守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiはアイマスクも信用しない

カフェテラスの午後は、珍しく穏やかだった。

 

テーブルの上には淹れたての珈琲。

弥子の前には、なぜか既に三皿目のケーキ。

ソープはカップを片手に、窓の外を眺めている。

承太郎は帽子の影で静かに目を伏せ、ネウロは退屈そうに椅子の背へもたれていた。

 

そして、岸辺露伴は原稿用紙を広げていた。

 

「……静かでいいな。こういう時間は」

 

露伴がペン先を走らせながら言う。

 

「邪魔が入らなければ、だが」

 

その言葉が、まるで何かを呼び寄せたかのように。

 

からん、と入口のベルが鳴った。

 

「お届け物でーす」

 

店員が持ってきたのは、小ぶりな箱だった。

高級そうな黒い包装紙。

銀色のリボン。

そして、封筒には流麗な文字で、こう書かれていた。

 

岸辺露伴先生へ

 

露伴は眉をひそめた。

 

「僕宛て?」

 

Xiが、反射的に椅子から立ち上がった。

 

「待ってください。触らないで」

 

「何だ、君は。僕宛ての荷物だぞ」

 

「差出人を見てください」

 

Xiの声に、露伴は箱を裏返した。

 

そこには、小さく社名が入っていた。

 

株式会社ヘキサクス

 

一瞬で、場の空気が変わった。

 

弥子がフォークを止める。

 

「……またですか?」

 

承太郎が低く呟く。

 

「やれやれだぜ」

 

露伴は箱を見たまま、目を細めた。

 

「ヘキサクス……つまり、例のシックス絡みか」

 

Xiは頷いた。

 

「そうです。開封前に隔離した方がいい」

 

「断る」

 

即答だった。

 

「露伴先生」

 

「僕宛ての品だ。危険かどうかは、僕が判断する」

 

「その判断を狂わせるために送ってきている可能性があります」

 

「それを含めて資料価値がある」

 

Xiはこめかみを押さえた。

 

「先生、その一言が一番危険なんです」

 

ソープが楽しそうに笑う。

 

「露伴くんは、危険物に対して好奇心のブレーキが少し弱いね」

 

「少しじゃないと思いますけど」

 

弥子が小声で言った。

 

露伴は無視して封筒を開けた。

 

中には、上質な紙に印刷された添え状が入っていた。

 

露伴は読み上げる。

 

「岸辺露伴先生へ――」

 

全員が、嫌な予感しかしない顔になった。

 

「『取材に執筆、観察に創作。

  君のような者にとって、眠っている時間すら惜しいのだろう。

 

  そこで、我が一族自慢の織物職人が仕立てた、

  至高のアイマスクを贈ろう。慣れると癖になる。

 

  光を完全に遮断し、深い眠りへと導く。

  さらにその夢の中で、私の理念、経営哲学、組織論、選民思想、

  そして我がヘキサクスの未来像を学ぶことができる。

 

  睡眠と研修を同時にこなせる。

  実に効率的な逸品だ。

 

  夢の中で私の講演を聴けるなど、

  素敵なご褒美だろう?』」

 

読み終えた露伴は、しばらく黙った。

 

弥子が顔を引きつらせる。

 

「……寝てる間に社内講演会?」

 

承太郎がカップを置いた。

 

「拷問だな」

 

Xiはきっぱり言った。

 

「拷問です」

 

ネウロは嬉しそうに笑った。

 

「休息の名を借りた精神労働か。実に悪趣味だ」

 

ソープが添え状を覗き込む。

 

「株式会社ヘキサクスの社内研修……夢の中で出席扱いになるのかな?」

 

「そこ気にします?」

 

弥子が突っ込んだ。

 

露伴は、箱の中から黒いアイマスクを取り出した。

 

それは、見た目だけなら確かに上等だった。

艶のある布地。

肌触りのよさそうな裏地。

鼻に当たる部分まで丁寧に仕立てられている。

 

光を遮るための厚みもあり、安物には見えない。

 

露伴は指先でつまみ、じっと観察した。

 

「……物としての出来は悪くないな」

 

Xiの目が鋭くなる。

 

「露伴先生」

 

「勘違いするな。使うとは言っていない」

 

「今、“ちょっと試したらネタになる”って顔をしました」

 

「していない」

 

「しました」

 

「していないッ!」

 

弥子が口を挟む。

 

「でも、ちょっと興味ありそうでしたよね」

 

「君まで言うな!」

 

露伴はアイマスクを光に透かそうとした。

 

Xiが一歩踏み出す。

 

「それ以上近づけないでください。夢に干渉するタイプなら、視覚情報以外から発動する可能性もあります」

 

