守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
温泉で汗を流したあと、一行は夕食会場へ向かった。
廊下には、ほんのりと出汁の香りが漂っている。
畳敷きの個室には、すでに料理が整えられていた。
鍋。
小鉢。
刺身。
彩りの良い前菜。
そして、艶やかな赤身の馬刺し。
桂木弥子は、部屋に入った瞬間、目を輝かせた。
「うわああああ……!」
それは歓声というより、勝利宣言だった。
キラが小声で言う。
「弥子さん、昼に煮込みソースカツ丼三杯食べたよね」
「温泉でリセットしたから!」
「されるんだ……」
ネウロが愉快そうに笑った。
「この娘の胃袋は、湯治によって再起動する」
「しません、普通は!」
Xiが反射的に突っ込んだあと、すぐに周囲を見回した。
料理の前に、彼にはやるべきことがある。
「すみません。念のため確認します」
仲居が丁寧に会釈する。
「はい」
「箱に大きく『6』と書かれた調味料、差し入れ、チョコレート、コーヒー、入浴剤、その他不審物は、料理や配膳に一切関係していませんね?」
場が一瞬だけ静まった。
しかし仲居は、すでに慣れたような落ち着きで答えた。
「はい。厨房にも確認済みでございます。お客様からお申し出のあったお品は、すべて別室にて保管しております」
Xiは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に助かります。宿の対応は完璧です」
泉が手帳に書き込む。
「宿側の危機管理、非常に良好」
露伴がそれを横目で見た。
「泉くん、旅行に来てまで評価表を作るのか」
「先生が余計なことをしないようにするための記録でもあります」
「僕は料理を食べに来ただけだ」
「本当に?」
「……取材も兼ねている」
「やはり」
Xiが露伴の前にすっと立った。
「露伴先生、食事中もソープさんへの接近は制限します」
「君は僕を何だと思っているんだ」
「露伴先生です」
「正確すぎて腹が立つな」
承太郎が低く呟いた。
「自業自得だ」
ソープは料理を興味深そうに眺めていた。
「これは牛肉を湯にくぐらせる料理?」
アウクソーが答える。
「しゃぶしゃぶですね。薄く切った肉を、熱い出汁に軽く通していただく料理です」
「火を通しすぎないことで、肉の柔らかさを楽しむんだね」
「はい。ソープ様、熱いのでお気をつけください」
「うん」
Xiが少し感心したように言った。
「ソープさん、今回は本当に慎重ですね」
「温泉も料理も、無理をしないのが大事だと学んだからね」
「前回の湯当たりがちゃんと経験値になってる……」
ラクスは馬刺しの皿を見て、静かに微笑んだ。
「会津では馬刺しが名物なのですね。とても綺麗な赤身ですわ」
キラも頷く。
「辛子味噌で食べるんだね」
弥子がすでに箸を構えていた。
「辛子味噌……ご飯が進むやつ!」
「弥子ちゃん、ご飯の進み方を制御して」
「制御?」
「その言葉から説明が必要なの!?」
ネウロが卓上を見渡した。
「ふむ」
キラが嫌な予感を覚えた。
「ネウロさん?」
ネウロは、鍋、刺身、小鉢、薬味、酒器を順に見た。
「卓上に謎はないのか」
キラは即答した。
「ありません!」
「早いな」
「ありません。今日の夕食は普通に美味しく食べる時間です」
「普通、か」
「その言い方もやめてください!」
Xiも頷いた。
「ここで謎を探さないでください。さっきまでチョコレートが初恋を破壊する話をしてたんだから」
弥子が馬刺しを一切れ口に運び、ぱっと顔を明るくした。
「美味しい!」
その一言で、場の空気が少し和らいだ。
「赤身なのに、しっかり味がある! 辛子味噌、すごい! ご飯ください!」
「早い!」
Xiが叫ぶ。
「まだ開始三分!」
仲居はにこやかに答えた。
「はい、お持ちいたします」
ラクスが楽しそうに微笑む。
「弥子さん、とても幸せそうですわ」
「食べてる時が一番平和かもしれないね」
キラがそう言うと、ネウロが淡々と返した。
「平和ではない。摂取速度が戦争だ」
「否定できない……」
カイエンは、馬刺しを一切れ口に運び、しばらく黙っていた。
そして短く言った。
「悪くねぇ」
Xiが小声で言う。
「カイエンさんの“悪くねぇ”は、かなり高評価ですね」
アウクソーが静かに頷く。
「はい」
カイエンは今度は牛しゃぶを鍋にくぐらせる。
湯気の向こうで、肉の色が変わる。
それを口に運び、また少し黙った。
「……いいな」
Xiが目を丸くする。
「二段階褒めた」
ソープも同じように肉を湯にくぐらせる。
「これは面白い。料理なのに、食べる人が最後の加熱を担当するんだね」
露伴がすぐに反応した。
「いい表現だ。食べ手が完成に参加する料理。実に興味深い」
Xiがすっと間に入る。
「通行止めです」
「料理の話だろう!」
「料理を入口にソープさんへ近づく気配を感じました」
「君は気配に敏感すぎる」
「鍛えられてますので」
カイエンがそれを聞いて、酒のメニューを見た。
「地酒はあるか」
仲居が頷く。
「はい。末廣の生酛純米などがございます」
その名を聞いて、Xiが少し顔を上げる。
「あ、地元のお酒ですね」
カイエンは短く言った。
「それでいい」
しばらくして、徳利と盃が運ばれてきた。
カイエンは盃に酒を受け、一口飲む。
派手な感想はない。
ただ、目を細めた。
