守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
温泉旅館の大浴場。
湯気の向こうに、木の天井と石造りの湯船。
柔らかな照明、静かな水音、時折聞こえる他の宿泊客の話し声。
本来なら、
一日の疲れを洗い流し、のんびり肩まで湯に浸かる場所である。
……のだが。
「ふあああああ~~~~っ……」
湯船に浸かった弥子が、
全身から気の抜けた声を出した。
「これよ、これ!!
旅館来たらやっぱこれよ!!」
キラがいない今、
そのテンションを最初に受けるのはラクスとアウクソーである。
ラクスは肩まで静かに湯に浸かり、やわらかく微笑んだ。
「お気に召したようですわね」
「そりゃもう!」
弥子。
「温泉! 旅館! ご飯! 卓球! 売店!
もうイベントが多すぎる!」
アウクソーは、少し控えめな位置で静かに湯を使っていた。
「賑やかなご旅行は、お好きでいらっしゃいますか」
「好き!」
弥子は即答した。
「ただしネウロがいなければもっと好き!」
「なるほど」
アウクソー。
ラクスがくすりと笑う。
「それは少々、難しい条件かもしれませんわね」
「そうなんですよ!」
弥子。
「だってあいつ、どこに行っても一言多いんだもん!
お風呂来たら絶対また“魔界の温泉は~”とか言ってましたよ、あれ」
ラクスが目を細める。
「まあ……たしかに言いそうですわね」
アウクソーも静かに頷く。
「否定はいたしかねます」
弥子が湯をぱしゃっとすくって笑う。
「でしょ!? よかった、通じた!」
女子側から見た男子たち
しばらく、三人は静かに湯に浸かる。
やがて弥子が、
いかにも言いたくて仕方なかったことを切り出した。
「……で」
ラクスがやわらかく首を傾げる。
「なんでしょう?」
「キラ、大変ですよね」
ラクスが少しだけ間を置いて、微笑んだ。
「ええ」
即答だった。
弥子が吹き出す。
「ですよね!!」
アウクソーも静かに言う。
「キラ様は、皆さまへのお気遣いが自然におできになる方ですので」
「そうそう!」
弥子。
「ネウロの変な発言止めて、カイエンさんのホラ話に引っかかって、全体の司会もやって、承太郎さんにもちゃんと話振って」
ラクスは湯面を見つめながら、穏やかに言った。
「キラは、そういうところがございますものね」
その言い方に、
責めるでもなく、でも全部わかっている感じがにじむ。
弥子がじっと見る。
「……ラクスさんって、怒ると怖いタイプですよね?」
「まあ」
ラクスは微笑んだまま答える。
「どうしてそう思われますの?」
「いや、なんかこう……
怒鳴らないのに逃げ場がなくなりそうな感じが」
アウクソーが小さく視線を伏せる。
たぶん否定していない。
ラクスはくすりと笑った。
「そんなことはございませんわ」
弥子がぼそっと言う。
「この“そんなことはございませんわ”がもう怖いんだってば……」
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アウクソーの静かな強さ
今度はラクスがアウクソーへ視線を向ける。
「アウクソーさんは、カイエン様のお側でとても自然に動かれていらっしゃいますのね」
アウクソーは控えめに答えた。
「私は、マスターにとって必要な位置におりますだけでございます」
弥子がすぐ反応する。
「それがもうすごいんですよ!」
「だって今日だって、
酒コーナーで好みの地酒見つけてあげるし、
夕食では自然に取り分けるし、
卓球では“マスター、大人気ございません”って完璧なタイミングで刺すし!」
アウクソーは少しだけ目を伏せた。
「マスターは時折、お戯れが過ぎることもございますので」
「お戯れで済ませていいラインかな!?」
弥子。
ラクスもやわらかく頷く。
「でも、カイエン様はアウクソーさんのお言葉をきちんと受け止めていらっしゃいましたわ」
「ええ」
アウクソー。
「マスターは、聞くべき時にはお聞きくださいます」
弥子が感心する。
「すごいなあ……
うちのネウロなんか“聞くべき時”の概念がないわよ」
「あるぞ」
とネウロなら言いそうな気配がするが、女子大浴場にはいない。
平和である。
アウクソーは少しだけ考えてから言った。
「ネウロ様も、桂木様のお言葉にはある程度お応えになっておられるように見受けられますが」
弥子が固まる。
「えっ」
「完全には無視されておられないように」
アウクソー。
