守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
レンタルキッチンの入口で、怪盗Xiは深呼吸した。
「確認するよ」
彼は、手元のチェックリストを読み上げる。
「トマト、普通。チーズ、普通。オリーブオイル、普通。ハンドクリーム、普通。食器用洗剤、普通。スポンジ、普通。キッチンペーパー、普通」
弥子が元気よく手を挙げた。
「全部、普通です!」
泉さんが真顔で頷く。
「購入時にメーカー名、原材料、賞味期限、販売店、全部確認しました」
Xiは大きく頷いた。
「よし」
そして、買い出し袋の一番上に貼られた紙を見る。
そこには、泉さんの字で大きく書かれていた。
ヘキサクス製ではないこと。
Xiは、目頭を押さえた。
「この一文があるだけで、こんなに安心できる日が来るとは思わなかった」
ネウロがくつくつと笑う。
「ククク……人間は調味料ひとつでここまで怯えるのか」
「怯えるよ。前回オリーブオイルで摩擦係数をゼロにされかけたんだよ」
「そしてハンドクリームで手から物が離れなくなるところだった」
「思い出させないで!」
キラは、苦笑しながら普通のオリーブオイルを見た。
「これは本当に普通のものなんだよね」
ラクスが、そっとキラを見る。
「キラ」
「いや、技術的な興味じゃなくて確認だよ」
Xiはすぐに言った。
「今の間が怪しかった」
キラは少しだけ目を逸らした。
「……確認です」
レンタルキッチンの中は、明るく清潔だった。
広い調理台。
複数のコンロ。
大きな鍋。
ボウル、ザル、包丁、まな板。
そして壁には、使用後の清掃ルールと、備品破損時の弁償についての案内。
Xiはその案内を見て、真剣な顔になった。
「全員、備品破損には注意」
ラキシスが首を傾げる。
「備品破損……」
Xiは、そっとラキシスの手元を見た。
「特にスプーン」
ラキシスは、にこりと微笑んだ。
「今日は折りません」
「今日は」
キラが小声で言った。
「やっぱり意図的に……」
ラキシスは聞こえなかったふりをした。
ソープは、エプロンを手にしてラキシスを見ていた。
「ラキシス、エプロン似合うね」
ラキシスの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか、ソープ様?」
「うん。とても」
弥子が胸を押さえた。
「甘い! パスタ前なのにもうドルチェ!」
泉さんが冷静に言う。
「糖分はまだ入っていません」
「情緒の糖分です!」
ネウロが顔をしかめた。
「胸焼けするな」
「魔人が胸焼けしてる……」
承太郎は帽子の庇を下げた。
「やれやれだぜ」
調理担当は、自然と分かれた。
ラクスは手際よく野菜を洗い、ラキシスに包丁の扱いを優しく教える。
弥子はソース担当を名乗り出たが、泉さんに「味見の回数は管理します」と宣言された。
キラは火加減とタイマー管理。
アウクソーはカイエンのつまみ食い監視。
ソープはラキシスの隣で、主に見守りと補助。
そしてXiは、護衛と安全確認と、ヘキサクス製品混入チェック係である。
「僕だけ料理してない気がする」
ログナー司令が、いつの間にか壁際に立っていた。
「任務だ」
「司令、レンタルキッチンにも気配なく出るのやめて」
「通常だ」
「通常を見直して」
ラキシスは、ラクスに教わりながらトマトを切っていた。
「こう、でしょうか」
ラクスが微笑む。
「ええ。とてもお上手ですわ。焦らず、指を丸めて」
「はい」
ソープは心配そうに見ている。
「ラキシス、無理しちゃ駄目だよ」
ラキシスは、少し嬉しそうに答えた。
「はい、ソープ様。でも、私もお手伝いしたいのです」
「うん。じゃあ、ゆっくりね」
Xiが小声で言う。
「ソープ、姫様がトマト切ってるだけで国家非常事態みたいな顔してる」
カイエンが笑う。
「あいつにとってはそうなんだろう」
アウクソーが真顔で言う。
「マスター、つまみ食いはお控えください」
カイエンは皿の上のチーズに伸ばしかけた手を止めた。
「まだ何もしていない」
「これからされるところでした」
「鋭いな」
