守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「市街地に溶け込む服装が必要だ」
ログナーの声は、いつも通り淡々としていた。
場所は、以前にも使った豆の種類が豊富な喫茶店。
壁際には、ブラジル、コロンビア、グアテマラ、マンデリン、キリマンジャロ、ブルーマウンテンと書かれた珈琲豆の瓶が並んでいる。
その奥の席に、いつもの面々が集まっていた。
ソープ。
ラキシス。
ログナー。
ダグラス・カイエン。
桂木弥子。
泉京香。
そして、怪盗Xiとファティマ・バクスチュアル。
テーブルの下には、すえぞうもいた。
「うっす」
「今日、服屋に入る時は大人しくしてろよ」
Xiが言うと、すえぞうは胸を張った。
「ハラへった」
「返事になってない」
ログナーは話を続ける。
「陛下およびラキシス様が地球上で外出される際、
過度に目立つ服装は避けるべきだ。護衛も同様だ」
Xiは珈琲カップを置いた。
「まあ、それはわかるよ」
「特に、ファティマスーツは目立つ」
ログナーの視線が、バクスチュアルへ向く。
バクスチュアルは、自分の服装を見下ろした。
「目立ツ……」
「悪い意味でな」
Xiが補足する。
「綺麗だし、似合ってるけど、地球の街中だと完全に浮く。コスプレイベントならともかく、普通の街歩きだと注目される」
弥子がうなずく。
「確かに。すごく綺麗だけど、普段着って感じではないですね」
泉も手帳を開く。
「市街地での護衛任務なら、目立たない服装は合理的です。動きやすさ、視線を集めにくいこと、洗濯しやすさも大事ですね」
Xiが泉を見る。
「セイロニスト、服選びでも正論が強いな」
泉は微笑む。
「服は生活実務です」
「逃げ場がない言い方」
ソープは穏やかに笑った。
「Xiくんは地球の服にも詳しそうだし、バクスチュアルのこともよく見ているからね」
Xiは嫌な予感がして、少し身を引いた。
「その言い方、すごく断りづらいんだけど」
ラキシスが静かにバクスチュアルを見た。
「バクスチュアル姉様。今日は、地球で着る服を選びましょう」
バクスチュアルは、ゆっくりとラキシスを見る。
「ラキシス……私ガ、選ブ?」
「ええ」
ラキシスは優しく微笑む。
「任務のためだけではなく、あなたが着たいと思えるものを」
バクスチュアルは、その言葉を噛みしめるように繰り返した。
「私ガ……着タイ、モノ」
Xiは少しだけ目をそらす。
「……まあ、最初はわかんなくてもいいよ。とりあえず、動きやすくて、街に馴染むやつから探そう」
カイエンが腕を組んで笑った。
「ファティマの『メンテナンス』もマスターの責任だヨ」
Xiは即座に叫んだ。
「僕は外注! ミラージュの騎士でもなければ、彼女のマスターでもない!」
その言葉に、バクスチュアルの目がわずかに揺れた。
「ますたー……違ウ……?」
空気が、一瞬だけ止まった。
Xiは自分の言葉が刺さったことに気づき、慌てて手を振る。
「いや、違うっていうのは、そういう意味じゃなくて! 制度上というか、契約上というか、まだ正式にそういう関係ではないって意味で!」
弥子が小声で呟く。
「まだ正式には」
泉も頷く。
「まだ、ですね」
Xiが振り向く。
「そこ拾うな、セイロニスト!」
カイエンはにやりと笑う。
「今は、な」
「師匠まで乗るな!」
ログナーが淡々と言う。
「現時点では外注契約上の補佐だ。だが、運用上はマスターに準じる判断を求める場面もある」
Xiは頭を抱えた。
「法務っぽい言葉で外堀を深くするな!」
ラキシスはバクスチュアルの手に、そっと自分の手を重ねた。
「バクスチュアル姉様。焦らなくてよいのです」
「ラキシス……」
「名は、すぐに決まるものではありません。けれど、そばにいてくれる人がいることは、きっと悪いことではありません」
その言葉に、ソープは静かに微笑んだ。
バクスチュアルは、ゆっくりとXiを見る。
「そばニ……イル、人」
Xiは視線を泳がせた。
「まあ……必要なら、いるよ。外注契約の範囲内で」
弥子がじっと見る。
「契約用語で逃げた」
泉も記録する。
「契約用語で逃げましたね」
「記録するな!」
ネウロがいつの間にか端の席で笑っている。
「ククク……言葉とは便利だな。逃げ道にもなるが、時にはその逃げ道を蒸す」
Xiが睨む。
「蒸すな。今日は服を買いに行くだけだろ」
「そのはずだ」
ログナーが言った。
「ただし、市街地適応訓練も兼ねる」
