守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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怪盗Xiはドーナッツも信用しない

商店街の午後は、どこか浮ついた匂いがした。

 

焼き菓子。

コーヒー。

揚げ物。

そして、砂糖と油が混ざった、甘くて危険な香り。

 

「……ドーナッツ」

 

弥子が足を止めた。

 

その隣で、すえぞうも足を止める。

 

「ハラへった」

 

Xiは二人を見た。

 

「またか。ハラヘリコンビ、食べ物センサーだけ精度高いな」

 

弥子は真剣な顔で、匂いのする方を見た。

 

「Xi、ドーナッツだよ」

 

「見ればわかる」

 

「揚げたてっぽいよ」

 

「匂いでわかる」

 

「買おう」

 

「判断が早すぎる」

 

その日は、いつもの面々で商店街を歩いていた。

 

キラ・ヤマト。

ラクス・クライン。

桂木弥子。

怪盗Xi。

バクスチュアル。

そして、すえぞう。

 

ソープとラキシスは別件で不在だったが、代わりにネウロがなぜか当然のようについて来ていた。

 

「貴様らは、商店街へ来るたびに食物型の罠にかかっているな」

 

ネウロが楽しそうに言う。

 

Xiは半眼で返す。

 

「言うな。唐揚げ、プリンと来てるんだ。今回だって警戒はしてる」

 

「警戒してる人は、匂いのする方へ歩いていかないと思うよ」

 

キラが苦笑する。

 

「それは弥子に言って」

 

弥子は既に、道の先に停まっている移動販売車を見つけていた。

 

白い車体に、茶色の屋根。

小さな旗には、丸いドーナッツの絵。

看板には手書きでこうある。

 

『手づくりドーナッツ』

 

Xiが立ち止まる。

 

「……移動販売車」

 

弥子も立ち止まる。

 

「移動販売車だね」

 

「唐揚げの時と同じ系統だな」

 

「でもドーナッツだよ」

 

「“でも”じゃない。むしろ危ない。

 唐揚げ、プリンと来たんだから、次の偽装販売を疑うべきだろ」

 

すえぞうが横から言う。

 

「ハラへった」

 

Xiはすえぞうを指差した。

 

「お前も今回は待て。確認してからだ」

 

すえぞうは首をかしげた。

 

「ドーナッツ?」

 

「覚えるの早いな」

 

バクスチュアルは、移動販売車をじっと見ていた。

 

「車……帰ル、準備?」

 

たしかに、店主らしき男は、のぼりを片付け始めていた。

ショーケースの中には、ドーナッツが少しだけ残っている。

 

店主は一行に気づくと、にこやかに声をかけてきた。

 

「いらっしゃいませ。すみません、今日あと六個で完売なんですよ」

 

Xiの眉が跳ねた。

 

「六個」

 

キラも小さく反応する。

 

「また六個」

 

弥子はショーケースを見ている。

 

「六個なら、ちょうど分けやすいね。全員で一人一個。」

 

「そこじゃない!」

 

店主は人の良さそうな顔で続けた。

 

「全部買ってくれたら、お値段は五個分でいいですよ」

 

弥子の目が輝いた。

 

「買います! 全部ください!」

 

Xiが叫ぶ。

 

「即決するな!」

 

弥子は振り返る。

 

「でも一個分お得だよ!」

 

「お得という言葉で警戒心を捨てるな!」

 

「ドーナッツが一個分浮くんだよ?」

 

「命と引き換えみたいに言うな」

 

キラが苦笑した。

 

「でも、さすがに今回は確認した方がいいかも。唐揚げとプリンの後だし」

 

弥子は少しだけ考えた。

 

「うーん……」

 

すえぞうがショーケースを見つめる。

 

「ハラへった」

 

弥子は真顔で頷いた。

 

「やっぱり買う」

 

Xiは頭を抱えた。

 

「議論がすえぞうの一言で終わるな!」

 

ネウロが楽しそうに笑う。

 

「ククク……食欲とは、最も原始的な決裁権だな」

 

「決裁するな」

 

店主は、いそいそと六個のドーナッツを紙箱に詰めた。

 

プレーン。

シュガー。

チョコ。

シナモン。

カスタード。

そして、穴の大きいオールドファッションのようなもの。

 

見た目は普通だった。

香りも悪くない。

むしろ、かなり美味しそうだった。

 

Xiは店主を見た。

 

「店名は?」

 

