守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiは加湿器も信用しない

カフェテラスの窓ガラスが、ほんの少しだけ白く曇っていた。

 

外は冷たい風。

店内は暖房が効いていて、温かい。

その代わり、空気は少し乾いている。

 

弥子はホットミルクを両手で包みながら、喉を押さえた。

 

「最近、朝起きると喉がカラカラなんだよね」

 

「食い過ぎで口を開けて寝ているからではないのか」

 

ネウロが言った。

 

「違います~。乾燥です。季節のせいです」

 

「貴様の場合、季節のせいにしてよい範囲を超えている」

 

「ひどい」

 

キラ・ヤマトは苦笑しながら、紅茶のカップに口をつけた。

 

「でも、乾燥対策は大事だよね。暖房を入れると、本当に空気が乾くし」

 

ラキシスも静かに頷く。

 

「こちらの空気は、ジョーカー太陽星団とは少し違います。

 ソープ様、やはり乾燥していますね」

 

「そうだね。ラキシスの喉を痛めてはいけない」

 

ソープは心配そうに微笑んだ。

 

「あとで、普通の加湿器でも用意しようか」

 

Xiがそれを聞いて、肩をすくめた。

 

「普通の、ってところが大事だな」

 

「普通じゃない加湿器なんてあるんですか?」

 

弥子が尋ねた。

 

Xiは嫌そうな顔をした。

 

「あるだろ。俺たちの人生には、だいたい」

 

その言葉が、ほとんど予言のようになった。

 

からん、と入口のベルが鳴る。

 

店員が、箱を抱えて入ってきた。

 

「お届け物です。ダグラス・カイエン様宛てで」

 

テーブルの空気が止まった。

 

カイエンが、珈琲カップを置く。

 

「俺宛て?」

 

箱は、そこそこの大きさだった。

白い包装紙に銀のリボン。

どこか高級家電の贈答品のように見える。

 

Xiはすぐに立ち上がった。

 

「差出人」

 

店員が箱の側面を確認する。

 

「ええと……株式会社ヘキサクス様からです」

 

Xiは目を閉じた。

 

「はい有罪」

 

弥子が真顔で言う。

 

「早い」

 

「遅いくらいだよ。差出人見た段階で捨てていい」

 

カイエンは箱を睨んだ。

 

「シックスか」

 

ネウロが、にたりと笑う。

 

「ククク……剣聖宛ての贈り物か。さて、何を湿らせに来た?」

 

「湿らせるって何だ」

 

カイエンが眉を寄せる。

 

ソープは箱の大きさを見て、首をかしげた。

 

「この形だと……加湿器かな?」

 

「この流れでその単語、最悪なんだけど」

 

Xiは封筒をつまみ上げた。

 

宛名は確かに、こう書かれていた。

 

剣聖ダグラス・カイエン殿

 

カイエンは腕を組む。

 

「読め」

 

Xiが半眼で見る。

 

「読むの俺なの?」

 

「貴様は慣れているだろう」

 

「慣れたくて慣れたんじゃねえよ」

 

Xiは封を切り、添え状を開いた。

 

そして、読み上げる。

 

「『剣聖ダグラス・カイエン殿。

 

  強き者にも、乾く夜はある。

  剣を握る手、戦いに荒れた喉、そして誇り高き心。

  それらを潤すものは、時に必要だろう。

 

  そこで、我が一族自慢の香木職人に作らせた、

  至高の加湿器を贈ろう。

 

  室内を理想的な湿度に保ち、慣れると癖になる。

  ただし、常人が使うと部屋が潤いすぎて、

  過去の黒歴史までしっとり蘇るがね。

 

  もっとも、剣聖ともあろう者に、

  思い出したくない過去などあるはずもない。

 

  たとえば、海辺での些細な成果など。

  あるいは、釣り糸の先に沈黙だけが続いた朝など。

 

  素敵な贈り物だろう?』」

 

読み終えた瞬間。

 

カイエンの眉間に、深い皺が刻まれた。

 

「……」

 

Xiは添え状を下ろした。

 

「知っててやってるな」

 

弥子が恐る恐る言う。

 

「海辺での、些細な成果……」

 

キラが小声で続ける。

 

「釣り糸の先に沈黙だけが続いた朝……」

 

カイエンが低く言った。

 

「やめろ」

 

弥子は目を丸くした。

 

「やっぱり気にしてたんですか!? 

