守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
二泊三日の東山温泉旅行は、無事に終わった。
ソープの湯当たりなし。
シックス由来の危険物摂取なし。
旅館への被害なし。
露伴先生によるフェザーゴールド資料化、阻止。
桂木弥子のお土産菓子、帰宅前にほぼ壊滅。
総合的には、成功と言っていい。
少なくとも、怪盗Xiはそう思うことにした。
「……ようやくひと息つけると思ったのに」
Xiは、ログナー司令の前でそう呟いた。
場所は、ちょっとした貸し会議室。
テーブルの上には、旅館の領収書、飲食代の明細、カラオケルーム利用料、軽食代、交通費、土産物の一部確認書類、そしてXiが提出した三日分の日報が並んでいる。
ログナーは、それらを淡々と確認していた。
「詳細確認だ」
「まだあります?」
「ある」
「やっぱり」
Xiは椅子に沈み込んだ。
隣にはソープが楽しそうに座っている。
カイエンは腕を組み、明らかに面倒くさそうな顔。
アウクソーは静かに控え、泉は資料を整理している。
キラとラクスも同席し、弥子とネウロもなぜか当然のようにいる。
承太郎と露伴もいる。
つまり、旅行メンバーがほぼ揃っていた。
精算会議という名の、後日談である。
ログナーは一枚のレシートを指で叩いた。
「カツ丼のレシートへの記載が、人数分より多い」
Xiは即座に言った。
「日報に『弥子ちゃんが三杯食べた』って書いたじゃないですか!」
ログナーは表情を変えない。
「三杯という記録は確認している」
「じゃあ何が問題なんですか」
「本当に三杯で止まったのか」
弥子が手を上げた。
「止まったよ!」
Xiは胸を撫で下ろす。
だが、弥子は続けた。
「……たぶん」
「たぶんって言わない!」
キラが頭を抱える。
「三杯食べたこと自体は、もう確定なんだよね……」
ラクスは穏やかに微笑んでいた。
「とても美味しかったのでしょうね」
「美味しかったです!」
弥子は胸を張った。
ネウロが冷ややかに言う。
「この娘にとって、記録とは胃袋を通過した後に曖昧になるものだ」
「そんなことないよ!」
「では四杯目は?」
「食べてない……と思う」
「曖昧になってる!」
Xiが叫ぶ。
ログナーは淡々とメモを取った。
「桂木弥子の食事量については、引き続き参考値扱いとする」
「それでいいんですか!?」
「精算上は、レシートが正である」
「会計が強い……」
泉が静かに頷いた。
「領収書とレシートは大事です」
露伴が横から言う。
「僕はあのフェザーゴールドの方が資料として大事だと思うがね」
Xiは即座に金貨の入った袋を抱えた。
「通行止めです」
「まだ言っただけだ」
「言う前から止めたいくらいです」
ログナーの視線が露伴に向く。
「フェザーゴールドの譲渡は認めない」
露伴は少しだけ不満そうに眉を上げた。
「正式交渉でも?」
「認めない」
「即答か」
「当然だ」
泉がほっと息を吐いた。
「助かります」
「泉くん、君は本当に僕の味方なのか」
「先生の社会的安全の味方です」
「またそれか」
Xiは小さく呟いた。
「金貨の話、もう終わったと思ったのに……」
その時だった。
会議室の外から、軽いノックが聞こえた。
扉が開き、職員が小さな箱を持って入ってくる。
「失礼します。怪盗Xi様宛てにお荷物です」
室内の空気が、少しだけ止まった。
Xiの顔が硬直する。
「……僕宛て?」
「はい。差出人の記載はございません」
その言葉を聞いた瞬間、Xiは立ち上がった。
「待って。置かないで。まず見せて」
職員が箱をテーブルに置く。
小さな黒い箱だった。
高級感のある包装。
妙に硬そうな質感。
そして、中央に貼られた白い紙。
そこには、大きく一文字。
『6』
Xiは即座に言った。
「捨てよう」
弥子が身を乗り出す。
「待って! まだ中身見てない!」
「見なくてもわかる。これは事件」
キラも真顔で頷いた。
「捨てよう」
「キラさん、判断が早い」
「経験が増えたからね……」
ラクスが少し困ったように言う。
「また何か届いたのですね」
ネウロはすでに楽しそうだった。
「旅行が終わっても、悪意は余韻を残すか」
「余韻じゃない。追撃です」
Xiが低く言う。
カイエンは箱を見て、眉をひそめた。
「何だ、今度は」
アウクソーが静かに言った。
「開封前に内容確認が必要ですね」
「はい。僕は開けたくないです」
Xiが即答すると、ログナーが手袋をつけ、箱の横に貼られた小さなラベルを確認した。
