

「予定されている来客はありません」

 

 アウクソーが荷物リストを確認する。

 

「旅館からの事前資料はすでに受領済みです」

 

 カイエンが壁から離れた。

 

「俺が出る」

 

「待って」

 

 Xiが片手で制した。

 

「こういう時は、まず差出人確認。契約したばかりの僕の仕事でしょ」

 

 弥子が感心する。

 

「おお、ちゃんとお目付け役してる」

 

「褒めないで。職務が増える」

 

 Xiは慎重に玄関へ向かった。

 

 そして、数十秒後。

 

 両手で黒い箱を抱えて戻ってきた。

 

 箱は高級感のある黒。

 表面には、金色で象の絵が描かれている。

 

 しかし、それ以上に目立つものがあった。

 

 箱の中央に、白い紙が貼られていた。

 

 そこには、ただ一文字。

 

『6』

 

 Xiは箱をテーブルの上に置いた。

 

 そして即座に言った。

 

「捨てよう」

 

 あまりにも早かった。

 

 ソープが箱を覗き込む。

 

「まだ開けていないよ?」

 

「開けなくてもわかる。これは駄目なやつ」

 

 弥子が首を傾げる。

 

「でも高そうだよ? 箱も立派だし」

 

「高級な危険物って一番たちが悪いんだよ」

 

 ネウロが鼻を鳴らした。

 

「ほう。中身から妙な気配がするな。悪意というより、誇示欲と珍味自慢の混合物だ」

 

「それほぼ犯人特定じゃん!」

 

 泉が箱の横に貼られた小さな商品名を読み上げる。

 

「ブラック・アイボリー……コーヒーですね」

 

 弥子が目を瞬かせた。

 

「ブラック・アイボリー?」

 

「象の消化を経たコーヒー豆から作られる、非常に希少なコーヒーだそうです」

 

 泉がスマホで確認しながら説明する。

 

「タイ北部などで生産される高級コーヒーの一種で、象にコーヒーの実を食べさせ、その後に排出されたものから豆を回収して作るようです」

 

 室内が、しん、と静まった。

 

 カイエンが眉をひそめる。

 

「……つまり」

 

 Xiが言った。

 

「象のフンコーヒー」

 

 弥子が微妙な顔になった。

 

「言い方!」

 

「でも合ってるでしょ!」

 

 アウクソーが箱を見つめる。

 

「高級品ではあるようですが、差出人不明かつ箱に『6』の表記。監査対象ですね」

 

「でしょう?」

 

 Xiは力強く頷いた。

 

「だから捨てよう」

 

 ソープは興味深そうに箱を見ていた。

 

「でも、地球の食文化としては面白いね。コピ・ルアクとは違うのかな」

 

「ソープさん、文化調査スイッチ入れないで」

 

「希少性、発酵、消化酵素、嗜好品としての価値。とても興味深いよ」

 

「興味深くない! 今は安全が最優先!」

 

 ネウロがにやりと笑った。

 

「貴様、怪盗のくせに食品衛生管理者のような顔をしているな」

 

「今の僕は短期外注お目付け役だからね!」

 

「自分で言ったぞ」

 

「あっ」

 

 Xiは一瞬しまったという顔をした。

 

 カイエンが容赦なく笑う。

 

「慣れてきたな、温泉外注後輩」

 

「慣れてない!」

 

 そこで、箱の下から一枚の封筒が滑り落ちた。

 

 全員の視線が、それに集まる。

 

 封筒には、例の達筆な文字。

 

『親愛なる諸君へ』

 

 Xiが目を細めた。

 

「添え状まである……」

 

「読むのか?」

 

 カイエンが問う。

 

 Xiは即答した。

 

「読まずに捨てたい」

 

 ネウロが笑う。

 

「駄目だ。謎は開示されてこそ味が出る」

 

「魔人の都合!」

 

 泉が封筒を開け、紙を広げた。

 

 そして、一行目を読んだ瞬間、表情が固まった。

 

「……読みます」

 

 Xiは顔を覆った。

 

「もう嫌な予感しかしない」

 

 泉は淡々と読み上げる。

 

「我が一族自慢の象が、厳選されたコーヒーチェリーを体内で磨き上げた至高の豆だ」

 

