守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiは湯けむりから逃げられない その4

 温泉の宿に着いて、最初に案内された場所は客室ではなかった。

 

 露天風呂でもない。

 食事処でもない。

 もちろん、温泉卓球場でもない。

 

 フロント脇の、静かな別室である。

 

 机の上には、黒い箱が置かれていた。

 

 金色のリボン。

 高級感のある包装。

 そして中央に貼られた白い紙。

 

 そこに書かれた一文字。

 

『6』

 

 怪盗Xiは、それを見た瞬間、言った。

 

「捨てよう」

 

 弥子が即座に叫んだ。

 

「まだ中身見てない!」

 

「箱に『6』って書いてある時点で、中身は食べ物じゃなくて事件だよ」

 

 Xiは真顔だった。

 

 宿のスタッフは、丁寧ながらも少し困惑した顔で立っている。

 

「ご連絡いただいた通り、開封せず保管しておりました」

 

「ありがとうございます。本当に助かります。宿の対応は完璧です」

 

 Xiはきちんと頭を下げた。

 

「悪いのは全部、あのクソ親父……」

 

 小さく、疲れ切った声だった。

 

 弥子がそっと呟く。

 

「クソ親父って言った……」

 

 ネウロが目を細める。

 

「血縁などという生ぬるいものではないな。素材からして奴の影を貼りつけられている」

 

 Xiは低く返した。

 

「貼りついてるだけだよ。背負ってなんかない」

 

 ほんの一瞬、空気が静まる。

 

 弥子が、ぽつりと言った。

 

「でも、XiはXiでしょ」

 

 Xiは答えなかった。

 

 ただ、わざとらしく手を叩く。

 

「はい、この話終わり! 検閲開始! 全員、勝手に触らない! 特に弥子ちゃん、露伴先生、ネウロさん!」

 

「なんであたし名指し!?」

 

「なぜ僕まで」

 

「我が輩は当然だな」

 

「自覚ある魔人が一番厄介!」

 

 泉が手帳を開いた。

 

「記録します。不審物、黒箱。外装中央に『6』。差出人不明。宿側は未開封で保管。これより内容確認」

 

 露伴はすでに目を輝かせていた。

 

「実にいい。温泉宿に届いた差出人不明の茶菓子。しかも箱には数字の六。導入としては申し分ない」

 

 Xiは露伴の前に立った。

 

「通行止めです」

 

「まだ何もしていない」

 

「目が取材してます」

 

「漫画家が目で取材して何が悪い」

 

「近いんです。距離が。存在が」

 

 承太郎が低く言った。

 

「露伴、下がってろ」

 

「君に指図される筋合いはないね」

 

「やれやれだぜ」

 

 キラはそのやり取りを見て、胃のあたりを押さえた。

 

 ラクスがそっとGABA入りチョコを差し出す。

 

「キラ、こちらを」

 

「ありがとう、ラクス……」

 

 Xiがそれを見て、小声で言う。

 

「もうB室の未来が見える……」

 

 アウクソーは白い手袋を装着し、箱の状態を確認した。

 

「外装に破損なし。異臭なし。ただし、差出人不明であるため、安全とは判断できません」

 

 カイエンが腕を組む。

 

「開けるのか」

 

「開ける。でも食べない。絶対食べない。匂いも嗅がない。感想も言わない」

 

 弥子が残念そうに箱を見る。

 

「茶菓子なのに……」

 

「茶菓子に見える罠だよ」

 

 ネウロが愉快そうに笑う。

 

「この娘にとって、食べられぬ菓子ほど残酷な謎もあるまい」

 

「残酷だよ!」

 

「弥子ちゃんは被害者側に行かないで!」

 

 泉が封筒を取り上げた。

 

「まず添え状を確認します」

 

 Xiは深く息を吐いた。

 

「読みたくない……」

 

「読み上げます」

 

「編集さん、容赦ない」

 

 泉は紙を広げた。

 

 そして、淡々と読み上げる。

 

「題名。至高のチョコレート」

 

 Xiは目を閉じた。

 

「やっぱり食べ物じゃなくて事件だった」

 

 泉は続ける。

 

「我が一族自慢の農園で育てたカカオから作った至高のチョコレートだ」

 

 ネウロが笑った。

 

「ほう。チョコレートか」

 

「興味を持たないで」

 

 泉は一拍置いて、さらに読む。

 

