守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
赤い箱だった。
いつものカフェテラス。
穏やかな午後。
紅茶の香り。
焼き菓子の皿。
そして、テーブル中央に置かれた、嫌なほど鮮やかな赤い箱。
怪盗Xiは、その箱を見つめていた。
「……赤い」
弥子が言う。
「赤いですね」
キラも眉を寄せる。
「この流れで赤い箱ってことは……」
Xiは、深々とため息を吐いた。
「トマトだよ。たぶん」
弥子の目が、一瞬だけ輝いた。
「トマト……!」
Xiが即座に振り向く。
「弥子ちゃん、まだ食欲を出さない!」
「でもトマトですよ? パスタパーティの流れから、トマトですよ?」
「シックス製ならトマトじゃなくて赤い災害だよ!」
ネウロがくつくつと笑った。
「ククク……赤い災害とは、なかなか詩的だな」
「詩じゃない。経験則」
ラキシスは、赤い箱を静かに見つめていた。
「また、シックスからですか」
パキ。
テーブルに置かれていたティースプーンが、綺麗に折れた。
キラが小声で呟く。
「箱を見ただけで……」
ラキシスは、穏やかに微笑む。
「劣化していたみたいです」
泉さんが、店員さんに申し訳なさそうな顔をした。
「すみません。あとで弁償の確認を……」
Xiは言った。
「このカフェ、そろそろラキシス姫様用の使い捨てスプーンを用意した方がいい気がする」
承太郎が帽子の庇を下げる。
「やれやれだぜ」
赤い箱には、差出人名はない。
だが、銀色の六角形が、すべてを語っていた。
Xiは箱を指差す。
「開封はスタープラチナで。素手禁止。匂いを嗅がない。味見しない。弥子ちゃんに近づけない。露伴先生にも近づけない」
露伴が不満そうに言う。
「僕を食欲側と同じ扱いにするな」
弥子も抗議する。
「私もです!」
Xiは即答した。
「危険物の前では、食欲と好奇心は同じくらい危ない」
泉さんが深く頷いた。
「真理ですね」
「泉さんまで!?」
スタープラチナが、赤い箱を慎重に開けた。
中から現れたのは、白い緩衝材に包まれた小さな木箱。
その蓋を開くと、そこには艶やかな赤いトマトが並んでいた。
ただのトマトではない。
妙に瑞々しい。
妙に美しい。
赤が濃い。
やけに食卓映えする。
弥子が、思わず身を乗り出した。
「美味しそう……」
Xiがその前に立ちはだかる。
「見た目に負けない!」
さらに、その横には小瓶のオリーブオイル。
白いチーズ。
緑のバジル。
小さな黒胡椒の瓶。
そして、カード。
キラが小声で言った。
「……カプレーゼセット?」
Xiは顔を覆った。
「鬼か」
弥子がぼそっと言う。
「トマトとチーズとバジルとオリーブオイル……」
「戻ってきて!」
Xiが叫んだ。
「それはカプレーゼの顔をしたシックス製品セット!」
ラキシスの表情が、すっと冷えた。
「ソープ様のお食事には、使わせません」
ソープは首を傾げる。
「ラキシス?」
ラキシスは、すぐにふわりと微笑んだ。
「何でもありません、ソープ様」
パキ。
今度はフォークの柄が小さく鳴った。
キラが青ざめる。
「フォークまで……」
Xiは小声で言う。
「姫様の怒りがカトラリー全般に広がってる……」
カードを手にしたXiは、嫌そうに読み上げた。
「『我が子へ。
料理を楽しむ君たちに、さらなる彩りを贈ろう。
我が一族自慢の温室で育てた、至高のトマトだ。慣れると癖になる。
瑞々しく、甘みと酸味の均衡は完璧。チーズやオリーブオイルとの相性もよい。
ただし常人が食べると、三日ほど赤いものを見るたびに空腹を覚えるがね。
なお、今回は至高のチーズ、至高のオリーブオイル、香り高いバジルも添えておいた。
定番のカプレーゼとして楽しみたまえ。』」
Xiはカードをテーブルに置いた。
「楽しめる要素が全部危険物なんだよ!!」
弥子は、真剣な顔でトマトを見つめていた。
「赤いものを見るたびに空腹……」
キラが即座に言う。
「弥子ちゃん、考えちゃ駄目だよ」
弥子は、ぱっと顔を上げた。
「食欲増進!」
「そういう解釈はヤバい!」
キラが本気で止めた。
泉さんも厳しい顔になる。
「赤いものを見るたびに空腹になるなら、トマトだけでは済みません。信号、郵便ポスト、赤い服、ケチャップ、全部危険です」
弥子の顔が少し明るくなる。
「ケチャップ……」
「弥子さん」
泉さんの声が低くなった。
弥子は正座した。
「はい」
