守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
温泉旅館の大広間。
昨夜あれほど騒がしかった布団はすでに片づけられ、
部屋の中には、帰り支度を終えつつある七人の気配が満ちていた。
キラ・ヤマト。
桂木弥子。
脳噛ネウロ。
ダグラス・カイエン。
アウクソー。
ラクス・クライン。
空条承太郎。
荷物はまとめられ、
買った土産の袋もそれぞれに抱えられ、
あとはチェックアウトを済ませるだけ――のはずだった。
キラは最後に部屋を見回し、少しだけ息をつく。
「……なんか、本当に終わるんだね」
弥子が袋を抱えたまま言う。
「終わるっていうか、ようやく帰れるって感じ?」
「いや、でも普通に名残惜しいかも」
「どっちなんだよ」
キラが笑う。
ラクスはやわらかく微笑んだ。
「でも、賑やかで楽しい旅でしたわ」
「賑やか、で済ませていいのかなあ……」
キラ。
ネウロがにたりとする。
「ククク……
少なくとも退屈はしなかった」
「それは認めるけど」
キラ。
「退屈しないことと、平和であることは別だからね」
カイエンが気だるげに荷物を持ち上げる。
「ぼかぁ厄介事は苦手なんだが……
まあ、悪くはなかった」
弥子がすぐ反応する。
「出た、“悪くはなかった”」
アウクソーは静かに言った。
「マスターにそう言っていただけるのでしたら、良いご旅行だったのだと思います」
承太郎は帽子を軽く押さえる。
「帰るならさっさと行くぞ」
「承太郎は最後まで通常運転だなあ」
キラ。
一行がロビーへ下りると、
女将が丁寧に頭を下げた。
「このたびはご利用、誠にありがとうございました」
キラも慌てて頭を下げる。
「こちらこそ、お世話になりました」
弥子は小声で言う。
「いやー、なんだかんだ満喫したねえ」
「だいぶ満喫してたよね、弥子は」
キラ。
「売店も朝食も卓球も全部良かった!」
弥子。
「お風呂も気持ちよかったし!」
ネウロが低く笑う。
「騒音娘にしては、ずいぶん人間らしい感想だな」
「うるさいわね!
旅館くらい普通に楽しむわよ!」
ラクスは静かにロビーを見回した。
「落ち着いた、よいお宿でしたわね」
カイエンも軽く頷く。
「景色も湯も悪くなかった」
承太郎は特に何も言わない。
だが帰ろうともせずその場にいるということは、
この空気を壊す気はないのだろう。
そしてその時。
女将が、にこやかに言った。
「では、こちらがお会計になります」
伝票が、すっと差し出される。
キラは見た。
見てしまった。
そして全員も、見た。
一瞬の沈黙。
ネウロの口元が、ゆっくり吊り上がる。
弥子の肩がぴくぴく震える。
カイエンが少しだけ面白そうな顔をする。
ラクスは穏やか。
アウクソーは静か。
承太郎は壁にもたれ気味だ。
キラだけが嫌な予感しかしなかった。
「……やめてよ」
「何をだ」
承太郎。
「今から絶対、ろくでもない流れになるから」
ネウロが一歩前に出て、妙に通る声で言った。
「ではここで」
一拍。
「世界平和監視機構“コンパス”所属、キラ・ヤマト准将殿」
キラが顔を覆う。
「ほら来た!!」
弥子が噴き出す。
「会計准将だー!」
ネウロは愉快そうに続ける。
「お会計をお願い致します」
キラが思わず叫ぶ。
「こんな時ばっかり!!」
「超ひさしぶりに“准将”って呼ばれたよ!!」
弥子が腹を抱える。
「似合う似合う! 会計准将!」
「嫌すぎるその肩書き!!」
承太郎が低く言う。
「さっさと払え」
「承太郎まで雑!!」
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だが、ここで終わるキラではなかった。
ここまで散々いじられ、
調整役を押しつけられ、
保護者だの管理職だの会計准将だの言われてきたのである。
