守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiは湯けむりから逃げられない その2

 旅行前日。

 

 温泉合宿の準備は、買い出しという名の作戦会議へ移行していた。

 

 場所は、駅前の大型ショッピング施設。

 日用品、菓子、飲料、旅行用品、薬、雑貨。

 温泉旅行に必要なものなら、大抵はここで揃う。

 

 ただし。

 

 この一行に必要なのは、普通の旅行用品だけではなかった。

 

「酔い止め、胃薬、絆創膏、湿布、替えのタオル、飲料水、携帯用ライト、予備バッテリー、あと不審物開封用の手袋」

 

 怪盗Xiは、手元のチェックリストを読み上げながら、深くため息をついた。

 

「温泉旅行の買い出しじゃなくて、軽い潜入任務なんだけど」

 

 その横で、アウクソーが淡々と頷く。

 

「実際、潜入任務に近い部分はあります」

 

「認めないでほしかった」

 

「ですが、マスターの安全を考えれば必要です」

 

「アウクソーさんにそう言われると、反論しにくいんだよなぁ……」

 

 少し離れた場所では、ソープが旅行用品売り場を興味深そうに見ていた。

 

「これは何かな」

 

「携帯用入浴剤ですね」

 

 アウクソーが即座に答える。

 

 次の瞬間、Xiがものすごい速さで振り向いた。

 

「入浴剤!?」

 

「市販品です」

 

「市販品でも今は駄目! 今回の旅で“入浴剤”って単語は全部警戒対象!」

 

 ソープは小さな袋を手に取り、楽しそうに眺める。

 

「でも、温泉に入浴剤を入れるわけではないよね」

 

「普通はね。でもあの人たちは“普通”を踏み越えてくるから!」

 

 ネウロが背後からぬっと現れた。

 

「我が一族自慢の薬草を配合した、至高の湯。常人は湯気だけで前世の借金を思い出すがね」

 

「やめて! シックスさんの口調を再現しないで!」

 

 弥子が菓子売り場から戻ってきた。

 

「Xi、これは持って行っていい?」

 

 両手には、ポテトチップス、チョコレート、煎餅、まんじゅう、謎のご当地風スナック。

 

 Xiは一瞬で顔をしかめた。

 

「量が多い」

 

「二泊三日だよ?」

 

「一人分じゃないよね?」

 

「みんなで食べる用」

 

「本当に?」

 

「八割くらいは」

 

「正直!」

 

 ネウロが弥子の袋を見て、冷たく言った。

 

「足りんだろう」

 

「そこは止めてよ、魔人!」

 

「事実だ」

 

「事実だけど!」

 

 その少し後ろで、キラとラクスが飲み物を選んでいた。

 

「お茶と水は多めにあった方がいいよね」

 

「ええ。移動中にも必要になりますし、湯上がりにも水分補給は大切ですわ」

 

 ラクスが自然にペットボトルを数本カートに入れる。

 

 その様子を見て、Xiは少しだけ安心した顔になった。

 

「まともな買い出しをしてる人たちがいる……」

 

 キラが苦笑する。

 

「それ、僕たち以外がまともじゃないみたいに聞こえるけど」

 

「聞こえるように言った」

 

「正直だね」

 

 カイエンはといえば、スポーツ用品売り場の木刀を見ていた。

 

 Xiはそれを見つけた瞬間、全力で駆け寄る。

 

「買わない!」

 

「まだ何も言ってねぇ」

 

「顔が“朝稽古に使えそうだな”って言ってる!」

 

「使えそうだな」

 

「言った!」

 

 カイエンは木刀を一本手に取る。

 

「お前用だ」

 

「いらない!」

 

「素手でやるか?」

 

「木刀ください」

 

 即答だった。

 

 アウクソーが静かにカートへ入れる。

 

「では、訓練用品として計上します」

 

「温泉旅行に木刀が計上された……」

 

 泉編集は、その横で参加者名簿を確認していた。

 

「では、改めて最終参加メンバーを確認します」

 

 Xiの顔が、すっと曇る。

 

「……それ、今やる?」

 

「今やります。宿泊人数、部屋割り、移動手段、食事数、緊急連絡先。前日確認は必須です」

 

「編集さん、仕事ができる」

 

「仕事ですので」

 

 泉は手帳を開いた。

 

「参加者。ソープ様、カイエン様、アウクソー様」

 

「はい」

 

