守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
温泉旅館の朝食会場。
大きな窓の向こうには、やわらかな朝の山並み。
湯気の立つ味噌汁、焼き魚の香り、食器の触れ合う音。
和洋の料理がずらりと並び、宿泊客たちが思い思いに皿を手にしている。
いかにも、
平和な旅館の朝である。
……少なくとも、
一人の少女が立ち上がるまでは。
弥子が、席につくなり目を輝かせた。
「うわああああああ!!」
キラがびくっとする。
「朝から元気だなあ……」
弥子はもう立ち上がっていた。
「見て見て見て!!
焼き鮭ある! 卵焼きある! 煮物ある! 納豆! 温泉卵!
しかもパンもあるしソーセージもあるし、ヨーグルトもある!!」
ネウロが口元を吊り上げる。
「ククク……
来たな、略奪者」
「誰が略奪者よ!!」
弥子。
「ちゃんとお金払って泊まってるんだから正当な権利よ!」
「言ってることは正しいのに目が獲物を見る目なんだよな……」
キラ。
ラクスはやわらかく微笑んだ。
「とても楽しそうですわね」
「楽しそう、じゃないですよ」
キラ。
「いまの弥子はたぶん“戦闘準備完了”の顔です」
アウクソーは会場全体を静かに見回している。
「まだ混み合う前ですので、先にお取りになったほうがよろしいかもしれません」
「それだ!!」
弥子。
「煽らないでください、アウクソーさん!」
キラ。
「いや、煽ってないんだけど!」
カイエンは眠たげにコーヒーを見つめた。
「ぼかぁ厄介事は苦手なんだが……
朝から勢いがあるな、娘っ子」
承太郎はすでに席に着いている。
たぶん一番“バイキングだからって浮かれない”タイプだ。
「騒ぐ前に取ってこい」
と短く言う。
「はい!!」
弥子、即答。
そして――
桂木弥子、出撃。
第一波:弥子、動く
弥子がトレイを持って進軍する。
その姿はもう、朝食を取りに行く客というより
勝機を逃さぬ略奪者であった。
キラが思わず立ち上がる。
「待って、僕も行く」
弥子が振り向く。
「え、なんで?」
「なんでじゃないよ!
お皿に全種類を物理的に積み始めたら止める係が必要だから!」
ネウロが愉快そうに言う。
「ククク……
保護者同伴か」
「うるさい!」
弥子とキラが並んでバイキング台へ向かう。
もうこの時点で、
宿泊客の何人かが少しだけその勢いを見ていた。
弥子はまず和食コーナーの前で止まる。
「うわああ……焼き鮭、鯖、卵焼き、ひじき、切り干し大根……」
「なにこれ、理想郷?」
「理想郷って言うな」
キラ。
「まず量を考えてね」
「分かってるわよ!」
と言いつつ、弥子のトングは迷いがない。
鮭一切れ、卵焼き二つ、煮物をこんもり、小鉢も一つ。
キラが目を細める。
「……いや、それ一巡目だよね?」
「当然でしょ」
「当然って言った」
その横でネウロも、いつの間にか来ていた。
そして和洋中の境界線を無視した皿を作り始める。
カレー
納豆
ソーセージ
オレンジ
スクランブルエッグ
焼き魚
ヨーグルト
キラがぎょっとする。
「また怖い組み合わせしてる!!」
「人間の朝食は多様性が売りなのだろう?」
ネウロ。
「売り方が雑すぎるんだよ!」
弥子がネウロの皿を見て引く。
「うわ、なにその“朝食界の終末”みたいな盛り方」
「貴様こそ和食に全振りしているではないか」
ネウロ。
「最初はね!
二巡目でパン行く予定だから!」
「予定を口に出すなよ!!」
キラ。
______________________________
他のお客さんは食べられるのか問題
弥子の勢いはすさまじいが、
幸いにも会場の料理はちゃんと補充されていた。
問題は、
弥子がその前で立ち止まって
「どれも食べたい……」と本気で悩むので、
後ろの列がやや詰まることだった。
キラが即座に誘導する。
「悩むなら一回取ってから考えて!