「象を職人扱いするな」

 

 Xiが低く言った。

 

 泉は続ける。

 

「常人は製法を聞いただけで顔をしかめるが、優れた者はその奥にある芳醇な香りと、選ばれし排出の奇跡を理解する」

 

「選ばれし排出って何!?」

 

 弥子が思わず叫んだ。

 

 ネウロが肩を震わせている。

 

「くくく……選ばれし排出……人間の悪意は時に詩的だな」

 

「笑いごとじゃない!」

 

 泉はさらに読む。

 

「湯けむりの前夜、諸君の舌と精神を温めるにふさわしい一杯となるだろう。なお、今回は特別に、我が一族の畑で育てたバナナの香りを添えてある」

 

 Xiが椅子から立ち上がった。

 

「捨てよう。今すぐ捨てよう」

 

 アウクソーも頷く。

 

「バナナの香りを添えてある、の部分が非常に不穏です」

 

 カイエンが箱に手を伸ばす。

 

「斬るか」

 

「斬ったら粉が舞うかもしれないからやめて!」

 

 Xiが全力で止めた。

 

 弥子が恐る恐る箱を見る。

 

「でも、ブラック・アイボリー自体はちゃんとした高級コーヒーなんだよね?」

 

「問題はそこじゃない」

 

 Xiは添え状を指差す。

 

「この“我が一族の畑で育てたバナナの香り”だよ。絶対ただのバナナじゃない」

 

 ネウロが愉快そうに目を細める。

 

「常人は香りを嗅いだだけで、幼少期の給食の記憶を失うかもしれんな」

 

「やめて! ありそうだからやめて!」

 

 ソープは箱をじっと見つめていた。

 

 興味。

 好奇心。

 文化調査欲。

 

 Xiはその表情に気づき、すぐさま箱の前に立ちはだかった。

 

「駄目」

 

「まだ何も言っていないよ」

 

「顔が“少しだけ試してみたい”って言ってる」

 

「うん」

 

「言ってた!」

 

 ソープはにこにこしている。

 

「でも、実際に飲まずとも調査はできるよ。製法、流通、価格、文化的背景。資料としては面白い」

 

「資料としてならいい。飲むのは駄目」

 

「一口だけ」

 

「駄目」

 

「香りだけ」

 

「駄目」

 

「豆を見るだけ」

 

「それは……箱越しなら」

 

「怪盗Xi殿」

 

 アウクソーが静かに声をかけた。

 

「そこで譲ると、最終的に飲む流れになります」

 

「そうだった!」

 

 Xiは箱を抱え直した。

 

「これは隔離。完全密封。温泉宿には絶対持っていかない」

 

 泉がチェックリストに書き込む。

 

「前日段階で不審差し入れ一件発生。対象物、ブラック・アイボリー風コーヒー豆。差出人、実質シックス。対応、飲用禁止、持ち込み禁止、隔離」

 

「“風”って入れたの偉いですね」

 

「本物かどうかも怪しいので」

 

「編集さん、危機管理がわかってきた!」

 

 ネウロが封筒の最後を覗き込む。

 

「まだ続きがあるぞ」

 

「もういい!」

 

 Xiの叫びを無視して、ネウロが読み上げた。

 

「追伸。温泉宿にも、ささやかな品を送っておいた」

 

 室内の空気が凍った。

 

 Xiの顔から血の気が引く。

 

「……は?」

 

 ネウロは楽しそうに続きを読んだ。

 

「旅先で味わってこそ、真の香りは完成する。湯上がりに飲む一杯を楽しみにしたまえ」

 

 沈黙。

 

 次の瞬間、Xiは書類の束をひっつかんだ。

 

「旅館に電話!」

 

 泉も即座にスマホを取り出す。

 

「旅館名と予約番号を」

 

 アウクソーは荷物リストを更新する。

 

「到着時の荷物確認に加え、事前に旅館側へ不審物受取拒否の連絡を入れます」

 

 カイエンは剣に手をかけた。

 

「旅館に届いてたら、俺が処理する」

 

「斬らないで!」

 

 弥子が不安そうに言う。

 

「旅館飯、大丈夫かな……?」

 