「……ガムだ」
弥子の目が輝いた。
「ガム!」
Xiが即座に弥子の前に立つ。
「通行止め」
「まだ食べるって言ってない!」
「顔が言ってた」
「食後のガムだよ?」
「“6”って書いてある時点で、食後の口直しじゃなくて顎関節破壊兵器だよ!」
ログナーは封筒を取り出した。
添え状である。
Xiが顔を覆う。
「読みたくない……」
ログナーは淡々と読み上げた。
「我が一族のラボで、ダイヤモンドの粉末を練り込ませて弾力を極限まで高めた、噛めば噛むほど脳が活性化する至高のガムだ」
Xiは低い声で言った。
「ガムにダイヤモンドを入れるな」
キラも顔をしかめる。
「噛んでいいものじゃないよね、それ」
露伴が目を輝かせる。
「ダイヤモンド粉末入りのガム……素材としては面白いな」
「露伴先生、興味を持たないでください」
「食べるとは言っていない」
「調べたい顔はしてます」
「漫画家だからな」
「理由になってない!」
ログナーは続ける。
「慣れると癖になる。常人が手を出せば、顎の筋肉が異常発達してしまい、三日間は鋼鉄のような『完璧な笑顔』のまま表情が固定されることになるがね」
沈黙。
弥子が自分の頬を押さえた。
「……完璧な笑顔のまま三日間?」
キラが本気で引いた顔になる。
「怖いよ、それ」
ラクスが眉を下げる。
「少しどころではなく、困りますわね」
Xiは力強く言った。
「食べない。絶対に食べない」
ネウロが弥子を見た。
「桂木弥子なら、顎より胃袋が先に適応する可能性がある」
「ないです!」
Xiが即座に叫んだ。
「というか、適応しなくていい!」
弥子は箱を見ながら、少し未練ありげに言う。
「でも、脳が活性化するって……」
「そこに食いつかないで!」
「ガムって、なんか集中したい時に噛むじゃん?」
「これは集中じゃなくて表情筋拘束!」
ログナーは箱を閉じた。
「未摂取のまま隔離する」
「それが正解です」
Xiは深く頷いた。
だが、その時、弥子のスマホが鳴った。
弥子は画面を見る。
「あ、お母さんからだ」
何気なく通話に出る。
「もしもし? うん。え? 変な箱?」
その場の全員が、また固まった。
弥子は、ゆっくりとXiを見た。
「……うちにも、届いてるって」
Xiの顔から血の気が引いた。
「箱は?」
「黒くて」
「紙は?」
「白くて」
「文字は?」
「大きく……」
弥子は言いづらそうに言った。
「『6』」
Xiは椅子に座り込んだ。
「別便で送るな、あのクソ親父……!」
ネウロが実に愉快そうに笑う。
「食欲旺盛な娘の家にも送るとは、的確な狙いだ」
「的確じゃなくて悪質!」
ログナーはすぐに言った。
「回収しろ」
Xiが顔を上げる。
「僕が!?」
「お前が一番、危険物の判別に慣れている」
「慣れたくなかった!」
キラが静かに手を上げた。
「僕も行くよ。弥子ちゃんの家にあるなら、早めに回収した方がいい」
ラクスも頷く。
「開封される前に対応いたしましょう」
弥子は通話口に向かって慌てて言った。
「お母さん、それ絶対開けないで! ガムでも開けないで! え? なんでって? えーと、顎が……とにかく開けないで!」
泉が真顔でメモを取る。
「弥子さん宅にも別便。不審物、至高のガム。未開封予定。回収要」
露伴がぼそりと言う。
「一つくらい資料用に」
「通行止めです」
Xiと泉が同時に言った。
露伴は不満げに黙った。
ソープは箱を見つめて、少しだけ困ったように笑った。
「旅行が終わっても、まだ続くんだね」
Xiは疲れ切った顔で言った。
「はい。どうやら、僕はガムも信用できなくなりました」
カイエンが鼻で笑う。
「普通のガムは噛めるだろ」
「今は“普通のガム”って言葉が神々しく聞こえます」
キラが同意する。
「わかる」
ラクスが優しく言った。
「では、あとで普通のガムを買って、皆さまで確認しましょうか」
Xiは真顔で頷いた。
「普通のガムでリハビリします」
弥子がぱっと顔を上げる。
「普通のガムなら食べていい?」
「一個だけね」
キラがすぐに言った。
弥子がむっとする。
「ガムくらい大丈夫だよ!」
ネウロが笑う。
「この娘の場合、ガムも食物扱いで飲み込みかねん」
「飲み込まないよ!」
Xiは箱を見下ろした。
至高のガム。
前世と対話するキノコ。
記憶を消すチーズ。
口の粘膜を溶かすパイナップル。
初恋を忘れるチョコ。
働く意味を忘れる健康ドリンク。
銀歯を溶かすカレー。
皮膚を剥く入浴剤。
象のフンから採取されたコーヒー。
