守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
いつものカフェテラスは、いつものように騒がしかった。
桂木弥子はケーキのショーケースを見ている。
ネウロはそれを見て呆れている。
キラとラクスは、穏やかに紅茶を飲んでいる。
露伴は何か描きたそうにしていて、承太郎と泉さんに見張られている。
ソープとラキシスは、隣同士で座っている。
カイエンは、いつものように少し離れた席で面白そうに眺めている。
アウクソーは、その傍らに静かに立っていた。
そして怪盗Xiは、今日は珍しく、少しだけ落ち着いていた。
「今日は普通のカフェテラス回だね」
Xiがそう言った瞬間。
ログナー司令が、当然のように現れた。
「次の顔合わせについてだが」
Xiは、カップを置いた。
「拒否する」
即答だった。
ログナーは、わずかに目を細めた。
「まだ内容を言っていない」
「分かってる。次のファティマとの顔合わせでしょ」
弥子が目を丸くする。
「Xiさん、早い!」
Xiは肩をすくめた。
「だいぶ学習したよ。司令が“次の顔合わせ”って言った時点で、外堀の匂いがする」
ネウロが笑った。
「ククク……嗅覚が育ったな」
「嫌な育ち方だよ」
ログナーは淡々と訊いた。
「理由は」
Xiは、少しだけ黙った。
その沈黙で、空気が変わった。
さっきまでのカフェテラスの軽さが、ほんの少しだけ静かになる。
ラキシスは、そっとXiを見た。
アウクソーも、目を伏せずに彼を見ている。
Xiは言った。
「僕は、あの子と約束した」
ログナーは何も言わない。
Xiは続ける。
「また次も、別の珈琲を飲むって。だから、次も会うならあの子だ」
弥子は、手に持っていたフォークを止めた。
キラも、静かにXiを見る。
Xiは、ログナーを正面から見た。
「シックスでも、どこの誰の指示でもない。これが僕の意志だ」
ログナーの表情は変わらない。
だが、何かを測るような沈黙があった。
Xiは、さらに言った。
「僕は騎士でも、ミラージュナイトでもない。黒騎士でもない。誰かのマスターでもない」
そこで一度、言葉を切った。
そして、はっきりと続けた。
「僕は人間だ。りっぱに人間だ。シックスじゃない。新しい血族じゃない」
ラキシスが小さく息を呑んだ。
Xiは続ける。
「だから、大切な約束はしっかり守る」
カフェテラスが、静かになった。
いつもなら茶化すネウロも、すぐには笑わなかった。
露伴も、ペンを持つ手を止めていた。
承太郎は帽子の庇を下げたまま、何も言わない。
ログナーは、しばらくXiを見ていた。
「……それがお前の意志か」
「そうだよ」
「命令ではなく」
「命令じゃない」
「契約でもなく」
「契約でもない」
Xiは少しだけ笑った。
「ただの約束だよ。コーヒーを一緒に飲むっていう、小さい約束」
ラクスが、静かに微笑んだ。
「小さくても、とても大切な約束ですわ」
キラも頷いた。
「うん。そういう約束を守ることって、大事だと思う」
ラキシスは、目を潤ませていた。
「Xiさん……ありがとうございます。
バクスチュアル姉様との約束を、大切にしてくださって」
Xiは少し困ったように顔を逸らす。
「姫様、そんな顔しないで。僕はただ、次の珈琲を飲みに行くだけだよ」
アウクソーが静かに言った。
「姉様は、きっと覚えておられます」
Xiはアウクソーを見た。
「覚えてるかな」
「はい」
アウクソーは迷わず答えた。
「姉様は、あの香りを忘れないと仰いました」
Xiは、少しだけ目を細めた。
「そっか」
弥子が、そこで勢いよく手を挙げた。
「じゃあ、豆制覇ですね!」
Xiは振り向いた。
「豆制覇?」
「はい! この前のお店、豆の種類がすごく多かったじゃないですか! 少なくともあのお店の豆を全部一通り試すまで、他のファティマさんとの顔合わせは禁止です!
