守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「私は帝ほど甘くありません」
その声は、静かだった。
怒鳴ってはいない。
声を荒げてもいない。
むしろ、どこか上品で、柔らかい響きすらあった。
けれど。
物陰に身を潜めていた怪盗Xiは、思わず呟いた。
「怖っ」
いつものカフェテラスから、少し離れた路地裏。
そこには、先ほどまでテーブルで紅茶を飲んでいたはずのラキシスが立っていた。
白く細い指先には、小さな通信機。
そして足元には、シックスの配下と思われる男が片膝をついている。
男は逃げようとしていた。
少なくとも、逃げようとはした。
だが、ラキシスに視線を向けられた瞬間、動きが止まった。
ただ、それだけだった。
「ソープ様を見張っていた目的は?」
ラキシスが訊いた。
男は喉を鳴らす。
「……何のことだ」
ラキシスは、男から奪った通信機を軽く掲げる。
「これで、誰に報告を?」
男は黙る。
「Xiさんを監視していたのですか?」
その問いに、男の目がわずかに動いた。
ラキシスは、その動きを見逃さなかった。
「つまり、Xiさんを通して、ソープ様の動向を探っていたのですね」
「違う……俺は、ただ……」
「ただ?」
ラキシスは一歩近づいた。
男の肩が跳ねる。
その瞬間、Xiは心の中で叫んだ。
逃げろ。
いや、逃げられない。
たぶん、もう逃げられない。
ラキシスは、静かに言った。
「それ以上、ソープ様にご迷惑をおかけするなら」
そこで一度、言葉を切る。
「ここで処分します」
Xiは、もう一度呟いた。
「怖っ」
背後で、弥子が両手で口を押さえていた。
「奥様……可愛いのに怖い……」
ラクスは静かに目を細めている。
「大切な方を守るための強さ、なのでしょうね」
承太郎は帽子の庇を下げた。
「やれやれだぜ」
露伴は、スケッチブックを出そうとして、承太郎に無言で止められていた。
「まだ描くとは言っていない」
「その手は描く手だ」
「承太郎……」
*
少し前。
話は、いつものカフェテラスに戻る。
黄金の騎士、ナイト・オブ・ゴールドを見た翌日。
一行は、いつもの席で休息を取っていた。
正確には、休息のつもりだった。
シュペルター。
LEDミラージュ。
クロス・ミラージュ。
ヤクト・ミラージュ。
KOG。
連日のように規格外の騎体を見せられたXiは、紅茶を前にして、魂が少し抜けたような顔をしていた。
「しばらく普通の日常がいい」
弥子がサンドイッチを食べながら頷く。
「分かります。シックス製品も、ミラージュマシンもない日常ですね」
「そう。それ。普通のカフェ。普通の紅茶。普通のケーキ。普通の会話」
ネウロが笑う。
「貴様に普通が戻ると思っているのか」
「戻ってほしいんだよ」
キラは苦笑した。
「ここ最近、すごかったもんね」
「キラは楽しんでた側でしょ」
「否定はできないけど……」
ラクスが穏やかに言う。
「でも、Xiさんもよく頑張っていらっしゃいましたわ」
「ラクスが言うと少し救われる」
その時。
カフェテラスの入口から、明るい声がした。
「ソープ様!」
全員が振り向く。
そこに立っていたのは、可憐な女性だった。
柔らかな髪。
華やかな服装。
上品で、どこか少女のような雰囲気。
だが、ただ可愛いだけではない。
視線を集める何かを持っている。
ソープは、紅茶のカップを持ったまま目を瞬かせた。
「ラキシス?」
ラキシスは、少し頬を膨らませるようにして言った。
「最近、ソープ様ばかりお出かけしてます。私も構ってください。連れてってください」
弥子の目が、一瞬で輝いた。
「奥様可愛い!!」
Xiは頭を抱えた。
「情報の飲み込みが早い」
弥子は身を乗り出す。
「じゃあ、この方が、黄金の騎士で迎えに来てって言った奥様ですか!?」
ソープは少し照れたように笑った。
「うん。ラキシスだよ」
ラキシスはにこりと微笑む。
「はじめまして。ラキシスです」
弥子は胸の前で両手を握った。
「ロマンティックなプロポーズ、成功してたんですね!!」
ソープとラキシスは、同時に少しだけ嬉しそうな顔をした。
ラクスも微笑む。
「とても可愛らしい奥様ですわ。ソープ様、こんなに可愛らしい方を放っておいてはいけませんわね」
ソープは困ったように笑った。
「放っておいたつもりはないんだけどな」
