守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
カラオケルームを出た一行は、まだ少しだけ熱を帯びていた。
ラクスの歌。
キラとのデュエット。
弥子の全力歌唱。
Xiの逃げ損ねた一曲。
承太郎の低く短い歌。
露伴の妙に自己演出の効いた歌。
カイエンの地酒混じりの低音。
そしてネウロの、不穏すぎる一曲。
楽しかった。
楽しかったが、疲れた。
特にXiは、心の中でこう結論づけていた。
カラオケも業務だった。
「……寝る前に、もう一回お風呂入りたい」
弥子が伸びをしながら言った。
「歌ったし、ちょっと汗かいたし!」
ラクスが微笑む。
「そうですわね。湯冷めしない程度に、軽く温まるのも良さそうです」
キラも頷いた。
「明日もあるし、短めに入って早めに寝ようか」
Xiも、そこには賛成だった。
「ですね。今日はもう何も起きない。普通に風呂入って、日報書いて、寝る」
ネウロが笑う。
「“普通に”と言ったな」
Xiはびくっとした。
「今のは自分でも危険だと思いました」
カイエンは少し酒の気配を残しながらも、足取りはしっかりしていた。
「湯に入って寝る。明朝も稽古だ」
「今その話しなくていいです」
「する」
「ですよね」
そんなやり取りをしながら、一行は浴場へ向かった。
ここで、普段ならXiかキラのどちらかが言うはずだった。
ソープさん、今回は女子側へ。
露伴先生から距離を取るため。
Xiの監査負担を減らすため。
アウクソーが同伴できるため。
だが、カラオケ後の空気は緩んでいた。
ラクスの歌の余韻。
普通のお菓子で得た安堵。
カイエンの地酒追加による淡い期待。
弥子の夜食理論による疲労。
そして、Xiの「今日はもう休みたい」という願望。
その結果。
誰も言わなかった。
気づいた時には、男湯の脱衣所に七人がいた。
ソープ。
カイエン。
キラ。
承太郎。
露伴。
ネウロ。
Xi。
Xiは、脱衣所の入口で固まった。
キラも、ほぼ同時に固まった。
二人は顔を見合わせる。
「……キラさん」
「……Xi」
「忘れてましたね」
「忘れてたね」
Xiはゆっくりと男湯メンバーを見回した。
濃い。
とにかく濃い。
この七人が同じ浴場にいるというだけで、湯気の成分が変わりそうだった。
「……男湯、濃度高すぎない?」
Xiが呟く。
承太郎が帽子を脱ぎながら、短く言った。
「濃いな」
露伴は不満げに眉を上げる。
「君たちは人を出汁のように言うな」
ネウロが愉快そうに笑う。
「濃度という表現は的確だ。人間、騎士、魔人、漫画家、歌姫の守り手、そして怪盗。よくもまあ湯に沈める気になったものだ」
「沈めません。浸かるだけです」
Xiは頭を抱えた。
「ソープさん、今からでも女子側に……」
ソープは首を傾げる。
「もうここまで来たし、今日はこのままでいいんじゃないかな」
「その“いいんじゃないかな”が怖い」
キラも苦笑する。
「でも、今日はアウクソーさんたちは女子側で普通に入ってるだろうし、こちらもみんなで短めに済ませれば……」
Xiはキラを見る。
「キラさん」
「なに?」
「今、自分は大丈夫って思ってますよね」
キラは少しだけ目を逸らした。
「……思ってないよ」
「思ってる顔です」
「Xiも思ってたでしょ」
「思ってました」
二人は同時にため息をついた。
浴場に入ると、夜の湯は静かだった。
カラオケ後の熱気を冷ますには、ちょうどいい。
湯気はやわらかく、外の暗さが窓の向こうに落ちている。
大浴場は広い。
広いのだが、やはりこの七人がいると濃い。
Xiは湯船の端に入りながら、まずソープを確認した。
「ソープさん、長湯禁止です」
「うん。短めにするよ」
「水分補給しました?」
「したよ」
「湯当たりの兆候があったらすぐ出てください」
「わかってる」
ここまではよかった。
だが次に、Xiはカイエンを見た。