ネウロが愉快そうに笑う。
「ククク……人間の食欲を色彩と結びつけるか。なかなか悪辣だ」
Xiが言う。
「悪辣で済ませないで。弥子ちゃんの場合、三日で街中の赤いものに反応するよ」
弥子が少し考え込む。
「でも、赤いものを見るたびにお腹が空くなら、食事のタイミングを忘れなくて済むかも……」
「発想が危ない!」
キラがトマトとチーズとオリーブオイルを見比べていた。
「至高のチーズは、臭気で記憶が飛ぶ。至高のオリーブオイルは、摩擦係数がゼロになる。そこにトマトの食欲刺激……」
Xiが警戒する。
「キラ、その顔」
キラは言いづらそうに言った。
「いや……もしかして、合わせ技で……」
弥子がぱっと顔を上げる。
「無害化してたり……?」
キラは、一瞬だけ沈黙した。
「気持ちはわかる……」
Xiが叫んだ。
「分かるな!!」
ラクスが、やさしくもきっぱりと言った。
「キラ」
キラはすぐに我に返る。
「……ごめん。食卓で試す話じゃなかった」
Xiは胸を撫で下ろした。
「戻ってきた」
泉さんも言う。
「無害化しているかどうかは、食べて確認するものではありません」
弥子が未練がましくカプレーゼセットを見る。
「でも、普通なら絶対美味しい組み合わせなんですよ……?」
「普通ならね」
Xiは、強く言った。
「これはシックス製!」
弥子は、まだ少し未練を捨てきれない。
「トマトとチーズとバジルとオリーブオイル……」
「呪文みたいに唱えない!」
ラキシスは、静かに箱の蓋を閉めた。
「確認前に、遠ざけましょう」
Xiが頷く。
「賛成」
ログナー司令が、いつの間にかカフェテラスの端に立っていた。
「処分方法を検討する」
Xiは警戒した。
「焼却?」
「今回は送る」
「送る?」
ログナーは淡々と言った。
「バッハトマへ」
沈黙。
弥子が小さく呟く。
「ボスやん……」
ログナーが即座に言う。
「愛称で呼ぶな」
Xiは箱を見る。
「これ、廃棄じゃなくて?」
「ギフトだ」
「言い方で罪悪感を薄めようとしないで!」
ログナーは表情を変えない。
「食品ギフトとして送る」
「食品ギフトで通すな!!」
ネウロがくつくつと笑う。
「ククク……赤い誘惑、記憶を奪うチーズ、摩擦を奪う油。なかなか良い贈答品ではないか」
「贈答品じゃなくて前菜型トラップ!」
カイエンが腕を組んで笑った。
「バッハトマなら、多少のことでは驚かんだろう」
Xiが振り向く。
「多少で済むかな!?」
ラキシスは、静かに言った。
「ソープ様のお食事に出されるよりは、遠くへ送った方がよろしいです」
Xiはラキシスを見る。
「姫様、言い方は上品だけど、発想が怖いです」
「そうでしょうか」
「はい」
パキ。
また小さな音がした。
泉さんが店員さんの方を見た。
「すみません。本当にあとでまとめて……」
キラが小声で言う。
「カフェへの二次被害が深刻になってきた……」
ソープは不思議そうに箱を見ていた。
「カプレーゼか。普通のものなら美味しいよね」
ラキシスはすぐにソープへ向き直る。
「普通のもので作りましょう、ソープ様」
「うん。ラキシスが作るなら、きっと美味しいよ」
弥子が反応した。
「普通のカプレーゼ!」
泉さんがすぐに言う。
「それは許可します。ただし、普通のトマト、普通のチーズ、普通のオリーブオイル、普通のバジルです」
Xiがリストを取り出した。
「買い出しリストに追加。カプレーゼ用。全部普通。ヘキサクス製不可」
キラが苦笑する。
「また確認項目が増えたね」
「増やすしかないんだよ」
露伴は赤い箱をスケッチしようとしていた。
Xiがすぐに止める。
「先生、近づかない」
「描くだけだ」
「描くだけから開けるところまでが早いんですよ、先生は」
承太郎が無言で露伴の肩を掴む。
「やめておけ」
露伴は不満そうに言う。
「承太郎、君は僕を何だと思っている」
「好奇心で危険物に近づく男だ」
「否定しづらいな」
「否定してください!」
弥子が言った。
やがて、赤い箱は厳重に梱包された。
至高のトマト。
至高のチーズ。
至高のオリーブオイル。
バジル。
見た目だけなら、おしゃれなカプレーゼセット。
実態は、記憶と摩擦と食欲をまとめて揺さぶる複合災害。
ログナーが送り状を確認する。
「宛先、バッハトマ」
Xiが覗き込む。
「品名」
ログナーは答えた。
「食品ギフト」
「だから食品ギフトで通すなって!」
弥子が小声で言った。