 港町でレンタル釣り竿借りたのに、初日ボウズだった話!」

 

「やめろと言った」

 

「言っちゃった」

 

キラが額に手を当てる。

 

Xiはカイエンを見た。

 

「起動してないのに効いてんじゃん、この加湿器」

 

「効いていない」

 

「今めちゃくちゃ湿ってるぞ、記憶が」

 

「湿っていない」

 

ネウロが愉快そうに笑った。

 

「ククク……剣聖の誇りも湿度には弱いらしい」

 

カイエンがネウロを睨む。

 

「魚の機嫌が悪かっただけだ」

 

弥子が首をかしげた。

 

「魚に機嫌ってあるんですか?」

 

「ある」

 

Xiが即座に突っ込む。

 

「ないだろ。いや、あるかもしんないけど、剣聖の釣果には関係ないだろ」

 

カイエンは真顔で言った。

 

「あの日は潮が悪かった。竿も合わなかった。餌も悪い」

 

「全部のせだな」

 

「俺は釣れなかったのではない。魚が俺に挑む覚悟を持たなかっただけだ」

 

弥子がぽつりと言った。

 

「魚にまで戦闘民族みたいな覚悟を求めないでください」

 

キラが笑いをこらえている。

 

ソープは穏やかに言った。

 

「カイエンも、魚相手だと少し勝手が違うのだろうね」

 

カイエンは不服そうに黙った。

 

その横で、Xiが添え状をもう一度見て、顔をしかめた。

 

「黒歴史をしっとり蘇らせる、って言い方やめろよ……」

 

弥子が振り向く。

 

「Xi?」

 

Xiは腹のあたりを押さえた。

 

「思い出したくない。あの刺身のことは」

 

キラが「ああ」と頷く。

 

「シックス自慢の至高の刺身……バラムツの」

 

「説明すんな。臓器が覚えてる」

 

弥子が苦笑する。

 

「あれ、かなり大変だったらしいもんね」

 

「黒歴史じゃない。消化器官の戦災だ」

 

「戦災」

 

「戦場は腹の中だった」

 

ネウロが実に楽しそうに目を細めた。

 

「ククク。過去の痛みは、湿度によって蘇るか。良い謎だ」

 

「良くねえよ。乾燥したまま風化させろ」

 

Xiは箱を指差した。

 

「誰もスイッチに触るなよ。これ、加湿器の顔した過去掘削機だからな」

 

弥子が箱から少し距離を取る。

 

「過去掘削機、嫌すぎますね」

 

ソープは興味深そうに箱を眺めていた。

 

「香木を用いた精神干渉型加湿器か。構造だけなら少し――」

 

「ソープ様」

 

ラキシスの声は、穏やかだった。

 

穏やかだったが、場の温度が少し下がった。

 

ソープはすぐに微笑んだ。

 

「もちろん、起動はしないよ、ラキシス」

 

Xiが小声で言う。

 

「今、ちょっと起動する気だったな」

 

ラキシスの手元で、木製マドラーが、ぱきん、と折れた。

 

弥子が口を押さえる。

 

「あ」

 

ラキシスは折れたマドラーをそっと皿の上に置いた。

 

「……乾燥していたみたいです」

 

Xiが半眼になる。

 

「加湿器回なのに乾燥で押し通すのかよ」

 

ソープは真剣に頷いた。

 

「木製品は乾燥に弱いからね。ラキシスはか弱いファティマだから、驚いたのだろう」

 

Xi、弥子、キラの視線が折れたマドラーに集まった。

 

か弱い。

 

