守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiは湯けむりから逃げられない その7

 温泉で汗を流したあと、一行は夕食会場へ向かった。

 

 廊下には、ほんのりと出汁の香りが漂っている。

 畳敷きの個室には、すでに料理が整えられていた。

 

 鍋。

 小鉢。

 刺身。

 彩りの良い前菜。

 そして、艶やかな赤身の馬刺し。

 

 桂木弥子は、部屋に入った瞬間、目を輝かせた。

 

「うわああああ……!」

 

 それは歓声というより、勝利宣言だった。

 

 キラが小声で言う。

 

「弥子さん、昼に煮込みソースカツ丼三杯食べたよね」

 

「温泉でリセットしたから!」

 

「されるんだ……」

 

 ネウロが愉快そうに笑った。

 

「この娘の胃袋は、湯治によって再起動する」

 

「しません、普通は!」

 

 Xiが反射的に突っ込んだあと、すぐに周囲を見回した。

 

 料理の前に、彼にはやるべきことがある。

 

「すみません。念のため確認します」

 

 仲居が丁寧に会釈する。

 

「はい」

 

「箱に大きく『6』と書かれた調味料、差し入れ、チョコレート、コーヒー、入浴剤、その他不審物は、料理や配膳に一切関係していませんね?」

 

 場が一瞬だけ静まった。

 

 しかし仲居は、すでに慣れたような落ち着きで答えた。

 

「はい。厨房にも確認済みでございます。お客様からお申し出のあったお品は、すべて別室にて保管しております」

 

 Xiは深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます。本当に助かります。宿の対応は完璧です」

 

 泉が手帳に書き込む。

 

「宿側の危機管理、非常に良好」

 

 露伴がそれを横目で見た。

 

「泉くん、旅行に来てまで評価表を作るのか」

 

「先生が余計なことをしないようにするための記録でもあります」

 

「僕は料理を食べに来ただけだ」

 

「本当に?」

 

「……取材も兼ねている」

 

「やはり」

 

 Xiが露伴の前にすっと立った。

 

「露伴先生、食事中もソープさんへの接近は制限します」

 

「君は僕を何だと思っているんだ」

 

「露伴先生です」

 

「正確すぎて腹が立つな」

 

 承太郎が低く呟いた。

 

「自業自得だ」

 

 ソープは料理を興味深そうに眺めていた。

 

「これは牛肉を湯にくぐらせる料理?」

 

 アウクソーが答える。

 

「しゃぶしゃぶですね。薄く切った肉を、熱い出汁に軽く通していただく料理です」

 

「火を通しすぎないことで、肉の柔らかさを楽しむんだね」

 

「はい。ソープ様、熱いのでお気をつけください」

 

「うん」

 

 Xiが少し感心したように言った。

 

「ソープさん、今回は本当に慎重ですね」

 

「温泉も料理も、無理をしないのが大事だと学んだからね」

 

「前回の湯当たりがちゃんと経験値になってる……」

 

 ラクスは馬刺しの皿を見て、静かに微笑んだ。

 

「会津では馬刺しが名物なのですね。とても綺麗な赤身ですわ」

 

 キラも頷く。

 

「辛子味噌で食べるんだね」

 

 弥子がすでに箸を構えていた。

 

「辛子味噌……ご飯が進むやつ!」

 

「弥子ちゃん、ご飯の進み方を制御して」

 

「制御?」

 

「その言葉から説明が必要なの!?」

 

 ネウロが卓上を見渡した。

 

「ふむ」

 

 キラが嫌な予感を覚えた。

 

「ネウロさん?」

 

 ネウロは、鍋、刺身、小鉢、薬味、酒器を順に見た。

 

「卓上に謎はないのか」

 

 キラは即答した。

 

「ありません!」

 

「早いな」

 

「ありません。今日の夕食は普通に美味しく食べる時間です」

 

「普通、か」

 

「その言い方もやめてください!」

 

 Xiも頷いた。

 

「ここで謎を探さないでください。さっきまでチョコレートが初恋を破壊する話をしてたんだから」

 

 弥子が馬刺しを一切れ口に運び、ぱっと顔を明るくした。

 

「美味しい!」

 

 その一言で、場の空気が少し和らいだ。

 

「赤身なのに、しっかり味がある! 辛子味噌、すごい! ご飯ください!」

 

「早い!」

 

 Xiが叫ぶ。

 