ラキシスはすぐに言う。
「でも、カフェテラス、整備ヤード、モーターヘッド見学会。私は聞いてばかりです」
Xiが小声で訂正する。
「見学会じゃなくて、貸与候補確認会だったんだけどね……」
ラキシスはXiを見た。
「では、Xiさんが次にどのミラージュに乗るか決まったのですか?」
Xiは全力で首を振った。
「決まってません!!」
その瞬間、ログナー司令が現れた。
いつからいたのか、誰にも分からない。
「候補は絞られた」
Xiが振り向く。
「絞らないで!!」
ラキシスは楽しそうに笑った。
「まあ。楽しそうですね」
「楽しくはないです!」
ソープは嬉しそうにラキシスの隣へ座る。
「ラキシスも来るなら、もっと楽しくなるね」
Xiは、その言葉に希望を見出した。
見出してしまった。
「待って」
全員がXiを見る。
Xiは、ゆっくりと言った。
「奥様が来たってことは、お目付け役はもう要らないよね?」
沈黙。
弥子が「あ」と言う顔をした。
キラも「なるほど」という顔をした。
ラクスは少し考え込んだ。
ソープはきょとんとしている。
ラキシスは、にこにこしている。
ログナー司令は、まったく表情を変えなかった。
「任務内容を変更する」
Xiは嫌な予感に顔をしかめた。
「解除じゃなくて?」
「レディオス・ソープ、およびラキシス姫様。両名の護衛」
Xiは立ち上がった。
「増えた!!」
ログナーは淡々としている。
「当然だ」
「当然じゃない!」
「ラキシス姫様が同行される以上、護衛対象は二名となる」
「奥様が来たから仕事が終わると思ったのに、護衛対象が増えた!」
ラキシスが、にこっと笑った。
「よろしくお願いしますね、Xiさん」
Xiは固まった。
「……断りづらい」
弥子が笑いをこらえる。
「奥様のお願いは断れないですね」
「弥子ちゃん、他人事だと思って楽しんでるでしょ」
「ちょっとだけ」
「正直!」
ラクスは穏やかに言う。
「お二人をお守りする、とても大切なお役目ですわね」
キラも真面目に頷いた。
「ソープさんだけの時より責任は増えるね」
Xiはキラを見る。
「キラまで真面目に追い込まないで」
ラキシスは、ソープに寄り添うように座っていた。
ソープはそれを見て、柔らかく笑う。
「ラキシス、無理しちゃ駄目だよ。危ないところには行かないでね」
「はい、ソープ様」
ラキシスはとても素直に頷いた。
Xiは、その様子を見て少し眉を寄せる。
「……あの、ラキシス様って」
ログナーが見る。
「何だ」
「実はかなり強いんじゃないの?」
ログナーは即答した。
「強い」
カイエンも頷く。
「少なくとも、ただ守られるだけの存在ではないな」
Xiはソープを見た。
「じゃあ、僕の護衛任務って……」
ソープが不思議そうに言う。
「何を言ってるんだい。ラキシスはか弱いファティマだよ」
Xiは両手で顔を覆った。
「そこ! そこが一番ややこしい!」
ラキシスは、嬉しそうにソープを見上げた。
「ソープ様……」
弥子は胸を押さえる。
「奥様、嬉しそう……!」
ラクスも微笑む。
「愛されていらっしゃるのですね」
Xiは小声で言う。
「現実の戦力評価と旦那様の認識がズレてる……」
ログナーは淡々と答えた。
「陛下がラキシス姫様をか弱いと思っておられる以上、護衛は必要だ」
「護衛対象本人より、旦那様の認識を守る任務になってる!」
ラキシスは、楽しそうに紅茶を口にした。
「それに、街も見たいです」
Xiは嫌な予感がした。
「街?」
「はい。アイスクリーム屋さんにも行きたいです」
弥子が即座に反応した。
「アイス!」
Xiが振り向く。
「弥子ちゃんは絶対そっち側だと思った!」
ラキシスは嬉しそうに言う。
「可愛いお店があると聞きました。アイスをいくつか買いたいです」
ログナーが静かに言った。
「以前も、他国の街中でアイスを多々買いされていた」
Xiが目を閉じた。
「護衛対象としての自由度が高すぎる」
ソープはにこにこしている。
「ラキシスが行きたいなら、僕も行こうかな」
「二人とも行かないで!」
Xiは叫んだ。
「いや、行くならまとまって行って! いや、そもそも行かないで! 護衛計画が崩れる!」
ラキシスは首を傾げる。
「護衛計画?」
Xiは頭を抱えた。
「護衛対象が目的地を増やしていく……」
その時、承太郎がふと周囲を見た。
「……誰かいるな」
