守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「それでは、本日は――」
泉さんは、なぜか妙に背筋を伸ばしていた。
いつものカフェテラス。
テーブルの上には紅茶、珈琲、焼き菓子、フルーツタルト。
そして、弥子の前には当然のように、軽食と呼ぶにはやや戦力過剰なサンドイッチの山がある。
その中央に、二人の女性が向かい合って座っていた。
一人は、世界平和監視機構コンパス総裁、ラクス・クライン。
もう一人は、AKD女王、ギヒ・ラキシス・ファナティック・バランス・アマテラス・グリエス。
泉さんは、少しだけ声を落として続けた。
「世界平和監視機構コンパス総裁と、AKD女王による、非公式会談――」
「重い」
怪盗Xiが即座に言った。
「その言い方をすると、急に歴史の教科書みたいになる」
弥子はタルトを持ったまま頷く。
「でも、実際すごい組み合わせですよね」
キラは苦笑した。
「そうだね。考え始めると、かなり大きな話になる」
承太郎は帽子の庇を下げた。
「考えすぎるな」
ネウロがくつくつと笑う。
「ククク……人間は肩書きを並べるだけで勝手に胃を痛める。便利な生き物だ」
「お前が言うと嫌な説得力があるな」
カイエンがそう言って、紅茶を口に運んだ。
一方、当の二人は穏やかだった。
ラクスは優雅にカップを持ち、ラキシスはソープの隣で嬉しそうに微笑んでいる。
「ラクス様、先日のアイスはとても美味しかったです」
「ラキシス様がお喜びで、わたくしも嬉しかったですわ」
「次はクレープも食べてみたいです」
「ええ。きっとお似合いになりますわ」
弥子が胸を押さえた。
「可愛い会談……!」
Xiが小声で言う。
「肩書きだけなら星団と地球圏が震えるのに、話題がクレープ」
泉さんも小声で返した。
「考えたら負けですね」
「その通りです」
ソープはにこにこしていた。
「ラキシス、楽しそうだね」
「はい。ソープ様」
ラキシスは嬉しそうにソープを見上げる。
「ラクス様とお話しするの、とても楽しいです」
ラクスも微笑んだ。
「わたくしもですわ。ラキシス様は、とても素直で可愛らしい方ですもの」
ラキシスの頬が、ほんの少し赤くなる。
「ありがとうございます」
ソープはその様子を見て、満足そうに頷いた。
「じゃあ、僕は少し席を外すね。ログナーに呼ばれていて」
ラキシスがすぐに顔を上げる。
「ソープ様?」
「すぐ戻るよ」
ソープはやさしく言った。
「ラキシス、無理しちゃ駄目だよ」
「はい、ソープ様」
ラキシスは素直に頷いた。
Xiは、そのやり取りを横目で見ていた。
「……姫様、あの顔だと本当にか弱く見えるんだよなあ」
ログナー司令が、いつの間にか背後に立っていた。
「陛下の前ではな」
「司令、気配なく出るのやめて」
「通常だ」
「通常を見直してほしい」
ソープがログナーと共に席を離れると、カフェテラスの空気が、ほんの少しだけ変わった。
悪い空気ではない。
ただ、ラキシスの視線が、ソープの背中を少しだけ追っていた。
それに気づいたのは、ラクスだった。
「ラキシス様」
「はい」
「少し、寂しそうですわ」
ラキシスは、一瞬だけ瞬きをした。
それから、静かに首を振る。
「寂しい……というより」
言葉を探すように、ラキシスはカップを見つめた。
「少しだけ、羨ましいのです」
弥子が首を傾げる。
「羨ましい?」
ラキシスは、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「はい。皆さんは、ソープ様と一緒に色々な場所へ行かれました」
「六壁坂の別荘とか?」
弥子が言うと、ラキシスの瞳がふっと揺れた。
「はい。六壁坂の別荘。温泉。港町。旅館。防波堤。カフェ。お菓子作り。カレー作りも、あったと聞きました」
Xiが眉を上げる。
「そこまで聞いてるんだ」
「聞きました」
ラキシスは素直に頷く。
「私も、ソープ様と一緒にカレーを作ってみたかったです」
