守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「あのガム、一個くらい残しておけばよかったかなぁ」
いつものカフェテラス。
怪盗Xiが、紅茶のカップを前にして、ぽつりとそんなことを言った。
桂木弥子は、ケーキにフォークを入れる手を止めた。
「何の話?」
Xiは、少しだけしまったという顔をした。
「いや、前にシックスから届いたやつ」
「シックスから届いた時点で駄目なやつじゃん」
「顔が笑顔で固定されるガム」
弥子は即座に叫んだ。
「残しちゃ駄目なやつ!!」
泉さんも、ほぼ同時に言った。
「あれはシックス製なので駄目です」
Xiは肩をすくめる。
「即答」
泉さんは真顔だった。
「即答案件です」
キラ・ヤマトが、少し困ったように言う。
「笑顔の練習と、顔を固定するのは別だと思う」
ラクスも静かに頷いた。
「笑顔は、戻れるからこそ自然なのかもしれませんわ」
Xiは、少しだけ目を伏せた。
「分かってる。分かってるんだけどさ」
ネウロが、くつくつと笑った。
「ククク……笑顔を求めて毒物に手を伸ばすか。実に愚かだな」
弥子がネウロを指差す。
「毒物って言い切った!」
「シックス製だろう」
「それはそう!」
Xiは、テーブルの上で指を組んだ。
「空元気も元気、とか、作り笑顔してたら自然と楽しくなる、とかあるよね」
キラは少しだけ真面目な顔になった。
「言うね。気持ちが表情に引っ張られることもあるって」
「そう。それで、笑顔の練習も意味があるのかなって」
弥子が少し身を乗り出した。
「バクスチュアルさんのため?」
Xiは顔をそらす。
「……金貨以外で笑わせるって約束したから」
弥子の目が輝いた。
「尊い!」
ネウロが顔をしかめる。
「また始まったか」
「始まってない! いや、始まってるけど!」
Xiは慌てて手を振った。
「でも、強制的に笑顔にしたいわけじゃない。あのガムを本気で使うつもりはないよ」
泉さんが頷く。
「そこは安心しました」
「ただ、思い出しただけ。笑顔って言葉から」
カイエンが、少し離れた席で笑った。
「焦ってるな、Xi」
「焦ってますよ。次、どうやって笑わせるか全然分からない」
アウクソーが静かに言う。
「笑わせる、という目的が先に立ちすぎると、バクスチュアル姉様は戸惑われるかもしれません」
Xiはすぐに姿勢を正した。
「ですよね」
ログナー司令が、いつの間にかそこに立っていた。
「ならば、笑顔の訓練を行うか」
Xiは振り向いた。
「嫌な予感しかしない!」
「表情筋の制御訓練だ」
「司令、真面目に言うほど怖い」
弥子が小声で言う。
「ログナー司令も、たぶん善意なんだろうけど……」
ネウロが言った。
「善意の形をした訓練計画だな」
「やっぱり駄目じゃん!」
ソープは、ラキシスの隣で少し考えていた。
「笑顔の練習かぁ」
Xiは即座に言った。
「陛下、何か発明しようとしないでください」
「まだ何も言ってないよ」
「陛下が“笑顔を自然に引き出す小型装置”とか作ったら、たぶん規模がおかしい」
ラキシスがにこりと微笑む。
「ソープ様がお作りになるものなら、きっと素晴らしいものです」
Xiは顔を覆った。
「姫様の全肯定が陛下の発想を伸び伸びさせる……!」
ログナーが短く言った。
「一理ある」
ソープがまた少し驚く。
「ログナーまで?」
弥子が笑いそうになりながら言った。
「でも、Xiさん。作り笑顔って、たしかに悪いことだけじゃないと思いますよ」
「そう?」
「緊張してる時に、とりあえず笑ってみると楽になることもあるし」
キラも頷いた。
「うん。ただ、それは自分で選んでやるから意味があるんだと思う」
ラクスが続ける。
「誰かに強いられた笑顔は、その方の心を置き去りにしてしまいますわ」
Xiは、その言葉を聞いて黙った。
「心を置き去り、か」
ネウロが笑う。
「貴様が嫌うものだな」
「そうだね」
Xiはカップを見つめた。
「バクスチュアルは、好き嫌いも、笑うことも、まだ少しずつ知ってる途中だ。そこで僕が“笑顔が欲しい”って焦ったら、結局、命令と同じになっちゃう」
泉さんが静かに頷いた。
「それに気づいているなら、大丈夫だと思います」
「大丈夫かな」
「少なくとも、シックス製ガムに頼るよりは」
「それは間違いない」
その時、ラキシスがふと顔を上げた。
「バクスチュアル姉様」
カフェテラスの入口に、バクスチュアルが立っていた。
白い衣装。