「マスターの行動予測です」
弥子が鍋の前で勢いよく言った。
「まずはトマトソース! 次にペペロンチーノ! それからクリーム系!」
泉さんがすぐに言う。
「作る種類は三種類までです」
「三種類あります!」
「量は人数分です」
「人数分より少し多めに」
「その“少し”をグラムで言ってください」
弥子は沈黙した。
ネウロが笑う。
「ククク……弥子に数字で食欲を制御させるとは、なかなか残酷だ」
「ネウロは黙っててください!」
キラはタイマーをセットしながら、鍋を見ていた。
「パスタは一度に茹でる量を分けた方がいいね。人数多いし、ソースごとに絡めるタイミングもあるから」
泉さんが頷く。
「助かります。キラさん、段取りが的確ですね」
キラは少し照れた。
「こういうの、手順管理に近いので」
Xiが言う。
「MS整備とパスタ茹でを同じ顔で見ないで」
「同じではないよ」
「でも目が真剣だった」
ラクスが楽しそうに微笑む。
「キラは、こういう時も頼りになりますわ」
キラはさらに照れた。
弥子がにやにやする。
「甘い!」
泉さんが冷静に言う。
「今日は糖分ではなく炭水化物です」
「情緒の話です!」
最初のソースは、トマトソースだった。
ラキシスが切ったトマトを、ラクスが鍋に入れる。
普通のオリーブオイルでニンニクをゆっくり香り出しし、トマトを加える。
Xiは、そのオリーブオイルの瓶を三回見た。
「普通のやつだね」
泉さんが言う。
「普通のものです」
「摩擦係数、変わらないよね」
「変わりません」
「よし」
弥子が横から言う。
「Xiさん、心配しすぎでは」
「心配しすぎなくらいでちょうどいいんだよ。前回、滑らかな人生を楽しみたまえとか言われたんだから」
ラキシスの手元で、木べらが止まった。
「シックス……」
Xiは慌てた。
「姫様、木べらは折らないで! レンタル品!」
ラキシスはにこりと微笑んだ。
「大丈夫です。今日は折りません」
「今日は、が怖い」
ソープが、ラキシスの手元を見て言った。
「ラキシス、混ぜるの上手だね」
「ソープ様が見てくださっているからです」
弥子が即座に反応した。
「甘い!!」
ネウロが顔をしかめる。
「トマトソースに砂糖を入れたか?」
「入れてません。夫婦が甘いんです」
泉さんがぽつりと言った。
「調味料では調整できない甘さですね」
次はペペロンチーノだった。
普通のオリーブオイル。
普通のニンニク。
普通の唐辛子。
Xiはもう一度瓶を見る。
「普通」
泉さんが言う。
「普通です」
ログナーが言う。
「確認済みだ」
「司令まで確認してくれてるなら安心……いや、司令が料理用オリーブオイル確認してる光景もだいぶ面白いな」
キラはフライパンの温度を見ながら言った。
「ニンニクは焦がさないようにしよう。香りが出たら火を少し落として」
弥子は目を輝かせる。
「いい香り……!」
ラキシスも嬉しそうに言う。
「地球のパスタは、香りから楽しいのですね」
ソープが隣で頷く。
「ラキシスが楽しそうでよかった」
「はい、ソープ様」
Xiは肩をすくめた。
「まあ、これはこれで平和か」
その瞬間、入口のチャイムが鳴った。
全員が止まった。
Xiが素早く振り向く。
「誰?」
店員ではない。
レンタルキッチンのスタッフが顔を出した。
「すみません。追加で予約備品の大皿をお持ちしました」
Xiは胸を撫で下ろした。
「備品か……」
弥子が小声で言う。
「今、全員ちょっと身構えましたね」
キラが苦笑する。
「タイミングがね」
ラキシスはスタッフの手元をじっと見ていた。
「箱ではありませんね」
スタッフは困惑した。
「箱?」
Xiがすぐにフォローする。
「すみません、こちらの話です」
承太郎が帽子の庇を下げた。
「やれやれだぜ」
三種類目は、クリーム系にする予定だった。
だが弥子が言った。
「カルボナーラもいけますよね?」
泉さんが即座に言った。
「三種類までです」
「クリーム系に分類できます!」
「卵とチーズとベーコンで、カロリーが別方向に跳ねます」
「でも美味しいです!」
「美味しいことは否定していません」
ラキシスがそっと手を挙げた。