「まだ開始三分!」

 

 仲居はにこやかに答えた。

 

「はい、お持ちいたします」

 

 ラクスが楽しそうに微笑む。

 

「弥子さん、とても幸せそうですわ」

 

「食べてる時が一番平和かもしれないね」

 

 キラがそう言うと、ネウロが淡々と返した。

 

「平和ではない。摂取速度が戦争だ」

 

「否定できない……」

 

 カイエンは、馬刺しを一切れ口に運び、しばらく黙っていた。

 

 そして短く言った。

 

「悪くねぇ」

 

 Xiが小声で言う。

 

「カイエンさんの“悪くねぇ”は、かなり高評価ですね」

 

 アウクソーが静かに頷く。

 

「はい」

 

 カイエンは今度は牛しゃぶを鍋にくぐらせる。

 

 湯気の向こうで、肉の色が変わる。

 

 それを口に運び、また少し黙った。

 

「……いいな」

 

 Xiが目を丸くする。

 

「二段階褒めた」

 

 ソープも同じように肉を湯にくぐらせる。

 

「これは面白い。料理なのに、食べる人が最後の加熱を担当するんだね」

 

 露伴がすぐに反応した。

 

「いい表現だ。食べ手が完成に参加する料理。実に興味深い」

 

 Xiがすっと間に入る。

 

「通行止めです」

 

「料理の話だろう!」

 

「料理を入口にソープさんへ近づく気配を感じました」

 

「君は気配に敏感すぎる」

 

「鍛えられてますので」

 

 カイエンがそれを聞いて、酒のメニューを見た。

 

「地酒はあるか」

 

 仲居が頷く。

 

「はい。末廣の生酛純米などがございます」

 

 その名を聞いて、Xiが少し顔を上げる。

 

「あ、地元のお酒ですね」

 

 カイエンは短く言った。

 

「それでいい」

 

 しばらくして、徳利と盃が運ばれてきた。

 

 カイエンは盃に酒を受け、一口飲む。

 

 派手な感想はない。

 

 ただ、目を細めた。

 

「……いい酒だ」

 

 アウクソーが、ほんの少し嬉しそうに目を伏せた。

 

「お口に合ったようで何よりです」

 

 Xiが小さく言う。

 

「カイエンさんが“いい酒”って言った。これは相当ですね」

 

 ネウロが面白そうに問う。

 

「ジョーカー太陽星団の酒はどうなのだ」

 

 Xiが即座に止める。

 

「その話、危険な気がするから禁止!」

 

 カイエンが鼻で笑った。

 

「別に危険じゃねぇ」

 

「じゃあ安全ですか?」

 

「飲む奴による」

 

「やっぱり危険!」

 

 ラクスは香りを楽しむように、盃を少しだけ見つめた。

 

「土地のお料理に、土地のお酒。旅らしくて素敵ですわ」

 

 キラは頷きつつ、そっと水を飲む。

 

「僕は今日は控えめにしておくよ」

 

 Xiも頷いた。

 

「僕も。というか、飲んだら露伴先生の監査精度が落ちるので」

 

 露伴が不服そうに言う。

 

「僕は酒で封じられるような存在なのか」

 

「封じられるなら検討します」

 

「おい」

 

 泉が冷静に言った。

 

「先生も飲みすぎないでください。飲酒後の取材は禁止です」

 

「君は僕の母親か」

 

「担当編集です」

 

「似たようなものだな」

 

「先生?」

 

「何でもない」

 

 夕食は進んだ。

 

 牛しゃぶは柔らかく、馬刺しは辛子味噌とよく合った。

 小鉢には季節の味が並び、出汁の香りが湯気に混じる。

 地元の酒は料理に寄り添い、旅館の夜らしい落ち着きを作っていた。

 

 ただし、桂木弥子の周囲だけは落ち着いていなかった。

 

「ご飯おかわりお願いします!」

 

「また!?」

 

 Xiが声を上げる。

 

「弥子ちゃん、昼にカツ丼三杯、今ご飯何杯目?」

 

「えーと……」

 

 弥子が指を折りかける。

 

 ネウロが即答した。

 

「数える意味はない。増える」

 

「魔人に会計管理させたくないけど、正しい!」

 

 キラは苦笑しながら、弥子を見る。

 

「本当に美味しそうに食べるね」

 

「美味しいものは、美味しく食べないと失礼だから!」

 