後ろの人もいるから!」
「あっ、すみません!」
弥子が慌てて横にずれる。
その様子を少し離れた席から見て、カイエンがぼそりと言った。
「娘っ子が略奪者というより、坊やが交通整理係だな」
承太郎が味噌汁を飲みながら返す。
「いつものことだ」
ラクスはお茶を手に、やわらかく微笑んでいる。
「でも、キラがいると安心ですわね」
アウクソーが静かに頷いた。
「列の流れも整っております」
「朝食会場で評価される項目がそれでいいんですかね……」
とキラなら言いそうだが、今は現場にいる。
弥子は次に洋食コーナーへ。
スクランブルエッグ、クロワッサン、ウインナー。
そこで止まる。
「待って。
和食で一回まとめるべき?
でもこのウインナー絶対捨てがたい……!」
キラが即答する。
「一回に全部やろうとしないで!」
「でもバイキングってそういう場所じゃない!?」
「違うよ!
“何回か楽しむ場所”だよ!」
ネウロが鼻で笑う。
「ククク……
人間は一度にすべてを得ようとして失敗する」
「おまえが今それ言う!?」
キラ。
______________________________
魔界の朝食は~
そして当然、ネウロは言う。
「もっとも、魔界の朝食はこんなに牧歌的ではないがな」
キラが天を仰ぐ。
「出たよ!」
弥子がパンを取る手を止めて言う。
「はいはい、魔界の朝食はどうなのよ」
ネウロは皿を片手に語り始めた。
「魔界の朝餉では、最初に“昨夜の悪夢”を反芻する苦味の汁が供される」
「朝から嫌すぎる!!」
キラ。
「次に、昨日犯した小さな罪を思い出させる塩味の肉」
「重いよ!!」
「最後に、その日の破滅確率で焼き加減が変わる卵料理だ」
弥子が嫌そうな顔をする。
「卵料理にロマンがない!」
承太郎が席から一言。
「ただの地獄だな」
「魔界だからな」
ネウロ。
「もうそれテンプレ回答になってるな……」
キラ。
______________________________
ジョーカー太陽星団の朝食は~
そこで、案の定、
カイエンが少し面白がる。
コーヒーを置いて、気だるげに言う。
「地球の旅館の朝食はずいぶん親切なんだな。
それに比べてジョーカー太陽星団の宿では、朝一番に“烈風粥”が出る」
キラがぴたりと止まる。
「えっ、なにそれ」
弥子も即食いつく。
「おいしいの?」
カイエンは涼しい顔だ。
「熱い粥の中に、稀に金属片のように硬い穀粒が混じっていてな。
油断すると口の中を切る」
キラが目を見開く。
「危なっ!?
なんでそんな罠みたいな朝ごはんなんですか!?」
ネウロが笑う。
「ククク……
よいぞ剣聖。人間の食卓に不安を持ち込む技は嫌いではない」
「また必殺技みたいに言った!!」
そこへ、すっとアウクソーが近づいてきて静かに言う。
「マスター、嘘は駄目です」
キラが即座に振り向く。
「やっぱり嘘なんだ!」
カイエンが肩をすくめる。
「朝くらい遊ばせてくれ」
アウクソーはまったく揺れない。
「朝だからこそ、でございます」
弥子が笑いながらパンをトレイに乗せる。
「アウクソーさん強すぎる~!」
ラクスも、少し楽しそうに微笑んでいる。
「ええ、とても」
キラが心底ほっとした顔になる。
「よかった……
アウクソーさんがいてくれて本当によかった……」
______________________________
第一陣、着席
ようやくそれぞれが席へ戻る。
弥子の第一陣は、
和食中心+洋食少々という、かなり欲張りだが一応節度ある構成だった。
キラがじっと見る。
「……思ったよりは理性あったね」
「失礼ね!」
弥子。
「あたしだって最初から全力全壊はしないわよ!」
「“最初から”って言った!」
キラ。
ネウロの皿は相変わらず謎構成だ。
承太郎は、焼き魚・白米・味噌汁・卵・漬物。
ぶれない。
カイエンはコーヒーに加えて、お粥と少量のおかず。
ラクスは上品に整った和朝食。
アウクソーは量も構成もきわめて無駄がない。
キラは自分の皿を見下ろした。
鮭、卵焼き、味噌汁、ご飯、少しのサラダ。
こういうときもバランス重視である。
弥子がさっそく卵焼きを食べて言う。
「おいしいっ!!」
「幸せそうだね」
キラ。
「幸せよ!」
弥子。
「旅館の朝ごはんって、なんでこんなに強いの!?」
ラクスが静かに頷く。
「朝の空気もあるのでしょうね」
承太郎が低く言う。
「飯がまともだからだ」
「承太郎、その言い方だと普段ろくでもないもの食べてる人みたいだよ」
キラ。
「別に否定はしねぇ」
承太郎。
弥子が吹き出す。
「強い!」
______________________________
第二陣、略奪者降臨
一巡目を食べ終えた弥子が、
静かに、しかし迷いなく立ち上がる。
キラが箸を止める。
「……行くんだ」
「行く」
弥子。
「まだ行くんだ」
キラ。
「まだ一巡目よ?」
弥子は真顔だ。
「パンもあるし、カレーもあるし、デザートもある。
ここで止まるのは礼儀に反する」
「その理屈は初めて聞いたよ!」
ネウロがにたりとする。
「ククク……
ついに略奪者が本性を現したな」
「うるさい!
