守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「最初に確認します」
レンタルキッチンの中央で、泉さんが言った。
その声は、いつもの編集者の声だった。
つまり、場の空気を整える声であり、同時に危険物を見逃さない声でもある。
「本日の食材は、すべて普通のものですね?」
怪盗Xiは、両手を上げた。
「普通です」
泉さんは、テーブルに並んだ食材を順に指差す。
「トマト」
「普通のトマト」
「モッツァレラチーズ」
「普通のモッツァレラ」
「バジル」
「普通のバジル」
「オリーブオイル」
「普通のオリーブオイル!」
「塩、胡椒」
「普通!」
弥子が力強く頷いた。
「普通って素晴らしい!!」
ネウロが横で鼻を鳴らす。
「貴様の場合、食えるならだいたい素晴らしいのだろう」
「そうだけど、今日は特に素晴らしいの!」
Xiは、念のためもう一度箱やラベルを確認した。
どこにも「6」の刻印はない。
差出人不明でもない。
「我が一族自慢の」などという余計な文言もない。
もちろん、ヘキサクス製でもない。
「よし。今日は本当に普通だ」
キラが苦笑した。
「普通を確認するだけで、こんなに安心するのもすごいね」
ラクスが微笑む。
「それだけ、皆さま色々ご経験なさったということですわ」
「経験したくなかった経験も多いです」
Xiは真顔で言った。
今日の料理会は、以前パスタパーティで使ったレンタルキッチンで行われることになった。
目的はひとつ。
普通のカプレーゼを作って、食べること。
そして、バクスチュアルに「美味しい」という感覚を知ってもらうことだった。
バクスチュアルは、テーブルの前に静かに立っていた。
白い衣装。
落ち着いた瞳。
表情はいつも通り薄い。
けれど、その視線は、赤いトマトと白いモッツァレラをじっと見ていた。
「赤……白……緑……」
Xiが頷く。
「カプレーゼの色だね」
「カプレーゼ……」
「トマトとモッツァレラとバジル。シンプルだけど、合わせると美味しい」
バクスチュアルは、少しだけ首を傾げた。
「美味シイ……」
弥子が、胸の前で両手を握った。
「今日はそれを知る回です!」
ネウロが言う。
「また勝手に回と呼んでいる」
「だって回でしょ!」
ラキシスは、バクスチュアルの隣にそっと立った。
「バクスチュアル姉様。今日は一緒に作りましょう」
「一緒……」
アウクソーも静かに頷く。
「私もお手伝いいたします」
バクスチュアルは、二人を順に見た。
「ラキシス……アウクソー……一緒……作ル……」
ラキシスは嬉しそうに微笑む。
「はい」
カイエンが腕を組んで笑った。
「今日は平和そうだな」
Xiは即座に振り向く。
「その言い方、フラグっぽいからやめて」
ログナー司令が、キッチンの隅で記録帳を開いていた。
「本日は料理会。カプレーゼ。材料は通常品」
Xiはじっとログナーを見る。
「司令、今日はそこだけ記録してください」
「分かっている」
「本当に?」
「バクスチュアルの反応も記録する」
「それは……まあ、いいです」
露伴は、キッチンの一角で食材の配置を見ていた。
「赤、白、緑。単純だが絵になるな」
承太郎が帽子の庇を下げる。
「食材にヘブンズ・ドアーは使うなよ」
「使わない」
泉さんがすかさず言った。
「本当にお願いします」
「君たちは僕を何だと思っているんだ」
Xiが言う。
「好奇心で食材にも取材する漫画家」
露伴は否定しなかった。
「……まあ、少し興味はある」
「やっぱり!」
調理は、ラクスの穏やかな指示で進んだ。
「では、まずトマトを洗いましょう」
弥子が元気よく手を挙げる。
「はい!」
「弥子さん、食べる前に洗うんですよ」