「ドーナッツ六輪堂です」

 

「六輪堂」

 

「ええ。輪っかが六つで、縁起がいいでしょう?」

 

「俺たちには縁起悪いんだよな……」

 

店主は曖昧に笑い、紙袋を弥子に渡した。

 

「ありがとうございました。これで本日は完売です」

 

そう言うと、本当にそそくさと看板を片付け始めた。

 

Xiはまだ睨んでいた。

 

「撤収が早いな」

 

「完売しましたので」

 

弥子はすでに紙箱を抱えていた。

 

「近くのベンチで食べよう!」

 

「せめて少し待て。レシート見せろ」

 

「はい」

 

弥子がレシートを渡す。

そこには普通にこう書かれていた。

 

ドーナッツ六輪堂

ドーナッツ六個セット

五個分価格

 

ヘキサクスのロゴは見当たらない。

 

Xiは眉をひそめた。

 

「……表面上は普通か」

 

弥子が嬉しそうに言う。

 

「じゃあ食べよう」

 

「“じゃあ”の速度が早い」

 

 

一行は、商店街の小さなベンチへ移動した。

 

弥子は箱を開ける。

 

「いただきます!」

 

すえぞうも胸を張る。

 

「うっす!」

 

Xiが止めようとする。

 

「だから少し確認を――」

 

遅かった。

 

弥子は一個目を食べた。

 

すえぞうも一個目を食べた。

 

弥子は二個目へ手を伸ばす。

 

すえぞうも二個目を食べる。

 

キラが目を丸くする。

 

「早っ」

 

Xiが叫ぶ。

 

「食べる速度がおかしい!」

 

弥子は三個目を口に入れた。

 

すえぞうも三個目を飲み込む。

 

数秒後。

 

箱は空だった。

 

「ごちそうさま!」

 

「ハラへった」

 

Xiは空箱を見下ろした。

 

「早い! しかもすえぞう、食後の第一声がそれか!」

 

弥子は首をかしげる。

 

「? 全然食べた気がしない……」

 

すえぞうは堂々と言う。

 

「ハラへった」

 

ネウロが頷いた。

 

「通常運転だな」

 

弥子が抗議する。

 

「違う! いつもより、もっと食べた気がしない!」

 

Xiは腕を組む。

 

「弥子がそう言っても、説得力が難しいんだよ」

 

「ひどい!」

 

キラが空箱を見る。

 

「でも六個あったんだよね? 弥子ちゃん三個、すえぞう三個」

 

「うん」

 

「普通ならそれなりに食べた感じがありそうだけど」

 

弥子は真剣だった。

 

「ない。まったくない」

 

すえぞうも言う。

 

「ハラへった」

 

ラクスは穏やかに首を傾げた。

 

「けれど、お二人は普段からよく召し上がりますものね」

 

Xiは頷いた。

 

「そうなんだよ。異常なのか通常なのか判断がつかない」

 

バクスチュアルは弥子とすえぞうを見比べた。

 

「ハラヘリコンビ……判定、難シイ」

 

「その通り」

 

弥子は空箱を持ち上げる。

 

「味は美味しかったよ。ふわっとしてて、甘くて、外がちょっとサクッとしてて」

 

「なのに満足しないのか」

 

「うん。穴が空いてるからかな」

 

Xiが目を細める。

 

「今、嫌な言葉が出たな」

 

「え?」

 

「穴」

 

その時だった。

 

Xiのスマホが鳴った。

 

ピロン。

 

Xiは目を細める。

 

「……来たな」

 

キラが表情を変える。

 

「このタイミングってことは」

 

Xiは画面を見る。

 

差出人は不明。

件名はこうだった。

 

『満たされぬ午後だったろう?』

 

Xiは無言で本文を開いた。

 

『我が一族自慢の小麦粉で作らせた、特製のドーナッツだ。

 慣れると癖になる。

 常人が食べると、何個食べても満足できないがね。

 穴の空いた菓子なのだから、当然だろう?』

 

沈黙。

 

Xiはスマホを握りしめた。

 

「やっぱりシックス製かよ!」

 

弥子が空箱を見た。

 

「うわぁ……」

 

すえぞうは相変わらずだった。

 

「ハラへった」

 

Xiはすえぞうを見る。

 

「お前は効果なのか通常運転なのか本当にわからない!」

 

バクスチュアルが真剣に言う。

 