「慣れると癖になる。常人は一粒で初恋を思い出し、二粒でその相手の顔を忘れるがね」

 

 沈黙。

 

 ラクスが、少し眉を下げて言った。

 

「……ちょっと悲しいですね」

 

 キラが即座に振り向いた。

 

「ちょっとどころじゃない!」

 

 弥子が真剣な顔になる。

 

「じゃあ三粒食べたらどうなるの?」

 

「考えない!」

 

 Xiが即答した。

 

 ネウロが楽しそうに言う。

 

「三粒目で、初恋の相手がシックスに置き換わるのではないか?」

 

「最悪!!」

 

 キラの顔色が本気で悪くなった。

 

「それは絶対に駄目だよ!」

 

 承太郎が帽子のつばを下げる。

 

「食う前からスタンド攻撃みてぇな菓子だな」

 

 露伴は、ノートに何かを書き込んでいた。

 

「記憶と味覚に干渉するチョコレート。人間の初恋という情緒を、一粒目で引きずり出し、二粒目で破壊する。悪趣味だが、実に興味深い」

 

 Xiが露伴のノートをじっと見る。

 

「露伴先生」

 

「何だ」

 

「それ、食べてみたいとか思ってませんよね」

 

「僕は漫画家だ。未知の体験は創作の糧になる」

 

「没収」

 

「何をだ」

 

「好奇心」

 

「無理だね」

 

「無理だから危険なんだよ!」

 

 アウクソーが箱を慎重に開けた。

 

 中には、整然と並んだ黒いチョコレート。

 

 見た目だけなら、確かに高級品だった。

 艶のある表面。

 繊細な装飾。

 ほんのり漂う甘い香り。

 

 しかし、全員の脳裏には添え状の一文が焼き付いている。

 

 一粒で初恋を思い出し、二粒でその相手の顔を忘れる。

 

 弥子が、そっと一歩近づく。

 

 Xiが即座に片手を出した。

 

「通行止め」

 

「まだ見てただけ!」

 

「弥子ちゃんの“見てただけ”は、三秒後に“味見だけ”になる」

 

「信用がない!」

 

「昼に煮込みソースカツ丼三杯食べた人の食欲は、信用じゃなくて警戒の対象!」

 

 弥子が胸を張る。

 

「あれは、一杯目が味見、二杯目が本番、三杯目が検証!」

 

「検証結果は!?」

 

「美味しい!」

 

「でしょうね!」

 

 ネウロが頷いた。

 

「この娘の胃袋は、常人の尺度では――」

 

 Xiがびくっと反応した。

 

「常人って言わないで!」

 

 ネウロがにやりと笑う。

 

「ふむ。条件反射か」

 

「“常人なら”で始まる文章は、だいたいあのクソ親父の添え状なんだよ!」

 

 カイエンが箱を覗き込む。

 

「で、どうする。燃やすか」

 

「旅館で燃やさないで」

 

「なら斬るか」

 

「斬ったら欠片が飛ぶ!」

 

「面倒くせぇな」

 

「危険物処理ってそういうもの!」

 

 泉が冷静に言った。

 

「未開封ではありませんが、未摂取。今後は密閉して保管。廃棄または専門機関へ相談、という扱いでよろしいかと」

 

「編集さん、頼もしすぎる」

 

「先生の原稿管理に比べれば、箱に入ったチョコレートの方がまだ動きません」

 

「泉くん、どういう意味だ」

 

「そのままの意味です」

 

 ソープはチョコレートをじっと見ていた。

 

「文化調査としては、興味深いけれど」

 

「駄目です」

 

 Xiは即答した。

 

「今回の任務は、ソープさんに温泉文化を調査してもらうことであって、シックス製チョコで初恋の記憶を破壊することじゃない」

 

「一口だけでも?」

 

「駄目です」

 

「香りだけ」

 

「駄目です」

 

「箱の写真だけ」

 

「それは……泉さんの記録用に一枚だけ」

 

 アウクソーがすぐに言った。

 

「怪盗Xi殿。そこで譲ると、次は成分確認になります」

 

「そうだった!」

 

 Xiは箱を閉じた。

 

「写真も駄目! 記録は文章のみ!」

 

 露伴が不満げに言う。

 

「資料性が下がる」

 

「安全性が上がる!」

 

 承太郎が短く言った。

 

「Xiの判断でいい」

 