「分かってます!」
ネウロが冷ややかに言う。
「洗う前にかじる可能性を警戒されているぞ」
「しないよ!」
Xiは、バクスチュアルに包丁を渡す前に少し迷った。
「切るの、できる?」
バクスチュアルは包丁を見る。
「切断……可能……」
「言い方が強い」
キラがそっとフォローする。
「厚さを揃えて薄く切る、くらいでいいと思うよ」
バクスチュアルは頷いた。
「厚サ……揃エル……」
その手つきは正確だった。
トマトは見事に同じ厚さで切られていく。
赤い断面が、皿の上に並ぶ。
弥子が感心した。
「すごい! 全部同じ厚さ!」
バクスチュアルは答える。
「誤差……少ナイ……」
Xiは苦笑する。
「料理っていうより精密作業になってる」
アウクソーが静かに言った。
「姉様らしいです」
ラキシスは嬉しそうだった。
「とても綺麗ですわ、姉様」
バクスチュアルは、少しだけラキシスを見た。
「綺麗……?」
「はい」
「トマト……綺麗……」
「はい」
「悪ク……ナイ……」
Xiは小さく笑った。
「今日、もう一個覚えたね」
次はモッツァレラ。
白く、柔らかく、包丁を入れると少しだけ水分がにじむ。
バクスチュアルはそれをじっと見た。
「白イ……柔ラカイ……」
ラクスが言う。
「トマトと同じくらいの厚みに切ると、食べやすいですわ」
「同ジ……厚サ……」
今度も、見事に揃った。
トマト。
モッツァレラ。
バジル。
赤、白、緑が交互に皿へ並ぶ。
ソープが楽しそうに言った。
「きれいだね」
ラキシスが頷く。
「はい。とても」
Xiはオリーブオイルの瓶を手に取り、ラベルをもう一度見た。
「普通のオリーブオイル」
泉さんが頷く。
「確認済みです」
「前の至高のオリーブオイルがトラウマで」
キラが少しだけ目を逸らした。
「摩擦係数ゼロは、ちょっと技術的に興味はあったけど……」
「キラ」
ラクスが名前を呼ぶと、キラはすぐに姿勢を正した。
「使いません」
Xiは慎重にオリーブオイルをかけた。
つやり、とトマトとモッツァレラが光る。
塩を少し。
胡椒を少し。
露伴が思わず呟く。
「いいな。単純なのに、線が強い」
承太郎が言う。
「食う前に描くな」
「分かっている」
弥子はすでに目を輝かせていた。
「美味しそう……!」
ネウロが言う。
「貴様の胃は常に前のめりだな」
「今日は普通の美味しいを味わう日なの!」
「貴様は毎日味わっているだろう」
「毎日でも大事!」
Xiは皿をテーブル中央に置いた。
「完成。普通のカプレーゼ」
バクスチュアルは、皿を見つめていた。
「普通……」
Xiが言う。
「そう。普通の材料で、普通に作ったカプレーゼ」
「普通……美味シイ……?」
「食べてみよう」
小皿に取り分けられたカプレーゼ。
トマト、モッツァレラ、バジルを一緒に。
バクスチュアルはフォークでそれを慎重に刺した。
「赤……白……緑……一緒……」
「うん」
「食ベル……」
「うん」
彼女は、一口食べた。
全員が、少しだけ息を止めた。
弥子は両手を握っている。
ラキシスは祈るように見ている。
アウクソーは静かに見守っている。
Xiは何も言わない。
待っている。
バクスチュアルは、ゆっくり咀嚼した。
そして、言った。
「トマト……酸味……水……甘イ……」
Xiは頷く。
「うん」
「チーズ……柔ラカイ……白イ……味……」
弥子が小声で言う。
「白い味……!」
ネウロが囁く。
「黙って聞け」
「ネウロがまとも……!」
バクスチュアルは続けた。
「バジル……香リ……強イ……」
「うん」
「オイル……全体……ツナグ……」
キラが目を丸くする。
「すごい。かなり的確だ」
ラクスも微笑む。
「ええ」
バクスチュアルは、フォークを見つめたまま言った。