「やっぱり訓練扱いかよ」
そうして一行は、喫茶店を出た。
*
向かった先は、駅近くの大きな衣料品店だった。
普段着から少し上品な外出着までそろい、派手すぎず、地味すぎない服が並んでいる。
すえぞうは店内には入れず、
店の外のベンチでログナーやカイエンと一緒に待機することになった。
「すえぞう、ここで待ってようね」
「ハラへった」
「あとで何か食べようね」
「うっす」
店内に入ると、バクスチュアルは少しだけ動きを止めた。
色。
布。
形。
棚に並ぶ無数の服。
それは彼女にとって、装備庫とはまったく違う場所だった。
「多イ……」
「服屋だからな」
Xiは軽く笑う。
「任務用って考えすぎなくていいよ。まずは、街で普通に歩けるやつ。あと、動きやすいの」
泉が横から言う。
「洗濯表示も見ましょう」
Xiが眉を上げる。
「そこまで?」
「大事です」
「生活実務の圧が強い」
弥子はすぐに服を一枚手に取った。
「バクスチュアルさん、これどうですか? 白いニットに、紺のスカート。優しい感じで似合いそう!」
Xiが見て頷く。
「いいけど、スカート丈は動きやすい方がいいな。あと、いざという時に走れる靴」
泉が別の棚からパンツスタイルを持ってくる。
「こちらなら動きやすいです。黒の細身パンツに、グレーのロングカーディガン。街にも馴染みます」
ラキシスは淡い青のブラウスを手に取った。
「こちらもよいと思います。バクスチュアル姉様の雰囲気を損ないません」
バクスチュアルは三人の手元を見ていた。
「選択肢……多イ」
Xiは苦笑した。
「全部正解じゃなくていい。全部必要でもない。自分が落ち着くのを選べばいいよ」
「落チ着ク」
「うん。着てて、嫌じゃないやつ」
バクスチュアルは少し考える。
「嫌ジャ、ナイ……服」
やがて、何着かを選び、試着室へ向かった。
Xiは店の通路で腕を組んで待つ。
弥子と泉は明らかに楽しそうだった。
「Xiさん、緊張してます?」
「してない」
「してますね」
「してない」
泉が冷静に言う。
「女性の服選びに付き合う時は、相手が感想を求めている場合、具体的に褒めると良いですよ」
Xiは顔をしかめる。
「また正論で蒸してくる」
「たとえば、“似合う”だけでなく、“色が落ち着いて見える”とか、“動きやすそうでいい”とか」
「勉強になるのがまた腹立つな」
試着室のカーテンが開いた。
バクスチュアルが出てきた。
淡いグレーのニット。
細身の黒いパンツ。
長すぎない紺のコート。
髪には、ラキシスが選んだ小さなリボン。
ファティマスーツの時の硬質な美しさとは違う。
地球の街に立つ、一人の女の子のようだった。
バクスチュアルは、少し不安そうにXiを見る。
「Xiサン……変、デスカ?」
Xiは言葉に詰まった。
「……」
弥子がにやにやする。
泉がじっと見る。
ラキシスは穏やかに微笑んでいる。
Xiは一度咳払いした。
「変じゃない」
「変ジャ、ナイ」
「うん。……似合ってる」
バクスチュアルの目が、ほんの少し開いた。
「似合ウ」
「似合ってる。色も落ち着いてるし、動きやすそうだし。街で歩いてても変に目立たない。でも、ちゃんと君っぽい」
言ってから、Xiは自分で少し照れた。
「……いや、今のは任務上の評価だからな」
弥子が即座に言う。
「任務上」
泉も頷く。
「任務上、ですね」
「二人で拾うな!」
バクスチュアルは、鏡の前に立った。
自分を見る。
ファティマスーツではない自分。
与えられた役割そのものではない服を着た自分。
「私……コレ、着テイル」
ラキシスが近づく。
「はい。よく似合っています、バクスチュアル姉様」
「ラキシス……私、コレ、良イ、ト、思イマス」
「なら、それを選びましょう」
バクスチュアルは、少しだけXiを見る。
「Xiサン、選ンダ。デモ……私モ、コレ、良イ、ト、思イマス」
Xiの表情が柔らかくなる。
「なら、それで決まり」
その後も、いくつかの服を試した。
白のブラウス。
紺のロングスカート。
動きやすいショートブーツ。
小さなショルダーバッグ。
寒い日のためのカーディガン。
バクスチュアルは、最初より少しずつ、自分から手を伸ばすようになった。
「コレ……動キヤスイ」
「うん、いいね」
「コレ……少シ、落チ着ク」
「じゃあ候補」
「コレ……ラキシス、似合ウ?」
ラキシスは嬉しそうに微笑む。
「ええ、とても」
やがて、会計の時になった。
ログナーが当然のように言う。
