守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「ジャコウネコのアレは、かなり後回しです」
泉さんが、以前そう言った。
その言葉を、怪盗Xiは正しいと思っていた。
コピ・ルアク。
ジャコウネコが食べたコーヒーの果実から得られる豆。
高級品であり、珍品であり、話題性はある。
だが、バクスチュアルとの珈琲の時間にいきなり出すには、攻めすぎる。
だからXiは、その話題を棚の奥にしまっていた。
しまっていた、はずだった。
「面白いと思わないか?」
レディオス・ソープが、いつものカフェテラスに現れて、にこにこと笑いながらそう言った。
その腕には、白い小さな生き物が抱えられていた。
白い体。
赤く長い角のような飾り。
どこか鳥のようで、どこか竜のようで、しかし明らかに普通の生き物ではない。
それは、じたばたと足を動かしながら言った。
「うっす!」
Xiは、立ち上がった。
「待って。待ってください。陛下」
ソープは首を傾げる。
「なに?」
「その、腕の中のでっかいニワトリみたいな生き物は何ですか」
白い生き物が、Xiを見た。
「ハラへった!」
弥子が目を輝かせる。
「かわいい!!」
ネウロが鼻で笑う。
「貴様は空腹を訴えるものに親近感を覚えるのか」
「うるさいな! かわいいものはかわいいの!」
ラキシスは、嬉しそうにソープの隣へ寄った。
「すえぞうですね、ソープ様」
「うん」
Xiは固まる。
「すえぞう」
ログナー司令が静かに言った。
「LEDドラゴンの幼体だ」
Xiは、ゆっくりログナーを見た。
「LEDドラゴン」
「ジョーカー太陽星団に存在する五体のドラゴンの一つだ」
「五体のドラゴン」
「LEDドラゴン、サンダードラゴン、フェザードラゴン、ジェットドラゴン、アースドラゴン」
「情報量が重い」
ログナーは淡々と続けた。
「MH以上の戦闘力を持つ、ジョーカー太陽星団最強の存在だ」
すえぞうは、ソープの腕の中で口を開けた。
「クウ!」
Xiは頭を抱えた。
「ジョーカー太陽星団最強の存在の幼体が、語彙だけ見ると弥子ちゃん寄り!」
弥子が抗議した。
「私、もうちょっと喋れるよ!」
ネウロが言う。
「食欲の方向性は近いな」
「近くない!」
すえぞうが弥子を見た。
「ハラへった!」
弥子は拳を握った。
「分かる!」
Xiは指差した。
「分かり合わないで!」
ソープは、すえぞうを膝の上に乗せた。
「この子たちはね、老体になると自らを幼体に再構築して、また成長していくんだ」
キラが驚いたように目を細める。
「自己再構築……?」
ラクスも静かに言った。
「すごい生命ですわね」
ソープは頷く。
「増えたり繁殖したりはしない。けれど、循環する」
露伴が目を輝かせた。
「循環する最強生物。面白いじゃあないか」
承太郎が即座に言う。
「近づくな」
「まだ何もしていない」
「する顔だ」
泉さんは、すでに嫌な予感で眉を寄せていた。
「それで、ソープ様。今日はなぜ、その……すえぞうさんを連れていらしたんですか?」
ソープは、にこにこと笑った。
「この前、ジャコウネコのコーヒーの話をしていただろう?」
Xiは、その瞬間すべてを察した。
「やめましょう」
「まだ何も言ってないよ」
「言う前から駄目です」
ソープはすえぞうの頭を撫でながら言った。
「このコに珈琲の果実を食べさせる……面白いと思わないか?」
カフェテラスが凍った。
すえぞうだけが元気に叫ぶ。
「クウ!」
Xiが両手を突き出した。
「思わない!!」
泉さんも立ち上がった。
「実施しません」
