守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
温泉旅館の男子大浴場。
木の天井に、石造りの広い湯船。
湯気がゆるやかに立ちのぼり、
湯の流れる音と、時おり桶の触れる音だけが響く。
本来なら、
一日の終わりに肩の力を抜いて、黙って湯に浸かる場所である。
……本来なら。
「……だから言ったじゃないか」
脱衣所でタオルを肩にかけながら、
キラ・ヤマトはすでに疲れた声を出していた。
「何をだ」
承太郎が短く返す。
「男子側にはストッパーが足りないって」
キラ。
「弥子がいないんだよ?
ネウロを止めるの、実質僕ひとりなんだよ?」
ネウロが薄く笑う。
「ククク……騒音娘を“ストッパー”と認識している時点で、貴様もだいぶ調教されているな」
「その言い方やめて!」
カイエンは脱衣かごに浴衣を置きながら、気だるげに肩をすくめた。
「ぼかぁ厄介事は苦手なんだが……
風呂くらい静かに入れんのかね」
「その台詞、今日何回目だと思ってるんですか」
キラ。
「毎回言いたくなるんだろう」
承太郎。
「承太郎は本当に通常運転だなあ……」
ネウロがふと浴場の暖簾を見やった。
「もっとも、静かで済む保証はないがな」
キラの顔が曇る。
「その含みのある言い方やめてよ……」
かけ湯の時点で危ない
四人が浴場へ入る。
湯気の向こうに広い湯船。
露天風呂へ続く石畳。
いかにも“旅館の大浴場”らしい、落ち着いた空間。
キラはちょっとだけほっとした。
「……うん、これはいいかも」
承太郎は無言でかけ湯をする。
無駄がない。
カイエンも、気だるげながら手順自体はきちんとしている。
問題は、やはりネウロだった。
ネウロは湯をひとすくいして、指先で温度を確かめるように眺めた。
「ふむ」
キラが即反応する。
「……何」
「いや」
ネウロは低く笑った。
「地上の湯浴み文化も、なかなか興味深いと思ってな」
「その入り方だいたい危険なんだよな……」
ネウロは湯を見つめたまま言う。
「魔界の温泉はもっと機能的だ」
キラが顔を覆う。
「出たよ、“魔界の〇〇は~”」
承太郎が湯を肩から流しながら一言。
「また始まったか」
カイエンも湯桶を置いて、少し面白そうに見ている。
ネウロは楽しそうに語り始めた。
「魔界の温泉は三種類ある。
肉体を癒やすもの、
精神を抉るもの、
そして己の本性を暴いて二度と社会へ戻れなくするものだ」
「最後のやつ温泉の仕事じゃないから!!」
キラ。
「旅館どころか人生終わるでしょそれ!」
「用途に応じて選ぶのだ」
ネウロ。
「人間界の湯は、あまりに穏やかすぎる」
承太郎が低く呟く。
「地獄だな」
「魔界だからな」
ネウロ。
「もうその返しテンプレになってるよ!」
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乗る剣聖
ここで、案の定、
カイエンが少し面白くなったらしい。
かけ湯を終え、湯船へ向かいながら
何気ない口調で言う。
「地球の温泉はずいぶん平和なんだな。
それに比べてジョーカー太陽星団の湯宿では、まず入る前に“耐熱試験石”を踏ませる」
キラが止まる。
「えっ」
「客の適性を見るんだ」
カイエンは涼しい顔だ。
「石が割れたら入浴可、割れなければ見学だけだ」
キラがぎょっとする。
「そんな選抜方式あるの!?」
承太郎がちらりと見る。
「……また始まったな」
ネウロが薄く笑う。
「ククク……よいぞ剣聖。
人間を誤情報で撹乱する技は嫌いではない」
キラが即座に振り向く。
「またそれ必殺技みたいに言う!」
ちょうどその時、
露天風呂側から戻ってきたアウクソー……は、いない。
男子側だから当然いない。
キラはハッとする。
「しまった、今アウクソーさんがいてくれれば!」
カイエンが肩をすくめる。
「残念だったな、坊や」
「くっ……!」
承太郎が静かに言った。
「信じるな。たぶん嘘だ」
キラが承太郎を見る。
「たぶん、なんだ」
「全部は知らねぇ」
承太郎。
「だがこいつの顔は、少し面白がってる時の顔だ」
カイエンが少し笑う。
「鋭いな、不良」
「やっぱり嘘なんじゃないですか!!」
キラ。
「さて、どこからどこまでがかな」
カイエン。
「うわ、その逃げ方まで前回と一緒だ!」
ネウロがくつくつ笑う。
「アウクソー不在だと、ずいぶん自由だな剣聖」
「少しくらい遊ばせてくれ」
カイエン。
「キラを遊ぶな!」
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湯船での温度差
ようやく四人は湯船に浸かる。
キラは肩まで沈み、思わず息をついた。
「……あー、やっぱり気持ちいい」
承太郎は端のほうで静かに湯に浸かる。
カイエンは露天の縁にもたれ気味。
ネウロは湯の表面を眺めていた。
そして案の定、また言う。
「ぬるいな」
「それも言うと思った!」
キラ。
「魔界の火山熱泉を知る吾輩には――」
バシャッ。
ネウロの顔面に湯が飛んだ。
キラが固まる。
承太郎が何事もなかったように湯を払う。
「うるせぇ」
「わっ、またやった!?」
キラ。