「AKD経費で処理する」
Xiは財布を取り出しながら、首を振った。
「いい。これは俺が出す」
ログナーがわずかに目を細める。
「任務用装備だ。経費で問題ない」
「任務用だけじゃないだろ」
Xiは、バクスチュアルが選んだ服を見た。
「彼女の服ぐらいは、俺が出す」
空気が止まった。
弥子が小さく言う。
「彼女」
泉が続ける。
「彼女、ですね」
ラキシスが微笑む。
「まあ」
バクスチュアルが不思議そうに呟く。
「彼女……?」
Xiは一気に顔を赤くした。
「深い意味はない! そのままの意味! 今この会話で服を買う対象って意味! 日本語の構造上そうなっただけ!」
泉が冷静に言う。
「照れ隠しとしては長いですね」
「分析するな!」
カイエンが店の外から声をかける。
「男としては悪くねぇヨ」
Xiが振り返る。
「師匠まで!」
ソープは楽しそうに笑っていた。
「Xiくん、いい顔をするね」
「ソープ様まで乗らないで!」
ラキシスはバクスチュアルを見た。
「よかったですね、バクスチュアル姉様」
バクスチュアルは、服の入った袋を見つめていた。
「Xiサンガ……買ッタ」
「うん」
Xiは少し照れたまま言う。
「大事に着なくていいよ。普通に着ればいい。汚れたら洗えばいいし、傷んだらまた買えばいい」
「普通、ニ」
「そう。普通に」
バクスチュアルは、ほんの少しだけ目を伏せた。
「普通……嬉シイ」
その一言で、Xiは何も言えなくなった。
店を出ると、ベンチで待っていたすえぞうが顔を上げた。
「うっす」
バクスチュアルは、買った服の一つに着替えたままだった。
すえぞうは彼女をじっと見た。
「エライ?」
Xiは苦笑する。
「たぶん今のは、似合ってるって意味だな」
弥子がすえぞうの頭を撫でる。
「すえぞうなりに褒めてますね」
バクスチュアルはすえぞうを見る。
「エライ……似合ウ?」
すえぞうは胸を張った。
「うっす」
バクスチュアルは、少しだけ笑ったように見えた。
「アリガトウ」
帰り道、バクスチュアルは袋を大事そうに抱えて歩いていた。
Xiが隣を歩く。
「重くない?」
「重ク、ナイ」
「そっか」
「Xiサン」
「ん?」
「私……選ビマシタ」
Xiは少しだけ目を細めた。
「うん。選んだな」
「服。自分デ」
「うん」
「Xiサン、そばニ、イマシタ」
Xiは一瞬、言葉に詰まった。
ラキシスの言葉が蘇る。
――そばにいてくれる人がいることは、きっと悪いことではありません。
Xiは頭を掻いた。
「……まあ、必要ならいるよ」
バクスチュアルは首をかしげる。
「外注契約ノ、範囲内?」
「そこ覚えてるのかよ」
「覚エテ、イマス」
Xiは苦笑した。
「じゃあ、契約の範囲内で。……今は」
バクスチュアルは、その言葉を少しだけ考えた。
「今ハ」
「そこも拾うんだな」
「ハイ」
少し後ろで、弥子と泉が小声で話している。
「今は、ですって」
「今は、ですね」
Xiが振り返る。
「聞こえてる!」
カイエンが笑う。
「外堀ってのは、こうやって埋まるんだヨ」
「師匠、楽しんでるだろ」
「まあな」
ログナーは静かに言った。
「本日の市街地適応訓練は成功だ」
Xiは半眼で返す。
「デートを訓練って呼ぶな」
言ってから、自分の言葉に気づいて固まった。
弥子が反応する。
「デート」
泉が頷く。
「デートですね」
バクスチュアルが呟く。
「デート……?」
Xiは叫んだ。
「違う! 今のは言葉のあや!」
ネウロが笑う。
「ククク……言葉のあやは、時として真実を蒸し上げる」
「蒸すな!」
すえぞうが、てとてと歩きながら言った。
「ハラへった」
弥子が笑う。
「じゃあ、服選び成功のお祝いに何か食べよう!」
Xiはため息をついた。
「結局そこに戻るんだな」
「日常ですから」
バクスチュアルは、袋を抱えたまま小さく頷いた。
「日常……服……選ブ……」
それは、彼女にとって小さな出来事だったかもしれない。
けれど、与えられたものではなく、自分で選んだ服。
任務だけではなく、普通に着てもいいと言われた服。
そして、それを一緒に選んでくれた人。
バクスチュアルは、隣を歩くXiを見た。
「Xiサン」
「今度は何?」
「アリガトウ」
Xiは少しだけ照れたように、目をそらした。
「……どういたしまして」
その声は、いつもの軽口より少しだけ柔らかかった。
ファティマ・バクスチュアルは、服を選んだ。
そしてたぶん。
服だけではない何かも、少しずつ選び始めていた。