「……いい酒だ」
アウクソーが、ほんの少し嬉しそうに目を伏せた。
「お口に合ったようで何よりです」
Xiが小さく言う。
「カイエンさんが“いい酒”って言った。これは相当ですね」
ネウロが面白そうに問う。
「ジョーカー太陽星団の酒はどうなのだ」
Xiが即座に止める。
「その話、危険な気がするから禁止!」
カイエンが鼻で笑った。
「別に危険じゃねぇ」
「じゃあ安全ですか?」
「飲む奴による」
「やっぱり危険!」
ラクスは香りを楽しむように、盃を少しだけ見つめた。
「土地のお料理に、土地のお酒。旅らしくて素敵ですわ」
キラは頷きつつ、そっと水を飲む。
「僕は今日は控えめにしておくよ」
Xiも頷いた。
「僕も。というか、飲んだら露伴先生の監査精度が落ちるので」
露伴が不服そうに言う。
「僕は酒で封じられるような存在なのか」
「封じられるなら検討します」
「おい」
泉が冷静に言った。
「先生も飲みすぎないでください。飲酒後の取材は禁止です」
「君は僕の母親か」
「担当編集です」
「似たようなものだな」
「先生?」
「何でもない」
夕食は進んだ。
牛しゃぶは柔らかく、馬刺しは辛子味噌とよく合った。
小鉢には季節の味が並び、出汁の香りが湯気に混じる。
地元の酒は料理に寄り添い、旅館の夜らしい落ち着きを作っていた。
ただし、桂木弥子の周囲だけは落ち着いていなかった。
「ご飯おかわりお願いします!」
「また!?」
Xiが声を上げる。
「弥子ちゃん、昼にカツ丼三杯、今ご飯何杯目?」
「えーと……」
弥子が指を折りかける。
ネウロが即答した。
「数える意味はない。増える」
「魔人に会計管理させたくないけど、正しい!」
キラは苦笑しながら、弥子を見る。
「本当に美味しそうに食べるね」
「美味しいものは、美味しく食べないと失礼だから!」
ラクスが微笑む。
「素敵な考え方ですわ」
Xiが小声で言う。
「素敵だけど、量が素敵の範囲を超えてる」
ソープは、その様子を見ながら楽しそうに言った。
「食文化調査として、弥子さんの反応はとても参考になるね」
泉が即座に補足する。
「ただし、一般的な摂取量の参考にはなりません」
「正確な注釈!」
露伴は弥子を見て、ノートを開きかけた。
泉が見ずに言う。
「先生」
「まだ何も書いていない」
「書こうとしました」
「……鋭いな」
承太郎は黙々と食べていた。
派手な感想は言わないが、箸は止まっていない。
Xiがそれに気づく。
「承太郎さんも結構気に入ってます?」
「うまい」
「承太郎さんの“うまい”も高評価ですね」
「やれやれだぜ」
その横で、ネウロは料理を一通り眺めたあと、つまらなそうに言った。
「やはり卓上に謎は少ないな」
キラがほっとする。
「よかった……」
しかしネウロは続けた。
「だが、食後には動くのだろう?」
Xiが嫌な予感を覚える。
「動く?」
カイエンが酒を置いた。
「温泉卓球だ」
Xiは目を閉じた。
「来た」
弥子がぱっと顔を上げる。
「卓球! やるやる!」
「弥子ちゃん、これだけ食べて食後すぐ動くの?」
「温泉卓球は別腹!」
「別腹の守備範囲が広すぎる!」
カイエンはXiを見る。
「食後の足さばき確認だ」
「温泉卓球を稽古にしないで!」
「河原より足場はいい」
「そういう問題じゃない!」
キラが少し困ったように笑う。
「普通に遊ぶんですよね?」
カイエンは当然のように答えた。
「まず二分身からだな」
キラの笑顔が固まった。
「え?」
Xiも固まった。
「え?」
露伴が目を輝かせる。
「いいね」
Xiが振り向く。
「よくない!」
ネウロが笑った。
「食後の娯楽が修練へ変わる。人間界の温泉文化も奥が深い」
「違います!」
ラクスは少し楽しそうに言った。
「でも、皆さまで卓球をするのは楽しそうですわ」
アウクソーも静かに頷く。
「ただし、器物破損にはご注意ください」
Xiがカイエンを見る。
「聞きました? 器物破損禁止です」
カイエンは平然と言った。
「台は斬らん」
「球は?」
「打つ」
「強さ!」
「相手による」
「僕に来るやつじゃん!」
夕食は、最後まで賑やかだった。
弥子は満腹のはずなのに目を輝かせ、キラは乳酸菌飲料を欲しそうな顔をし、ラクスに「今日はもう控えましょうね」と優しく止められた。
カイエンは地酒を静かに味わい、ソープは料理と温泉文化を結びつけて考え、アウクソーはその様子を穏やかに見守る。
承太郎は短く料理を褒め、露伴は取材欲を泉に抑えられ、ネウロは卓上に謎がないことを少し残念がった。
そしてXiは、ようやく結論に至った。
「……夕食は安全だった」
キラが微笑む。
「よかったね」
「はい。でも次が安全じゃない」
視線の先には、卓球場へ向かおうとするカイエンがいた。
その手には、すでにラケット。
Xiは小さく呟く。
「温泉卓球って、癒やしの遊びですよね?」
承太郎が低く答えた。
「相手によるな」
ネウロが笑う。
「貴様の場合、湯けむりの中でも修練からは逃げられんらしい」
カイエンが振り返る。
「Xi、来い」
Xiは天井を仰いだ。
「……僕、夕食を食べに来たんだよね?」
弥子が明るく言った。
「食べたよ!」
「そういう問題じゃない!」
こうして、初日の夕食は無事に終わった。
無事に。
少なくとも、料理の上には謎も悪意もなかった。
ただし食後の卓球台には、すでに別の危険が待っていた。