守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「手荒れ対策も必要ですね」
泉さんは、買い出しリストに丁寧な字でそう書き加えた。
いつものカフェテラス。
テーブルの上には、パスタパーティ用の買い出しメモが広げられている。
トマト。
ニンニク。
唐辛子。
パスタ麺。
普通のオリーブオイル。
普通のチーズ。
普通の食器用洗剤。
普通のスポンジ。
普通のキッチンペーパー。
そして、何度も赤線を引かれた一文。
シックス製ではないこと。
Xiは、その一文を指で叩いた。
「ここ、最重要だからね」
弥子が元気よく頷く。
「はい! 普通の食材で、普通に美味しいパスタパーティです!」
ネウロが、くつくつと笑った。
「クク……貴様の場合、“普通に美味しい”の後ろに“大量に”が付くだろう」
「付きません!」
泉さんが静かに言った。
「付きますね」
「泉さんまで!」
ラキシスは、リストを嬉しそうに眺めていた。
「ソープ様と一緒にお料理……」
ソープはにこにこと微笑む。
「楽しみだね、ラキシス」
「はい、ソープ様」
ラキシスは小さく頷いた。
その様子を見て、弥子は胸を押さえる。
「甘い……パスタ作る前から甘い……!」
Xiは言った。
「糖分だけでなく油分も控えめにお願いします」
泉さんが真顔で頷く。
「本当に。オリーブオイルは普通のものを必要量だけです」
キラは、少し申し訳なさそうに笑った。
「前回の至高のオリーブオイルは、使い道を間違えると大変そうだったからね」
「使い道を考えなくていいんだよ、キラ」
Xiはすかさず釘を刺した。
「摩擦係数ゼロになるオイルなんて、料理にも整備にも使わない。封印。終了」
ログナー司令が、いつものように近くに立っていた。
「工業用潤滑剤としての試験は保留中だ」
「保留じゃなくて中止して!」
「検討する」
「検討しないで!」
弥子がリストに視線を戻す。
「でも、洗い物もけっこう出ますよね。大皿とか鍋とか」
泉さんが頷いた。
「そうです。だから食器用洗剤とスポンジも必要です。水仕事をするなら、手荒れ対策のハンドクリームもあった方がいいですね」
ラキシスが自分の手を見た。
「手荒れ……」
ソープが、すぐに心配そうな顔になる。
「ラキシスの手が荒れたら大変だね」
ラキシスは嬉しそうに頬を染める。
「ソープ様……」
Xiは、そのやり取りを見ながら言った。
「じゃあ、普通のハンドクリームを買おう。ドラッグストアで売ってる普通のやつ。普通のメーカーの、普通の保湿用のやつ」
弥子が頷く。
「普通のやつですね!」
泉さんもメモを取る。
「購入時に成分表示とメーカー名を確認します」
「そこまでやるの?」
弥子が言うと、Xiは真顔で返した。
「シックス製品のせいで、人類は成分表示を見るようになったんだよ」
その瞬間。
店員さんが、やや困った顔でカフェテラスにやって来た。
「すみません。Xi様宛てにお荷物が届いております」
Xiは、椅子にもたれた。
「だから、先に“普通の”って言うと来るのやめて!!」
店員さんがテーブルに置いたのは、小さな白い箱だった。
これまでの黒い箱とは違い、上品な薄いクリーム色の包装紙。
淡い金色のリボン。
一見すると、女性向けの高級化粧品のように見える。
ただし、隅には銀色の六角形。
Xiは額を押さえた。
「色を変えても分かるんだよ、クソ親父……」
ラキシスの表情が、ふっと消えた。
「また、シックスから……?」
パキ。
テーブルの上に置かれていた小さなティースプーンが、真ん中から綺麗に折れた。
キラが小声で言う。
「……今日はスプーンじゃなくて、ティースプーンが」