「別々……違ウ……」
Xiは静かに頷く。
「うん」
「一緒……」
少しだけ間が空く。
「悪ク……ナイ……」
弥子が身を乗り出した。
「それです!」
バクスチュアルが弥子を見る。
「ソレ……?」
弥子は、目をきらきらさせた。
「それが、美味しいってことです!」
バクスチュアルは、その言葉を受け取った。
「美味シイ……」
Xiは何も言わずに待つ。
バクスチュアルはもう一口食べた。
「トマト……チーズ……バジル……オイル……」
「うん」
「一緒……悪クナイ……」
「うん」
「美味シイ……?」
Xiは、優しく答えた。
「たぶん、それが美味しい」
バクスチュアルは、ゆっくり目を伏せた。
「美味シイ……悪クナイ……」
ラキシスの目に涙が浮かんだ。
「姉様……」
アウクソーも、静かに微笑んでいた。
「姉様が、美味しいを……」
カイエンは小さく笑った。
「よかったな」
ログナー司令は記録している。
「バクスチュアル、カプレーゼに対し『美味シイ……悪クナイ』と反応」
Xiは、今回は止めなかった。
「そこは記録してください」
「了解した」
弥子は勢いよく自分の分を食べた。
「うん! 美味しい!!」
ネウロが言う。
「貴様の美味いは情報量が少ないな」
「美味しいものは美味しいの!」
露伴も口に運んで、少し黙った。
「……普通の食材で、ここまで絵になる味か」
承太郎が短く言う。
「普通に美味いな」
泉さんも頷いた。
「ええ。普通に美味しいです」
Xiは笑った。
「普通に美味しい。今日のテーマですね」
その後、テーブルにはティラミスが並んだ。
弥子の目が、さらに輝く。
「ティラミス!」
ネウロが呆れる。
「待っていたな」
「待ってた!」
「隠す気もないのか」
「ない!」
そして、コーヒー。
今日の豆はマンデリン。
濃く、深く、少し重い苦みを持つ香りが、レンタルキッチンに広がった。
バクスチュアルは、その香りに反応した。
「コーヒー……」
Xiがカップを渡す。
「今日はマンデリン。前のブラジルサントスより、苦みが深いと思う」
「深イ……苦ミ……」
「ティラミスと合わせるから、ちょっと重めの豆にした」
バクスチュアルはカップに顔を近づけた。
「香リ……低イ……」
Xiは少し驚く。
「低い?」
「ゲイシャ……上……行ッタ……」
「うん」
「ブルー……マウンテン……明ルイ……」
「うん」
「マンデリン……下……落チル……」
キラが感心する。
「香りの高さで覚えてるんだ」
ラクスが微笑む。
「バクスチュアルさんらしい表現ですわ」
バクスチュアルは一口飲んだ。
「苦イ……」
Xiが頷く。
「うん」
「普通ノ……苦ミ……ヨリ……重イ……」
「うん」
「深イ……」
「うん」
「嫌イ……デハ……ナイ……」
「そっか」
次にティラミス。
スプーンで柔らかくすくう。
バクスチュアルは、慎重に口に運んだ。
「甘イ……柔ラカイ……」
弥子が頷く。
「うんうん!」
「コーヒー……ノ……味……?」
Xiが言う。
「ティラミスにはコーヒーが使われてることが多いね」
バクスチュアルは少しだけ首を傾げた。
「コーヒー……食ベル……?」
Xiは笑った。
「そういう解釈、ちょっと合ってる」
「コーヒー……飲ム……食ベル……」
「両方だね」
バクスチュアルは、ティラミスをもう一口食べたあと、マンデリンを飲んだ。
そして、少しだけ目を伏せる。
「甘イ……消エナイ……」
「うん」
「苦イ……強イ……」
「うん」
「デモ……甘イ……戻ル……」
弥子が感極まったように言う。
「それ! それです!」
ネウロが言う。
「またそれか」
「だってそれなんだよ!」
バクスチュアルは続けた。
「ティラミス……甘イ……柔ラカイ……」