ソープは少し驚いた。
「即答だね」
泉さんは、編集者として、そして常識担当として、全力の顔だった。
「衛生面、倫理面、流通面、安全面、戦闘力面、すべてにおいて駄目です」
Xiが頷く。
「全部駄目です」
キラも真顔で言った。
「消化器官の構造が違いすぎます。そもそもコーヒーの果実がドラゴンにとって安全かどうかも分かりません」
ログナーが静かに言う。
「調査すれば――」
泉さんが遮った。
「しません」
ログナーは黙った。
Xiは泉さんを見た。
「強い」
弥子は、少しだけ迷っている顔をしていた。
「でも……ドラゴン由来の珈琲……」
ネウロが笑った。
「ククク……食欲の迷いが見えるぞ、弥子」
弥子は慌てた。
「ちょっとだけ! ちょっとだけ珍しいなって思っただけ!」
「珍品なら胃に入れるのか」
「全部は入れない!」
「一部は入れる気か」
Xiは弥子を見た。
「弥子ちゃん、今日はそっち側に行かないで」
「行かない! 行かないけど、好奇心が!」
泉さんが言った。
「危険物の前では、食欲と好奇心は同じくらい危ないです」
Xiは深く頷いた。
「真理」
すえぞうは、テーブルの上のティラミスを見つけた。
「アマイ! クウ!」
弥子が皿を抱えた。
「これは私の!」
すえぞうが身を乗り出す。
「クウ!」
「駄目! これは私のティラミス!」
ネウロが冷たく言う。
「最強生物の幼体と食い物を取り合う女子高生か」
「取られるわけにはいかないんだよ!」
Xiは、すえぞうの方へ手を伸ばした。
「すえぞう、ティラミスは駄目。君はドラゴンでしょ」
すえぞうはXiを見た。
「ハラへった!」
「会話が成立してるようで成立してない!」
バクスチュアルは、じっとすえぞうを見ていた。
「ドラゴン……コーヒー……普通……デハ……ナイ……」
Xiは即座に頷いた。
「そう! 今日も正しい!」
バクスチュアルは、すえぞうを見たまま続ける。
「最強……存在……幼体……珈琲……果実……食ベル……」
「うん」
「普通……デハ……ナイ……」
「完全に正しい」
「実施……シナイ……?」
泉さんが力強く答えた。
「実施しません」
バクスチュアルは小さく頷いた。
「了解……」
ラキシスは、すえぞうの頭をそっと撫でた。
「すえぞう、いけませんよ。食べてよいものと、食べてはいけないものがあります」
すえぞうはラキシスを見上げた。
「クウ?」
ラキシスは優しく微笑む。
「それは後で、ちゃんとソープ様にご用意いただきましょう」
ソープが頷いた。
「そうだね。すえぞう用のおやつを用意しよう」
すえぞうは叫んだ。
「クウ!」
Xiは少しだけ安心した。
「よし。珈琲の果実から離れた」
だが、ソープはまだ少し未練があるようだった。
「でも、ジャコウネコで成立するなら、ドラゴンではどうなるのか――」
「陛下!」
Xi、泉さん、キラが同時に声を上げた。
ソープは笑った。
「冗談だよ」
ログナーが淡々と言う。
「陛下の冗談は、時に研究計画に移行する」
Xiが叫ぶ。
「やっぱり危ない!」
カイエンが笑った。
「まあ、実施しねぇならいいだろ」
「カイエン、そこを油断すると実施されます」
アウクソーが静かに言う。
「マスター、今回は止める側に回ってください」
カイエンは肩をすくめた。
「分かった分かった」
露伴は、すえぞうを見ながらペンを構えていた。
「この生き物、スケッチくらいは――」
承太郎が肩を掴んだ。
「やめろ」
「まだ描くだけだ」
泉さんが言う。
「露伴先生、相手はジョーカー太陽星団最強存在の幼体です」
露伴は少しだけ悩んだ。
「……そこが描きたいんだが」
