守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「イタリアン大好きです」
桂木弥子は、きっぱりと言った。
いつものカフェテラス。
ラキシスが「今度は、私も皆さんと一緒にお料理をしてみたいです」と言った、
その数日後だった。
弥子の目は、すでに料理の段取りを見ていた。
「パスタなら、みんなで作れますよ! トマトソース、クリーム、和風、ペペロンチーノ、ミートソース、あとラザニアとか!」
ネウロが、紅茶のカップを片手にくつくつと笑う。
「クク……食べられるものなら何でも、の間違いでは?」
「違います! イタリアンが好きなんです!」
「食えるからだろう」
「そうですけど!」
弥子は否定しきれず、しかし胸を張った。
「でも、パスタパーティは本当にいいと思うんです。みんなでどこかのキッチンを借りて、材料を切って、ソース作って、味見して!」
ラキシスの顔が、ぱっと明るくなる。
「パスタパーティ……」
ソープもにこにこと頷いた。
「楽しそうだね。ラキシスが作りたいなら、僕も手伝うよ」
「ソープ様……!」
ラキシスは嬉しそうに両手を合わせた。
ラクスも微笑む。
「皆さまでお料理をするのは、きっと楽しいですわ」
キラが少し現実的な顔で言う。
「火元と刃物の管理はちゃんとしようね」
泉さんも頷いた。
「あと、カロリーと量も。弥子さん基準で作ると、人数分の計算が崩れます」
「泉さん!」
弥子が抗議する。
Xiは、その横で腕を組んだ。
「護衛導線、キッチンの出入り口、火元、刃物、食材の搬入経路、それから――」
一同がXiを見る。
Xiは、真顔で言った。
「シックス製品禁止」
その瞬間。
店員さんが、少し困った顔でカフェテラスにやって来た。
「すみません。Xi様宛てに、お荷物が届いております」
Xiは、天を仰いだ。
「今、禁止って言ったばかり!!」
店員さんが持ってきたのは、小さな木箱だった。
黒い包装紙。
銀色の六角形。
無駄に上品なリボン。
差出人は、書かれていない。
だが、全員が分かっていた。
Xiは箱を見て、深々とため息を吐いた。
「クソ親父……」
ラキシスの表情が、ふっと消えた。
「シックス……ですね」
その声は静かだった。
静かすぎた。
キラが小さく身構える。
「ラキシス様?」
ラキシスは、にこりと微笑んだ。
「大丈夫です」
パキ。
小さな音がした。
ラキシスの手元のスプーンが、綺麗に二つに折れていた。
弥子が固まる。
「スプーンが……」
ラキシスは穏やかに言った。
「劣化していたみたいです」
キラが小声で呟いた。
「……怖っ」
Xiは箱を見つめたまま言う。
「ラキシス姫様が怒ると、シックス製品より怖い可能性がある……」
ログナー司令は、いつの間にか近くに立っていた。
「開封は慎重に行え」
Xiは驚きもせず言った。
「司令、また気配なく出たね」
「通常だ」
「その通常を見直して」
承太郎がスタープラチナを出す。
「開けるぞ」
Xiは頷いた。
「お願い。素手禁止。匂いを嗅がない。味見しない。弥子ちゃんに渡さない。露伴先生に渡さない」
露伴が不満そうにスケッチブックを開く。
「僕を弥子くんと同じ扱いにするな」
弥子も抗議する。
「私もです!」
Xiは即答した。
「危険物の前では、食欲と好奇心は同じくらい危ない」
ネウロが愉快そうに笑う。
「正しい判断だな」
「ネウロに肯定されるのも嫌だな……」
スタープラチナが、木箱を慎重に開けた。
中から出てきたのは、細長いガラス瓶だった。
深い緑色のボトル。
ラベルには、金文字でこう書かれている。
HEXA EXTRA VIRGIN OLIVE OIL
至高のオリーブオイル
弥子の目が、一瞬だけ輝いた。
「オリーブオイル……!」
Xiが即座に振り向く。
「弥子ちゃん、戻ってきて!」
「でも、パスタにオリーブオイルは必須ですよ!」
「普通のオリーブオイルならね!」
Xiは瓶を指差した。
「これはシックス製!」
弥子は現実に戻った。
「あっ」
「その一瞬が危ないんだよ!」
ラキシスは、瓶を静かに見つめていた。
「ソープ様のお料理には、使わせません」
声が柔らかいのに、温度が低い。
ソープは首を傾げた。
「ラキシス?」
「はい、ソープ様。何でもありません」
ラキシスは、すぐにふわっと微笑んだ。
Xiは小声で言う。
「姫様、切り替えが早い……」
箱の中にはカードが入っていた。
Xiは、心底嫌そうな顔でそれを手に取る。
「読むよ。全員、食欲を抑えて」
弥子が小さく頷く。
「はい」