ラキシスは、穏やかに微笑んだ。
「劣化していたみたいです」
Xiは小声で返す。
「このカフェ、最近カトラリーの劣化が激しいね」
承太郎が帽子の庇を下げる。
「そういうことにしておけ」
「はい」
スタープラチナが箱を開けた。
中から出てきたのは、小さなチューブだった。
白と金のパッケージ。
高級感のあるロゴ。
ラベルには、流麗な文字でこう書かれている。
HEXA HAND CREAM
至高のハンドクリーム
弥子が一瞬、普通に感心した。
「見た目は普通に良さそう……」
Xiが即座に振り向く。
「弥子ちゃん、その反応が危ない!」
「でも、手荒れ対策には……」
「普通のならね! これはヘキサクス製!」
弥子は現実に戻った。
「あっ」
「その“あっ”が毎回怖いんだよ!」
箱の中にはカードが入っていた。
Xiは、すでに嫌な顔をしながら読み上げる。
「『我が子へ。
料理の準備には、手の手入れも必要だろう。
水仕事、洗い物、刃物、火元。手は多くのものに触れる。
我が一族自慢の薬草園で採れた保湿成分を練り込んだ、
至高のハンドクリームだ。慣れると癖になる。
ひと塗りすれば、手肌は驚くほどしっとりと潤い、乾燥とは無縁になる。
ただし常人が使うと、三日ほど手に触れた物が離れなくなり、
コップ、箸、ドアノブ、スマートフォンと人生を共にすることになるがね。
大切なものは、手放さない方がよい。』」
Xiはカードを伏せた。
「大切なものとドアノブを同列にするな!!」
弥子が両手を見つめる。
「ドアノブが手から離れない……」
泉さんが眉を寄せる。
「洗い物中にスポンジが離れないのは、かなり困りますね」
キラも真顔で言う。
「工具が離れないと整備中は危険だね」
Xiが指差した。
「キラ、技術屋の具体例が出るの早い!」
キラは少し反省したように言う。
「ごめん。でも本当に危ないと思って」
「そこは正しい」
ネウロが楽しげに笑った。
「ククク……前回は掴めぬ地獄。今回は離せぬ地獄か」
弥子が「あ」と声を出す。
「前回のオリーブオイルは、ドアノブも掴めなくなるんでしたよね」
Xiは強く頷いた。
「そう。今回はドアノブが手から離れなくなる」
少し間を置いて、彼は叫んだ。
「両極端なんだよ!!」
カイエンが面白そうに笑う。
「摩擦係数ゼロの次は、過剰接着か」
「カイエン、そういう整理しないで!」
ログナーがチューブを見た。
「工業用の仮固定剤としては検討の余地がある」
Xiはすぐ振り返った。
「司令! ハンドクリームを接着剤扱いしないで!」
「仮固定だ」
「言い換えても嫌!」
キラが、ついチューブを見てしまう。
「でも、もし接着ではなく表面摩擦を一時的に高める仕組みなら、機体の仮保持とか、作業用グローブのグリップ補助に……」
ラクスがそっと言った。
「キラ」
キラはすぐ口を閉じた。
「……考えないようにする」
Xiは胸を撫で下ろした。
「ラクス、ありがとう。今日も助かった」
ラキシスは、チューブを静かに見つめていた。
「手から離れなくなる……」
ソープが心配そうに彼女を見る。
「ラキシス?」
ラキシスは、少し頬を染めた。
「ソープ様の手なら、少しだけ……」
Xiが即座に言った。
「姫様、それはこのクリームを使わずに普通につないでください!」
弥子は胸を押さえる。
「ロマンティック!」
泉さんはすかさず言った。
「副作用で手をつなぐのは違います」
「泉さんのブレーキが的確すぎる」
Xiが言うと、泉さんは当然という顔をした。
「当たり前です。手から物が離れなくなるクリームでロマンを補強してはいけません」
ソープは、ラキシスの手をそっと取った。
「ラキシス。手をつなぎたいなら、普通につなごう」
