守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
二日目の夕食会場に入った瞬間、桂木弥子の目が輝いた。
「鍋だ!」
卓上には、昨日とはまた違う趣の料理が並んでいた。
小鉢。
刺身。
季節の前菜。
そして中央には、白くまろやかな湯気を立てる鍋。
会津地鶏の飛鳥鍋。
鶏の旨味と、まろやかな出汁が合わさった、二日目の夕食にふさわしい料理だった。
怪盗Xiは、まず部屋に入るなり周囲を確認した。
「箱に『6』なし。添え状なし。不審な調味料なし。よし」
キラも隣で小さく頷く。
「今日は平和だね」
「平和すぎて逆に怖いです」
「わかる」
ラクスが少し困ったように微笑んだ。
「お二人とも、普通のお食事を怖がらなくても大丈夫ですわ」
Xiは真顔で答えた。
「ラクスさん、普通ってありがたいんです」
キラも深く頷く。
「本当に」
ネウロが鍋を覗き込みながら、つまらなそうに言う。
「卓上に謎はなさそうだな」
キラは即答した。
「ありません!」
「昨日より返答が速い」
「学習しました」
弥子はすでに箸を構えていた。
「この鍋、すごく美味しそう! 鶏肉も野菜も入ってるし、締めもあるよね!?」
Xiが顔を向ける。
「弥子ちゃん、まだ開始前なのに締めの話してる」
「鍋は締めまでが鍋だよ!」
「名言っぽく言ってるけど、食欲の話だからね」
ソープは鍋を興味深そうに見ていた。
「昨日の牛しゃぶとは違って、これは鍋自体に味が作られているんだね」
アウクソーが静かに説明する。
「はい、ソープ様。会津地鶏の旨味を楽しむお鍋のようです。熱いのでお気をつけください」
「うん」
カイエンは無言で鍋を見ていた。
その視線を見て、Xiは察する。
「カイエンさん、これも気に入りそうですね」
「食ってからだ」
「でも顔がもう“悪くねぇ”の準備してます」
「うるせぇ」
仲居が地酒の案内をすると、カイエンは昨日より少しだけ早く反応した。
「今日も地酒を」
Xiの目が光る。
「飲むんですか」
「飲む」
「このあとカラオケありますよ」
「知ってる」
「明日も朝稽古ありますよね?」
「ある」
Xiは一瞬、黙った。
「……もしかして、飲んでも朝稽古やるんですか?」
「当然だ」
「希望が消えた」
弥子が笑う。
「Xi、ちょっと期待してた?」
「してました。カイエンさんが地酒を楽しみすぎて、明日の朝はゆっくりになる可能性を」
カイエンは盃を受け取りながら言った。
「甘い」
「酒より辛い返答!」
カイエンは地酒を一口含んだ。
そして、昨日と同じく少しだけ目を細める。
「……いい酒だ」
アウクソーが静かに微笑む。
「マスターのお口に合うようで何よりです」
Xiは小声で言った。
「二日連続で“いい酒だ”が出た。会津の酒、強い」
承太郎も料理を一口食べ、短く言う。
「うまい」
キラが笑った。
「承太郎さんの高評価も出ましたね」
ラクスは鍋の湯気を見ながら、穏やかに言った。
「昨日とは違った優しい味ですわね。身体が温まります」
「このあとカラオケですし、ちょうどいいですね!」
弥子が元気よく言った。
Xiは反射で顔を上げる。
「カラオケ……」
ついに来る。
二日目夜の予定。
怪盗Xiは、マイクから逃げられない。
露伴は鍋を食べながら、すでに何かを考えている顔をしていた。
「カラオケは面白い。選曲には人間の本性が出る」
Xiが箸を止める。
「露伴先生、夕食中から取材モードに入らないでください」
「これは観察だ」
「同じです」
泉が冷静に言う。
「先生、カラオケ中の取材は禁止です。歌ってください」
「君は僕に歌わせたいのか、黙らせたいのか」
「両方です」
「ひどい編集だな」
ネウロは弥子の食べる速度を見て、満足そうに笑った。
