守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「ハラへった!」
今日もすえぞうが元気に言った。
それを聞いた桂木弥子は、力強く頷いた。
「わかる!」
怪盗Xiは、商店街の入口で立ち止まり、深く息を吐いた。
「また始まった」
ネウロは横で、相変わらず面白くなさそうな顔をしている。
「食欲による二度目の侵攻だな」
「侵攻じゃないよ! 平和な食べ歩き!」
弥子は胸を張った。
すえぞうも、弥子の足元で胸を張ったように見えた。
「クウ!」
Xiはすえぞうを見下ろす。
「君も完全に覚えたね、商店街」
「ショーテンガイ!」
「語彙が増えてる……」
ソープはにこにこと笑っている。
「いいことじゃないか」
泉さんは少し不安そうに、買い食い用のメモを確認していた。
「今日は前回より控えめにしましょう。コロッケ、たい焼き、ソフトクリームは一つずつ。カレーパンは辛さ確認後。イナゴの佃煮は任意」
弥子が手を挙げる。
「任意なら食べます!」
ネウロが言う。
「貴様にとって任意とは、食うという意味なのか」
「せっかくあるなら!」
「やはり侵攻だな」
バクスチュアルは、そのやり取りを静かに見ていた。
「商店街……食ベ物……多イ……」
Xiが頷く。
「そう。町には普通の美味しいがたくさんある」
「普通……多イ……悪クナイ……」
「うん。悪くない」
すえぞうが、弥子の横で元気に跳ねた。
「ハラヘリ!」
弥子が拳を合わせる。
「コンビ!」
すえぞうも前足を上げる。
「コンビ!」
Xiは頭を抱えた。
「完全に成立してる」
最初の目的地は、前回も寄った肉屋だった。
揚げたてのコロッケが、今日も店先に並んでいる。
弥子は目を輝かせた。
「まずは基本!」
すえぞうも鼻をひくひくさせる。
「アツイ! ウマイ!」
「もう覚えてる!」
小さく割って、冷ましてから、すえぞうへ。
すえぞうは慎重に食べた。
「ウマイ!」
弥子も食べる。
「やっぱりコロッケは揚げたてだよね!」
ネウロが言う。
「肉屋の売上に貢献する魔人探偵事務所か」
「いいことじゃん!」
次は、たい焼き。
すえぞうは、たい焼きを見て得意げに言った。
「サカナ……デハ……ナイ!」
Xiが驚いた。
「覚えてる!」
バクスチュアルも頷いた。
「魚……デハ……ナイ……甘イ……」
キラが微笑む。
「二人とも覚えてるね」
ラクスも楽しそうだった。
「食べ物の記憶は、残りやすいのかもしれませんわ」
弥子が胸を張る。
「美味しい記憶は大事!」
ネウロが即座に言う。
「貴様は人生の大半をそれで埋めているだろう」
「いい人生じゃん!」
「否定はしない」
「しないんだ!?」
そんな調子で、一行は商店街を進んだ。
今日は本当に平和だった。
少なくとも、その時までは。
すえぞうは、たい焼きの包み紙についた甘い匂いをくんくん嗅いでいた。
そして、不意に顔を上げた。
路地の奥。
商店街の表通りから少し外れた、細い道。
そこに、黄色い蝶がひらひらと飛んでいた。
すえぞうの目が輝く。
「チョウ!」
弥子が振り向く。
「あっ、すえぞう?」
すえぞうは、ぴょこぴょこと蝶を追って路地へ入っていった。
「チョウ!」
Xiが慌てた。
「すえぞう、そっちは――」
その路地の先には、小さな工事現場があった。
建物の外壁補修。
足場。
資材。
ロープ。
赤い三角コーン。
普段なら、誰も入らないようにされている場所だった。
けれど、すえぞうは蝶だけを見ていた。
弥子が走り出す。
「すえぞう、そっちは危ないって!」
その時だった。