「カルボナーラも、少し食べてみたいです」
弥子が勝ち誇った顔をした。
泉さんは少し黙った。
「……少量なら」
Xiが驚く。
「泉さんが折れた」
泉さんは真顔で言った。
「ラキシス様の文化調査です。ただし一人前を分けます」
弥子が言う。
「やった!」
「弥子さんの分量ではありません」
「はい……」
ネウロが笑う。
「ククク……食欲の魔人が一編集者に制御されている」
「誰が食欲の魔人ですか!」
「貴様だ」
「否定が早い!」
カルボナーラ作りは、思ったより真剣になった。
キラが火加減を見る。
ラクスが卵液を準備する。
ラキシスがチーズを削る。
ソープがその手元を嬉しそうに見守る。
アウクソーがカイエンのつまみ食いを再び止める。
「マスター」
「まだ何もしていない」
「チーズに視線が行っていました」
「見ただけだ」
「至高のチーズではありませんが、勝手に召し上がるのはお控えください」
Xiが反応する。
「至高のチーズの話はやめよう。記憶が飛ぶ」
弥子が小声で言う。
「トマトと合わせたら美味しそうなのに……」
Xiがすぐに振り向く。
「弥子ちゃん!」
「言っただけです!」
「その未練が一番危ないんだよ!」
ラキシスの表情が、ほんの少し冷えた。
「シックス製のものは、ソープ様のお食事に使わせません」
パキ、と音がした。
全員が一瞬固まった。
ラキシスの手元を見る。
折れたのは、レンタル備品ではなかった。
持参した使い捨ての小さなプラスチックスプーンだった。
Xiは胸を撫で下ろした。
「セーフ……いや、セーフなのかこれ?」
キラが小声で言った。
「一応、備品ではないね」
泉さんが淡々とメモを取る。
「次回から、ラキシス様用の予備スプーンを多めに持参」
Xiが言った。
「運用でカバーする方向になってきた」
やがて、料理が完成した。
大皿には、三種類のパスタが並ぶ。
トマトソース。
ペペロンチーノ。
少量のカルボナーラ。
さらにサラダと、バゲット。
普通のチーズ。
普通のオリーブオイル。
そして、普通の食後用ハンドクリーム。
Xiは、感慨深そうに言った。
「普通って素晴らしい」
弥子は両手を合わせる。
「いただきます!」
「待って」
泉さんが言った。
「まず全員分を取り分けます」
弥子は止まった。
「はい……」
ラキシスは、ソープと隣同士で座っていた。
「ソープ様、私が切ったトマトです」
「うん。楽しみだね」
ラキシスは少し緊張しながらトマトソースのパスタを口に運んだ。
そして、目を輝かせる。
「……美味しいです」
ソープも一口食べて、やさしく笑った。
「うん。とても美味しい」
ラキシスの顔が、ぱっと花開くように明るくなった。
「本当ですか?」
「本当。ラキシスが手伝ったから、もっと美味しいね」
弥子が叫んだ。
「あまーーーーい!!」
ネウロがフォークを持ったまま顔をしかめる。
「パスタに砂糖は入っていないはずだが」
「情緒が甘いんです!」
泉さんは冷静に言う。
「でも、トマトソースはよくできています」
ラクスも微笑んだ。
「ラキシス様、とてもお上手でしたわ」
「ラクス様が教えてくださったからです」
ラクスとラキシスは、にこやかに笑い合った。
Xiが小声で言う。
「コンパス総裁とAKD女王が共同調理したトマトソース……」
キラが苦笑する。
「考えたら負けだよ」
「そうだね」
ペペロンチーノも好評だった。
弥子は、当然のように目を輝かせた。
「シンプルなのに美味しい!」
ラキシスも頷く。
「ニンニクと油と唐辛子だけで、こんなに味が出るのですね」
Xiが言う。
「普通の油ならね」
ログナーが短く言った。
「重要だ」
「司令、料理の場でそれ言うの、だいぶ面白い」
カルボナーラは少量だったが、全員で分けるには十分だった。
ラキシスは一口食べて、少し驚いた顔をした。
「濃厚です」
弥子が頷く。
「そこがいいんです!」
泉さんがすかさず言う。
「だから少量です」
「はい……」
食事が進むにつれて、場はどんどん和やかになった。
カイエンはさりげなく二皿目を取ろうとして、アウクソーに止められる。