「うん」
「マンデリン……苦イ……重イ……」
「うん」
「一緒……」
少しだけ、間。
「美味シイ……」
場が静かになった。
今度は、疑問形ではなかった。
「美味シイ……悪クナイ……」
Xiは、静かに笑った。
「うん。美味しいね」
ラキシスは、ついに涙を拭った。
「バクスチュアル姉様……」
アウクソーも、深く頷いた。
「はい」
ソープが優しく言う。
「またひとつ増えたね」
バクスチュアルは、ティラミスとコーヒーを見つめた。
「美味シイ……増エル……」
Xiは言った。
「うん。増える」
「香リ……増エル……」
「うん」
「苦ミ……酸味……甘イ……増エル……」
「うん」
「普通……増エル……」
Xiは、少しだけ言葉に詰まった。
「そうだね」
バクスチュアルはXiを見る。
「普通……悪クナイ……」
Xiは笑う。
「かなり良い、って意味かも」
バクスチュアルは、小さく頷いた。
「普通……良イ……」
弥子が完全に泣きそうな顔で言った。
「普通……良い……!」
ネウロが横から言う。
「ケーキを食いながら泣くな」
「泣きながら食べることもある!」
「器用だな」
ログナー司令は、記録帳を閉じかけて、もう一度開いた。
「記録する。バクスチュアル、カプレーゼで美味しいを認識。ティラミスとマンデリンで、甘みと深い苦みの組み合わせを認識。普通を良いと表現」
Xiは頷いた。
「そこも記録してください」
ログナーは短く答えた。
「了解した」
その日の料理会は、最後まで平和だった。
シックス製品は届かなかった。
ヘキサクスの箱もなかった。
至高の何かもなかった。
誰も摩擦係数を失わなかった。
誰の記憶もチーズの臭気で飛ばなかった。
ただ、普通のトマトがあった。
普通のモッツァレラがあった。
普通のバジルがあった。
普通のオリーブオイルがあった。
そして、普通にみんなで作って、普通に食べた。
その普通が、バクスチュアルにとっては新しかった。
帰り際。
バクスチュアルは、空になった皿を見ていた。
「赤……白……緑……」
Xiが言う。
「カプレーゼ」
「美味シイ……」
「うん」
「ティラミス……」
「うん」
「マンデリン……」
「うん」
「甘イ……苦イ……一緒……美味シイ……」
「うん」
バクスチュアルは、少しだけ考えた。
「今日……良イ……」
Xiは笑った。
「うん。良い日だった」
「普通……良イ……」
「うん」
「次……?」
Xiは少しだけ目を丸くした。
「次?」
「次……美味シイ……増エル……?」
弥子が横から勢いよく言った。
「増えます!! 美味しいものは無限にあります!!」
ネウロが言う。
「貴様が言うと説得力がありすぎて逆に怖いな」
「任せて!」
Xiは苦笑した。
「じゃあ、次は何にしようか」
バクスチュアルは、ほんの少しだけ視線を落とした。
「待ツ……」
「待ってて」
「約束……?」
Xiは頷く。
「約束」
バクスチュアルは、静かに答えた。
「了解……」
その声は、いつものように淡々としていた。
けれど、そこには確かに、今日知ったものが残っていた。
美味しい。
普通。
良い日。
それらはまだ小さな言葉だった。
でも、バクスチュアルの中に、またひとつ増えた。
バクスチュアルは、カプレーゼを食べた。
トマトの酸味、モッツァレラの柔らかさ、バジルの香り、オリーブオイルが全体をつなぐことを知った。
それを、美味しいと呼んだ。
ティラミスとマンデリンを合わせて、甘さと深い苦みが一緒にある気持ちよさを知った。
普通の材料で、普通に作り、普通に食べる。
それは、とても良いことだった。
そして怪盗Xiは思った。
普通は、時々とても難しい。
けれど。
普通は、こんなにも美味しい。