他のファティマさんは通行止め!!」
Xiは少し笑った。
「通行止めって言うと強いな」
弥子はさらに身を乗り出す。
「しかも、他にもお店は有るし、コーヒー豆も種類ありますからね!!」
Xiは笑ってしまった。
「弥子ちゃんが話を広げた」
ネウロが言う。
「ククク……珈琲豆巡礼か。食欲の怪物が珍しく飲み物の話を広げている」
「ケーキもあります!」
「やはり食欲だな」
カイエンが、楽しそうに笑った。
「いいじゃないか。あの店の豆を全部試すまで、か。なかなか長いぞ」
Xiは頷いた。
「長くていいんです」
ログナーが言う。
「それだけの期間、他のファティマとの顔合わせを拒否するつもりか」
Xiは、迷わず答えた。
「うん」
「任務上、必要になった場合は」
「その時はその時。でも、今は違う」
ログナーは黙った。
Xiは、もう一度言った。
「バクスチュアルは、好き嫌いがまだ分からないって言った。香りも、苦さも、甘さも、たぶんまだ知らないことだらけだ」
彼はカップの水面を見る。
「だったら、次の香りくらいは、ちゃんと一緒に確かめたい」
ソープが、やさしく微笑んだ。
「Xiらしいね」
Xiは顔を上げる。
「そうですか?」
「うん」
ラキシスも頷いた。
「とても、Xiさんらしいです」
Xiは少し照れたように目を逸らした。
「褒められてるのか分からない」
「褒めています」
ラキシスが、はっきり言った。
泉さんは、静かに頷いていた。
「よいと思います。顔合わせを次々に進めるより、一つの約束を大切にする方が、結果的に信頼につながるのではないでしょうか」
Xiが指を鳴らしそうな顔をする。
「泉さん、今日も正論が強い」
ログナーは泉さんを見た。
「信頼か」
「はい」
泉さんは怯まない。
「特に、今回のような相手には」
ログナーは、しばらく沈黙した。
そして、短く言った。
「分かった」
Xiは目を丸くする。
「え?」
「次の顔合わせは保留する」
Xiは、少し遅れて反応した。
「本当に?」
「本当だ」
「司令が折れた……?」
ログナーは淡々と言った。
「お前の意志を確認した」
Xiは、言葉に詰まった。
ログナーは続ける。
「命令でも契約でもなく、意志として約束を守るというなら、記録しておく価値がある」
Xiはすぐに叫んだ。
「そこは記録しなくていい!」
「記録する」
「やっぱり!」
カイエンが笑う。
「だが、悪い記録じゃないだろう」
Xiは少し黙る。
「……まあ、今回だけは」
ログナーは静かに告げた。
「バクスチュアルとの次回面談。場所は前回と同じ喫茶店。目的は別の豆を試すこと」
Xiは、少しだけ頬を掻いた。
「面談じゃない」
「では何だ」
「珈琲を飲む約束」
ログナーはわずかに間を置いた。
「……バクスチュアルとの次回予定。珈琲を飲む約束」
Xiは驚いたようにログナーを見た。
「修正してくれた」
「正確な記録は必要だ」
「司令……」
ログナーは、いつもの無表情のまま言った。
「ただし、護衛任務上の必要が生じた場合は別途協議する」
Xiは頭を抱えた。
「最後に事務的な一文を足すな!」
弥子が笑った。
「でも、よかったですね!」
「うん」
Xiは、小さく頷いた。
「よかった」
ネウロが紅茶を飲みながら言う。
「ククク……人間だと名乗るために、約束を守るか」
Xiはネウロを見る。
「何?」
「悪くない」
「魔人に悪くないって言われた」
「光栄に思え」
「思わない」
露伴は、しばらく黙っていたが、ぽつりと言った。
「今の台詞は、いいな」
Xiは身構える。
「先生、描かないで」
「描かない」
「本当に?」
露伴は、珍しく真面目な顔をしていた。
「今のは、僕が勝手に使うものじゃあない」
承太郎が少しだけ目を細める。
「分かってるじゃねえか」
「うるさい」
泉さんは小さく微笑んだ。
「露伴先生も、たまには空気を読まれますね」
「たまには、とは何だ」
「たまには、です」
弥子がメニューを開いた。
「じゃあ、今日はお祝いにケーキ追加ですね!」
Xiはすぐに言う。
「なんのお祝い?」
「約束を守るお祝いです!」
ネウロが呆れる。