「布だぞ」

 

「シックス製の布です」

 

「……それは強いな」

 

露伴が少しだけ手を止めた。

 

その時だった。

 

テーブルの下から、ぬっと大きな影が現れた。

 

すえぞうだった。

 

でっかいニワトリのような姿で、床をのしのし歩きながら、黒いアイマスクをじっと見ている。

 

「うっす」

 

「すえぞう?」

 

弥子が声を上げた。

 

すえぞうは、首をかしげた。

 

「オモチャ?」

 

Xiが即座に言った。

 

「違う。危険物だ」

 

すえぞうは、もう一度アイマスクを見た。

 

「オモチャ」

 

「違う」

 

「オモチャ?」

 

「違います」

 

露伴がアイマスクを少し持ち上げる。

 

「これは僕の資料だ。触るなよ」

 

その一言が悪かった。

 

すえぞうの目が、きらりと光った。

 

「エライ?」

 

「何がだ」

 

「エライ、オモチャ?」

 

「違うと言っている!」

 

次の瞬間。

 

ぱくっ。

 

すえぞうが、露伴の手元からアイマスクを咥えた。

 

「なっ――!」

 

露伴の声が裏返る。

 

「こらッ! 返せ!」

 

「すえぞう!」

 

Xiも叫んだ。

 

すえぞうは、アイマスクを咥えたまま、得意げに胸を張った。

 

「うっす!」

 

そして走った。

 

巨体に似合わぬ速さだった。

椅子の間をすり抜け、テーブルの横を駆け抜け、入口ではなく店の奥へ向かう。

 

「待て! それは危険物だ!」

 

Xiが追う。

 

「待てッ! それは僕の資料だ!」

 

露伴も追う。

 

「いや、先生! そこは資料じゃなくて危険物って言ってください!」

 

弥子が立ち上がる。

 

承太郎は一拍遅れて、静かに帽子を押さえた。

 

「やれやれ……」

 

ネウロは動かない。

 

「ククク。いいぞ。危険物を危険物と理解せぬ獣が、最も安全な処理を始めた」

 

ソープは珈琲を飲みながら頷いた。

 

「生体由来の汚染による再使用不能化。合理的だね」

 

「合理的なんですか!?」

 

弥子が叫ぶ。

 

店内の奥、廊下の方から、どたどたという足音が響いた。

その後を、Xiと露伴が追っていく。

 

「すえぞう! 噛むな! 飲み込むな! 寝るな!」

 

Xiの指示が飛ぶ。

 

露伴の声も続く。

 

「返せッ! せめて資料として形を残せ!」

 

「先生、まだ諦めてないんですか!」

 

「当然だ! 漫画家はあらゆるものから資料を得る!」

 

「夢の中のブラック社内講演会から得る資料なんて捨ててください!」

 

数分後。

 

すえぞうは、なぜか勝ち誇った顔で戻ってきた。

 

その口には、黒いアイマスク。

 

だったもの。

 

牙のあとがくっきり残り、片側のゴムは伸び、布地はよれ、端の縫い目はほつれ、全体が見事に唾液でしっとりしていた。

 

すえぞうは、ぽとりとそれを床に落とした。

 

「ハラへった」

 

場が静まり返る。

 

露伴が、床に落ちたアイマスクを見下ろした。

 

「……」

 

Xiも見下ろす。

 

「……」

 

弥子も見下ろす。

 

「……うわぁ」

 

ソープが、淡々と評価した。

 

「再使用は不可能だね」

 

承太郎が短く言う。

 

「衛生的にな」

 

ネウロが笑った。

 

「精神衛生的にもだ」

 

露伴は、唇を噛んだ。

 

「……これは、もう使えないな」

 

Xiは深く頷いた。

 

「はい。安全上、衛生上、そして人としての尊厳上、使用不能です」

 

「最後のは余計だ」

 

「余計ではありません」

 

すえぞうは、露伴の顔を見上げた。

 

「エライ?」

 

露伴は一瞬、何か言い返そうとした。

 

だが、床のアイマスクを見て、肩を落とした。

 

「……今回は、結果的にはな」

 

すえぞうは胸を張った。

 

「うっす!」

 

弥子が笑いをこらえながら拍手する。

 

「すえぞう、お手柄ね」

 

Xiも、少しだけ表情を緩めた。

 

「今回ばかりは本当に助かりました。よくやった」

 

すえぞうは、さらに胸を張る。

 

「ハラへった」

 

「褒美が食事一択なの、分かりやすいな……」

 

露伴が呆れたように呟く。

 

その時、ソープが箱の底を指差した。

 

「おや。まだ何か入っているよ」

 

