守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
その喫茶店は、通りから少し奥まった場所にあった。
古い木製の扉。
壁一面に並ぶ珈琲豆の瓶。
ブラジル、コロンビア、グアテマラ、マンデリン、キリマンジャロ。
そして、特別な棚にはブルーマウンテン。
店内には、焙煎した豆の香りが静かに満ちていた。
普段なら常連客が数人いる時間帯だが、その日は奥の席がほぼ貸し切りになっていた。
そこに座っている面々を見れば、店主がそうした理由はすぐにわかる。
レディオス・ソープ。
ラキシス。
ログナー。
ダグラス・カイエン。
怪盗Xi。
ファティマ・バクスチュアル。
桂木弥子。
泉京香。
そして足元には、すえぞう。
「うっす」
すえぞうは、奥のテーブルの下で胸を張った。
Xiはそれを見下ろして言う。
「すえぞう。今日は火を吹くなよ」
「うっす」
「返事がいい時ほど不安なんだよな……」
弥子がメニューを開きながら笑う。
「でも、すえぞうは学習してますよ。危険物は外で燃やすって」
「今日は危険物処理の会じゃない。たぶん」
Xiはそう言ってから、目の前に座るログナーを見た。
「……たぶん、だよな?」
ログナーは珈琲カップを静かに置いた。
「今回の議題は、危険物そのものではない」
「その言い方、危険物の周辺案件ってことじゃん」
「正確には、警護および外注契約に関する面談だ」
Xiは天井を仰いだ。
「来たよ。外堀を埋める音が」
バクスチュアルが、隣で首をかしげる。
「外堀……音、スルノデスカ?」
「するんだよ。
俺の人生では、だいたいログナー司令がスコップ持って近づいてくる音がする」
ログナーは無表情だった。
「比喩としては不正確だな」
「そこ直さなくていいんだよ」
泉京香が、鞄から手帳を取り出した。
「でも、面談なら記録は必要ですね。
契約条件、業務範囲、報酬、責任の所在。曖昧にしておくと後で揉めます」
Xiが泉を見る。
「編集さん、なんでその席にいるの?」
泉はにこりと笑った。
「社会人代表です」
「何その強い肩書き」
弥子が小声で言う。
「泉さん、こういう時ほんと強いですよね」
「私は普通のことを言っているだけです」
「普通の正論が一番逃げ場ないんだよな……」
Xiは嫌そうに珈琲を一口飲んだ。
バクスチュアルは、自分のカップを両手で持っていた。
今日はマンデリンだった。
「Xiサン、苦イ、ノ、平気?」
「慣れた。まあ、悪くない」
「慣レル、ト、癖ニナル?」
Xiはぴたりと止まった。
「その言い方はやめよう。シックス構文が脳に出る」
弥子が吹き出しかける。
ログナーは話を進めた。
「怪盗Xi。改めて、短期外注契約を打診する」
「はい来た」
Xiは椅子にもたれた。
「で、業務内容は?」
ログナーは淡々と答える。
「陛下が地球上で外出、滞在、旅行、合宿などを行う際の警戒補助。
シックス製品の識別、隔離、処分判断。
ラキシス様の護衛補助。
加えて、すえぞうの警護および情報秘匿」
Xiは数秒黙った。
そして言った。
「増えてる」
「必要に応じて追加した」
「必要に応じすぎだろ。なんだよこれ。護衛じゃなくて小規模な国家危機管理じゃん」
ソープは穏やかに笑った。
「Xiがいてくれると、僕も助かるよ」
Xiは露骨に困った顔をした。
「陛下、その言い方ずるいって。命令より断りづらい」
ラキシスも微笑む。
「すえぞうも、あなたには懐いています」
すえぞうはテーブルの下から顔を出した。
「エライ?」
Xiは指差す。
「ほら。懐いてるっていうより、危険物処理の時だけ評価を求めてくるんだよ」
「でも嬉しそうですよ?」
弥子が言う。
「嬉しくないとは言ってない」
「じゃあ嬉しいんですね」
「言質取るの早いな、弥子ちゃん」
すえぞうは胸を張った。
「うっす」
泉は手帳に何かを書き込む。
「対象生物との信頼関係あり、と」
Xiが即座に突っ込む。
「書くな! 履歴書の特記事項みたいに書くな!」
泉は真面目に言った。
「でも、警護対象との関係性は業務適性に関わりますよ」
「正論!」
弥子がぽつりと言う。
「泉さん、セイロニストだ……」
Xiが顔をしかめる。
「なんだよその職業みたいなやつ!」
ネウロが、いつの間にか席の端でくつくつ笑っていた。
「正論で他者の退路を蒸す者だ。蒸籠だけにな」
Xiが机を叩きそうになる。
「今のダジャレ、必要だった!?」
ネウロは楽しそうに目を細める。
「必要ではない。だが不快感を増すには有効だ」
弥子が抗議する。
「有効活用の方向がおかしい!」
泉は気にせず続ける。
「Xiくん、短期でも契約実績があるのは大事ですよ。