Xiが真顔で言う。
「好奇心の方向性が弥子ちゃんと同じくらい危ない」
弥子が言った。
「私より危ないと思う!」
ネウロが頷く。
「どちらも危険だ」
「ネウロにまとめられた!」
すえぞうは、床に降りると、てちてちと歩き始めた。
見た目は小さい。
動きは愛嬌がある。
しかし、ログナーの説明を聞いたあとでは、どう見ても油断できない。
すえぞうは、Xiの靴先をつついた。
「うっす!」
Xiはしゃがんだ。
「うっす」
すえぞうは目をぱちぱちさせた。
「クウ!」
「食べ物じゃないよ」
「マズイ?」
「食べる前提で聞かないで」
バクスチュアルが、すえぞうの前にしゃがんだ。
「すえぞう……」
すえぞうが彼女を見る。
「うっす!」
「バクスチュアル……」
「バク……?」
「バクスチュアル……」
すえぞうは少し考えたような顔をした。
「バク!」
Xiは吹き出した。
「略された」
バクスチュアルは、静かに頷いた。
「バク……了解……」
弥子が口元を押さえる。
「かわいい……!」
ネウロが言う。
「語彙同士の交流が成立しているな」
Xiはすえぞうとバクスチュアルを見た。
「成立してるような、してないような」
ソープは楽しそうだった。
「すえぞうは、人の言葉を分かっているよ。語彙は少ないけどね」
すえぞうが元気に言う。
「ハラへった!」
Xiは頷いた。
「分かりやすい」
弥子が言う。
「ほら、気持ちは伝わる!」
ネウロが言った。
「貴様も大体同じだな」
「違うってば!」
その後、ソープはカフェテラスの店員に頼み、すえぞう用に果物を用意してもらった。
もちろん、コーヒーの果実ではない。
普通の果物。
普通の安全なもの。
すえぞう用に細かく切ったもの。
泉さんは、その内容まで確認した。
「普通の果物ですね?」
店員は少し困惑しながら頷く。
「はい。普通の果物です」
Xiが感慨深そうに言う。
「また普通の確認をしている」
弥子が力強く言った。
「普通って素晴らしい!」
バクスチュアルが静かに頷く。
「普通……良イ……」
すえぞうは果物を見るなり飛びついた。
「クウ!」
そして、あっという間に食べた。
「モット!」
ソープが笑う。
「すえぞう、食べすぎは駄目だよ」
「モット!」
ラキシスが優しく言う。
「すえぞう、めっ」
すえぞうは止まった。
「めっ……」
Xiが驚く。
「姫様の“めっ”が効いた」
ログナーが言う。
「姫様だからな」
「その説明で済ませていいんですか?」
すえぞうは少ししょんぼりしたように見えた。
「ハラ……」
ラキシスは微笑んだ。
「また後で、です」
「あと……」
「はい」
すえぞうは納得したように座った。
Xiはその光景を見ていた。
「最強存在の幼体が、普通におやつを待っている……」
バクスチュアルが言った。
「待ツ……悪クナイ……」
Xiは笑った。
「それ、君が言うとちょっと重い」
「待ツ……覚エタ……」
「うん」
「すえぞう……待ツ……」
すえぞうは、床に座っていた。
「あと……クウ……」
弥子が胸を押さえる。
「かわいい……」
ネウロはため息を吐いた。
「今日は謎も魔界道具もなく、ドラゴンの食事制限を見届ける日か」
弥子が笑う。
「見守り役だね!」
「吾輩は謎を喰いに魔界から地上に来たのであって、ドラゴン幼体のおやつを見守るためではない」
「でも最後までいるじゃん」
「観察だ」
「見守りでしょ」
「観察だ」
ソープは、少しだけ残念そうに言った。
「すえぞう珈琲、だめかな」
全員が同時に言った。
「駄目です」
すえぞうが言った。
「ダメ!」
Xiは笑った。
「本人も言った」