ネウロは濡れた前髪をかき上げる。
「……不良」
「風呂で騒ぐな」
承太郎。
カイエンが横で目を閉じたまま言う。
「静かになったなら、それでいい」
「見てたのに止めないんですか!?」
キラ。
「止めようと思えば止められる」
カイエン。
「でもまあ、まだ平和だろう」
「その基準が毎回おかしいんですよ!」
ネウロが笑う。
「ククク……
弥子がいないと、貴様の苦労が倍増するな、キラ・ヤマト」
「分かってるなら少しは手加減してよ!」
「それは断る」
ネウロ。
「即答だし!」
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旅館の男湯らしい会話……にはならない
少し静かになる。
湯気の向こうに、露天から入る夜風。
本来ならここで、
男同士のしみじみした会話とか、
旅の疲れを癒やす沈黙とかがあってもよさそうなものだ。
だがこの四人でそう簡単にはいかない。
キラがようやく落ち着いた頃、
ふと口を開いた。
「でも……こうしてると、ちょっとだけ普通の旅行っぽいね」
「ぽいだけだな」
承太郎。
「否定しきれないなあ……」
カイエンは湯に浸かったまま、ぼそりと言う。
「まあ、悪くはない」
「おっ」
キラが反応する。
「出ましたね、“悪くない”」
「便利な言葉だ」
ネウロ。
「おまえが言うと嫌味になるんだよ」
カイエンは少し目を細めた。
「景色はいい。湯もいい。飯もまあ良かった。
旅館そのものに文句はないさ」
「じゃあ満足なんですね」
キラ。
「静かならな」
カイエン。
「そこは本当にそう思います」
キラ。
承太郎は短く言う。
「おまえは働きすぎだ」
キラが目を丸くする。
「え?」
「部屋でも飯でも卓球でも、ずっと止めてただろ」
承太郎。
「休める時に休め」
キラはちょっと意外そうに笑った。
「……承太郎、そういうこと言うんだ」
「事実だ」
承太郎。
ネウロが鼻で笑う。
「ククク……中央管理職への労務指導か」
「その表現ほんとやめて!?」
でもキラは、少しだけ肩の力を抜いた。
「……ありがとう」
承太郎はそれ以上何も言わない。
カイエンがそのやりとりを見て、
ほんの少しだけ笑った。
「不良のくせに、案外面倒見がいいな」
「うるせぇ」
承太郎。
「でも助かるよ」
キラ。
ネウロだけがつまらなそうだった。
「人間どもが妙に温かい空気を作ると、こちらが困るな」
「困っててくれ!」
キラ。
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露天風呂、ちょっとだけ静か
四人は露天風呂へ移る。
外は夜。
山の気配と、遠くの川音。
湯気の向こうに月が少し見える。
さっきまでより、少しだけ静かだ。
キラが空を見上げる。
「……これは、いいな」
「ええ」
と答えたのは意外にもカイエンだった。
「こういうのは嫌いじゃない」
ネウロも、珍しく大声は出さない。
「地上の夜気も、使い方によっては悪くない」
「素直に褒められないの?」
キラ。
承太郎は黙ったままだが、
たぶん否定はしていない。
しばらくして、カイエンがぽつりと言う。
「こういう時、アウクソーがいると少し違うんだがな」
キラが振り向く。
「やっぱり思うんですね」
「まあな」
カイエン。
「静かな時間を、あいつは静かなままにしておける」
ネウロが薄く笑う。
「貴様にしては素直だな」
「風呂の中くらい、余計な構えはいらんさ」
カイエン。
キラは少しだけやわらかい顔になる。
「……いいですね、そういうの」
承太郎が低く言う。
「おまえもそういう相手がいるだろ」
キラは一瞬黙って、
それから小さく頷いた。
「うん」
ネウロがにやりとした。
「ククク……
では次の旅館は、相方同伴を標準仕様にするか?」
キラが即答する。
「むしろそうしてほしいよ!」
「俺はどっちでもいい」
承太郎。
「承太郎だけは本当にぶれないなあ……」
風呂を上がり、
脱衣所で身支度を整え、
四人が出てくると――
ちょうど向こうから、
女子三人が戻ってくる気配がした。
弥子が真っ先に手を振る。
「あ、いたいた!」
キラが嫌な予感を覚える。
「……その顔、なんかあるね」
「ある!」
弥子。
「リベンジ!」
「やっぱり!?」
キラ。
ラクスがにこやかに言う。
「先ほどの卓球、まだ少し続きがあってもよろしいかと思いまして」
承太郎が帽子を押さえる。
「やれやれだぜ」
カイエンは少しだけ笑う。
「風呂上がりに卓球か。
なかなか地球の旅館も忙しいな」
ネウロが楽しそうに言う。
「ククク……
よい。体も温まったところで、次は精神を揺さぶる番だ」
「だから言い方!!」
キラ。
アウクソーが静かにカイエンを見る。
その目はもう、
今度はどこまでが遊びかを測る目だった。
弥子は拳を握る。
「次こそはもっとまともにやるわよ!」
キラが即座に言う。
「じゃあもう一回、最初からルール説明ね」
「出たー!」
弥子。
「必要だから!」
キラ。
「今度はラクスも入るんだよ!?」
ラクスはやわらかく微笑むだけだった。
それがいちばん怖い。
そして七人は、
またしても卓球場へ戻っていく。
温泉旅館の夜は、まだ終わらない。