「そこ心配するんだ!?」

 

「だって変なコーヒーで夕食が台無しになったら困るじゃん!」

 

「食の危機管理としては正しい!」

 

 ソープは、少しだけ残念そうに箱を見た。

 

「飲めないのか」

 

「飲めません」

 

 Xiが即答する。

 

「今回の僕の任務は、ソープさんを守ること。文化調査の名のもとに象のフン由来のシックス印コーヒーを飲ませることじゃない」

 

「シックス印ではないかもしれないよ」

 

「箱に大きく『6』って書いてある!」

 

「わかりやすいね」

 

「わかりやすすぎて逆に嫌なんだよ!」

 

 ネウロは満足げに笑った。

 

「良いではないか。出発前から任務が発生した。怪盗Xi、貴様の契約は順調に履行されている」

 

「順調じゃない!」

 

「では不調か?」

 

「もっと嫌だ!」

 

 Xiはスマホを手に取り、旅館へ電話をかけながら、もう片方の手でチェックリストに赤丸をつけた。

 

『不審な差し入れ対策』

 

 その横に、自分でこう書き足す。

 

『象由来コーヒー注意』

 

 書いた直後、Xiは頭を抱えた。

 

「……僕、怪盗だよね?」

 

 カイエンが言った。

 

「今は温泉外注後輩だ」

 

「だからその肩書きやめて!」

 

 弥子が旅館の夕食写真を見ながら、ぽつりと言った。

 

「でも、ある意味すごいよね。温泉行く前からこんなに事件が起きるなんて」

 

 泉がため息をつく。

 

「露伴先生が聞いたら、絶対に来ますね」

 

「来なくていい!」

 

 Xiが電話を耳に当てたまま叫ぶ。

 

「いや、むしろ来たら“ヘブンズ・ドアー”で旅館スタッフ全員に『シックスからの荷物を受け取らない』って書いてもらえるかも……いや駄目だ、別の意味で被害が増える!」

 

 ネウロが笑う。

 

「判断が早いな、怪盗」

 

「経験が増えたんだよ!」

 

 ソープは、そんなXiを眺めながら、穏やかに言った。

 

「頼りにしているよ、Xi」

 

 その一言で、Xiの動きが一瞬止まった。

 

 電話口から旅館スタッフの声が聞こえる。

 

『お電話ありがとうございます。東山温泉 原瀧でございます』

 

 Xiは深呼吸した。

 

 そして、妙に真面目な声で言った。

 

「すみません。明後日から宿泊予定の者です。確認したいことがあります」

 

 全員が静かに耳を澄ませる。

 

「差出人不明の荷物、もしくは箱に大きく『6』と書かれた荷物が届いた場合、絶対に開封しないでください」

 

 電話の向こうが、一瞬沈黙した。

 

 Xiは続ける。

 

「中身がコーヒーでも、入浴剤でも、チーズでも、カレーでも、果物でも駄目です」

 

 さらに沈黙。

 

 Xiは真剣だった。

 

「特に、象に関係するコーヒーは絶対に駄目です」

 

 通話を聞いていた弥子が、小さく呟いた。

 

「旅館の人、今どんな顔してるんだろう」

 

 泉が答える。

 

「少なくとも、普通の予約確認ではないですね」

 

 ネウロが楽しそうに言った。

 

「湯けむりの前に、すでに謎が立ち上っているな」

 

 Xiは電話を切ったあと、力尽きたように椅子へ座り込んだ。

 

「……出発前日でこれ?」

 

 アウクソーが静かに答える。

 

「まだ前々日です」

 

「もっと嫌だ!」

 

 ソープはにこにこしながら、旅行パンフレットをめくる。

 

「明日は買い出しだね」

 

 Xiは天井を仰いだ。

 

「僕、明日までに逃げ道を三つくらい用意しておこう……」

 

 ログナー不在の二泊三日。

 ソープの温泉文化調査。

 カイエンの剣技指導。

 弥子の旅館飯。

 ネウロの謎。

 泉の議事録。

 そして、シックスから届く象のフンコーヒー。

 

 怪盗Xiは悟った。

 

 湯けむりから逃げられない以前に。

 

 旅支度から、すでに逃げられない。

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