ネウロの笑みが深くなる。
「ククク……いるな」
Xiの表情が変わった。
ラキシスは、ほんの一瞬だけ、視線を横へ流した。
ソープは気づいていない。
「ラキシス?」
「少し、風に当たってきます」
ラキシスは、にこりと笑った。
「すぐ戻りますね」
「うん。無理しちゃ駄目だよ」
「はい」
そうしてラキシスは席を立った。
*
その数分後。
冒頭の路地裏である。
ラキシスは、シックスの配下と思われる男を静かに追い詰めていた。
男の額には汗が浮かんでいる。
「俺は……ただ命令で……」
「誰の命令ですか?」
「……」
「シックスですか?」
その名前が出た瞬間、男の顔がわずかに歪んだ。
ラキシスは、それだけで十分だと判断したようだった。
「ソープ様を見張っていた目的は?」
「俺は、ソープを……いや、アマテラスを……」
Xiの背筋が冷えた。
ラキシスの空気が変わった。
それでも、声は静かだった。
「あなた方がXiさんを監視するだけなら、まだ見逃しました」
男は、わずかに安堵しかけた。
だが、ラキシスは続けた。
「ですが」
その一言で、空気が凍った。
「Xiさんを通じてソープ様を探るつもりなら、話は別です」
男の顔が引きつる。
「わ、私は……」
「帝ほど、私は甘くありません」
ラキシスは、通信機を握り潰した。
ぱきり、と小さな音がした。
「これ以上、ソープ様にご迷惑をおかけするなら」
彼女は男を見下ろす。
「ここで処分します」
Xiは、物陰で小さく震えた。
「怖っ」
ラキシスは、男の横を通り過ぎる。
「帰って、伝えなさい。ソープ様の周辺で不用意な真似をすれば、私が見ています、と」
男は、ほとんど転げるように逃げていった。
弥子がぽつりと言う。
「奥様、可愛いけど怖い……」
ラクスは静かに言った。
「大切な方を守るためなら、あれほどの強さをお持ちになるのでしょう」
露伴は、震えるほど目を輝かせていた。
「描きたい」
承太郎が肩を掴む。
「やめろ」
「まだ何も」
「やめろ」
「……分かった」
ラキシスは、何事もなかったように振り向いた。
「皆さま、どうかなさいましたか?」
Xiは声を震わせる。
「いや……今の……」
ラキシスは、人差し指を唇に当てた。
「ソープ様には内緒ですよ?」
Xiは全力で頷いた。
「はい」
弥子も頷いた。
「はい」
露伴は少しだけ黙った。
承太郎が見る。
露伴も頷いた。
「……分かっている」
そこへ、ソープが歩いてきた。
「ラキシス」
ラキシスは、ふわりと笑う。
「はい、ソープ様」
「どこに行ってたの?」
「少し、風に当たっていました」
Xiは顔を引きつらせた。
「今のを“風に当たってた”で済ませるんだ……」
ソープはラキシスの手元を見た。
「大丈夫? 疲れてない?」
「はい。ソープ様が心配してくださるから、元気です」
ソープは本当に安心したように笑った。
「よかった。ラキシスは無理しちゃ駄目だよ」
「はい」
ラキシスは、可憐に微笑んだ。
Xiは、ログナーに小声で言った。
「司令」
「何だ」
「ラキシス姫様って、か弱いんだよね?」
ログナーは答えた。
「陛下の認識ではな」
「我々の認識では?」
「護衛対象であり、戦力としても計算できる」
「やっぱり!」
「ただし、陛下の前では保護対象だ」
「任務難度が高すぎる!」
カイエンが面白そうに笑う。
「まあ、あれをか弱いと思えるのはソープくらいだろうな」
アウクソーが静かに言った。
「大切な方ほど、そう見えてしまうものなのかもしれません」
弥子は感動したように言う。
「それはそれでロマンティック……」
Xiが即座に言った。
「さっきの路地裏を見た後でも!?」
「見た後だからこそ、ギャップが」
「ギャップで済ませるには圧が強かったよ!」
カフェテラスに戻ると、ラキシスはさっそくメニューを覗き込んだ。
「アイスはありますか?」
店員さんが困ったように笑う。
「アイスクリームでしたら、バニラとチョコと季節のベリーがございます」
ラキシスの顔が明るくなる。
「では、全部ください」
弥子も勢いよく手を上げる。
「私も!」
Xiが頭を抱える。
「護衛対象と食欲対象が共鳴した……」
ソープは楽しそうに言う。
「ラキシス、そんなに食べられる?」
「ソープ様も一緒に食べましょう」
「うん」
Xiはその様子を見て、少しだけ安心しかけた。
ラキシスは可愛い。
ソープも嬉しそう。