 ラクスが微笑む。

 

「素敵な考え方ですわ」

 

 Xiが小声で言う。

 

「素敵だけど、量が素敵の範囲を超えてる」

 

 ソープは、その様子を見ながら楽しそうに言った。

 

「食文化調査として、弥子さんの反応はとても参考になるね」

 

 泉が即座に補足する。

 

「ただし、一般的な摂取量の参考にはなりません」

 

「正確な注釈!」

 

 露伴は弥子を見て、ノートを開きかけた。

 

 泉が見ずに言う。

 

「先生」

 

「まだ何も書いていない」

 

「書こうとしました」

 

「……鋭いな」

 

 承太郎は黙々と食べていた。

 

 派手な感想は言わないが、箸は止まっていない。

 

 Xiがそれに気づく。

 

「承太郎さんも結構気に入ってます?」

 

「うまい」

 

「承太郎さんの“うまい”も高評価ですね」

 

「やれやれだぜ」

 

 その横で、ネウロは料理を一通り眺めたあと、つまらなそうに言った。

 

「やはり卓上に謎は少ないな」

 

 キラがほっとする。

 

「よかった……」

 

 しかしネウロは続けた。

 

「だが、食後には動くのだろう?」

 

 Xiが嫌な予感を覚える。

 

「動く?」

 

 カイエンが酒を置いた。

 

「温泉卓球だ」

 

 Xiは目を閉じた。

 

「来た」

 

 弥子がぱっと顔を上げる。

 

「卓球! やるやる!」

 

「弥子ちゃん、これだけ食べて食後すぐ動くの?」

 

「温泉卓球は別腹!」

 

「別腹の守備範囲が広すぎる!」

 

 カイエンはXiを見る。

 

「食後の足さばき確認だ」

 

「温泉卓球を稽古にしないで!」

 

「河原より足場はいい」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 キラが少し困ったように笑う。

 

「普通に遊ぶんですよね?」

 

 カイエンは当然のように答えた。

 

「まず二分身からだな」

 

 キラの笑顔が固まった。

 

「え?」

 

 Xiも固まった。

 

「え?」

 

 露伴が目を輝かせる。

 

「いいね」

 

 Xiが振り向く。

 

「よくない!」

 

 ネウロが笑った。

 

「食後の娯楽が修練へ変わる。人間界の温泉文化も奥が深い」

 

「違います!」

 

 ラクスは少し楽しそうに言った。

 

「でも、皆さまで卓球をするのは楽しそうですわ」

 

 アウクソーも静かに頷く。

 

「ただし、器物破損にはご注意ください」

 

 Xiがカイエンを見る。

 

「聞きました? 器物破損禁止です」

 

 カイエンは平然と言った。

 

「台は斬らん」

 

「球は?」

 

「打つ」

 

「強さ!」

 

「相手による」

 

「僕に来るやつじゃん!」

 

 夕食は、最後まで賑やかだった。

 

 弥子は満腹のはずなのに目を輝かせ、キラは乳酸菌飲料を欲しそうな顔をし、ラクスに「今日はもう控えましょうね」と優しく止められた。

 カイエンは地酒を静かに味わい、ソープは料理と温泉文化を結びつけて考え、アウクソーはその様子を穏やかに見守る。

 承太郎は短く料理を褒め、露伴は取材欲を泉に抑えられ、ネウロは卓上に謎がないことを少し残念がった。

 

 そしてXiは、ようやく結論に至った。

 

「……夕食は安全だった」

 

 キラが微笑む。

 

「よかったね」

 

「はい。でも次が安全じゃない」

 

 視線の先には、卓球場へ向かおうとするカイエンがいた。

 

 その手には、すでにラケット。

 

 Xiは小さく呟く。

 

「温泉卓球って、癒やしの遊びですよね?」

 

 承太郎が低く答えた。

 

「相手によるな」

 

 ネウロが笑う。

 

「貴様の場合、湯けむりの中でも修練からは逃げられんらしい」

 

 カイエンが振り返る。

 

「Xi、来い」

 

 Xiは天井を仰いだ。

 

「……僕、夕食を食べに来たんだよね?」

 

 弥子が明るく言った。

 

「食べたよ!」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 こうして、初日の夕食は無事に終わった。

 

 無事に。

 

 少なくとも、料理の上には謎も悪意もなかった。

 

 ただし食後の卓球台には、すでに別の危険が待っていた。

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