カイエンは湯に肩まで浸かり、目を細めていた。
地酒の影響か、いつもより少しだけ表情が緩い。
「カイエンさん」
「何だ」
「ソープさん以上に、今日は長湯注意です」
カイエンが片目を開ける。
「俺がか」
「はい。地酒飲んでますし。カラオケでも追加しましたし」
「この程度でどうにかなるか」
「そう言う人ほど危ないんです」
キラも頷く。
「お酒の後のお風呂は、気をつけた方がいいですよ」
ラクスがいないぶん、キラの声には妙な真面目さがあった。
承太郎も低く言う。
「無理はしねぇ方がいい」
カイエンは少し不満そうに鼻を鳴らした。
「揃いも揃って」
Xiは真剣だった。
「明日の朝稽古をやる気なら、なおさら今日は無理しないでください」
カイエンはXiを見た。
「朝稽古はやる」
「なら、今は早めに上がる」
「……お前に言われるとはな」
「僕だって言いたくないですよ」
ネウロがにやりと笑う。
「怪盗が師匠の体調管理か。外注業務も板についてきたな」
「板につきたくないです」
露伴は湯船の縁に腕を置きながら、興味深そうにそのやり取りを見ていた。
「面白いな。カイエンに対して、Xiが一歩も引かずに注意している」
Xiが即座に反応した。
「露伴先生、観察禁止」
「これは観察ではなく、感想だ」
「言葉の逃げ道を使わないでください」
「君に言われたくないな」
承太郎が目を閉じたまま言った。
「露伴、風呂くらい静かに入れ」
「君もいちいち口を挟むな、承太郎」
「やれやれだぜ」
キラは湯に浸かりながら、小さく息を吐いた。
「でも、今日は本当に楽しかったね。カラオケ」
ソープが頷く。
「うん。歌で空気が変わるのは面白かった」
Xiは少しだけ口元を緩めた。
「ラクスさんの歌は、反則でしたね」
キラが少し照れたように笑う。
「反則って」
「いや、あれを旅館のカラオケルームで聴いていいのかなって。弥子ちゃんも泉さんも、ちょっと固まってましたし」
「本人が楽しんでたなら、大丈夫だと思うよ」
露伴が言う。
「歌姫が日常の空間で歌う。そこにこそ価値がある。ステージではない場所で、人間がどれほど自分でいられるか――」
Xiが横から湯をぱしゃっと手で鳴らした。
「通行止めです」
「湯船の中でもか!」
「はい。湯船の中でもです」
ネウロが笑った。
「思考に続き、湯気にも通行止めか」
「露伴先生の取材欲は湯気に乗ってくるんです」
承太郎がぼそりと言った。
「否定できねぇな」
「承太郎!」
一方、女子側は実に平和だった。
ラクス、アウクソー、泉、弥子。
そして今回はソープがいないため、アウクソーの監視対象は少ない。
弥子が湯に浸かりながら、ふにゃりとした顔で言った。
「カラオケ楽しかったねえ」
ラクスが微笑む。
「ええ。皆さまの歌が聴けて、とても楽しかったですわ」
泉は少し笑った。
「ラクスさんの歌を、あの距離で聴けるとは思いませんでした。
正直、無料でよかったのかと」
「わたくしも、皆さまと歌えて嬉しかったですわ」
弥子が頷く。
「ほんと、あれタダで聴いちゃっていいのかなって思った!」
アウクソーが静かに言う。
「とても美しい歌でした」
ラクスは少しだけ照れたように微笑んだ。
「ありがとうございます」
泉は湯気の向こうを見ながら、ふと呟いた。
「ただ、男湯側は大丈夫でしょうか」
弥子が首を傾げる。
「何が?」
「ソープ様がいません。つまり、男湯に七人います」
弥子は数を数えた。
「……濃いね」
「はい」
アウクソーが少しだけ心配そうに言った。
「マスターは、お酒も召し上がっていました。長湯をなさらなければよいのですが」
ラクスが穏やかに言う。
「キラとXiさんがいらっしゃいますから、きっと大丈夫ですわ」
弥子が笑った。
「キラさんとXi、また胃痛担当だ」
泉が真顔で言った。
「それでも、かなり頼りになります」
その頃、男湯では。
Xiとキラが、実際に胃痛担当として働いていた。
