守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「今日は平和だね」
怪盗Xiは、いつものカフェテラスで紅茶を前にしながら、しみじみと言った。
「ヘキサクス製品も届いてない。シックス製の謎の食品もない。レンタルキッチンの備品も無事。スプーンも折れてない」
弥子がサンドイッチを頬張りながら頷く。
「普通って素晴らしいですね!」
ネウロがくつくつと笑った。
「ククク……普通を噛みしめる怪盗か。随分と調教されたものだな」
「誰のせいだと思ってるの」
「シックスだろう」
「そこは正解」
キラは苦笑しながらコーヒーを飲んでいた。
「でも、たしかに今日は落ち着いてるね」
ラクスも微笑む。
「穏やかな午後ですわ」
露伴はスケッチブックを開いている。
「穏やかな午後ほど、事件が起きるものだがね」
Xiは露伴を睨んだ。
「先生、そういう縁起でもないことを言わないで」
承太郎は帽子の庇を下げる。
「やれやれだぜ」
その時だった。
カイエンが、ふと席から少し離れたところを見た。
「……来たな」
「誰が?」
Xiが振り向く。
カフェテラスの入口に、レディオス・ソープが立っていた。
白い髪。
穏やかな表情。
どこか掴みどころのない空気。
いつもの、あのソープだった。
弥子が手を振る。
「あ、ソープさん!」
ソープは軽く手を上げる。
「やあ。待たせたかな」
キラが少し首を傾げた。
「……ソープさん?」
ラクスも、ほんの少しだけ不思議そうな顔をする。
しかし、姿も声も仕草も、ほとんど完璧だった。
ソープは、まっすぐラキシスの席へ向かった。
ラキシスは、嬉しそうに顔を上げる。
「ソープ様」
「うん。ラキシス」
ソープは、彼女の向かいに座った。
「今日は待ち合わせだったね」
「はい。ご一緒にお茶をいただけると聞いて、楽しみにしていました」
「僕もだよ」
ラキシスは、ぱっと花が咲くように笑った。
弥子が小声で言う。
「甘い……」
泉さんが冷静に返す。
「まだ砂糖は入ってません」
「情緒です」
ソープは紅茶を注文し、何事もなかったようにラキシスと会話を始めた。
「パスタパーティ、楽しかったね」
「はい。ソープ様と一緒にお料理できて、とても嬉しかったです」
「また作ろうか」
「はい。今度はお菓子も作ってみたいです」
「いいね」
会話は自然だった。
表情も自然。
声の調子も、間の取り方も、ソープ本人にかなり近い。
キラは、少しだけ目を細めていた。
「……すごいな」
ラクスが小さく頷く。
「ええ。ですが……」
Xiの姿が、席にない。
弥子がきょろきょろする。
「あれ? Xiさんは?」
ネウロが笑う。
「ククク……さてな」
カイエンは、明らかに面白がっていた。
「腕試しには、相手が悪いと思うがな」
弥子が固まる。
「えっ」
露伴の目が輝いた。
「なるほど。そういうことか」
承太郎が低く言う。
「やれやれだぜ」
ラキシスと向かい合うソープは、静かにカップを置いた。
「ラキシス」
「はい」
「少し、手を」
ソープは、テーブルの上でラキシスの手にそっと触れた。
ラキシスは、最初は嬉しそうに微笑んだ。
だが。
その指先が触れた瞬間。
ラキシスの表情が、ほんの少しだけ変わった。
嬉しさが消えたわけではない。
怒ったわけでもない。
ただ、何かを確かめるように、静かに相手の手を見た。
そして、顔を上げる。
「ソープ様」
「うん?」
「違いますね」
その一言で、空気が止まった。
“ソープ”は、動きを止める。
ラキシスは手を離さなかった。
けれど、その目はもう確信していた。
「あなたは、ソープ様ではありません」
弥子が息を呑む。
「えっ」
キラが小さく言った。
「やっぱり……」
“ソープ”は、しばらく黙っていた。
そして、少しだけ困ったように笑う。
「……姫さまは騙せないか!」
次の瞬間。
姿が揺らいだ。
白い髪。
柔らかな顔立ち。
ソープの姿がほどける。
そこに現れたのは、怪盗Xiだった。
弥子が叫ぶ。
「Xiさん!?」
Xiは両手を上げた。
「ごめん。ごめんってば」
ラキシスは、静かに彼を見ていた。
「Xiさん」
「はい」
「ソープ様のお姿で、私の手を取るのは、少しだけずるいです」
Xiは素直に頭を下げた。
「すみませんでした」
弥子が珍しく真顔になる。
「これはちょっと、Xiさんが悪いですね」
「分かってる。腕試しだったんだよ。あと、なりすまし対策の確認」