金属の嫌な音がした。
ぎし、と。
上で何かがずれた音。
キラが叫んだ。
「危ない!」
Xiの顔色が変わる。
「すえぞう!」
だが、弥子の声はもっと短かった。
考える前に、体が動いていた。
「すえ!!」
弥子は走った。
足場の上から、細長い鉄骨が滑り落ちる。
すえぞうはまだ蝶を見ていた。
「チョ――」
弥子は、その小さな白い体を抱き込んだ。
そのまま地面へ飛び込むように転がる。
直後。
鉄骨が、すぐ横の地面を叩いた。
凄まじい音が路地に響いた。
「弥子!」
キラが駆け寄る。
Xiも飛び込む。
ネウロの目が鋭くなる。
ソープとラキシスの表情も、さっと変わった。
カイエンは一瞬で周囲を見渡し、次に落ちるものがないか確認していた。
承太郎は足場の方を見上げる。
「まだ動くな。上を確認する」
泉さんは青ざめていた。
「弥子さん!」
弥子は、地面に倒れていた。
腕に擦り傷。
膝にも打ち身。
服に土埃。
だが、すえぞうは弥子の腕の中で無事だった。
「……いたた」
弥子は顔をしかめながらも、すぐに腕の中を見た。
「すえぞう、大丈夫?」
すえぞうは、弥子を見上げた。
「ヤコ……?」
「大丈夫? どこか痛くない?」
「ヤコ……マモッタ……?」
弥子は、少しだけ笑った。
「うん。間に合ってよかった」
すえぞうは、じっと弥子を見ていた。
いつもの「ハラへった」でもない。
「クウ」でもない。
「ウマイ」でもない。
その小さな目が、弥子の擦り傷を見た。
「ヤコ……イタイ……?」
弥子は驚いた。
「ちょっとだけね。でも大丈夫」
ネウロが近づいた。
「弥子」
弥子は顔を上げる。
「平気。ちょっと擦っただけ」
「本当か」
「本当。すえぞうは無事」
ネウロは、少しだけ目を細めた。
「ならいい」
「ネウロ、心配した?」
「観察対象が潰れては困る」
「素直じゃないなぁ」
「うるさい」
Xiは、鉄骨を見てから弥子を見る。
「弥子ちゃん……今の、かなり危なかった」
弥子は苦笑した。
「考えるより先に動いちゃいました」
バクスチュアルが、弥子のそばにしゃがんだ。
「ヤコ……守ッタ……」
「うん」
「すえぞう……守ッタ……」
「目の前で危なかったからね」
バクスチュアルは、静かに言った。
「理由……少ナイ……デモ……動イタ……」
弥子は首を傾げる。
「理由はそれで十分だよ」
その瞬間。
空気が変わった。
商店街の喧騒が遠くなる。
風が止まったように見えた。
すえぞうが、弥子の腕の中でぴたりと動きを止める。
ラキシスが、息を呑んだ。
「……来ます」
ソープも、静かに空を見上げた。
「うん」
路地の上。
昼の空が、ほんの一瞬だけ深い白に染まった。
そこに、巨大な影が現れた。
白い翼。
長く伸びる角。
世界そのものを見下ろすような、圧倒的な気配。
LEDドラゴン。
その幻影が、空にあった。
すえぞうとは違う。
小さく、腹を空かせた幼体ではない。
ジョーカー太陽星団最強の存在。
その意識が、そこに降りていた。
弥子は完全に固まった。
「え……?」
ネウロが、わずかに目を細めた。
「ほう」
ログナー司令は、低く言った。
「LEDドラゴン……」
ドラゴンの幻影が、弥子を見た。
声は、空から響くようで、同時に心の奥から聞こえるようでもあった。
『我が幼き身を守りし者よ』
弥子は、すえぞうを抱えたまま、ぽかんとしている。
「え、あ、はい……?」
『その身を呈して我を庇ったこと、感謝に絶えぬ』
弥子は慌てて首を横に振った。
「いや、あの、目の前で危なかったから! すえぞうが小さいから! 普通に!」