露伴はパスタの盛り付けをスケッチしようとして、泉さんに「食べてから描いてください」と言われる。
承太郎は静かに食べながらも、露伴が備品を汚さないか見ている。
ネウロは「人間は麺にここまで執着するのか」と言いながら、普通に食べている。
キラは調理手順を振り返り、次回はもっと効率化できると言いかけて、ラクスに「キラ」とやさしく止められる。
Xiは、やっと一口食べた。
「……美味しい」
弥子が嬉しそうに言う。
「ですよね!」
「悔しいけど、準備した甲斐はあった」
ラキシスがXiを見る。
「Xiさん、ありがとうございました」
「え?」
「食材を確認してくださって、護衛もしてくださって、皆さんが安心して料理できるようにしてくださったので」
Xiは少しだけ言葉に詰まった。
「……任務ですから」
ソープも笑う。
「ありがとう、Xi」
Xiは視線を逸らした。
「金貨三枚分は働きました」
ログナーが言う。
「三枚はまだ確定していない」
Xiは即座に振り向いた。
「そこは確定して!」
弥子が笑う。
「でも、本当に楽しかったですね」
ラキシスは、深く頷いた。
「はい。とても楽しかったです」
そして、ソープを見る。
「ソープ様と一緒にお料理できました」
ソープはやさしく言った。
「また作ろうか」
「はい!」
ラキシスの笑顔は、先日の「羨ましい」と言っていた時とは違っていた。
少し満たされた、嬉しい笑顔だった。
ラクスはそれを見て、静かに微笑む。
「よかったですわ」
泉さんは、食後の片付け表を見ながら言う。
「では、食器を洗って、備品を確認して、ゴミを分別しましょう」
弥子が小さく呻く。
「片付け……」
泉さんは厳しく言った。
「パーティは片付けまでです」
Xiが深く頷く。
「正論」
ラキシスが立ち上がる。
「私も洗います」
ソープが即座に言う。
「ラキシス、手が荒れない?」
ラキシスは、嬉しそうに普通のハンドクリームを見せた。
「普通のものがあります」
Xiがすぐに言う。
「普通のです」
泉さんも頷く。
「確認済みです」
ソープは安心したように笑った。
「じゃあ、無理しない範囲でね」
「はい、ソープ様」
片付けは、意外にも順調だった。
食器用洗剤は普通。
スポンジも普通。
ハンドクリームも普通。
スプーンは折れていない。
レンタルキッチンの備品も無事。
Xiは、最後に備品チェック表を確認し、深く息を吐いた。
「壊れてない」
弥子が拍手する。
「よかったです!」
泉さんも頷く。
「大成功ですね」
ログナーが短く言う。
「問題なし」
Xiは、少しだけ感動したように言った。
「普通に始まって、普通に料理して、普通に食べて、普通に片付けた……」
ネウロが笑う。
「ククク……それだけで感動するとは、随分と調教されたものだな」
「シックス製品のせいだよ!」
ラキシスは、ソープと並んでキッチンを見渡した。
「ソープ様」
「うん?」
「また、皆さんと一緒に何か作りたいです」
「うん。またやろう」
弥子が即座に手を挙げる。
「次はお菓子作りですね!」
泉さんがすぐに言う。
「量とカロリーは管理します」
「はい!」
Xiは、少しだけ笑った。
「次回も護衛か……」
ログナーが言う。
「必要だ」
「報酬は?」
「検討する」
「そこは即答で!」
承太郎が帽子の庇を下げる。
「やれやれだぜ」
レンタルキッチンを出る頃には、夕方の光が街を柔らかく染めていた。
ラキシスは、ソープの隣を歩きながら、そっと彼の手を取った。
もちろん、ヘキサクス製ハンドクリームの副作用ではない。
ただ、普通に。
自分の意思で。
ソープも、普通にその手を握り返した。
弥子が後ろで小さく叫ぶ。
「甘い!」
泉さんが言う。
「でも今日は、ちゃんと普通に甘いですね」
Xiは笑った。
「普通って大事だね」
そして彼は、今日の買い出しリストを折りたたんだ。
一番上には、何度見ても安心できる一文。
ヘキサクス製ではないこと。
そのおかげで、パスタパーティは無事に終わった。
料理は美味しく、笑い声は多く、備品は無事。
そしてラキシスは、もう少しだけ、皆と同じ時間に混ざることができた。