キラが眉を寄せる。
「なりすまし対策?」
そこへ、ログナー司令がいつの間にか現れた。
「必要な確認だ」
Xiが振り向く。
「司令、タイミング良すぎない?」
「見ていた」
「見てたなら止めて!」
ログナーは表情を変えない。
「ラキシス姫様が見破れるかの確認には有用だった」
ラキシスは、Xiの手をそっと離した。
「顔も、声も、仕草も、とてもよく似ていました」
Xiは少しだけ胸を張りかけた。
「でしょ?」
「ですが、ソープ様ではありません」
「そこまで断言されると、逆に清々しい」
露伴が身を乗り出す。
「何が違ったんだ? 表情か? 声か? 重心か? 瞬きの間か?」
Xiが即座に言う。
「先生、食いつかない」
ラキシスは、少しだけ頬を赤らめた。
「手です」
弥子が目を輝かせる。
「手!」
ラキシスは小さく頷く。
「ソープ様の手は、もっと優しいです」
沈黙。
そして。
弥子が両手で顔を覆った。
「あまーーーーい!!」
ネウロが椅子から少し身を引いた。
「吾輩は帰る」
「ネウロが撤退判断した!」
泉さんが冷静に言う。
「これは胸焼けしますね」
キラは苦笑した。
「変装技術の問題じゃないね」
ラクスは穏やかに微笑む。
「ラキシス様だから、お分かりになるのでしょう」
Xiは腕を組んで唸った。
「くっそー……変身精度じゃなくて愛情認証かよ」
カイエンが笑った。
「よりによってラキシス相手にソープへ化けるとはな。度胸はある」
「度胸じゃなくて腕試し!」
「命知らずとも言う」
「言わないで!」
ラキシスは、まだ少しだけ赤い顔でXiを見ていた。
「Xiさん」
「はい」
「ソープ様のお姿は、大切に扱ってください」
その声は柔らかかった。
けれど、手元のティースプーンが、ぱき、と音を立てた。
キラが小声で言う。
「……また劣化した」
ラキシスは微笑む。
「劣化していたみたいです」
Xiは背筋を伸ばした。
「はい。今後、気をつけます」
ログナーは短く言う。
「よい教訓になったな」
「僕の寿命が少し縮んだけどね」
露伴は、すでにスケッチブックに何か描こうとしていた。
Xiがそれを見つける。
「先生」
「何だ」
「描かない」
「変装した怪盗と、手の感触で本物を見抜く姫君だぞ。描かない理由がない」
「理由はあります。姫様の照れ顔は機密です」
ラキシスが目を瞬かせる。
「機密……?」
ログナーが頷いた。
「機密扱いでよい」
Xiが驚く。
「司令が乗った!」
露伴が不満そうに眉を寄せる。
「横暴だな」
承太郎が露伴の肩を掴んだ。
「やめておけ」
「まだ描いていない」
「描く顔だ」
「君は本当に顔で判断するな」
「当たってるだろ」
露伴は黙った。
そこへ、本物のソープが戻ってきた。
「ただいま。……あれ?」
彼は、Xiとラキシスを見て、少しだけ首を傾げる。
「僕がいたの?」
Xiは頭を抱えた。
「そこ、もう少し驚いて!」
ソープはXiを見て、にこにこと笑う。
「Xi、僕に化けてたんだ。上手だね」
「褒めるところそこ!?」
ソープはラキシスを見る。
「ラキシス、大丈夫?」
ラキシスは、ぱっと表情を柔らかくした。
「はい、ソープ様。大丈夫です」
「怖くなかった?」
「少しだけ、驚きました」
「無理しちゃ駄目だよ」
「はい」
Xiは小声で言う。
「本物が来ると姫様の温度が一気に変わる……」
カイエンが楽しそうに言った。
「分かりやすいだろう」
ソープはラキシスの隣に座った。
「それで、見破ったの?」
「はい」
「すごいね、ラキシス」
ラキシスは嬉しそうに微笑む。
「ソープ様のことなら、分かります」
弥子が机に突っ伏した。
「甘い……もう本当に甘い……!」
ネウロは顔をしかめる。
「謎がない。糖分しかない」
泉さんが言う。
「ですが、今回は重要な検証でもありましたね」
Xiが泉さんを見る。
「泉さんが真面目に戻した」
「なりすまし対策としては、ラキシス様が見破れると分かったのは大きいです」
ログナーが頷く。
「その通りだ。陛下へのなりすまし対策として、ラキシス姫様の識別能力は有用だ」
Xiは肩をすくめる。
「有用って言われると、僕の失敗も少し報われるかな」
ラキシスが、少し申し訳なさそうに言う。
「失敗ではありません。Xiさんの変装は、とてもよくできていました」
「本当?」
「はい」
Xiが少しだけ嬉しそうな顔をする。
「なら、まあ……」
ラキシスは続けた。
「でも、ソープ様ではありません」