「カイエンさん、そろそろ一度上がりません?」
「まだ入ったばかりだ」
「その感覚、信用できません」
キラも言う。
「少し涼んでから、また入りたければ入る方がいいと思います」
カイエンは面倒くさそうに息を吐いた。
「わかった」
Xiとキラは同時に顔を見合わせた。
「今、素直に聞いた?」
「聞いたね」
ネウロが興味深そうに言う。
「酒か湯か、どちらがこの男を丸くしたのだろうな」
カイエンが低く言った。
「黙れ」
「丸くはなかったです」
ソープも湯から上がり、身体を冷まし始めた。
「僕も一度出るよ。長湯はしないって約束したから」
「偉い」
Xiは思わず言った。
ソープが笑う。
「褒められた」
「褒めます。ちゃんと守ってるので」
カイエンがちらりとXiを見る。
「お前も上がれ。顔が疲れてる」
「僕は今ようやく休んでるんですけど」
「休むなら寝ろ」
「正論」
承太郎が湯から上がりながら言った。
「今日はもう寝た方がいいな」
露伴は少し不満げだったが、泉もいないこの場で無茶はしなかった。
「カラオケ後の湯というのも、悪くないな」
Xiが警戒する。
「何か作品のネタにしようとしてます?」
「するかもしれない」
「正直!」
「だが、今日はもう書かない」
「本当ですか?」
「たぶん」
「たぶんが怖い」
脱衣所に戻ったあと、Xiはようやく大きく息を吐いた。
大きな事件は起きなかった。
ソープは湯当たりしていない。
カイエンも長湯せずに上がった。
露伴先生も、比較的おとなしかった。
ネウロも魔界の湯の詳細説明は途中で止まった。
キラも致命的な胃痛には至っていない。
「……勝った」
Xiが小さく呟く。
キラが苦笑する。
「お風呂に入っただけなんだけどね」
「このメンバーで何も起きなかったら勝ちです」
「それは、まあ……そうかも」
廊下で女子側と合流すると、弥子が元気よく手を振った。
「おかえりー。男湯、濃かった?」
Xiとキラは同時に言った。
「濃かった」
「濃かった」
弥子は笑った。
ラクスがキラを見る。
「キラ、お疲れさまでした」
「うん。今日は大丈夫だったよ」
Xiが横で言う。
「キラさん、かなり働いてました」
「Xiもね」
アウクソーはカイエンを見る。
「マスター、湯当たりはございませんか」
「ない」
「お酒の後でしたので、少し心配しておりました」
「問題ねぇ」
Xiが小声で言う。
「ちゃんと早めに上がってました」
アウクソーは少しだけ安心したように微笑んだ。
「ありがとうございます、怪盗Xi殿」
「いえ、業務なので」
ソープが楽しそうに言った。
「今日の風呂も良かったね」
Xiは少し考えてから答えた。
「はい。濃かったですけど」
「濃かったんだ」
「濃かったです」
露伴が不満げに言う。
「まだ言うか」
承太郎が帽子のつばを下げる。
「事実だろ」
「君まで」
ネウロが笑う。
「湯けむりの中でも、濃いものは薄まらぬということだ」
Xiは疲れた顔で頷いた。
「今日の日報に書きます」
キラが少し心配そうに見る。
「書くの?」
「書きます。男湯七名、濃度高し。
カイエンさん、地酒後につき長湯注意。結果、問題なし」
ラクスが上品に笑った。
「とても分かりやすい報告ですわ」
カイエンが言う。
「余計なことを書くな」
「事実です」
「お前も言うようになったな」
「鍛えられてますので」
それが、カイエンの稽古の成果なのか。
それとも、この二日間の胃痛の成果なのか。
Xi本人にも、もうよくわからなかった。
ともあれ。
二日目の夜の風呂は、無事に終わった。
濃かったが、平和だった。
Xiは部屋へ戻る廊下で、小さく呟く。
「……今日はもう寝たい」
カイエンが答えた。
「日報を書いてからだ」
Xiは足を止めた。
「忘れてた……」
ソープはにこにこと笑う。
「寝るまでが業務だね」
Xiは天井を仰いだ。
「二泊三日って、本当に長い……」