静かな表情。
相変わらず感情は読みにくい。
しかし彼女は、真っ直ぐにXiを見ていた。
「Xi……」
Xiは驚いて立ち上がる。
「バクスチュアル? 今日は喫茶店じゃないけど……」
ログナーが言った。
「近くまで来たので連れてきた」
Xiはログナーを見る。
「司令、事前連絡」
「必要か」
「必要です」
バクスチュアルは、Xiの前まで歩いてきた。
「笑顔……練習……?」
Xiは固まった。
「聞こえてた?」
「少シ……」
弥子が慌てる。
「あっ、違うの! シックス製のガムは駄目って話で!」
ネウロが弥子を見る。
「余計に怪しい説明だな」
「うるさいな!」
バクスチュアルは、静かにXiを見ていた。
「Xi……ワタシ……笑ウ……必要……?」
Xiは、すぐに首を横に振った。
「ない」
「笑ワセル……約束……」
「した。でも、無理に笑ってほしいわけじゃない」
「無理……」
「うん」
Xiは少しだけ息を吐いた。
「君が笑ったら嬉しい。でも、作らせたいわけじゃない。笑顔の形だけ欲しいわけじゃないんだ」
バクスチュアルは、ゆっくり瞬きをした。
「形……ダケ……」
「シックス製のガムは、顔の形だけ笑顔にする。あれは違う」
「違ウ……」
「君が何かを悪くないって思った時に、少しだけ出てくるものを見たい」
バクスチュアルは、しばらく沈黙した。
その沈黙を、Xiは待った。
誰も茶化さなかった。
弥子でさえ、ケーキのフォークを止めていた。
やがて、バクスチュアルは言った。
「笑顔……出テ……クル……?」
Xiは頷く。
「香りみたいに」
「香リ……」
「うん。カップから、ゆっくり上がってくるみたいに。無理に引っ張り出すんじゃなくて、出てきたらいいなって待つものかも」
バクスチュアルは、Xiを見つめる。
「Xi……待ツ……?」
「待つよ」
「前モ……待ッタ……」
「うん」
「言葉……待ッタ……」
「うん」
「今日モ……待ツ……」
「待つ」
バクスチュアルは、ほんの少しだけ視線を落とした。
「悪ク……ナイ……」
Xiは笑った。
「それで十分」
ネウロが、少しつまらなそうに言った。
「結局、魔界777ツ能力の出番はないのか」
弥子が即座に言う。
「ない!」
「まだ候補を提示していない」
「顔面固定とか、精神干渉とか、絶対そういうやつでしょ」
「ククク……よく分かっているではないか」
「分かりたくないよ!」
バクスチュアルはネウロを見る。
「魔界……道具……笑顔……?」
Xiはすぐに両手で止めた。
「それも駄目」
「駄目……」
「自然じゃないから」
バクスチュアルは小さく頷いた。
「自然……待ツ……」
ラクスが微笑んだ。
「バクスチュアルさんの歩幅でよいのですわ」
キラも言う。
「急がなくていいと思います」
カイエンが少し笑う。
「まあ、焦って口説くよりはいいな」
Xiはカイエンを見る。
「口説き師匠は今日は黙っててください」
アウクソーが静かに言った。
「マスター、今はお控えください」
「分かった分かった」
ラキシスは、そっとバクスチュアルの近くに来た。
「姉様。笑えなくても、笑おうとしてくださるだけで、私は嬉しいです」
バクスチュアルはラキシスを見る。
「ラキシス……嬉シイ……?」
「はい」
「笑顔……ナクテモ……?」
「はい」
バクスチュアルは、少しだけ考えた。
「嬉シイ……難シイ……」
「少しずつでよろしいのです」
「少シ……ズツ……」
ソープが優しく言った。
「そう。少しずつ」
バクスチュアルは、今度はXiを見た。
「次……笑ワセル……約束……」
Xiは言う。
「うん」
「今日……笑ワナイ……デモ……」
「いい」
「次……デモ……」
「いい」
「次ノ……次……デモ……」
「いいよ」
「待ツ……?」
Xiは、はっきり頷いた。
「待つ」
バクスチュアルは、長く沈黙した。
そして、ゆっくり言った。
「Xi……待ツ……相手……」
Xiは少し照れたように笑った。
「そういうことになるかな」
「マスター……デハ……ナイ……」
「ない」
「命令……シナイ……」
「しない」
「笑顔……作ラセナイ……」
「作らせない」
「出ル……待ツ……」
「うん」
バクスチュアルは、小さく頷いた。
「了解……」
その「了解」は、いつものような任務の返事にも聞こえた。
けれど、少しだけ違った。
香りを待つことを、受け入れたような声だった。
弥子が涙目で言った。
「尊い……」
ネウロが顔をしかめる。
「貴様は何でも尊くするな」
「だって尊いんだよ!」