キラは伝票を受け取ると、
ふっと顔を上げた。
「……じゃあ」
空気が変わる。
ネウロが面白そうに目を細める。
弥子が「おっ」と身を乗り出す。
カイエンも少しだけ止まる。
キラは、きっちり言った。
「ヒューア・フォン・ヒッター子爵、
カステポー・ナイトギルド総評議長殿」
一拍。
「ここは決済、よろしくお願いします」
弥子が即座に叫ぶ。
「うわ、切り返した!!」
ネウロが愉快そうに笑う。
「ククク……よい! 実によい!」
カイエンが一瞬だけ黙る。
それから、口元だけで笑った。
「……やれやれ」
「そこでそれを持ち出すかい、坊や」
キラは負けじと返す。
「持ち出しますよ!」
「こっちばっかり准将だの何だの言われてるんだから!」
弥子が拳を握る。
「もっと言ったれ!」
アウクソーが静かに言った。
「マスター、お立場としては不自然ではございません」
カイエンが横目で見る。
「アウクソー、君はどちらの味方だ」
「事実の味方でございます」
アウクソー。
弥子がまた笑う。
「つよい!!」
承太郎がぼそりと言う。
「往生際が悪いな」
「不良にだけは言われたくない気もするが……」
カイエン。
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そこで、伝票をそっとのぞきこんだラクスが、
いつものやわらかな声音で言った。
「では」
全員の視線が向く。
「お土産代と卓球関連は、娯楽費として“コンパス”でお受けいたしますわ」
一同、止まる。
キラが目を丸くする。
「えっ」
弥子も固まる。
「ええっ!?」
ネウロが面白そうに笑う。
「ほう……」
承太郎が少しだけ眉を上げる。
「……いいのか、それ」
ラクスは穏やかに微笑んだまま答える。
「ええ」
「親睦と士気向上、ならびに余暇における関係改善は、組織運営上も無意味ではございませんもの」
キラが頭を抱える。
「急にめちゃくちゃ総帥っぽい理屈出してきた!?」
弥子が感動すらしている。
「強っ!!
ラクスさん強っ!!」
ネウロが愉快そうに言う。
「ククク……
実に見事な権限行使だ」
カイエンが一拍おいてから、素直に言った。
「それは助かる」
キラが振り向く。
「乗るんだ!?」
カイエンは肩をすくめる。
「ぼかぁ厄介事は苦手なんだが、
懐が軽くなる話は嫌いじゃない」
承太郎が低く呟く。
「現金なやつだな」
「不良にだけは言われたくない気もするが」
カイエン、二回目。
アウクソーが静かに補足する。
「マスター、少なくとも今回は非常に率直でいらっしゃいます」
弥子がまた笑う。
「アウクソーさんが全部正確に刺してくる!」
ラクスはそのまま伝票を見て、
ほんとうに総帥らしい顔で続けた。
「ただし、個人的なお土産については各自ご負担でお願いいたしますわ」
「そこはちゃんとしてる!」
キラ。
「当然ですわ」
ラクス。
「組織費と私費の線引きは必要ですもの」
ネウロが楽しそうに目を細める。
「よい。
この女、実に人間の組織運営に向いている」
「“この女”はやめてくださる?」
ラクスはにこやかだ。
だが少しだけ圧があった。
ネウロがほんのわずかに黙る。
弥子が小声で言う。
「今のちょっと効いた」
キラも小声で返す。
「うん、効いたね」
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結局、会計はきれいに整理された。
旅館代そのものはきっちり支払い、
卓球関連や共通の娯楽費はラクスが承認し、
各自のお土産はそれぞれが負担する。
アウクソーはその横で自然に袋の整理や確認をし、
女将が困らないように細かい流れを整えていた。
キラが本気で言う。
「アウクソーさん、今回ずっとMVPですよね」
弥子も強く頷く。