弥子がしばらく考え込んでから、湯船の縁に額を預けた。
「……やだ、ちょっと認めたくない」
ラクスがくすりと笑う。
「でも、たしかにそうかもしれませんわね」
「うわー……」
弥子。
「なんか急に腹立ってきた。
あいつ、あたしが止める前提で動いてるとこあるし」
「それはありますわね」
ラクス。
「ラクスさんまで即答!?」
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静かな圧の話
湯気の中、
今度は弥子がにやっとした顔でラクスを見る。
「ところで」
「はい?」
「ラクスさん、キラに対して強いですよね」
ラクスの笑顔は崩れない。
「どういう意味でしょう」
「いや、言葉が!」
弥子。
「なんかこう……
“楽しそうでよろしいですわね”とか言われたら、
キラ絶対“うっ”ってなるじゃないですか」
ラクスは少しだけ目を細めた。
「それは、キラがやさしいからではありませんか?」
「それもある!」
弥子。
「でも絶対、ラクスさんも分かって言ってますよね!?」
アウクソーは静かに湯をすくいながら、
ごく小さく言った。
「お上手でいらっしゃるのだと思います」
弥子が大きく頷く。
「それだ!」
ラクスは、困ったように微笑む。
「わたくしはただ、思ったことを申し上げているだけですのに」
弥子はじとっとする。
「そういう人が一番強いんだって」
しばらくして、
ラクスが少しだけ逆襲するように言った。
「でも桂木さんも、ネウロさんにはかなりはっきりおっしゃいますわよね」
「え」
「“食うな!”
“勝手に話を進めるな!”
“壊すな!”
……たいへんお見事でしたわ」
弥子が一瞬黙る。
そして顔を赤くした。
「いやあれは!
あれは必要に迫られて!」
「ええ」
ラクス。
「ですから、とても頼もしいと思いましたの」
弥子は湯の中でばしゃばしゃする。
「だーっ、なんか褒められても素直に喜べない!」
アウクソーの口元が、ほんの少しだけ和らいだ。
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旅館の夜らしい時間
露天風呂へ移る。
外気は少し涼しく、
湯気の向こうに夜の山の気配がある。
三人とも、今度は少し静かだった。
弥子がぽつりと言う。
「でもさ」
ラクスとアウクソーが視線を向ける。
「こういうの、なんだかんだでいいですよね」
弥子。
「旅館来て、売店行って、ご飯食べて、お風呂入って」
ラクスがやさしく頷く。
「ええ。とても」
アウクソーも静かに答えた。
「皆さまご一緒で、賑やかでございました」
弥子は空を見上げる。
「ネウロもいないし、今が一番平和かも」
「まあ」
ラクスがくすりとする。
「そうかもしれませんわね」
「男子側はいまごろ、どうなってるんだろ」
弥子。
アウクソーが少しだけ考えてから言った。
「キラ様がご苦労なさっているのでは」
「ありえる」
弥子。
「そして承太郎様が必要最低限で収め、ネウロ様が余計なお言葉を添え、マスターが面白がっていらっしゃるのではないかと」
アウクソー。
弥子が笑う。
「それ絶対そう!」
ラクスも、穏やかに笑っていた。
湯から上がり、
脱衣所で髪を整え、
牛乳やお茶を手にする。
弥子は腰に手を当ててコーヒー牛乳を飲みながら、満足そうに言った。
「よし」
ラクスがタオルを整えながら尋ねる。
「何がでしょう?」
「リベンジ」
弥子。
「さっきの卓球、まだちょっと納得してないのよね」
「まあ」
ラクス。
「キラもなんか消化不良っぽかったし、
ネウロは見てるだけで偉そうだし、
カイエンさんは絶対ちょっとズルしたし!」
アウクソーが静かに補足する。
「“ちょっと”ではなかったかと」
「ですよね!」
ラクスは微笑む。
「では、お部屋へ戻りましたら、もう一度ということでしょうか」
弥子がにやっとする。
「そうです!
風呂上がり第二ラウンド!」
そこへ、脱衣所の外から
ちょうど男子たちの気配がした。
弥子がタオルを肩にかけ直す。
「よーし、行くわよ」
ラクスは上品に笑みを整える。
「ええ」
アウクソーも、静かに一礼するように立つ。
「承知いたしました」
三人が戻るその先には、
おそらくまた騒がしい夜が待っている。
だが今の彼女たちは、
少なくとも少しだけ、英気を養っていた。
そしてそのころ男子側では、
たぶんキラがもう一度ため息をついているに違いない。