「この娘、鍋料理においても略奪者の名に恥じぬ動きだな」
「鍋を略奪しないで!」
弥子は真剣な顔で言い返す。
「ちゃんと味わってるよ!」
「速度が味わう速度じゃないって、昨日も言った!」
「昨日より味わってる!」
「比較対象が昨日の弥子ちゃん!」
ソープは楽しそうに笑いながら、少しずつ料理を味わっていた。
「今日の夕食も、土地のものを食べる時間なんだね。昨日の馬刺しや牛しゃぶとはまた違う」
ラクスが頷く。
「旅先で、その土地のものをいただくのは素敵ですわ」
キラも微笑む。
「うん。会津って、いろんな味があるんだね」
Xiは鍋を一口食べて、少し黙った。
「……美味しい」
カイエンがちらりと見る。
「だろ」
「なんでカイエンさんが得意げなんですか」
「飯は大事だ」
「そこは同意します」
夕食は穏やかに進んだ。
少なくとも、料理の上には謎も悪意もなかった。
『6』の箱もない。
初恋を破壊するチョコもない。
象の珈琲もない。
ただ、会津地鶏の旨味と、地酒と、湯気と、笑い声があった。
Xiはふと、そんな卓上を見回した。
ソープは楽しそうに食べている。
カイエンは静かに地酒を味わっている。
アウクソーはその二人を見守っている。
キラとラクスは穏やかに会話し、承太郎は黙々と食べる。
露伴は泉に止められながらも観察し、ネウロは弥子の食欲を面白がっている。
弥子は、当然のように二杯目へ向かっている。
平和だ。
かなり騒がしいが、平和ではある。
「……こういう夕食なら、悪くないですね」
Xiがぽつりと言う。
ソープがそれを聞いて、嬉しそうに笑った。
「うん。楽しいね」
カイエンが盃を置く。
「食ったら行くぞ」
Xiは顔をしかめた。
「稽古ですか?」
「カラオケだ」
「そっちも怖いんですよ!」
弥子が満面の笑みで手を上げた。
「カラオケ! 行こう行こう!」
ラクスも穏やかに微笑む。
「皆さまで歌うのは楽しそうですわ」
キラは少しだけ緊張した顔で言う。
「ラクスが歌うなら、僕は聴く側で」
「キラも一緒に歌いましょう?」
「えっ」
Xiが小声で言った。
「キラさん、逃げ道が塞がれましたね」
「Xiもだよ」
「僕はマイクから逃げる方法を考えてました」
ネウロがにやりと笑う。
「怪盗がマイクから逃げるか。滑稽だな」
露伴がノートを閉じる。
「逃げる者ほど、歌わせると面白い」
泉が言う。
「先生も歌っていただきます」
「僕もか」
「公平性です」
承太郎が短く言った。
「やれやれだぜ」
カイエンは地酒を飲み終え、立ち上がった。
「行くぞ」
Xiはその背中を見た。
「……カイエンさん、ほんとに二日酔いにならないんですか」
「ならん」
「ちょっとくらいなってもいいんですよ。明日の朝稽古が」
「やる」
「ですよね!」
弥子が元気よく廊下へ向かう。
「次はカラオケだー!」
温泉旅館二日目の夜。
会津地鶏の飛鳥鍋で身体は温まり、地酒で少し空気もほどけた。
そして一行は、ついにカラオケルームへ向かう。
怪盗Xiは、廊下を歩きながら小さく呟いた。
「……マイクって、投げたら逃走補助に使えるかな」
キラが横で言う。
「使わないでね」
「はい」
ソープが楽しそうに振り向く。
「Xiも歌う?」
Xiは目を逸らした。
「……契約書に、歌唱業務は入ってません」
カイエンが言った。
「追加だ」
「外注契約を勝手に拡張しないでください!」
ネウロが笑う。
「今宵の謎は、怪盗が何を歌うか、だな」
「謎にしないで!」
その声を聞きながら、弥子は扉の前で振り返った。
「じゃあ最初、誰から歌う?」
全員の視線が、一瞬だけ交錯する。
そしてXiは悟った。
湯けむりから逃げられない。
卓球台から逃げられない。
朝稽古から逃げられない。
そして今夜。
どうやら、マイクからも逃げられない。