その言い方が、あまりにも素朴だったので。
弥子は、思わず言葉を失った。
ラクスは静かに聞いている。
ラキシスは続けた。
「お菓子作りも。皆さんで材料を用意して、味見をして、失敗しても笑って。そういう時間に、私も混ざってみたかったのです」
「ラキシス様……」
弥子の声が少し柔らかくなる。
「ソープ様が皆さんと楽しそうにしているのが嫌なのではありません」
ラキシスは小さく首を振った。
「ただ、私もそこにいたかっただけです」
泉さんは、少しだけ目を細めた。
「女王様でも、そういうのはあるんですね」
「はい」
ラキシスは素直に答えた。
「AKDの女王でも、ソープ様と一緒に遊びたい時はあります」
その場が、少しだけ静かになった。
弥子は胸を押さえる。
「可愛い……」
ラクスは穏やかに微笑んだ。
「そのお気持ちは、とても自然なものだと思いますわ」
「自然、でしょうか」
「ええ。大切な方と、同じ時間を過ごしたい。特別なことではなく、皆さまと同じことをしたい。それは、とても素敵な願いです」
ラキシスは、少しほっとしたように笑った。
「ラクス様は、お優しいですね」
「わたくしも、同じように思うことがありますもの」
キラが、少し照れたように視線を逸らした。
Xiはそれを見逃さなかった。
「キラ、今ちょっと照れた?」
「照れてないよ」
「照れたね」
ラクスは口元に手を添えて笑った。
「キラは、わたくしが遠慮するとすぐ心配してくださるのです」
キラはさらに視線を逸らした。
「ラクス」
弥子がにやにやする。
「仲良しですねえ」
ネウロが言う。
「ククク……人間の情緒は糖分と同じで、過剰に摂取すると胸やけするな」
「お前は黙っていろ」
カイエンが言った。
ラキシスは、少しだけ勇気を出すようにラクスへ向き直った。
「港町の旅行では、ソープ様はどんなご様子でしたか?」
ラクスは、少し懐かしむように目を細める。
「とても穏やかで、皆さまを気遣ってくださいましたわ。防波堤では、荒れる海と風に語りかけるようにして、凪を作ってくださいました」
ラキシスは嬉しそうに頷く。
「ソープ様らしいです」
弥子も勢いよく言う。
「その後、ラクスさんが歌って、ネウロが変な楽器で伴奏して、怪異を鎮めたんですよ!」
「変な楽器とは何だ」
ネウロが目を細める。
「変な楽器でした!」
「弥子、貴様の表現力は時々残念だな」
ラキシスは楽しそうに笑った。
「楽しそうです」
「怖かったですけど、すごく綺麗でした」
弥子が言う。
「あと、夕食もすごかったです! 大漁で、お刺身とか海の幸がいっぱいで」
Xiが即座に顔をしかめる。
「刺身の話は僕に流れ弾が来るからやめよう」
「バラムツのトラウマですね」
「言わなくていい!」
ラキシスは少し首を傾げる。
「バラムツ?」
カイエンが短く言う。
「シックス製の差し入れだ」
ラキシスの表情が、ほんの一瞬だけ冷えた。
Xiは小声で言った。
「姫様、その顔になると怖いです」
ラキシスは、すぐにふわりと微笑んだ。
「失礼しました」
「戻るの早い……」
泉さんは紅茶を飲みながら、穏やかに訊いた。
「温泉にも行ったんですよね?」
ラキシスの視線が、ぴくりと動いた。
「温泉」
弥子が頷く。
「はい! 東山温泉みたいなところで、旅館に泊まって、夕食食べて、卓球して、温泉入って」
「卓球も?」
「はい。かなり大惨事でした」
カイエンが咳払いした。
「大惨事とは失礼な」
Xiが言う。
「カイエンとネウロの卓球は、普通に大惨事だったよ」
承太郎が短く言う。
「止めに入った」
「ほら!」
弥子が笑う。
ラキシスは、その話を嬉しそうに、少しだけ寂しそうに聞いていた。
「皆さんで、旅館に泊まって……」
ラクスは、その表情を見て、言葉を少し選んだ。
「次は、ラキシス様もご一緒できるとよろしいですわね」
「はい」
ラキシスは小さく頷いた。
「私も、旅館に泊まってみたいです。ソープ様と一緒に」
泉さんが微笑む。