報酬、勤務内容、責任範囲。きちんと書面にしておけば、後で揉めません」
「正しい。正しいけど逃げ場がない」
「あと、定職に就くって大事ですよ?」
Xiは頭を抱えた。
「怪盗にその言葉ぶつける人、すごいよ!」
泉はにこりと笑う。
「安定収入は大事です」
「またちょっとずつ外堀を埋める音がするよ!!」
バクスチュアルが真剣に頷く。
「外堀……蒸サレテ、埋マル……?」
Xiはそちらを見た。
「バクスチュアル、その理解は一回忘れよう」
「忘レル、ノ、難シイ」
「じゃあ保留で」
ログナーは平然と話を戻した。
「以前の短期契約では、日当としてフェザーゴールド金貨一枚を支払った」
Xiは警戒しながら頷く。
「あったな。日当一枚。あの時点でも責務はそこそこ重かったけど」
「今回は業務範囲が拡大している。
よって報酬は一日につきフェザーゴールド金貨二枚まで出す」
弥子が小声でキラに聞く。
「フェザーゴールド金貨って、日本円だとどのくらいなんですか?」
キラが困ったように答える。
「換算にもよるけど、一枚で五十万から六十万円くらい……かな」
弥子が固まった。
「日当で?」
Xiが指を立てる。
「責務が重い。三枚なら受ける」
ログナーの目がわずかに細くなった。
「言うようになったな」
「値切られる前提で吹っかけてるだけだよ。俺だって学習する」
すえぞうが反応する。
「ガクシュウ?」
「お前もな」
「うっす!」
ログナーは続けた。
「ファティマ・バクスチュアルも補佐に付けよう。これで二枚でどうだ」
Xiの表情が変わった。
「そこでバクスチュアル出してくるの、交渉としてズルくない?」
バクスチュアルは姿勢を正した。
「Xiサン、補佐、シマス」
「その真面目な顔で言われると断りづらいんだよなぁ」
「断ル、ノデスカ?」
「言い方覚えてきたね!?」
弥子がにこにこしている。
「バクスチュアルさん、すごく頼もしくなってきましたね」
「学習、シテイマス」
「何を学習してるのか、ちょっと怖いけどな」
Xiはログナーに向き直る。
「二枚は安い。すえぞう警護とシックス製品処理込みだぞ?」
「危険物処分手当を別途認める」
「最初からそれを言えよ」
泉がすかさず手帳を見る。
「では、基本日当二枚。
危険物処分手当は案件ごとに別途協議。
業務範囲は陛下およびラキシス様の地球外出時限定、すえぞう警護込み。
バクスチュアルさんが補佐。
拘束時間と緊急呼び出し条件も明文化しましょう」
Xiが泉を見た。
「編集さん、なんでそんな手慣れてるの?」
「契約書と締切管理は、書面が命です」
「セイロニストが契約実務まで強い」
ネウロが笑う。
「退路が蒸し上がってきたな」
「蒸すな!」
ログナーは珈琲を一口飲んだ。
「さらに、対シックス戦に必要とあらば、MHの貸与もありうる」
Xiの動きが止まった。
「……はい?」
ログナーは淡々と言う。
「そのために、以前から各種ミラージュマシンを見せておいただろう?」
沈黙。
Xiは両手で顔を覆った。
「わかってたけど……! わかってたけどさぁ……!」
弥子が首をかしげる。
「ミラージュマシン見学って、趣味の見学じゃなかったんですか?」
ログナーが答える。
「適性確認だ」
Xiが顔を上げる。
「言えよ!」
「言えば警戒しただろう」
「してるよ今!」
カイエンが腕を組んで笑う。
「俺に剣を習っている時点で、半分はこっち側だろうが」
Xiは師匠を見る。
「師匠まで外堀側に立つのやめてくんない?」
「逃げる足の使い方も教えたはずだ」
「この場で使ったらログナー司令に捕まるだろ」
ログナーは平然と言う。
「捕まえる」
「ほらな!」
泉がまた手帳に書く。
「貸与装備がある場合、管理責任と破損時の負担範囲も明記が必要ですね」
Xiが震える声で言う。
「MHの破損責任とか、文字列だけで胃が痛い」
ログナーは言った。
「破損させなければよい」
「そういう問題じゃねえ!」
弥子が思い出したように言う。
「そういえば、前にミラージュナイトの制服とスパッドも貸してもらってましたよね?」
Xiがぎくっとする。
「弥子、それ今言う?」
泉の目が光った。
「制服と業務用装備の貸与実績あり、と」
「書くなって!」
ラキシスが穏やかに言う。
「ミラージュマーク入りのカトラリーセットもありましたわね」
Xiはさらに顔をしかめる。
「あれ、試供品って言ってたけど素材がLEDミラージュの剣と同じなんだよ。
食卓に出す圧が強すぎるだろ」
ソープは嬉しそうに言った。
「ラキシスにも安心して使ってもらえる丈夫なカトラリーだよ」
Xiはラキシスの手元をちらりと見る。
「確かに、姫様の木製カトラリー破壊対策としては正しいけどさ」