「うん。完全に良心!」
アウクソーは少しだけ目を伏せた。
「そのようなことは……」
カイエンが静かに言う。
「いや、実際そうだろう」
アウクソーがわずかに顔を上げる。
その一言は、彼女にとって十分すぎるものだった。
ラクスもやわらかく微笑む。
「ええ、とても」
承太郎は短く言った。
「助かったのは事実だな」
ネウロですら、少しだけ口元を吊り上げる。
「ククク……
この場の平和維持機構、といったところか」
「やめてください、その肩書きは」
と、アウクソーは静かに答えた。
弥子が吹き出す。
「否定の仕方まで上品!」
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すべてを終え、
七人は旅館の玄関先に立った。
山の空気は少しひんやりしていて、
来た時よりもどこか名残惜しい。
女将が最後に深く一礼する。
「どうぞお気をつけてお帰りくださいませ」
「ありがとうございました!」
とキラが言う。
弥子も元気よく頭を下げる。
ラクスも上品に礼を返す。
アウクソーは静かに。
カイエンは軽く手を上げるように。
承太郎は短く会釈し、
ネウロだけが最後まで楽しそうな顔をしていた。
少し歩き出してから、
弥子がぽつりと言う。
「終わっちゃったね」
「うん」
キラも頷く。
「なんか……濃かった」
「それは間違いない」
弥子。
カイエンは荷物を持ったまま言う。
「まあ、悪くなかった」
「また出た」
キラが笑う。
ネウロが口元を吊り上げる。
「ククク……
次はもっと長く滞在してもよいぞ」
「よくないよ!」
キラ。
「旅館がもたない!」
承太郎が低く言う。
「卓球台はよく生き残ったな」
弥子が頷く。
「ほんとそれ!」
ラクスは静かにキラの隣に並んだ。
「でも、良い思い出になったのでしょう?」
キラは少しだけ考えて、
それから笑った。
「……うん」
「すごく疲れたけど、良い思い出」
ラクスも微笑む。
「それなら、何よりですわ」
少し離れたところで、
アウクソーがカイエンの荷物を気にし、
カイエンが「持てるさ」と気だるげに返し、
弥子がネウロへ「次はもっと普通の旅行にしなさいよ!」と噛みつき、
承太郎がいつも通りの顔で歩いている。
その全部が、
なんだかんだで旅の続きを感じさせた。
やがて、別れの地点が近づく。
弥子は荷物を抱え直して言う。
「じゃあね、キラ」
「次もあんた、絶対また苦労すると思うけど、頑張んなさいよ」
「励ましになってるのかなそれ……」
キラ。
ネウロはにやりと笑う。
「ククク……
次も退屈させるなよ」
「それはおまえ次第でもあるんだけど!」
カイエンは軽く手を上げた。
「やれやれ。
まあ、また縁があればな」
アウクソーは静かに一礼する。
「皆さま、ありがとうございました」
ラクスはキラへ微笑む。
「お疲れさまでした、キラ」
「うん」
キラも笑う。
「ラクスも」
承太郎は最後に一言だけ。
「今度はもう少し静かな旅にしろ」
弥子が即答する。
「無理!」
キラも思わず言う。
「たぶん無理だね……」
その答えに、
なぜか七人の空気が少しだけやわらいだ。
そしてそれぞれが、
それぞれの帰る場所へ向かって歩き出す。
騒がしく、
妙に平和で、
結局ずっと誰かが誰かを気にしていた旅だった。
温泉。
売店。
夕食。
卓球。
大部屋。
朝食。
会計。
そのどれもが、
一人ではたぶん成立しなかった。
だが七人だったからこそ、
こんなふうに騒がしくて、
でも最後にはどこか心地よい旅になったのだろう。
キラは最後に、小さく息をついて笑った。
「……ほんと、すごい旅だったな」
ラクスが隣で、やわらかく答える。
「ええ。とても」
その声を聞きながら、
キラはようやく少しだけ、
本当に終わったんだなと思った。