ソープは肩をすくめた。
「じゃあ、実施しない」
泉さんが確認する。
「本当に、実施しませんね?」
「うん。実施しない」
ログナーが記録帳を開く。
「記録する。すえぞう珈琲計画、実施せず」
Xiは深く頷いた。
「今日一番大事な記録です」
弥子が少しだけ残念そうに言う。
「ちょっとだけ、どんな味か気になったけど」
泉さんが見た。
「弥子さん」
「実施しない! 実施しないです!」
ネウロが笑う。
「食欲に勝ったか」
「勝った!」
「珍しい」
「失礼だな!」
バクスチュアルは、すえぞうを見ていた。
「すえぞう……珈琲……ナシ……」
「うん」
「果物……普通……」
「うん」
「普通……良イ……」
「うん」
すえぞうがバクスチュアルを見る。
「バク!」
バクスチュアルは少しだけ首を傾げた。
「バク……」
すえぞうは言った。
「うっす!」
バクスチュアルは、ゆっくり答えた。
「うっす……」
Xiは思わず笑った。
バクスチュアルがXiを見る。
「笑ッタ……?」
「笑った」
「悪クナイ……?」
「悪くない」
バクスチュアルは、少しだけすえぞうを見た。
「すえぞう……悪クナイ……」
すえぞうは元気に言った。
「クウ!」
Xiは肩をすくめる。
「食欲さえ暴走しなければね」
弥子が言う。
「食欲は大事ですよ!」
ネウロが即座に返す。
「貴様が言うと説得力がありすぎる」
ソープは、コピ・ルアクの話を聞いて、すえぞう珈琲を試したくなった。
すえぞうはLEDドラゴンの幼体であり、ジョーカー太陽星団最強存在の一角でありながら、語彙はだいたい「うっす」「ハラへった」「クウ」だった。
Xi、泉さん、キラ、その他全員の反対により、すえぞう珈琲計画は実施しないことになった。
すえぞうには普通の果物が与えられた。
普通の果物は安全だった。
普通は今日も素晴らしかった。
バクスチュアルは、すえぞうに「バク」と呼ばれた。
すえぞうは、ラキシスの「めっ」で止まった。
弥子は一瞬だけ好奇心に負けそうになったが、勝った。
ネウロは、ドラゴン幼体のおやつ見守り役になっていた。
帰り際。
ソープは、すえぞうを抱えながら言った。
「残念だけど、今日はやめておこう」
Xiはすぐに言う。
「今日だけじゃなく、ずっとやめてください」
「そう?」
「そうです」
泉さんも頷いた。
「ずっと実施しない方向でお願いします」
ログナーが記録する。
「すえぞう珈琲、恒久的に実施見送り」
Xiは親指を立てた。
「その記録は信じます」
すえぞうは、ソープの腕の中で言った。
「ハラへった!」
ラキシスが優しく言う。
「すえぞう、後でおやつです」
「あと!」
「はい」
バクスチュアルは、小さく言った。
「待ツ……」
すえぞうが答える。
「待ツ!」
Xiは笑った。
「またひとつ、普通を覚えたね」
バクスチュアルは頷いた。
「普通……待ツ……食ベル……」
「うん」
「珈琲……ドラゴン……シナイ……」
「それも大事」
「実施……シナイ……」
「大正解」
ソープは、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「じゃあ、次は別の方法で――」
全員が即座に言った。
「駄目です」
ソープは笑った。
「まだ何も言ってないのに」
Xiはため息を吐いた。
「陛下の“面白いと思わないか”は、だいたい実験か建造につながるんです」
すえぞうが元気に叫んだ。
「うっす!」
その声だけが、妙に明るくカフェテラスに響いた。
ソープはすえぞう珈琲を試したかった。
しかし、試さなかった。
今日もまた、普通の日常は守られた。