Xiはカードを読み上げた。
「『我が子へ。
君たちが料理を楽しむと聞いた。
パスタには、よい油が必要だろう。
我が一族自慢の庭で育てたオリーブの木から搾った、至高のオリーブオイルだ。
慣れると癖になる。
香り高く、サラダにもパンにも肉料理にも合う。
ただし常人が口にすれば、全身の摩擦係数が限りなくゼロに近づき、
三日ほどドアノブも箸もスマートフォンもまともに掴めなくなるがね。
滑らかな人生を楽しみたまえ。』」
Xiはカードを伏せた。
「滑らかな人生じゃなくて生活不能だよ!」
弥子が想像して、顔を引きつらせる。
「ドアノブも掴めない……」
キラが真顔で言った。
「スマホも持てないなら、かなり困るね」
泉さんも眉を寄せる。
「箸も持てないなら、食事も大変です」
弥子が青ざめる。
「食事が……!」
Xiは頷く。
「そこが一番響いたね」
ネウロが愉快そうに言う。
「ククク……掴めぬ地獄か。人間の生活は摩擦に支配されているのだな」
「物理の授業みたいに言わないでください!」
弥子が叫ぶ。
ラクスは困ったように瓶を見つめた。
「香り高い調味料の形をしているだけに、余計に悪趣味ですわね」
ラキシスは静かに頷く。
「ソープ様の近くに、このようなものを……」
パキ。
今度は、折れたスプーンの片割れが、さらに小さく割れた。
キラが少し後ずさる。
「……違う意味で怖い」
ソープは不思議そうにラキシスを見る。
「ラキシス、手を痛めてない?」
「大丈夫です、ソープ様。スプーンが劣化していただけです」
「そう?」
「はい」
Xiは小声で言った。
「劣化ということにしておこう。平和のために」
ログナーは瓶を見ていた。
「成分の検査は必要だな」
Xiが言う。
「食用としては使用禁止」
「当然だ」
「当然って言ってくれると安心する」
ログナーは続けた。
「工業用潤滑剤としては検討の余地がある」
Xiは即座に叫んだ。
「安心を返して!」
キラも瓶を見ながら、つい技術者の顔になっていた。
「でも、摩擦係数をそこまで下げるなら、機械部品の潤滑には……」
Xiがキラを指差す。
「キラ、その顔!」
キラははっとした。
「ごめん」
「技術屋の顔でシックス製品を見ないで! 前にもシャンプーが排水溝洗浄剤として役立ったんだから、危険物が実用化される流れは怖いんだよ!」
弥子が頷く。
「でも、排水溝は綺麗になりましたよね」
「弥子ちゃんまで!」
ネウロは笑う。
「人間の世界では、毒と薬は紙一重と言うな」
Xiは瓶を見る。
「これは毒と潤滑油が紙一重なんだよ」
カイエンが面白そうに言った。
「ミラージュの関節部には使えんのか」
Xiが振り向く。
「カイエンまで!」
ログナーは真面目に答える。
「使用前に試験が必要だ。床材や保持装置への影響も確認する」
「試験する前提で話さないで!」
露伴が、ラベルをじっと見ている。
「しかし、“全身の摩擦係数がゼロ”というのは絵になるな。人物がドアノブを掴めずに滑り続ける構図……」
Xiが即座に言う。
「先生、描かない!」
「まだ描いていない」
「今、頭の中で描いたでしょ」
「描いた」
「認めた!」
弥子は、少しだけ未練がましそうにオリーブオイルを見ていた。
「でも、ペペロンチーノには……」
泉さんがびしっと言った。
「市販品を買います」
ラキシスも頷く。
「普通のオリーブオイルを使いましょう」
Xiは強く頷いた。
「普通が一番。メーカー名、賞味期限、原材料、全部確認する」
弥子が小声で言う。
「そこまで……」
「シックス製品を経験した人類は、オリーブオイルの表示を見るようになるんだよ」
ソープはにこにこしていた。
「じゃあ、パスタパーティは普通の油でやろうか」
ラキシスの顔が明るくなる。
「はい、ソープ様!」
弥子も元気を取り戻す。
「ペペロンチーノ、トマトソース、ミートソース、カルボナーラ!」
泉さんがすぐに言う。
「作る種類は絞りましょう」
「泉さん!」
「キッチンの広さと時間とカロリーの問題です」
Xiが感心する。
「泉さん、またブレーキ役として優秀」
「誰かが止めないと、弥子さんとラキシス様が全種類に行きます」
ラキシスは少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「全部、少しずつ比べてみたかったのですが」
「姫様もそっち側だった」
Xiが頭を抱える。
ラクスは優しく言った。
「でも、皆さまで作るなら、少しずつ分け合えばよろしいですわ」
キラが頷く。
「うん。量を決めておけば大丈夫だと思う」