「貴様は理由をつけて食いたいだけだ」
「理由があると美味しいんです!」
キラが笑った。
「でも、少し分かるかも」
ラクスが微笑む。
「では、皆さんで少しずついただきましょうか」
弥子が目を輝かせた。
「少しずつ! つまり種類を多く!」
「弥子さん」
ラクスが優しく言うと、弥子は少しだけ姿勢を正した。
「はい、ほどほどにします」
Xiはその様子を見て、少し笑った。
カフェテラスの空気は、いつもの明るさに戻りつつあった。
けれど、さっきの言葉は、まだ残っている。
僕は人間だ。
りっぱに人間だ。
だから、大切な約束はしっかり守る。
その言葉は、Xi自身の中にも、周囲の中にも、静かに沈んでいた。
少し離れたところで、ラキシスがアウクソーに小さく言った。
「バクスチュアル姉様、喜んでくださるでしょうか」
アウクソーは静かに答える。
「姉様は、喜ぶという言葉をまだうまく扱えないかもしれません」
「はい」
「ですが、きっと覚えておられます」
ラキシスは微笑んだ。
「それだけで、十分ですね」
ソープは、その二人を優しく見ていた。
「次は、ラキシスも一緒に行く?」
ラキシスは少し迷ってから、首を横に振った。
「行きたいです。でも……あの喫茶店は、Xiさんとバクスチュアル姉様の場所になった気がします」
Xiは、その言葉に気づいて慌てた。
「姫様、そんな大げさな」
ラキシスは微笑む。
「大げさではありません。大切な場所です」
Xiは言葉に詰まった。
「……ただの喫茶店ですよ」
ラキシスは首を振る。
「約束をした場所です」
Xiは、それ以上何も言えなかった。
カイエンが小声で笑う。
「言い返せないな」
「うるさいです、カイエン」
ログナーは、記録を閉じた。
「次回の日程は後日調整する」
Xiはすぐに言う。
「勝手に決めないで」
「本人の意志を確認する」
「僕の?」
「バクスチュアルの」
Xiは少し驚いた。
「……そっか」
ログナーは短く言う。
「約束なら、双方の確認が必要だ」
Xiは、少しだけ笑った。
「司令、今日ちょっとまともですね」
「いつもだ」
「それは違う」
ネウロが笑う。
「ククク……まともかどうかはともかく、記録係としては優秀だな」
「そこは否定しません」
その頃。
別の場所で。
バクスチュアルは、静かな部屋にいた。
白い壁。
余計な装飾のない空間。
必要なものだけが整えられた部屋。
彼女は、窓の外を見ていた。
表情は変わらない。
けれど、その手は、前回の喫茶店で使われた白いカップの形を、わずかに覚えているように、空中で小さく動いた。
「コーヒー……一緒……飲ム……相手……」
彼女は、ゆっくりと言った。
「次……別ノ……豆……」
少しだけ間が空く。
「アタタカイ……ニオイ……」
バクスチュアルは、目を閉じた。
香りは、もうここにはない。
けれど、記録ではなく。
命令ではなく。
何かが、残っている。
「Xi……約束……」
彼女は、それ以上言わなかった。
ただ、次の香りを待っていた。
その日の結論。
ログナー司令は、別のファティマとの顔合わせを打診した。
Xiは拒否した。
理由は、恐れでも面倒でもなく、約束だった。
バクスチュアルと、次も別の珈琲を飲む。
その小さな約束を守ることを、Xiは自分の意志として選んだ。
シックスではなく、新しい血族でもなく、人間として。
ログナー司令は、それを記録した。
ただし、今回は少しだけ、悪い記録ではなかった。
カフェテラスでは、弥子がケーキを追加し、ネウロが呆れ、キラとラクスが笑い、ソープとラキシスが穏やかに見守り、カイエンが面白そうに笑っていた。
Xiは、コーヒーではなく紅茶を飲みながら、ぽつりと言った。
「次は、何の豆がいいかな」
弥子が即座に答える。
「甘いケーキに合うやつです!」
「弥子ちゃん基準だと全部ケーキになる」
キラが笑う。
「でも、香りが華やかな豆なら合いそうですね」
ラクスが微笑む。
「次の楽しみができましたわね」
Xiは少しだけ黙ってから、頷いた。
「うん」
次の香り。
それは、まだ知らない。
けれど、待っている者がいる。
だからXiは、その約束を守るつもりだった。