マドラー、真っ二つ。

 

カイエンがぼそりと言う。

 

「……まあ、そういうことにしておけ」

 

「剣聖が一番空気読んでる」

 

Xiは箱を閉じようとした。

 

「とにかく、こんなのは封印して処分だ。

 起動禁止。開封禁止。加湿禁止。

 黒歴史禁止」

 

「最後のは無理では?」

 

弥子が言う。

 

「努力目標だよ」

 

その時、再び入口のベルが鳴った。

 

からん。

 

入ってきたのは、ログナーだった。

 

その姿を見た瞬間、Xiは嫌な予感がした。

 

「……なんでこのタイミングで来るかな」

 

ログナーは箱を一瞥した。

 

「報告は受けた。シックスからの危険物か」

 

「早いな」

 

「この手のものは、遅い方が危険だ」

 

ログナーは添え状を手に取り、さっと目を通す。

 

カイエンが不機嫌そうに言った。

 

「読むな」

 

ログナーは無表情で返す。

 

「釣りの件か」

 

「読むなと言った」

 

弥子が小声で言う。

 

「ログナーさん、そこ拾うんだ……」

 

ログナーは加湿器の箱を見下ろし、淡々と言った。

 

「封印する」

 

Xiは少しだけ安心した。

 

「お、まとも」

 

ログナーは続けた。

 

「このままバッハトマ魔道帝国へ送る」

 

Xiの顔が固まった。

 

「まともじゃなかった」

 

弥子が目を丸くする。

 

「バッハトマって……ボスヤスフォートのところですか?」

 

ログナーは頷く。

 

「ボスヤスフォート宛にする」

 

弥子は思わず、ぽつりと呟いた。

 

「ボスやん……」

 

ログナーが即座に言った。

 

「可愛く愛称で呼ぶな」

 

Xiが頭を抱えた。

 

「突っ込むとこ、そこじゃねえだろ!」

 

キラも困った顔をする。

 

「それ、かなりひどくないですか?」

 

ログナーは平然としている。

 

「敵対勢力への心理戦だ」

 

「加湿器で心理戦するな!」

 

Xiが叫ぶ。

 

カイエンは少しだけ考える顔をした。

 

「……ボスヤスフォート宛なら、まあ」

 

弥子が振り向く。

 

「カイエンさんまで!?」

 

Xiがカイエンを指差した。

 

「釣りの黒歴史で判断力が湿ってますよ、師匠!」

 

「湿っていない」

 

ネウロが笑う。

 

「では乾いているのか?」

 

「その言い方をやめろ」

 

ソープは顎に手を当てた。

 

「発想としては合理的だね。相手の過去を揺さぶる兵器と考えれば――」

 

「ソープ様」

 

ラキシスが再び微笑んだ。

 

ソープはすぐに姿勢を正した。

 

「もちろん、品のよい方法ではないけどね」

 

Xiが小声で言った。

 

「今、ちょっと乗りかけたな」

 

ラキシスの指先が、折れたマドラーの片割れに触れる。

 

ソープは穏やかに微笑んだまま、そっと話を戻した。

 

「ログナー、せめて取り扱いには注意を」

 

ログナーは頷く。

 

「無論です。封印状態で送る。起動するかどうかは向こうの判断だ」

 

Xiが叫んだ。

 

「それ、罠置いた奴が“踏むかどうかは相手次第”って言ってるのと同じ!」

 

「その通りだ」

 

「認めないで!」

 

弥子はまだ心配そうに箱を見ている。

 

「でも、差出人はどうするんですか? AKDから送ったら大問題じゃ……」

 

ログナーは淡々と言った。

 

「差出人は、シックスのままにしておく」

 

Xiが目を細める。

 

「は?」

 

「嘘は言っていない」

 

沈黙。

 

一瞬、全員が本当に考え込んだ。

 

差出人はシックス。

中身はシックス製。

送付先はバッハトマ。

 

確かに、嘘はない。

 

弥子がぽつりと言った。

 

「……本当に嘘は言ってないですね」

 

キラが苦笑する。

 

「言ってないけど……言ってないだけで……」

 

承太郎が低く呟く。

 

「やれやれだぜ」

 

ネウロは心底愉快そうだった。

 

「ククク……事実のみで構成された罠か。なかなか良い」

 

Xiがネウロを睨む。

 

「褒めんな! 