弥子が目を輝かせる。
「なるほど、シェア!」
泉さんが即座に釘を刺す。
「弥子さんの“少しずつ”は、大皿基準になりがちなので注意です」
「信用がない!」
「実績です」
承太郎が短く言う。
「やれやれだぜ」
その後、至高のオリーブオイルは厳重に封印された。
瓶そのものを二重の容器に入れ、さらにログナーが管理することになった。
Xiは念を押す。
「食用には絶対に使わないでね」
ログナーは頷いた。
「使わん」
「床にも垂らさないでね」
「当然だ」
「ミラージュの整備で使う時も、先に僕に言って」
「必要ならな」
「必要になる前提なのが怖い!」
キラが少しだけ考え込む。
「本当に摩擦係数を制御できるなら、逆にかなり高度な――」
ラクスがそっとキラを見る。
「キラ」
キラはすぐに口を閉じた。
「……考えないようにする」
Xiは胸を撫で下ろした。
「ラクス、助かった」
ラキシスは、ソープの袖をそっとつまんだ。
「ソープ様」
「うん?」
「パスタパーティ、楽しみです」
ソープはやさしく笑った。
「僕も楽しみだよ。ラキシスと一緒に作ろう」
ラキシスの頬が、少しだけ赤くなる。
「はい」
弥子が胸を押さえる。
「甘い……! パスタ前なのに甘い!」
ネウロが言う。
「糖分と油分の過剰摂取だな」
「ネウロは黙っててください!」
Xiは、封印された瓶を見て、もう一度ため息を吐いた。
「クソ親父……料理のタイミングで調味料を送ってくるな」
露伴が言う。
「タイミングとしては完璧だったな」
「嫌がらせとしてね!」
泉さんはメモ帳を取り出す。
「パスタパーティの買い出しリストを作りましょう。オリーブオイルは市販品。普通のもの。念のため、購入者は複数人で確認」
Xiが頷く。
「それ採用」
弥子が手を挙げる。
「ニンニクと唐辛子も!」
ラキシスも小さく手を挙げる。
「トマトと、チーズも」
Xiが少し警戒する。
「チーズは普通のやつね。シックス製の至高のチーズは駄目」
弥子が真顔になる。
「匂いで記憶が飛ぶやつですね」
「思い出させないで」
ラキシスの表情が、また少し冷えた。
「シックス……」
パキ。
三つ目のスプーンが折れた。
キラが呟く。
「カフェのスプーン、何本折れるんだろう……」
ラキシスは、にこりと微笑んだ。
「劣化していたみたいです」
Xiは小声で言った。
「この店のスプーン、今日は劣化が激しいね」
承太郎が帽子の庇を下げる。
「そういうことにしておけ」
「はい」
結局、その日の結論は明快だった。
パスタパーティは開催する。
ラキシスもソープと一緒に料理をする。
弥子は量を抑える努力をする。
泉さんが献立とカロリーのブレーキ役をする。
Xiは護衛と食材確認を担当する。
そして、シックス製の至高のオリーブオイルは、絶対に料理に使わない。
カフェテラスの帰り際。
ラキシスは嬉しそうにソープに言った。
「ソープ様、ペペロンチーノというもの、楽しみです」
「うん。ラキシスが作るなら、きっと美味しいよ」
「ソープ様も一緒です」
「もちろん」
その甘いやり取りを聞きながら、Xiはログナーに言った。
「司令」
「何だ」
「パスタパーティ護衛、報酬は?」
ログナーは少しだけ考えた。
「金貨二枚」
Xiは即座に言った。
「調理場の安全確認とシックス製品検査込みなら、三枚」
ログナーが見る。
「交渉するようになったな」
「学習したんだよ」
ラキシスがくすくす笑う。
「Xiさん、ありがとうございます」
Xiは少しだけ言葉に詰まった。
「……任務ですから」
弥子がにやにやする。
「嬉しそう」
「嬉しくない」
「本当に?」
「……ペペロンチーノは、普通に楽しみ」
ネウロが笑った。
「ククク……食べられるものなら何でも、か」
弥子が即座に振り返る。
「それは私の台詞じゃないですか!」
Xiは、封印されたオリーブオイルの箱を見ながら、最後に呟いた。
「オリーブオイルまで信用できなくなる日が来るとは思わなかった」
ログナーが短く言った。
「シックス製だからだ」
Xiは頷いた。
「それで全部説明できるのが、本当に嫌だ」
カフェテラスの午後は、パスタの予定と、折れたスプーンと、
封印された危険物を残して終わった。
なお、普通のオリーブオイルは、
その後、泉さん立ち会いのもとで購入されることになった。
ラキシスは嬉しそうだった。
弥子も嬉しそうだった。
ソープも嬉しそうだった。
Xiだけは、買い物リストの一番上に、大きくこう書き足した。
「シックス製ではないこと」
それが、今回いちばん大切な調味料だった。