Xiは小声で言った。
「普通に最強存在の幼体を庇った女子高生……」
泉さんが小声で返す。
「普通ではありません」
ドラゴンは、弥子の言葉を聞いているようだった。
『我が小さき姿を、ただ小さきものとして守った』
その言葉に、ラキシスの表情が少し柔らかくなった。
『力を見ず、名を求めず、宝を望まず』
弥子は困ったように笑う。
「宝って言われても……私、すえぞうとコロッケ食べてただけなので……」
すえぞうが、弥子の腕の中で言った。
「コロッケ!」
その場の緊張が、一瞬だけ変な方向へずれた。
Xiが言う。
「すえぞう、今はたぶんコロッケの話じゃない」
ドラゴンの幻影は、まるで笑ったように見えた。
『よい』
すえぞうが、急に喉を鳴らした。
「げほっ」
Xiが振り向く。
「え」
すえぞうがもう一度。
「げほっ、げほっ」
ころん。
すえぞうの口元から、何かが落ちた。
赤い光。
小さな宝石のようなもの。
真紅に輝く、涙のような、雫のような石。
弥子の目の前に、それは転がった。
Xiが叫んだ。
「口から出た!!」
泉さんが思わず言う。
「神秘的ですが、衛生面が……いえ、今はそこではありません」
ネウロが笑った。
「ククク……分泌物か宝石か。どちらにせよ、面白い」
弥子はそれを見て固まっていた。
「え、これ……私が触っていいやつ?」
ログナー司令が、低く言った。
「真紅のドラゴンドロップ」
Xiが顔を引きつらせる。
「名前からして大変なものですね?」
「星団中の権力者が欲しがる宝だ」
「やっぱり!」
ドラゴンの幻影が告げる。
『それをやろう』
弥子は目を丸くした。
「くれるんですか!?」
『お前が我を望む時』
空気が震える。
『時も、場も、命の境も、世界の高低も問わぬ』
弥子は、ただ見上げる。
『お前が呼ぶなら、我は応えよう』
その声は、厳かだった。
けれど、どこか優しかった。
『小さき友を守った者よ』
弥子は、真紅のドラゴンドロップをそっと拾い上げた。
少しだけ、すえぞうの唾液で濡れていた。
弥子は一瞬だけ固まる。
「……ちょっとぬるい」
Xiが叫ぶ。
「弥子ちゃん! 今それ言う!?」
泉さんがハンカチを取り出す。
「拭きましょう。丁寧に」
ネウロは笑いを堪えない。
「神秘と唾液が同居しているな」
「ネウロ、黙って!」
すえぞうは、弥子の腕の中で胸を張った。
「ヤコ! ヤル!」
弥子は、ドラゴンドロップを両手で持った。
「ありがとう、すえぞう」
すえぞうは嬉しそうに言った。
「うっす!」
弥子は空の幻影へ向かって頭を下げた。
「ありがとうございます。えっと……でも、私、そんなすごいことをしたつもりはなくて」
ドラゴンは、静かに答えた。
『それでよい』
その言葉を最後に、白い幻影は薄れていった。
風が戻る。
商店街の音が戻る。
遠くで、人の声が聞こえる。
まるで何事もなかったように。
だが、弥子の手には、真紅のドラゴンドロップが残っていた。
Xiはそれを見つめた。
「弥子ちゃん、絶対なくさないで」
弥子は困った顔をする。
「これ、どう保管すればいいの?」
ログナーが即座に言った。
「厳重な保管容器を用意する」
Xiが身構える。
「司令、軍用ケースとか持ってこないでくださいね」
「必要なら――」
泉さんが言う。
「普通の宝石ケースから始めましょう」
「普通でいいんだ」
バクスチュアルが静かに言った。
「普通……デモ……中身……普通ジャナイ……」
Xiは頷いた。
「今日も正しい」
ラキシスは、弥子に歩み寄った。
「弥子さん」
「はい」
「すえぞうを守ってくださって、ありがとうございます」