ラキシスはにこやかに微笑む。
「木製品は、少し壊れやすいですものね」
「少し?」
弥子が小声で言う。
「少し、ですかね」
ソープは真顔で言った。
「ラキシスはか弱いからね」
Xiは天井を見た。
「その認識と素材選定が噛み合ってないんだよな……」
ログナーは静かに続ける。
「制服、スパッド、カトラリー、ミラージュマシン見学。
いずれも、貴様の適性確認および将来的な運用を見据えたものだ」
Xiは両手を広げた。
「外堀どころか、もう城門前に雇用契約書置かれてるじゃん!」
泉が真面目に言う。
「署名欄を確認しましょうか」
「ペン持って待つな、セイロニスト!」
バクスチュアルが小さく言う。
「Xiサン……嫌、デスカ?」
その一言で、Xiの勢いが少し落ちた。
「嫌っていうか、責任が重いんだよ」
「重イ」
「そう。重い。
陛下とラキシス姫様とすえぞうを守って、
シックス製品を見つけて、
場合によってはMHまで貸される。
普通に考えて重すぎ」
バクスチュアルは考える。
「デモ、Xiサン、逃ゲナイ」
Xiは目を細めた。
「逃げたい時は逃げるよ、俺は」
「デモ、大事ナ時、逃ゲナイ」
Xiは言葉に詰まった。
弥子は黙っていた。
すえぞうも、テーブルの下からXiを見ていた。
「エライ?」
Xiは苦笑する。
「今それ言う?」
すえぞうは胸を張った。
「うっす」
ソープが穏やかに言った。
「無理にとは言わないよ、Xi」
「それが一番断りづらいんだって」
ラキシスも静かに続ける。
「けれど、あなたがいてくだされば、すえぞうも安心します」
すえぞうはまた言う。
「エライ?」
Xiはしばらく黙った。
そして、深く息を吐く。
「……短期外注契約」
ログナーが見る。
Xiは指折り確認するように言った。
「陛下と姫様の地球外出時限定。
すえぞう警護込み。
バクスチュアル補佐付き。
日当フェザーゴールド金貨二枚。
シックス製品および関連危険物の処分手当は別途。
MH貸与が発生する場合は、その都度、責任範囲を再協議。
あと、無茶な恒久契約への自動更新なし」
泉が嬉しそうに頷く。
「いいですね。かなり具体的です」
Xiが睨む。
「編集さんのせいで契約文みたいになったんだよ」
ログナーは頷いた。
「よかろう」
Xiはすぐに言った。
「あと、ミラージュ騎士団入りは別件だからな。
今回の外注契約に混ぜるなよ」
ログナーはわずかに沈黙した。
「別件だ」
Xiはじっと見る。
「“今は”って顔してるぞ」
「気のせいだ」
「絶対、将来的にもっと分厚い契約書出す気だろ」
ログナーは淡々と言った。
「貴様次第だ」
「それが一番嫌な言い方なんだよ!」
カイエンは楽しそうに笑う。
「まあ、逃げ切れると思うなよ」
「師匠まで怖いこと言うな!」
弥子が安心したように笑った。
「でも、すえぞうがすぐ帰っちゃうわけじゃないんですね」
ソープが頷く。
「状況を見ながら、必要な時は安全な場所へ戻す。
でも、こちらにいる時はしっかり守る。
それがいいだろうね」
すえぞうは弥子を見た。
「ハラへった」
弥子は笑う。
「うん。じゃあ契約成立のお祝いに何か食べよう」
Xiが即座に言う。
「待て。なんで俺の外注契約成立が、すえぞうの食事になるんだ」
「日常だからです」
「便利な言葉だな、日常」
泉は手帳を閉じた。
「では、後ほど契約書の草案をまとめますね」
Xiはがくりと肩を落とした。
「本当にまとめるんだ……」
「もちろんです。口約束は危険ですから」
ネウロが笑う。
「ククク……セイロニストの蒸し上げ、見事だったな」
Xiはカップを持ち上げ、残りの珈琲を飲み干した。
それから、ちらりとバクスチュアルを見る。
「でもまあ、補佐がいるなら……少しは考えてやるよ」
バクスチュアルは、ほんの少し嬉しそうに目を伏せた。
「ハイ。補佐、シマス」
すえぞうが胸を張る。
「エライ?」
Xiは苦笑した。
「はいはい。お前もエライ」
弥子が言う。
「Xiもエライよ」
「褒めて契約を固定化しようとするな」
ラキシスが微笑む。
「でも、本当に」
ソープも穏やかに頷いた。
「ありがとう、Xi」
Xiは照れたように顔をそらす。
「……まだ正式署名前だからな」
泉がすかさず言った。
「では、署名欄は大きめにしておきます」
「外堀どころか、もう本丸に書類が来てる!!」
店内に笑いが広がった。
豆の香りが満ちる、古い喫茶店。
その奥の席で、怪盗はまた一つ、面倒な役目を背負いかけていた。
それでも。
すえぞうがいて。
バクスチュアルが隣にいて。
弥子が笑っていて。
ソープとラキシスが静かに見守っている。
責任は重い。
けれど、逃げる理由よりも、少しだけ。
残る理由の方が、増えていた。