ラキシスの顔が一気に赤くなる。
「ソープ様……」
弥子が小さく叫ぶ。
「甘い!!」
ネウロが顔をしかめた。
「胸やけするな」
「ネウロでも!?」
Xiは言った。
ラキシスは、ソープと手をつないだまま、幸せそうに微笑んでいる。
そして、そのもう片方の手元で。
パキ。
またティースプーンが折れた。
キラが呟く。
「幸せでも折れるんだ……」
ラキシスは微笑んだ。
「劣化していたみたいです」
Xiは言った。
「このカフェ、ティースプーンの在庫大丈夫かな」
露伴は、チューブとラキシスと折れたスプーンを交互に見ていた。
「実に面白い」
Xiが警戒する。
「先生、何がですか」
「前回は滑って掴めない。今回はくっついて離せない。対になる小道具として非常に優れている」
「小道具扱いしないでください」
「しかも、そこに夫婦の手つなぎが重なる。構図が良い」
「姫様の照れ顔を資料にしない!」
「もう見た」
「見ないで!」
承太郎が無言で露伴の肩を掴んだ。
「ほどほどにしろ」
露伴は不満そうに言う。
「承太郎、僕はただ観察を」
「ほどほどにしろ」
「……分かった」
弥子は、ハンドクリームの箱を見て言った。
「これ、もし間違って使ったら、料理どころじゃないですね」
泉さんが頷く。
「包丁が手から離れない、鍋つかみが離れない、洗剤ボトルが離れない。全部危ないです」
Xiは真顔で言った。
「パスタパーティ前に届いたの、本当に嫌らしい」
ログナーが言う。
「タイミングは狙われている可能性が高い」
「やっぱり?」
「過去の配送履歴から見ても、行動予定に合わせている」
Xiは天を仰いだ。
「クソ親父、生活に密着した嫌がらせが上手すぎる」
ラキシスの表情が、また少し冷えた。
「生活に、ですか」
Xiは慌てて両手を振る。
「姫様、スプーンもう残り少ないと思うので、その顔は控えめに!」
パキ。
「遅かった……」
ラキシスは、穏やかに言う。
「劣化していたみたいです」
キラは小さく数えた。
「今日だけで三本……いや四本?」
「数えないで」
Xiが言った。
「現実になるから」
処分方法について、会議が始まった。
「燃やすのは?」
弥子が言う。
Xiは首を振る。
「保湿成分の煙とか、吸ったら何が手から離れなくなるか分からない」
「捨てるのは?」
泉さんが言う。
「誰かが拾って使う可能性がある」
「水で流すのは?」
キラが言った。
「排水管の内側に何かが貼り付く可能性がある」
Xiは顔をしかめた。
「排水管が手を離さないとか嫌すぎる」
ネウロが笑う。
「排水管に手はないがな」
「そういう問題じゃない!」
ログナーが結論を出した。
「封印する。試験は管理下で行う」
Xiは即座に言った。
「試験するんだ」
「必要ならな」
「必要にならないで」
「工業用仮固定剤としての価値はある」
「またヘキサクス製品が役に立ちそうになる流れ!」
キラが少しだけ視線を逸らす。
Xiはそれを見逃さない。
「キラ、今ちょっと興味あったでしょ」
「少しだけ」
「正直!」
「でも、使わない方がいいと思う」
ラクスが微笑んだ。
「それでよろしいと思いますわ」
ハンドクリームは、二重三重に封印された。
ラキシスが確認する。
「ソープ様のお手には触れませんね?」
ログナーが頷く。
「触れさせません、ラキシス姫様」
「なら、よろしいです」
Xiは小声で言う。
「姫様、基準が明確」
ソープは不思議そうに笑った。
「ラキシスは心配性だね」
「ソープ様のためです」
「ありがとう」
また甘い空気が流れた。
弥子が小さく震える。
「甘い……手荒れ対策の話なのに甘い……」
泉さんが冷静に言う。
「でも、普通のハンドクリームは必要です」
Xiが即座に頷く。