そして、顎を鋼鉄の笑顔に固定するガム。
Xiは低く呟いた。
「贈答品の形をした攻撃一覧が増えていく……」
ログナーが淡々と言う。
「追加で日報に記載しておけ」
Xiは振り向いた。
「まだ日報!?」
「後日談も業務だ」
「その理屈、嫌いです」
ソープが楽しそうに言う。
「でも、ちゃんと記録しないとね」
「ソープさんまで……」
Xiは観念して端末を取り出した。
件名を打つ。
『東山温泉編後日対応報告 至高のガムについて』
「タイトルからもう嫌だ……」
カイエンが言う。
「書け」
「はいはい」
Xiは入力を始めた。
後日対応報告:至高のガムについて
宛先:ログナー司令
報告者:怪盗Xi
一、精算会議中、差出人不明の荷物到着。
外装に大きく『6』。
内容物はガム。添え状によれば、ダイヤモンド粉末を練り込んだ高弾力ガム。
常人が噛むと、顎の筋肉が異常発達し、三日間「完璧な笑顔」のまま表情固定とのこと。
食後のガムではなく、顎関節破壊兵器と判断。
二、未摂取のまま隔離。
桂木弥子が一瞬興味を示したため、即時制止。
露伴先生も資料として興味を示したため、通行止め。
三、桂木弥子宅にも別便で同種の荷物が到着。
未開封確認中。至急回収予定。
四、普通のガムによる常識リハビリを検討。
普通のガムはありがたい。
以上。
Xiは送信ボタンを押した。
すぐにログナーの端末にも通知が入る。
ログナーは内容を確認し、短く言った。
「回収後、処分する。食うな」
「言われなくても!」
弥子が小声で言う。
「普通のガムなら……」
「普通のなら!」
Xiは指を突きつけた。
「箱に『6』がない。差出人が普通。ダイヤモンド粉末が入ってない。添え状がない。顎が鋼鉄の笑顔にならない。それを確認してから!」
キラが深く頷く。
「確認項目が増えたね」
「増えたくなかったです」
ネウロが満足そうに笑う。
「怪盗Xiは、ついにガムも信用しなくなったか」
Xiは箱を密閉袋に入れながら、疲れた声で言った。
「信用できるガムは、普通のガムだけです」
ソープが微笑む。
「また普通が大事になったね」
「この旅行で学んだこと、全部そこに戻ってきますね」
「うん」
ソープは穏やかに頷いた。
「普通って、大事だよ」
Xiは少しだけ黙った。
それから、小さくため息をつく。
「……本当にね」
弥子が元気よく言う。
「じゃあ、普通のガム買いに行こう!」
Xiは目を細める。
「その前に、弥子ちゃんの家の“至高のガム”を回収」
「あ、そうだった」
「忘れないで!」
カイエンが立ち上がる。
「行くぞ」
「カイエンさんも来るんですか?」
「妙なガムが暴れたら斬る」
「ガムは暴れません」
ネウロがにやりと笑う。
「シックス産なら、噛む前から顎に襲いかかるかもしれんぞ」
「やめて! ありそうだからやめて!」
キラが苦笑しながら立ち上がる。
「回収して、普通のガムを買って、それで終わりにしよう」
ラクスも微笑む。
「ええ。今度こそ、普通の口直しですわ」
露伴が最後に未練がましく言った。
「せめて一粒だけ資料として――」
泉が前に出る。
「先生」
「……言ってみただけだ」
承太郎が帽子のつばを下げる。
「やれやれだぜ」
こうして、東山温泉編の後日談は、精算だけでは終わらなかった。
カツ丼のレシート確認。
弥子の食事量審査。
フェザーゴールド未練問題。
そして、至高のガム回収任務。
怪盗Xiは、湯けむりから逃げられなかった。
会計からも逃げられなかった。
そして、旅行後の食後ガムからも逃げられなかった。
Xiは密閉袋入りの黒い箱を見下ろし、ぼそりと言った。
「……僕、怪盗だよね?」
ネウロが笑う。
「今は贈答品検疫官だな」
「その肩書き、増やさないで!」
ソープは楽しそうに言った。
「頼りにしているよ、Xi」
Xiは一瞬だけ言葉に詰まる。
そして、いつものように顔を背けた。
「……契約は終わったはずなんですけど」
ログナーが淡々と言う。
「後処理までが任務だ」
Xiは天井を仰いだ。
「後処理までが任務……」
弥子が明るく笑う。
「普通のガム、何味にする?」
Xiは少しだけ考えた。
「……ミント」
「いいね!」
キラも笑った。
「普通のミントガムなら、大丈夫だね」
Xiは、今度こそ心の底から言った。
「普通のミントガムって、最高ですね」
その言葉に、全員が少しだけ笑った。
怪盗Xiはガムも信用しない。
ただし、普通のガムなら。
少しずつ、また信用してもいいかもしれない。