泉さんも小さく微笑んでいる。
「作り笑顔では足りない、ということですね」
Xiは、少しだけ頷いた。
「うん。足りない」
ログナー司令は記録帳を開いた。
Xiがすぐに反応する。
「司令、何を記録する気?」
ログナーは淡々と言った。
「シックス製笑顔固定ガム、不採用。魔界道具、不採用。作り笑顔ではなく自然発生を待つ方針」
Xiは少し黙った。
「……今回はいい記録ですね」
「そうか」
「ただし、笑顔固定ガムの再調達は絶対にしないでください」
「了解した」
弥子が言う。
「それ、了解で済ませていい話かな?」
ネウロが笑う。
「ククク……ログナー司令が本気で調達すれば、シックス製品すら管理対象になりかねん」
Xiは青ざめる。
「怖いこと言わないで!」
バクスチュアルは、テーブルの上のケーキを見た。
「ケーキ……」
弥子がぱっと顔を上げる。
「食べる?」
Xiが慌てる。
「いきなり弥子ちゃん基準にしない」
バクスチュアルは、少しだけ考える。
「甘イ……」
「うん。甘い」
「コーヒー……ナイ……」
「今日はカフェテラスだからね」
「甘イ……ダケ……?」
弥子が力強く言う。
「甘いだけも悪くないよ!」
ネウロが即座に言う。
「貴様の意見は参考にならん」
「なんで!」
Xiは笑った。
「じゃあ、一口だけ試す?」
バクスチュアルは頷いた。
「一口……」
弥子は嬉しそうに、自分のケーキを少し切り分けた。
「はい!」
ネウロが言う。
「餌付けか」
「違う!」
バクスチュアルはケーキを口に入れた。
しばらく沈黙。
「甘イ……」
弥子が身を乗り出す。
「どう?」
「強イ……」
「ケーキだからね!」
「コーヒー……欲シイ……」
Xiが笑った。
「それはかなり分かってきてる」
バクスチュアルはXiを見る。
「甘イ……ダケ……少シ……多イ……」
弥子が胸を押さえた。
「大人の感想……!」
ネウロが言う。
「弥子より分かっているな」
「うるさいな!」
Xiは、バクスチュアルの言葉を聞いて、少しだけ嬉しそうだった。
「じゃあ、次の喫茶店では、甘いものとコーヒーを合わせよう」
「次……」
「うん」
「何……飲ム……?」
Xiは考える。
「まだ決めてない。笑わせる約束もあるし」
バクスチュアルは、静かに言った。
「待ツ……」
Xiは頷いた。
「待ってて」
「了解……」
バクスチュアルは、もう一口だけケーキを食べた。
「甘イ……」
「うん」
「コーヒー……欲シイ……」
「うん」
「今日……悪クナイ……」
「よかった」
「笑顔……出ナイ……」
「いいよ」
「デモ……」
バクスチュアルは、少しだけ言葉を探した。
「出ル……カモ……シレナイ……」
Xiは、目を細めた。
「うん」
「待ツ……?」
Xiは笑った。
「待つ」
バクスチュアルは、小さく頷いた。
「悪ク……ナイ……」
その日の結論。
Xiは、シックス製の笑顔固定ガムを一個くらい残しておけばよかったかもと呟いた。
弥子と泉さんに即座に止められた。
作り笑顔も、空元気も、時には意味がある。
けれど、バクスチュアルの笑顔を無理に作らせることは違う。
魔界777ツ能力も当然却下。
シックス製品も当然却下。
必要なのは、待つことだった。
香りが立つのを待つように。
言葉が出てくるのを待つように。
笑顔が、いつか自然に出てくるのを待つことだった。
帰り際。
バクスチュアルはXiに言った。
「Xi……」
「何?」
「作リ……笑顔……足リナイ……」
「うん」
「自然……待ツ……」
「うん」
「Xi……待ツ……」
「待つよ」
「次……コーヒー……」
「うん」
「ケーキ……少シ……」
「うん。少しね」
「甘イ……強イ……」
「コーヒーと一緒なら大丈夫かも」
「コーヒー……必要……」
「だね」
バクスチュアルは、ほんの少しだけ首を傾けた。
「今日……悪クナイ……」
Xiは、いつものように軽く笑った。
「それなら十分」
ネウロが、席を立ちながら言った。
「吾輩は謎を喰いに魔界から地上に来たのであって、甘さの見届け人になるためではない」
弥子がケーキの皿を持って言う。
「でも最後までいたじゃん」
「観察だ」
「見守りでしょ」
「観察だ」
カフェテラスに、笑いが広がった。
その中で、Xiはバクスチュアルを見た。
まだ、笑ってはいない。
けれど、それでよかった。
作り笑顔では足りない。
だから、彼は待つことにした。
次の香りを待つように。
次の言葉を待つように。
いつか、自然にこぼれる笑顔を。