「買い直し。普通のやつを、ドラッグストアで、泉さん立ち会いで」
「私が確認します」
泉さんは買い出しリストに書き加えた。
普通のハンドクリーム。ヘキサクス製不可。
弥子がその文字を見て言う。
「もう、全部に“ヘキサクス製不可”って書いた方がいいんじゃないですか?」
Xiは頷いた。
「それ採用」
キラが苦笑する。
「買い出しリストというより、危機管理リストだね」
「パスタパーティは楽しい行事のはずなんだけどね」
Xiは疲れた声で言った。
その後、実際に一行はドラッグストアへ向かった。
Xiは入口でまず店内を確認した。
「ヘキサクス製品、なし」
泉さんが棚を見る。
「普通のハンドクリーム、無香料タイプ。水仕事向け。これでいいと思います」
ラキシスが手に取る。
「シックス製ではありませんね?」
「はい」
泉さんが断言する。
「普通の国内メーカーです」
Xiが頷く。
「よし」
ソープはラキシスに言う。
「これなら安心だね」
「はい、ソープ様」
ラキシスは嬉しそうにそれをカゴへ入れた。
弥子は隣の棚を見ていた。
「キッチンペーパーも買いましょう! あと使い捨て手袋と、予備のスポンジと」
泉さんが頷く。
「いいですね。あと、パスタの量を再確認しましょう」
弥子が動きを止めた。
「えっ」
「人数分です」
「人数分より少し多めに」
「少し、の定義を確認しましょう」
Xiは感心した。
「泉さん、やっぱりブレーキ役として優秀」
ネウロが言う。
「弥子の食欲を制御できる人間は貴重だな」
「制御されてません!」
「されろ」
「ひどい!」
買い出しの帰り道。
Xiは封印された至高のハンドクリームのことを思い出し、深くため息を吐いた。
「オリーブオイルは掴めない。ハンドクリームは離せない」
弥子が言う。
「本当に両極端でしたね」
「両極端なんだよ」
Xiはもう一度、力なく言った。
「日用品で物理法則をいじるな、クソ親父……」
ログナーが言う。
「次に何が来るかは不明だ」
「来ないでほしい」
「だが、備える必要はある」
「備えたくないけど、備えないともっと怖い」
ラキシスは、普通のハンドクリームを大事そうに持っていた。
「ソープ様」
「うん?」
「パスタパーティの時、これを使ってもよろしいですか?」
「もちろん。手が荒れないようにね」
ラキシスはにこりと笑った。
「はい」
そして、少しだけ恥ずかしそうに続けた。
「でも、ソープ様の手は、クリームがなくても離したくありません」
ソープは笑う。
「じゃあ、普通につないでいよう」
ラキシスは真っ赤になった。
弥子が叫ぶ。
「甘い!!」
ネウロが顔をしかめる。
「もうよい。糖分過多だ」
Xiは、空を見上げた。
「ハンドクリーム回で胸焼けするとは思わなかった」
承太郎が帽子の庇を下げる。
「やれやれだぜ」
その日の結論。
パスタパーティ用のハンドクリームは、普通の市販品を使用する。
至高のハンドクリームは、絶対に使わない。
シックス製品は、封印の上でログナー管理。
キラには技術的興味を持たせすぎない。
露伴先生には資料化させすぎない。
ラキシス姫様の前でシックスの名を出すと、カフェのスプーン類が危ない。
そしてXiは、買い出しリストの最後に新たな一文を書き足した。
「手に塗るものも、シックス製ではないこと」
それを見た泉さんは、真顔で頷いた。
「大事ですね」
Xiも頷いた。
「大事です」
弥子が笑う。
「次こそ、普通にパスタパーティですね!」
Xiは、少しだけ間を置いた。
「その“普通に”が一番怖いんだよ」
ソープとラキシスは、普通に手をつないでいた。
少なくとも、ハンドクリームの副作用ではなく。
それだけは、今日いちばん平和なことだった。