全員が一斉に固まった。

 

Xiがそっと箱を確認する。

 

底には、小さなカードが入っていた。

 

そこには、シックスの筆跡でこう書かれていた。

 

「なお、初回講演の演題は、

 『凡人が私に感謝すべき六百六十六の理由』

 である。

 

 途中退席は認めない。」

 

沈黙。

 

弥子が、ぽつりと言った。

 

「……すえぞう、本当にお手柄!」

 

「うっす」

 

承太郎が低く呟く。

 

「やれやれだぜ」

 

露伴はカードを睨みつけた。

 

「六百六十六の理由だと? 馬鹿馬鹿しい。そんなもの、聞く価値が――」

 

そこで、露伴は言葉を止めた。

 

Xiがじっと見ている。

 

「……何だ」

 

「今、“逆にどんな内容か気になる”って顔をしました」

 

「していない」

 

「しました」

 

「していないッ!」

 

ネウロが喉の奥で笑った。

 

「ククク……人間とは面白い。毒と知りながら、その成分表を読みたがる」

 

ソープが楽しそうに言う。

 

「露伴くんの場合、成分表どころか製造工程まで取材しに行きそうだね」

 

「行くわけがないだろう!」

 

「でも、ちょっとだけ?」

 

弥子が言うと、露伴は机を叩いた。

 

「ちょっともない!」

 

Xiは、床のアイマスクをトングで拾い上げ、密封袋に入れた。

 

「これは焼却処分します」

 

すえぞうが首をかしげる。

 

「オモチャ?」

 

「もう違います」

 

「ハラへった」

 

「それも後で」

 

露伴は、まだ名残惜しそうに密封袋を見ていた。

 

Xiはそれに気づき、袋を背中に隠した。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「夢の中で株式会社ヘキサクスの社内講演会を受けても、漫画は上手くなりません」

 

露伴は鼻で笑った。

 

「当たり前だ。僕はそんなものに頼らない」

 

「では、未練は?」

 

「ない」

 

「本当に?」

 

「ないと言っている!」

 

すえぞうが、横からぽつりと言った。

 

「ウソ?」

 

露伴のこめかみが跳ねた。

 

「誰が嘘つきだ!」

 

すえぞうは、きょとんとした顔で首をかしげる。

 

「エライ?」

 

「話を混ぜるな!」

 

弥子はついに笑い出した。

 

承太郎も、ほんのわずかに口元を緩める。

 

ネウロは愉快そうに目を細めた。

 

ソープは穏やかにカップを置いた。

 

「しかし、今回の教訓は明確だね」

 

Xiが頷く。

 

「はい」

 

露伴が腕を組む。

 

「何だ、その教訓は」

 

Xiは、きっぱりと言った。

 

「シックス製の睡眠グッズは、睡眠の敵です」

 

弥子が続ける。

 

「あと、夢の中の社内研修は労働です」

 

承太郎が言う。

 

「残業代も出なさそうだ」

 

ネウロが笑う。

 

「出すわけがなかろう。だからこそ悪質なのだ」

 

露伴は、忌々しげにカードを見た。

 

「……まったく。人の睡眠時間にまで講演をねじ込むとは、最低の発想だ」

 

Xiが静かに返す。

 

「ええ。だから最初から信用しないのが正解です」

 

すえぞうは、密封袋に入れられたアイマスクをじっと見ていた。

 

そして、最後に一言。

 

「オモチャ、マズイ」

 

露伴が叫んだ。

 

「食ったのか!?」

 

Xiが即座に袋を確認する。

 

「噛んだだけです! 飲み込んではいません!」

 

弥子が胸をなでおろす。

 

「よかった……」

 

すえぞうは満足げに胸を張った。

 

「うっす!」

 

Xiは、袋をさらに二重に密封しながら、深くため息をついた。

 

「……やっぱり、アイマスクも信用しない」

 

その夜。

 

株式会社ヘキサクスのどこかで。

 

シックスは、送付済みリストに目を通していた。

 

「岸辺露伴。創作者としての好奇心を刺激すれば、必ず使用すると思ったのだがね」

 

部下が恐る恐る報告する。

 

「そ、それが……対象物は大型鳥類と思われる生物により、物理的および衛生的に使用不能となりました」

 

シックスはしばらく黙った。

 

そして、薄く笑う。

 

「なるほど」

 

部下は身を震わせた。

 

シックスは、楽しげに呟いた。

 

「次は、鳥類にも理解できる形式にしてやろう」

 

その一言を聞いた部下は、心の底から思った。

 

次の被害者は、誰だ。

 

そして、どんな形の社内研修になるのだ、と。

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