弥子も楽しそう。
ラクスも微笑んでいる。
平和だ。
たぶん、これは平和だ。
ログナーが、その横で淡々と言った。
「Xi」
「なに?」
「任務内容を正式に更新する」
Xiはスプーンを落としかけた。
「今!?」
「レディオス・ソープ、およびラキシス姫様の護衛。任務期間は当初予定を継続。ただし、外出時の警護範囲を拡大する」
「護衛対象も増えて、範囲も増えた!」
「当然だ」
「当然じゃない!」
ラキシスがにこりと笑った。
「Xiさん、よろしくお願いしますね」
Xiはまた断れなくなった。
「……はい」
弥子が笑う。
「折れた」
「奥様の笑顔は断りづらいんだよ!」
ログナーが続けた。
「報酬は追加する」
Xiはぴたりと止まった。
「追加?」
「フェザーゴールド金貨、一枚」
Xiは一瞬だけ考えた。
かなり真剣に考えた。
そして言った。
「……護衛します」
弥子が叫ぶ。
「折れた!」
キラが苦笑する。
「早かったね」
Xiは胸を張った。
「金貨は強いんだよ!」
ラキシスはくすくす笑っている。
「では、今度は街のアイス屋さんにも連れて行ってくださいね」
Xiは表情を固めた。
「え」
ソープが嬉しそうに言う。
「いいね。僕も行こう」
ログナーが言った。
「警護計画を組む」
Xiは両手で顔を覆った。
「護衛対象が増えた上に、アイス屋遠征が確定した……」
露伴が嬉しそうに言う。
「実に面白い。黄金の騎士の姫君が、街でアイスを多々買いする。そこへ怪盗が護衛として同行する。題材として申し分ないな」
Xiは露伴を睨む。
「先生は同行しなくていい!」
「僕は取材だ」
「護衛対象を増やさないで!」
承太郎が低く言った。
「俺も行くか」
Xiはぱっと顔を上げた。
「承太郎さんが来るなら少し安心!」
ネウロが笑う。
「では、我が輩も行こう」
Xiは即座に叫んだ。
「不安が戻った!」
ラクスは微笑みながら言う。
「賑やかになりそうですわね」
キラも頷く。
「うん。護衛というより、もう一行で出かける感じだけど」
「そこが怖いんだよ」
Xiはアイスを食べるラキシスを見た。
可愛らしい。
上品。
嬉しそう。
まさに、ソープが守りたいと思うのも分かる。
だが、数分前の路地裏も、彼は見ている。
ソープ様を見張っていた目的は?
ここで処分します。
私は帝ほど甘くありません。
Xiは、静かに紅茶を飲んだ。
「……護衛対象が増えるとは思わなかった」
ログナーが言う。
「必要な任務だ」
「ラキシス姫様、普通に強かったよ」
「強い」
「じゃあ僕いらないんじゃ?」
「陛下が安心される」
Xiは黙った。
それは、少しだけ反論しづらかった。
ソープは、ラキシスがアイスを食べるのを嬉しそうに見ている。
ラキシスも、ソープに一口分けている。
弥子はその横で、自分のアイスをすでに半分以上食べている。
ラクスは微笑み、キラは苦笑し、カイエンは面白そうに眺め、ログナーは警護計画を考え、露伴は資料にしようとし、承太郎はそれを監視している。
ネウロは、何か面白い事件にならないか期待している顔だった。
Xiは深くため息を吐いた。
「外注任務、終わる気がしない」
ラキシスが、ふとXiを見る。
「Xiさん」
「はい」
「私も、ソープ様も、よろしくお願いしますね」
その笑顔は、さっきの路地裏とはまったく違っていた。
柔らかく、可愛らしく、ただソープの隣にいたいと願う姫君の笑顔。
Xiは、もう一度ため息をついた。
「……はい。任務として、ちゃんと護衛します」
ラキシスは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
ソープも笑う。
「よかったね、ラキシス」
「はい、ソープ様」
ログナーが短く言った。
「頼んだぞ」
Xiはログナーを見た。
「司令」
「何だ」
「これ以上、護衛対象を増やさないでね」
ログナーは少しだけ黙った。
Xiはその沈黙に震えた。
「そこで黙らないで!」
承太郎が帽子の庇を下げる。
「やれやれだぜ」
ラキシスは、次のアイスを選んでいた。
弥子も一緒に選んでいた。
ソープは幸せそうだった。
そしてXiは理解した。
か弱い姫様は、たしかに守るべき存在だった。
ただし、その姫様は。
必要なら、相手を静かに処分できる。
だからこそ。
護衛対象が増えたこの任務は、以前よりずっと難しくなっていた。