「それは普通に良いと思います」
弥子も頷く。
「絶対楽しいですよ! 浴衣とか着て、卓球して、お風呂入って」
そこで、弥子は何気なく言った。
「そういえば、ソープダッシュ様と一緒にお風呂入った時もありましたよね」
空気が止まった。
キラが「あっ」という顔をした。
ラクスも、一瞬だけ目を伏せた。
Xiはゆっくり弥子を見た。
「弥子ちゃん」
「はい」
「今、地雷かもしれない」
弥子の顔が青くなる。
「えっ」
ラキシスは、静かに弥子を見た。
「ソープ様と、一緒に……?」
声は静かだった。
静かすぎた。
弥子は慌てた。
「あ、いえ、その、みんなでの旅行中の流れで! 変な意味ではなく!」
ラクスも上品に補足する。
「ええ。あれは旅の中での出来事で、皆さまが同じ宿に泊まり、温泉を楽しむ流れの一部でしたの」
「温泉」
ラキシスは小さく繰り返した。
そして、少しだけ唇を尖らせた。
「……いいですね」
その「いいですね」は、さっきまでと少し違った。
弥子が震える。
「ラキシス様……?」
ラキシスは、俯いたまま言った。
「私だって」
「はい?」
「私だって、ソープ様と一緒にお風呂入りたいです」
泉さんが、あまりにも自然に訊いた。
「夫婦なのに?」
ラキシスの顔が、みるみる赤くなった。
「……はい」
声が小さくなった。
「夫婦、なのに……」
弥子は両手で口を押さえた。
「可愛い!!」
Xiも思わず言った。
「これは可愛い」
カイエンが肩を震わせている。
「ソープらしいな」
Xiが突っ込む。
「大切にしすぎて手を出さない方向のやつ?」
「否定はしない」
ラキシスは赤い顔のまま、小さく言った。
「ソープ様は、優しいのです」
ラクスはやわらかく微笑む。
「ええ」
「とても大切にしてくださいます。無理をするなと、危ないところには行くなと、いつも言ってくださいます」
「素敵ですわ」
「でも」
ラキシスは、少しだけ膝の上で手を握った。
「私も、ソープ様と同じところに行きたいです。同じものを見て、同じものを食べて、同じお湯に入って、同じ時間を過ごしたいです」
その言葉に、誰もすぐには茶化せなかった。
ラクスは静かに頷いた。
「ラキシス様」
「はい」
「きっと、素直にお願いされればよいと思いますわ」
「素直に?」
「ええ。ソープ様は、ラキシス様を大切に思っていらっしゃいます。だからこそ、少し慎重になりすぎるのかもしれません」
ラキシスは、目を伏せる。
「慎重に……」
「でも、大切な方に『一緒にいたい』と言われて、嬉しくない方はいらっしゃらないと思います」
キラが小さく頷いた。
「うん。たぶん、ソープさんも嬉しいと思う」
ラキシスは、そっとキラを見た。
「本当ですか?」
キラは少し照れながらも答えた。
「はい。少なくとも僕なら……嬉しいです」
ラクスが、少しだけ嬉しそうにキラを見た。
弥子が小声で言う。
「今のもロマンティック」
Xiが頷く。
「今日の会談、どんどん恋愛相談になってる」
泉さんは言った。
「二大巨頭会談というより、女子会ですね」
「肩書きだけは重い女子会」
Xiが呟く。
その時、ソープが戻ってきた。
「ただいま」
ラキシスが、びくっと顔を上げる。
「ソープ様」
ソープはラキシスの赤い顔を見て、心配そうに近づいた。
「ラキシス、大丈夫? 熱がある?」
「い、いえ」
ソープは本気で心配している。
「無理しちゃ駄目だよ。少し休む?」
Xiは小声で言った。
「過保護モード入った」
ログナーが小さく頷く。
「通常だ」
ラキシスは、両手をぎゅっと握った。
ラクスがそっと微笑む。
弥子は息を殺して見守る。
泉さんは、なぜか編集者の顔で展開を見ている。
露伴はペンを出そうとして、承太郎に無言で止められた。
ラキシスは、勇気を出すように言った。
「ソープ様」
「うん?」
「今度、私も……一緒にお風呂に入りたいです」
沈黙。
ソープは、少しだけ瞬きをした。
ラキシスの顔は真っ赤だった。
「駄目、でしょうか」