 ソープが楽しそうに手を上げる。

 

 カイエンは無言。

 アウクソーは軽く会釈した。

 

「キラ・ヤマトさん、ラクス・クラインさん」

 

「はい」

 

「よろしくお願いいたします」

 

 キラとラクスが答える。

 

「空条承太郎さん」

 

「やれやれだぜ」

 

 少し離れた柱にもたれていた承太郎が、帽子のつばを指で下げた。

 

「岸辺露伴先生」

 

「参加する」

 

 露伴が当然のように言った。

 

 Xiの表情が、固まった。

 

「待って」

 

 泉が続けようとしたところで、Xiが手を上げる。

 

「その人、保留」

 

 露伴の眉がぴくりと動いた。

 

「何だって?」

 

「保留」

 

 Xiは真剣だった。

 

「僕の任務には、ソープさんの安全確認が含まれてる。そして、そこには“露伴先生をソープさんに必要以上に近づけない”も入る」

 

 泉が眼鏡を直した。

 

「その条項、契約書にありましたか?」

 

「今、心の契約書に追記した」

 

「無効ですね」

 

「編集さん!」

 

 露伴が腕を組む。

 

「失礼な話だな。僕はただ、温泉宿という特殊な環境における人間心理を取材したいだけだ」

 

「その“だけ”が信用できないんだよ!」

 

「ソープ君は非常に興味深い人物だ。あの物腰、観察眼、時折見せる底の見えない感じ。取材対象として一級品だ」

 

「ほら! もう近づけたくない!」

 

 ソープはにこにこしている。

 

「僕は構わないよ」

 

「ソープさんは構って! 少しは構って!」

 

 カイエンが面倒くさそうに言った。

 

「露伴が変なことしたら、俺が止める」

 

「止め方が物理でしょ!」

 

「当たり前だ」

 

「だから怖いんだよ!」

 

 承太郎が静かに口を挟んだ。

 

「露伴。お前、余計なことはするなよ」

 

「君に言われるまでもない。僕は取材をするだけだ」

 

「その取材が余計なことになりがちなんだよ」

 

 承太郎の低い声に、Xiは思わず頷いた。

 

「承太郎さん、もっと言って」

 

 露伴はふん、と鼻を鳴らした。

 

「そもそも、僕は参加費を多めに払う。宿泊費も取材協力費も、必要なら上乗せする。誰にも迷惑はかけない」

 

 泉が即座に反応した。

 

「先生、領収書の宛名はどうします?」

 

「岸辺露伴でいい」

 

「確認が早い!」

 

 Xiが叫んだ。

 

「ちょっと待って! 今、参加決定みたいな流れになってない!?」

 

 弥子が菓子袋を抱えたまま言う。

 

「でも露伴先生が来た方が面白そうじゃない?」

 

「面白さで安全管理を決めないで!」

 

 ネウロがにやりと笑う。

 

「我が輩も賛成だ。露伴がいれば、謎の発生率が上がる」

 

「上げなくていい!」

 

「さらに、貴様の胃痛も増える」

 

「増やさなくていい!」

 

 ラクスが柔らかく微笑んだ。

 

「でも、露伴様が同行なさるなら、万一の時に記録や分析の助けにもなるかもしれませんわ」

 

 キラも頷く。

 

「それに、承太郎さんもいるし、泉さんも止める側に回ってくれるなら……」

 

 泉が即答する。

 

「止めます。ただし、完全に止まる保証はありません」

 

「泉さん、そこは保証して!」

 

「編集者は万能ではありません」

 

「締切ではあんなに強いのに!」

 

 ソープが露伴を見る。

 

「温泉文化の調査に、取材者の視点が入るのは面白そうだね」

 

「そうだろう」

 

 露伴が少しだけ得意げになる。

 

「温泉宿は、人間が服だけでなく警戒心まで脱ぐ場所だ。湯上がり、食事、卓球、雑談。そこに本性が出る」

 

「言い方がもう危険人物なんだよ!」

 

 Xiは頭を抱えた。

 

 露伴が続ける。

 

「それに、今回の宿は会津東山温泉だろう? 渓流沿いの宿、滝の音、湯けむり、地元の食事。舞台として申し分ない」

 

「舞台って言った!」

 

「創作の舞台という意味だ」

 

「なおさら危ない!」

 

 カイエンが肩をすくめる。

 

「諦めろ、Xi。人数が増えたところで、お前の仕事は変わらねぇ」

 