「そこは揺るがないんだね」
「はい」
即答だった。
弥子が胸を押さえる。
「愛情が強い……!」
ラクスは微笑む。
「素敵ですわ」
キラは、ふと本物のソープとXiを見比べた。
「でも、僕も最初はかなり迷ったよ。姿も声も、かなり近かった」
Xiは得意げになる。
「そこは怪盗だからね」
ネウロが笑う。
「ククク……だが、最後に敗れたのは手触りか」
「言い方」
「事実だろう」
「事実だけど!」
ソープは、ラキシスの手を自然に取った。
「じゃあ、本物の手で上書きしておこうか」
ラキシスの顔が、また赤くなる。
「ソープ様……」
弥子が立ち上がりかけた。
「あまーーーーい!!」
泉さんが冷静に言う。
「そろそろカフェに糖度表示が必要ですね」
Xiはソープとラキシスを見て、深くため息を吐いた。
「僕が変装で敗北した話のはずなのに、最終的に夫婦の甘さで押し流されてる」
露伴が言う。
「良い構成だな」
「先生は黙っててください」
ログナーはXiに向き直った。
「今回の結果は記録する」
Xiが嫌な顔をする。
「何を?」
「ラキシス姫様は、陛下のなりすましを高確率で識別可能」
「それはいいよ」
「Xiの変装は、外見、声、仕草において高精度」
「それもいい」
「ただし、接触時にラキシス姫様へ見破られる」
「それはちょっと悔しい」
「今後の護衛任務に活かす」
Xiはすぐに警戒した。
「待って。今の流れで僕の任務増えないよね?」
ログナーは答えなかった。
Xiは震えた。
「そこで黙らないで!」
カイエンが笑う。
「ソープの代役が必要な時には便利だな」
「便利にしないで!」
ソープが首を傾げる。
「でも、ラキシスは見破るよ?」
「そこが救いであり、逃げ道がないところでもある!」
ラキシスは、そっとXiに向かって微笑んだ。
「Xiさん」
「はい」
「次にソープ様のお姿になる時は、先に教えてくださいね」
「はい」
「それから、手を取る時も」
「はい」
「本物のソープ様の前で」
「それは公開処刑では?」
ソープがにこにこしている。
「僕は見てみたいな」
「ソープまで!」
弥子が笑う。
「次回、本人監修ですね!」
「やらない!」
承太郎が低く言った。
「やれやれだぜ」
その時、店員さんが少し困った顔で近づいてきた。
Xiは反射的に身構えた。
「まさか」
店員さんは、小さな赤い箱を持っていた。
「Xi様宛に、お荷物が……」
Xiは天を仰いだ。
「変身失敗の反省会中に!?」
弥子が箱を見る。
「赤いですね」
キラも顔をしかめる。
「赤い……?」
ラクスが静かに言う。
「何かしら」
ラキシスの表情が、すっと冷えた。
ソープが心配そうに彼女を見る。
「ラキシス?」
ラキシスはすぐに微笑んだ。
「何でもありません、ソープ様」
パキ。
またティースプーンが折れた。
キラが小声で呟く。
「赤い箱を見ただけで……」
Xiは深くため息を吐く。
「嫌な予感しかしない」
ネウロは、ようやく少し楽しそうに笑った。
「ククク……今度は謎か?」
Xiは赤い箱を睨んだ。
「謎じゃなくて、たぶんトマトだよ」
弥子の目が、一瞬だけ輝いた。
「トマト……」
Xiは即座に叫んだ。
「弥子ちゃん、まだ食欲を出さない!」
ラキシスは、静かに赤い箱を見ていた。
「シックス製なら、ソープ様のお食事には使わせません」
ソープは不思議そうに言う。
「トマト?」
Xiは頭を抱えた。
「次回、絶対めんどくさい」
露伴は満足げにスケッチブックを閉じた。
「今日は十分だ。怪盗の変身、姫君の識別、夫婦の手、そして赤い箱。引きとして悪くない」
Xiが言う。
「先生、勝手に締めないで」
「締めるには良い場面だろう」
「そうだけど!」
本物のソープは、ラキシスの手を握ったまま微笑んでいた。
ラキシスは、その手を大切そうに握り返している。
Xiは、それを見て苦笑した。
「姫様は騙せない。覚えた」
ラキシスは、にこりと笑った。
「はい。ソープ様のことなら、分かります」
弥子が再び胸を押さえる。
「あまーーーーい!!」
ネウロが立ち上がった。
「吾輩は帰る」
「今度こそ本当に帰るんですか!?」
「謎より糖分が多い」
「否定できない!」
カフェテラスの午後は、甘さと赤い箱を残して続いていた。
そして怪盗Xiは、赤い箱を見ながら思った。
変装は見破られる。
シックス製品は届く。
姫様のスプーンは折れる。
ソープとラキシスは甘い。
今日も、普通の日常にはならなかった。