 キラも頷く。

 

「僕もそれがいいと思う」

 

 ラクスが微笑む。

 

「少し残念ですが、安全には代えられませんわ」

 

 弥子が小声で言う。

 

「ちょっとだけ匂い……」

 

「弥子ちゃん」

 

「はい」

 

 こうして、至高のチョコレートは再び密閉され、旅館スタッフの協力のもと、客室から離れた場所に隔離されることになった。

 

 Xiは深々と頭を下げた。

 

「本当にすみません。ご迷惑をおかけします」

 

 宿のスタッフは丁寧に微笑んだ。

 

「いえ、皆さまに安心してお過ごしいただくためですので」

 

 アウクソーが静かに言う。

 

「良い宿ですね」

 

 ラクスも頷いた。

 

「ええ。とても誠実に対応してくださいましたわ」

 

 Xiは疲れた顔で言った。

 

「宿は完璧。問題は外部から届く悪意だけ」

 

 ネウロが笑う。

 

「湯けむりに混じる悪意。なかなか良い香りだ」

 

「香らなくていい」

 

 検閲が終わると、ようやく部屋割りの話になった。

 

 泉が宿泊名簿を取り出す。

 

「では、部屋割りを確認します」

 

 Xiはその一言で、少しだけ姿勢を正した。

 

 ここも重要だった。

 

「A室。泉、ラクスさん、アウクソーさん、弥子さん」

 

「はい」

 

「承知いたしました」

 

「よろしくお願いいたしますわ」

 

「お菓子持ち込んでいい?」

 

「弥子さん、常識の範囲でお願いします」

 

「常識……」

 

 Xiがすかさず言う。

 

「弥子ちゃんの常識は一回、泉さんに確認してもらって」

 

「ひどい!」

 

 泉は続けた。

 

「B室。空条承太郎さん、岸辺露伴先生、キラ・ヤマトさん、脳噛ネウロさん」

 

 キラの表情が、わずかに止まった。

 

 承太郎は帽子のつばを下げる。

 

「やれやれだぜ」

 

 ネウロは愉快そうに笑う。

 

「ほう。退屈はしなさそうだ」

 

 露伴は手を上げた。

 

「異議がある」

 

 Xiは即答した。

 

「却下です」

 

「まだ内容を言っていない」

 

「内容がわかるから却下です」

 

 露伴は露骨に不満そうな顔をした。

 

「僕はC室がいい」

 

「出た」

 

 Xiは額を押さえた。

 

 泉が淡々と訊く。

 

「理由は」

 

「取材対象が集中しているからだ」

 

「ほら!」

 

 Xiが叫んだ。

 

 露伴は悪びれない。

 

「ソープ君、カイエン、そして怪盗Xi。これほど興味深い人物が一室に揃っているんだぞ。漫画家として見逃せるわけがない」

 

「見逃してください」

 

「断る」

 

「僕も断る!」

 

 ソープは楽しそうに首を傾げる。

 

「僕は構わないけれど」

 

「構ってください!」

 

 Xiがほとんど悲鳴を上げた。

 

「ソープさん、露伴先生に対して無防備すぎる!」

 

 カイエンが面倒くさそうに言う。

 

「露伴が変なことしたら叩き出す」

 

「叩き出す前に近づけないのが僕の仕事なんです!」

 

 露伴が一歩前に出る。

 

「間近で取材させろ!」

 

 Xiが両手を広げて立ちはだかった。

 

「通行止めです」

 

「君に僕の移動を制限する権利があるのか」

 

「あります。短期外注お目付け役として、ソープさん周辺の危険物と危険人物を監査する権利があります」

 

「僕を危険人物扱いするな」

 

「さっき至高のチョコレートを興味深いって言ってた人は、かなり危険です」

 

 泉が静かに頷いた。

 

「否定できません」

 

「泉くん!」

 

 承太郎も言った。

 

「露伴、お前はB室だ」

 

「承太郎、君まで」

 

「お前とネウロを同じ部屋に閉じ込めといた方が、まだ管理しやすい」

 

 キラが小さく息を呑む。

 

「え、僕もそこにいるんですけど」

 

 Xiはキラの肩に手を置いた。

 

「キラさん」

 

「なに?」

 

「すまん。B室は任せた」

 

「任されたくないな……」

 

 ラクスが微笑みながら、そっとキラに乳酸菌飲料を渡した。

 