「変わるよ! 露伴先生がいると、監視対象が増える!」

 

「なら鍛えがいがあるな」

 

「そこを稽古に繋げないで!」

 

 泉は名簿に淡々と書き込んだ。

 

「では、岸辺露伴先生、参加で確定。続いて、泉京香、同行」

 

「自分で確定した!」

 

「先生の担当編集ですので」

 

「セイロニストの宿命!」

 

「その呼び方はやめてください」

 

 泉は無表情で続ける。

 

「脳噛ネウロさん、桂木弥子さん」

 

「ふむ」

 

「はーい!」

 

「そして、怪盗Xiさん」

 

 Xiは疲れた顔で手を上げた。

 

「……はい」

 

 泉が名簿を見直す。

 

「合計十一名ですね」

 

 Xiは指を折って確認した。

 

「ソープさん、カイエンさん、アウクソーさん。キラさん、ラクスさん。承太郎さん、露伴先生、泉さん。ネウロさん、弥子ちゃん、僕」

 

 言い終えた瞬間、Xiは顔をしかめた。

 

「濃い」

 

 承太郎が短く言った。

 

「濃いな」

 

 キラも苦笑する。

 

「確かに」

 

 弥子は明るく言った。

 

「でも楽しそう!」

 

「弥子ちゃん、その前向きさは長所だけど、今回は少し警戒して」

 

「旅館飯があるから大丈夫!」

 

「何が大丈夫なの!?」

 

 アウクソーが買い出しリストを確認する。

 

「十一名分の飲料、菓子、応急用品、移動中の軽食。加えて、不審物対策用品」

 

「不審物対策用品って?」

 

 キラが訊く。

 

 Xiはカートの中を指差した。

 

「使い捨て手袋、密閉袋、油性ペン、ガムテープ、ライト、匂い漏れ防止袋、あと念のためマスク」

 

「温泉旅行の買い出しとは思えないね」

 

「僕もそう思う」

 

 そこへ、露伴が一つの商品を手に取ってきた。

 

「これはどうだ」

 

 手にしていたのは、小型のボイスレコーダーだった。

 

 Xiの目が鋭くなる。

 

「何に使うの」

 

「取材だ」

 

「駄目」

 

「なぜだ」

 

「ソープさん周辺の会話を勝手に録音しそうだから」

 

「僕はそんな非常識なことはしない」

 

 泉が咳払いした。

 

「先生」

 

「……必要なら許可を取る」

 

「今、一瞬迷ったよね!?」

 

 ソープが面白そうに言う。

 

「僕は構わないけれど」

 

「構って!」

 

 Xiがまた叫んだ。

 

「ソープさん、露伴先生に対して無防備すぎる!」

 

 露伴が目を細める。

 

「君、なかなか良い反応をするな。怪盗でありながら、今は護衛と編集の中間みたいなことをしている」

 

「分析しないで!」

 

「面白い。非常に面白い」

 

「近づかないで!」

 

 Xiはすっとソープの前に立った。

 

 露伴の視線が、Xiに向く。

 

 その瞬間、空気が少し変わった。

 

「ほう。君は本気で僕を止めるつもりか」

 

「契約中だからね」

 

 Xiは軽口を叩きながらも、目だけは真剣だった。

 

「僕は怪盗だから、逃げるのは得意だ。でも今回は、逃がす側でもある。ソープさんを、危ないものから」

 

「僕が危ないものだと?」

 

「必要以上に近づく露伴先生は危ないもの」

 

 承太郎が低く呟いた。

 

「否定しきれねぇな」

 

「おい、承太郎」

 

 露伴が不機嫌そうに睨む。

 

 そのやり取りを見て、ソープは少しだけ嬉しそうに笑った。

 

「ありがとう、Xi」

 

「だから、そういう顔をされると逃げ道が減るんだってば」

 

 Xiはぼそぼそ言いながら、チェックリストに新しい項目を書き込んだ。

 

『露伴先生の接近管理』

 

 泉がそれを見て、真顔で言う。

 

「実務上、必要かもしれません」

 

「泉さんが認めた!」

 

「先生は取材対象を見つけると距離が近くなりますので」

 

「担当編集の証言が重い!」

 

 露伴は不満げに言った。

 

「人を猛獣のように扱うな」

 

 ネウロが笑う。

 

「猛獣ではない。好奇心に飢えた漫画家だ」

 