 あとログナー司令、その“嘘は言ってない”で通そうとするの、

 悪党の手口なんですよ!」

 

ログナーは顔色ひとつ変えなかった。

 

「相手が悪党なら問題ない」

 

「こっちの倫理が湿気るよ!」

 

弥子がうまいこと言った、みたいな顔をする。

 

「倫理が湿気る」

 

「拾わなくていい」

 

ログナーは箱に手をかざし、部下に合図をした。

 

いつの間にか入口付近に控えていたミラージュ関係者らしき者たちが、厳重な封印ケースを運び込んでくる。

 

Xiはぎょっとした。

 

「準備良すぎだろ」

 

「想定内だ」

 

「何をどこまで想定してるんだよ」

 

封印ケースに、加湿器の箱が収められる。

二重ロック。

魔導的な封印。

物理的な固定。

そして、上から書類が貼られる。

 

差出人欄には、確かに。

 

シックス

 

弥子がそれを見て、また小さく呟く。

 

「ボスやん……」

 

ログナーが言う。

 

「可愛く愛称で呼ぶなと言ったはずだ」

 

Xiが疲れた顔で言った。

 

「だからそこじゃないって」

 

カイエンは腕を組んだまま、封印ケースを見送る。

 

「まあ、黒歴史の一つや二つ、奴にもあるだろう」

 

Xiはすぐに言った。

 

「絶対あるけど、だからって加湿するな」

 

ネウロが笑う。

 

「しっとりした悪意は、よく染み込むからな」

 

キラがため息をつく。

 

「もう加湿器の話じゃないよね……」

 

ラキシスはソープを見上げた。

 

「ソープ様、普通の加湿器を買いましょう」

 

ソープは優しく頷いた。

 

「そうだね。普通のものを選ぼう」

 

Xiが深く頷く。

 

「普通って尊いな」

 

弥子も頷いた。

 

「ですね。黒歴史が蘇らない加湿器って、すばらしいです」

 

「本来、蘇らないのが普通なんだよ」

 

封印ケースが運び出され、店内にようやくいつもの空気が戻った。

 

加湿器は一度も起動していない。

水も入れていない。

香木の香りすら広がっていない。

 

それなのに、カイエンはまだ渋い顔をしていた。

 

Xiが横目で見る。

 

「まだ思い出してる?」

 

「思い出していない」

 

「潮が悪かった?」

 

「……あの日は本当に潮が悪かった」

 

弥子がぱっと顔を上げた。

 

「やっぱり思い出してる!」

 

カイエンは無言で珈琲を飲んだ。

 

ネウロは笑う。

 

「ククク。起動前から効果を発揮するとは、なかなか優秀な危険物だったな」

 

Xiは椅子に座り直し、吐き捨てるように言った。

 

「怪盗Xiは、加湿器も信用しない」

 

そして少し間を置いて、付け加える。

 

「特に、黒歴史をしっとり蘇らせるやつはな」

 

弥子はメニューを開き直した。

 

「じゃあ、気分転換に何か食べます?」

 

「貴様は結局そこに戻るのか」

 

ネウロが呆れる。

 

弥子は胸を張った。

 

「黒歴史より昼ごはんです!」

 

Xiは笑った。

 

「それくらい乾いてる方が、人生ちょうどいいかもな」

 

窓の外では、冷たい風が吹いていた。

 

けれど、店内には温かい飲み物と、いつもの騒がしい声がある。

 

乾燥対策は必要だ。

喉も、肌も、心も、適度に潤った方がいい。

 

ただし。

 

過去まで潤わせる必要は、まったくないのだった。

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