「キラ、無理はなさらないで」

 

「ありがとう、ラクス……」

 

 ネウロがにやりと笑う。

 

「安心しろ、キラ・ヤマト。我が輩は部屋を破壊する趣味はない」

 

 キラが少しだけ安心しかけた。

 

 ネウロは続ける。

 

「破壊せずとも、人間の精神は十分に解体できる」

 

「安心できない!」

 

 露伴はまだ納得していない。

 

「僕はC室でなくとも、せめて隣室がいい」

 

「駄目です」

 

「なぜだ」

 

「夜中に取材ノート持って来そうだから」

 

「僕を何だと思っている」

 

「露伴先生」

 

「正確だな」

 

 泉が名簿を指差した。

 

「先生、B室です。これは宿にも提出済みです」

 

「変更すればいい」

 

「しません」

 

「担当編集が作家の創作意欲を阻害するのか」

 

「取材対象の安全確保を優先します」

 

 露伴は悔しそうに黙った。

 

 Xiは小さく勝利の息を吐く。

 

 しかし露伴は、すぐに顔を上げた。

 

「では、C室への取材許可を申請する」

 

「却下」

 

「即答するな」

 

「即答案件です」

 

 ソープが微笑む。

 

「あとで、ロビーでなら話してもいいよ」

 

 Xiが振り向く。

 

「ソープさん!」

 

「Xiが同席するなら」

 

 Xiは一瞬固まった。

 

 露伴がにやりと笑う。

 

「なるほど。監視付き取材か。それでも構わない」

 

「構わないんだ……」

 

 泉が手帳に書き込む。

 

「ロビーでの取材は、怪盗Xiさん同席の上、時間制限あり。質問内容は常識の範囲で」

 

「常識の範囲って、露伴先生に通じます?」

 

「通じさせます」

 

「強い」

 

 最後に泉が読み上げた。

 

「C室。カイエン様、ソープ様、怪盗Xiさん」

 

 Xiは深く頷いた。

 

「ここは僕の任務上、妥当です」

 

 カイエンが言う。

 

「朝、起こす」

 

「何時に?」

 

「日の出前」

 

「温泉旅行の朝じゃない!」

 

「稽古だ」

 

「やっぱりC室も安全じゃない!」

 

 ソープは楽しそうに笑っている。

 

「にぎやかだね」

 

「ソープさん、あなたの部屋です」

 

「そうだね」

 

「他人事みたいに言わないでください」

 

 部屋割りは、どうにか確定した。

 

 A室は比較的平和。

 B室は危険人物の隔離とキラの胃痛。

 C室は護衛本部兼、朝稽古処刑場。

 

 Xiは宿の廊下で立ち止まり、手元の予定表を見た。

 

 到着。

 不審物検閲。

 至高のチョコレート隔離。

 部屋割り紛糾。

 露伴先生接近管理。

 キラへの精神的申し訳なさ。

 夕方以降、温泉文化調査。

 場合によっては稽古。

 

 Xiは静かに乳酸菌飲料を取り出した。

 

 弥子がそれを見て言う。

 

「あ、Xiも飲む?」

 

「飲む。今飲む」

 

 キラも隣で同じものを取り出した。

 

「僕も」

 

 Xiとキラは無言で乾杯した。

 

 カイエンが呆れたように言う。

 

「お前ら、温泉に来て最初に飲むのがそれか」

 

 Xiは低い声で答えた。

 

「胃を守るのも任務です」

 

 キラも頷いた。

 

「同感です」

 

 ネウロが笑う。

 

「くくく。湯けむりの前に、胃袋から白旗を上げるか」

 

 弥子が元気よく言った。

 

「夕食、楽しみだね!」

 

 Xiは空になった容器を見つめた。

 

「……この旅、まだ始まったばかりなんだよね」

 

 承太郎が帽子のつばを下げる。

 

「やれやれだぜ」

 

 そして廊下の向こうでは、露伴がすでにノートを開いていた。

 

 Xiはそれを見て、もう一度言った。

 

「露伴先生。通行止めです」

 

 露伴は不満げに笑った。

 

「面白い。怪盗に道を塞がれる温泉旅行か」

 

 ソープは穏やかに微笑む。

 

「いい旅になりそうだね」

 

 Xiは天井を仰いだ。

 

「いい旅の定義を、あとで確認させてください……」

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