「そっちの方が厄介だよ!」

 

 買い出しは、その後も続いた。

 

 弥子が菓子を増やし、Xiが減らす。

 カイエンが訓練用品を増やし、Xiが減らそうとして失敗する。

 露伴が取材道具を増やし、泉が必要最低限に絞る。

 ラクスが飲料と喉飴を選び、キラが全員分の移動中の軽食を確認する。

 アウクソーがすべてを分類し、ソープがそれを楽しそうに眺める。

 承太郎は何も買わないように見えて、いつの間にか救急用品をカートに入れていた。

 ネウロは何も買わず、ただ面白そうな火種を探していた。

 

 そして会計前。

 

 Xiのスマホが震えた。

 

 表示された番号を見て、Xiの顔が変わる。

 

「……旅館からだ」

 

 全員の動きが止まった。

 

 昨日、Xiは旅館に電話を入れていた。

 

 差出人不明の荷物。

 箱に大きく『6』と書かれた荷物。

 コーヒー、入浴剤、チーズ、カレー、果物。

 特に象に関係するコーヒー。

 

 それらを受け取らないように、と。

 

 Xiは通話ボタンを押した。

 

「はい、もしもし」

 

 少し離れていた露伴まで、興味深そうに近づいてくる。

 

 Xiは露伴を片手で制しながら、電話に集中した。

 

「はい。明日から宿泊予定の……はい。え?」

 

 Xiの表情が固まった。

 

「……茶菓子?」

 

 弥子が反応した。

 

「茶菓子!?」

 

 Xiが手で黙るよう合図する。

 

「差出人は……なし。箱には……」

 

 そこでXiは、ゆっくりと目を閉じた。

 

「大きく『6』」

 

 全員が、同時に沈黙した。

 

 ネウロだけが、楽しそうに笑った。

 

「来たか」

 

 Xiは低い声で言った。

 

「開けないでください。絶対に。はい。茶菓子でも駄目です。饅頭でも、羊羹でも、チョコでも、せんべいでも、駄目です」

 

 弥子が小声で言う。

 

「もったいない……」

 

「弥子ちゃん!」

 

「だって茶菓子……」

 

「命と記憶と味覚の方が大事!」

 

 電話の向こうと数回やり取りをしたあと、Xiは深々とため息をついて通話を切った。

 

 カイエンが問う。

 

「届いたのか」

 

「届いた」

 

「中身は」

 

「未開封。旅館の人が、僕の連絡を覚えててくれた。今は別室で保管してくれてるって」

 

 アウクソーが静かに頷く。

 

「宿の対応は適切ですね」

 

「うん。宿は悪くない」

 

 Xiは疲れ切った顔で、買い出しカートにもたれかかった。

 

「……悪いのは全部、あのクソ親父……」

 

 露伴が、目を輝かせた。

 

「面白いじゃないか」

 

「面白くない!」

 

「温泉宿に届く差出人不明の茶菓子。箱に記された謎の数字。旅行前日から忍び寄る悪意。これは取材価値がある」

 

「ほら! やっぱり連れて行きたくない!」

 

 ソープは楽しそうに言った。

 

「明日が楽しみだね」

 

「楽しみにしないで!」

 

 弥子も言った。

 

「旅館飯も楽しみ!」

 

「君はそこだけ楽しみにしてて!」

 

 ネウロは満足げに微笑む。

 

「湯けむり、茶菓子、悪意、そして怪盗。良い謎の香りがしてきた」

 

「香らなくていい!」

 

 Xiは買い出しカートにもたれかかり、天井を仰いだ。

 

「……まだ出発してないんだけど」

 

 承太郎が帽子のつばを下げる。

 

「やれやれだぜ」

 

 泉は参加者名簿の最後に、淡々と追記した。

 

『備考:旅館宛に不審な茶菓子到着。現地到着後、怪盗Xi氏が確認予定』

 

 Xiはそれを見て、力なく呟いた。

 

「僕、怪盗だよね?」

 

 カイエンが答える。

 

「今は温泉外注後輩だ」

 

「だからその肩書きやめて!!」

 

 旅行前日。

 

 買い出しは無事に終わった。

 

 参加者も確定した。

 

 荷物も揃った。

 

 そして、旅館にはすでに不審な茶菓子が届いている。

 

 怪盗Xiは悟った。

 

 湯けむりから逃げられないどころか。

 

 明日のチェックイン前から、もう逃げられない。

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