弥子は少し照れた。
「そんな、大げさですよ。すえぞうが危なかったから」
すえぞうが言う。
「ヤコ! マモッタ!」
弥子は笑った。
「うん、守った」
すえぞうが、今度は弥子の膝の擦り傷を見た。
「イタイ?」
「ちょっとだけ」
すえぞうは、しょんぼりした。
「ヤコ……イタイ……」
弥子は、すえぞうの頭を撫でた。
「大丈夫。すえぞうが無事なら、それでいいよ」
すえぞうは黙った。
そして、小さく言った。
「ヤコ……トモダチ……」
弥子の表情が、ふわっと変わった。
「うん。友達」
ネウロが横で言った。
「ハラヘリコンビから友達へ昇格したか」
弥子が笑った。
「最初から友達だよ!」
「食欲の友か」
「それも含めて!」
キラは鉄骨の方を確認していた。
「幸い、工事現場側にも怪我人はいないみたいです。固定具の不備かな……」
承太郎が低く言う。
「後で責任者に確認させる」
泉さんも頷く。
「安全管理の問題ですね。通報と報告は必要です」
Xiは少しだけ周囲を見る。
「シックスの気配は……なさそうだね」
カイエンが答える。
「今のところはな。ただの事故だろう」
「ただの事故でも、十分怖い」
ソープは静かにすえぞうを見ていた。
「でも、すえぞうは大切なものを覚えたね」
すえぞうは弥子を見た。
「ヤコ!」
弥子が答える。
「すえぞう!」
すえぞうは、少しだけ考えてから言った。
「ハラへった!」
一瞬、全員が黙った。
そして弥子が吹き出した。
「私も!」
Xiが叫ぶ。
「今の流れで!?」
ネウロが楽しそうに笑った。
「やはり食欲は世界を跨ぐな」
弥子はドラゴンドロップを大事に包みながら言った。
「怪我したらお腹減るんだよ!」
「理屈が雑!」
バクスチュアルは、弥子とすえぞうを見ていた。
「守ル……」
Xiが隣に立つ。
「うん」
「痛イ……デモ……守ル……」
「うん」
「友達……」
「そうだね」
バクスチュアルは、少しだけ視線を落とす。
「友達……悪クナイ……」
Xiは微笑んだ。
「悪くないね」
「ヤコ……勇気……?」
「うん。勇気だと思う」
「勇気……普通……?」
Xiは少し考えた。
「普通の中にある、すごいものかな」
バクスチュアルは、その言葉をゆっくり受け取った。
「普通ノ中……スゴイ……」
「うん」
「悪クナイ……」
*
帰り道。
弥子は、手当てされた膝を少し気にしながら歩いていた。
すえぞうは、ソープの腕の中から弥子を見ている。
「ヤコ」
「なに?」
「イタイ?」
「もう大丈夫」
「マモル?」
弥子は笑った。
「今度はすえぞうが守ってくれるの?」
すえぞうは胸を張った。
「マモル!」
弥子は、真紅のドラゴンドロップを大事に包んだまま言った。
「じゃあ、私もまた守る」
すえぞうは満足そうに言った。
「うっす!」
Xiはそれを見て、少しだけ笑った。
「すごいね、ハラヘリコンビ」
ネウロが言う。
「食欲で結ばれ、事故で固まり、宝石で証明された関係か」
「言い方!」
バクスチュアルが、静かに呟く。
「友達……増エル……」
Xiは頷いた。
「うん」
「普通……デモ……スゴイ……」
「そうだね」
夕方の商店街に、揚げ物の匂いがまた流れてきた。
弥子とすえぞうが同時に顔を上げる。
「コロッケ……」
「コロッケ!」
Xiは即座に言った。
「今日はもう駄目!」
二人は同時に言った。
「えー!」
ネウロが笑う。
「やはり、食欲のままに町を蹂躙する気だな」
それでも。
今日の商店街は、ただ食べ歩いた場所ではなくなった。
ハラヘリコンビが、友達になった場所になった。