略奪じゃなくて“制覇”よ!」
「言い方の問題ではない気もするな……」
カイエン。
今度は弥子、洋食コーナーへまっすぐ進む。
その足取りには迷いがない。
もう観光客ではない。
征服者である。
キラがまた立ち上がる。
「僕も行く」
弥子が振り向く。
「また!?」
「まただよ!
今度はカレーとパンとヨーグルトを同じ皿に盛りそうだから!」
「そこまでしないわよ!」
その横でネウロが、
実際にカレーとオレンジとヨーグルトを一緒のトレイに載せていた。
キラが叫ぶ。
「おまえはするな!!」
会場の端で、他のお客さんが少しだけこちらを見ていた。
しかし幸い、
まだ“騒がしい一団”の範囲に収まっている。
アウクソーが立ち上がる。
「私も少々」
ラクスが尋ねる。
「何かお取りになりますの?」
「ええ」
アウクソーは静かに答える。
「列が滞らぬよう、少しだけ補助を」
弥子が振り向く。
「補助って何!?」
「桂木様が悩んでおられる間に、後列の方へ先をお譲りする程度でございます」
アウクソー。
キラが思わず手を合わせる。
「完璧だ……」
______________________________
承太郎の静かな優しさ
そのころ席では、
承太郎が静かに味噌汁を飲み終え、
ふと視線を上げた。
少し離れたテーブルの子どもが、
パンを取ろうとしてトングを落としたのだ。
承太郎は何も言わず立ち上がり、
トングを拾って渡す。
子どもが「ありがとう」と言う。
承太郎は短く頷き、席へ戻る。
ラクスがその様子を見て、やわらかく微笑んだ。
「やさしい方ですのね」
カイエンがコーヒーを飲みながら言う。
「不良のくせにな」
承太郎は席に着くなり一言。
「うるせぇ」
だが否定はしない。
戻ってきたキラがその空気に気づく。
「……なんかいいことあった?」
弥子が即座に言う。
「承太郎さん、また男前ポイント稼いだ」
「“また”って何だ」
承太郎。
「またはまたよ!」
弥子。
キラが少し笑う。
「まあ、それは分かる」
結局――
弥子は二巡目、三巡目まで行った。
だがキラの監督とアウクソーの交通整理のおかげで、
他のお客さんの朝食が壊滅することはなかった。
奇跡である。
弥子は最後、ヨーグルトとフルーツまで制覇して満足げに言った。
「勝った……」
「何に?」
キラ。
「朝食バイキング」
「戦ってたんだ……」
ネウロが笑う。
「ククク……
略奪者にしては、比較的秩序だった制圧だったな」
「褒めてるのか微妙すぎる!」
弥子。
アウクソーが静かに言う。
「会場の料理も十分に補充されておりましたので、皆さまお召し上がりいただけたかと」
キラが深く頷く。
「ほんとに助かりました……」
ラクスは上品にお茶を飲んでいた。
「賑やかで、よい朝でしたわ」
カイエンがぼそりと言う。
「まあ、悪くない」
「出た」
弥子。
承太郎も短く言う。
「飯はよかったな」
キラが笑う。
「うん、それはほんとに」
ネウロだけが最後に付け加える。
「魔界の朝餉なら、この時点で二人は泣いているがな」
「最後までそれ言う!?」
キラ。
「朝からうるさいわね!」
弥子。
二人の声がまたきれいに揃う。
そして一同は、
旅館らしい満腹感と、
少しだけ騒がしい満足感を抱えたまま、
朝食会場をあとにした。
少なくともこの朝、
旅館の朝食バイキングは守られた。
それだけで十分に平和な結末だった。