「ボスやん、開けますかね……」
ログナーは短く言う。
「開けるかどうかは向こうの判断だ」
Xiが遠い目をした。
「責任の切り離し方が上手い」
ラクスは少し困ったように微笑む。
「ですが、本当に召し上がられたら大変ですわね」
ネウロが言う。
「大変だから送るのだろう」
「ネウロは黙っててください」
弥子が即座に返した。
ラキシスは、赤い箱が遠ざけられるのを見届けてから、ようやく表情を柔らかくした。
「これで、ソープ様のお食事には入りませんね」
ソープは微笑む。
「ラキシスは心配性だね」
「ソープ様のことですから」
「ありがとう」
また、甘い空気が流れた。
弥子が胸を押さえる。
「甘い……カプレーゼの話なのに甘い……!」
泉さんが言う。
「今回は塩味の前菜のはずなんですけどね」
Xiは苦笑した。
「シックス製だと前菜でも胸焼けするよ」
キラは、ふと普通のカプレーゼの写真をスマホで見ていた。
「普通のものなら、確かに美味しそうだね」
弥子が全力で頷く。
「ですよね!」
Xiが即座に釘を刺す。
「普通のものならね」
ラキシスも頷く。
「普通のもので、皆さんと一緒に作りましょう」
弥子の顔が明るくなる。
「はい!」
泉さんは買い出しリストを更新する。
「普通のトマト、普通のモッツァレラ、普通のバジル、普通のオリーブオイル。確認者は二名以上」
Xiが頷く。
「完璧」
ネウロが呆れたように笑う。
「ククク……前菜ひとつに警備体制か」
Xiは言った。
「シックス製品の後だと、それくらいでちょうどいい」
ログナーは封印した赤い箱を持ち上げる。
「発送する」
Xiが念を押す。
「こっちに戻ってこないようにしてね」
「手配する」
「それ、戻ってくる可能性が少しでもあるの?」
ログナーは答えなかった。
Xiは震えた。
「そこで黙らないで!」
ラキシスが、静かに言った。
「もし戻ってきたら」
パキ。
今度は、何も持っていないはずなのに、どこかで小さな音がした気がした。
キラが顔を引きつらせる。
「今、何が折れたんだろう……」
ラキシスは微笑んだ。
「劣化していたみたいです」
Xiは空を見上げた。
「もう概念が劣化してる……」
赤い箱は、そのままログナーによって持ち去られた。
カフェテラスには、ようやく穏やかな空気が戻る。
弥子は、少しだけ未練がましそうに言った。
「普通のカプレーゼ、食べたいです」
泉さんが頷く。
「それは作りましょう。普通の材料で」
ラキシスも嬉しそうに言う。
「ソープ様と一緒に作りたいです」
ソープはやさしく笑った。
「うん。今度は普通のカプレーゼを作ろう」
弥子が拳を握る。
「普通のカプレーゼパーティ!」
Xiが即座に言った。
「パーティにしない。前菜だから」
「でも美味しいですよ?」
「美味しいからって増やさない」
キラが笑った。
「また泉さんの管理が必要だね」
泉さんは真顔で答える。
「管理します」
ネウロが言う。
「食欲の管理者か。大変な役職だな」
「誰が食欲の管理者ですか!」
弥子が叫んだ。
承太郎は帽子の庇を下げた。
「やれやれだぜ」
Xiは、赤い箱が消えた方向を見ながら、ぽつりと言った。
「トマトまで信用できなくなるとは思わなかった」
ラクスが穏やかに言う。
「普通のトマトは、きっと美味しいですわ」
「うん」
Xiは頷いた。
「普通ならね」
そう。
普通なら、トマトは美味しい。
チーズも美味しい。
オリーブオイルも美味しい。
バジルだって香りがいい。
ただし、シックス製でなければ。
Xiは、買い出しリストの最後に、また一文を書き足した。
カプレーゼも、ヘキサクス製ではないこと。
泉さんがそれを見て、静かに頷く。
「大事ですね」
「大事です」
弥子は、少しだけ口を尖らせた。
「普通のカプレーゼ、楽しみにしてます」
ラキシスも微笑む。
「私もです」
ソープはその隣で笑っている。
「楽しみだね」
その甘い空気の中で、Xiだけがぼそっと呟いた。
「次は赤い箱じゃなくて、普通の招待状だけ届いてほしい」
ネウロが笑う。
「ククク……無理だろうな」
「言わないで」
カフェテラスの午後は、赤い災害をバッハトマへ送り出し、普通のカプレーゼへの希望を残して終わった。
なお、弥子は帰り際にも小さく呟いた。
「チーズと合わせたら絶品なのに……」
Xiは、即座に振り向いた。
「弥子ちゃん!」
「普通ので! 普通のでです!」
それならよし。
普通なら。