ソープは、ふっと笑った。
「いいよ」
ラキシスが固まった。
「……えっ」
「ラキシスがそうしたいなら、いいよ」
あまりにもあっさりしていた。
ラキシスは、目をぱちぱちさせる。
「よろしいのですか?」
「もちろん。ラキシスが一緒に入りたいなら」
ソープは本当に不思議そうに言った。
「言ってくれればよかったのに」
その瞬間、ラキシスの顔がさらに赤くなった。
弥子が小さく叫ぶ。
「可愛い!!」
Xiは額を押さえた。
「悩んでたの、姫様だけだった……」
泉さんが静かに言う。
「夫婦なのにね」
「泉さん、追撃が的確」
ソープはまだ少し心配そうだった。
「ラキシス?」
ラキシスは、小さく頷いた。
「はい……嬉しいです」
ソープはやさしく笑う。
「じゃあ、次の旅行では一緒に入ろうか」
ラキシスは、ぱっと顔を上げた。
「次の旅行」
「うん。ラキシスも一緒に。カレーも作ろう。お菓子作りも、温泉も、アイスも」
ラキシスの瞳が、きらきらと輝いた。
「ソープ様……!」
弥子が即座に手を挙げる。
「じゃあ次はお菓子作りですね!」
Xiが叫ぶ。
「また護衛対象の行動予定が増えた!」
ログナーが淡々と言う。
「警護計画を組む」
「組まないで! いや組まないと危ないけど!」
ラクスは微笑んだ。
「とても楽しそうですわ」
キラも苦笑しながら頷く。
「うん。きっと賑やかになるね」
カイエンが言う。
「卓球は控えめにするか」
承太郎が低く言った。
「そうしてくれ」
ネウロが笑う。
「ククク……今度はラキシスが加わるのか。魔界より混沌としてきたな」
「お前が言うな」
弥子が即座に返した。
ラキシスは、まだ少し赤い顔のまま、ソープの隣に座り直した。
ソープは、何も知らないように、ただ嬉しそうに彼女を見る。
「ラキシス、楽しみだね」
「はい、ソープ様」
その声は、先ほどまでよりずっと明るかった。
ラクスは、それを見て静かに笑った。
「よかったですわ」
ラキシスは、ラクスに向き直る。
「ラクス様」
「はい」
「ありがとうございます」
「わたくしは、少しお話ししただけですわ」
「でも、背中を押してくださいました」
ラクスは優しく言った。
「それなら、わたくしも嬉しいです」
弥子は小声で言った。
「二大巨頭会談、いい話になった……」
Xiが頷く。
「政治的には考えたら負けだけど、情緒的には勝ち」
泉さんが紅茶を飲みながら言った。
「ただし、次の旅行計画と予算とカロリー計算は必要です」
Xiは呻いた。
「現実が戻ってきた」
ログナーが短く言う。
「必要な視点だ」
「司令、その台詞ほんと好きですね」
露伴は、ようやくペンを走らせた。
「ラキシスは少しだけ羨ましい、か」
Xiが振り向く。
「先生、タイトルを持っていかない!」
「いいタイトルだろう」
「それはそう!」
承太郎が帽子の庇を下げる。
「やれやれだぜ」
カフェテラスには、穏やかな午後の光が差していた。
世界平和監視機構コンパス総裁と、AKD女王。
肩書きだけなら重すぎる二人は、紅茶とお菓子を前に、静かに笑い合っている。
政治でも、戦争でも、国家でもなく。
今日はただ、大切な人と一緒に過ごしたいという話だった。
ラキシスは、ソープの隣で小さく呟いた。
「次は、一緒に」
ソープが聞き返す。
「うん?」
ラキシスは、嬉しそうに微笑む。
「何でもありません」
Xiは、それを見て少しだけ肩の力を抜いた。
護衛対象は増えた。
予定も増えた。
たぶん、厄介ごとも増える。
でも。
ラキシスが少しだけ羨ましがって、少しだけ素直になって、そして少しだけ幸せそうに笑ったのなら。
まあ、今日くらいは悪くない。
そう思った瞬間、ログナーが言った。
「次回の護衛報酬は要調整だな」
Xiはすぐに反応した。
「金貨二枚以上でお願いします」
「検討する」
「そこは即答で!」
ラキシスがくすくす笑った。
ソープも笑った。
ラクスも、キラも、弥子も笑った。
カフェテラスの午後は、まだ少しだけ甘かった。