「ドーナッツ……穴、アル。満足、逃ゲル?」

 

「すごく嫌な理屈を理解し始めたな」

 

ネウロは愉快そうに笑った。

 

「ククク……満たされぬ空白こそが、次の一口を呼ぶ。

 菓子としてはなかなかよくできている」

 

弥子がむっとする。

 

「よくできてない! 食べたのに食べた気がしないんだよ!」

 

キラが困ったように言う。

 

「でも……今回、何か被害は?」

 

ラクスも静かに続ける。

 

「お身体に異常があるようには見えませんわね」

 

ネウロが言う。

 

「いつも通りだな」

 

弥子は拳を握った。

 

「そんなことない!!」

 

Xiは少し身を引く。

 

「お、おう」

 

「食べたのに満足できないって、すごく大きな被害だよ!」

 

キラが苦笑する。

 

「弥子ちゃんにとっては、そうかも」

 

「そうだよ!」

 

Xiは空箱を見た。

 

「店を押さえる」

 

弥子が頷く。

 

「うん。まだ帰り支度中だったよね」

 

「いや、あの撤収速度からして怪しいけどな」

 

一行は慌てて移動販売車の方へ戻った。

 

しかし、そこにはもう何もなかった。

 

白い車体。

茶色の屋根。

ドーナッツの旗。

六輪堂の看板。

 

すべて消えていた。

 

まるで最初からそこに何もなかったかのように、商店街の角にはただ風が通っているだけだった。

 

弥子が呆然とする。

 

「ドーナッツ屋さんがない」

 

キラが周囲を見る。

 

「さっきまでいたよね?」

 

Xiは歯ぎしりした。

 

「帰り支度中じゃなかった。逃走準備完了済みだったんだよ」

 

ラクスは少し困ったように言う。

 

「唐揚げ、プリン、そしてドーナッツ。手口が変わってきていますわね」

 

「食べ物屋を仮装したトラップとか、ほんとやめてほしい」

 

ネウロが笑う。

 

「貴様らの警戒を上回るには、食欲を利用するのが最も合理的なのだろう」

 

Xiは弥子とすえぞうを見た。

 

「否定できないのが悔しい」

 

弥子は空箱を見つめたまま、ふるふると震えていた。

 

「……許せない」

 

Xiが構える。

 

「お、怒りの方向がシックスに向いたか?」

 

弥子は顔を上げる。

 

「ちゃんとしたドーナッツで上書きする!」

 

Xiは肩を落とした。

 

「そっちか」

 

すえぞうも胸を張る。

 

「ハラへった」

 

「お前も乗るな」

 

弥子は商店街の先を指差す。

 

「この先に、ちゃんとしたドーナッツ屋さんがあったはず!」

 

キラが苦笑した。

 

「行くんだ」

 

「行く!」

 

ラクスが微笑む。

 

「普通のドーナッツで、満足を取り戻すのですね」

 

弥子は力強く頷いた。

 

「そうです!」

 

Xiは深くため息をついた。

 

「また普通で上書きシリーズか」

 

バクスチュアルが言う。

 

「普通、大事」

 

「ほんとそれ」

 

一行は、商店街の中ほどにあるドーナッツ店へ向かった。

 

 

そこは昔から営業している、ちゃんとした店だった。

店先には、定番のシュガードーナッツ、チョコドーナッツ、クリーム入り、季節限定のものまで並んでいる。

 

弥子の目が輝いた。

 

「これと、これと、これと、あと限定のも!」

 

Xiが慌てる。

 

「待て。リベンジの規模が大きい」

 

「満足を取り戻すには必要なんだよ!」

 

すえぞうもショーケースを覗く。

 

「ハラへった」

 

店員が困惑している。

 

キラがフォローする。

 

「すみません、多めにお願いします」

 

ラクスは上品に微笑む。

 

「皆でいただきましょう」

 

ネウロは愉快そうに眺めている。

 

「多々買いだな」

 

Xiが財布を出しながら言った。

 

「結果的に金額が高くついた……」

 

ネウロが即座に返す。

 

「だが、いつも通りではある」

 

「それを言われると反論できない」

 

弥子は普通のドーナッツを一口食べた。

 

「……うん!」

 

その顔が、ぱっと明るくなる。

 

「これこれ! ちゃんと食べた感じがする!」

 

すえぞうも一口。

 

「うっす」

 

「すえぞう、どう?」

 

「ハラへった」

 

Xiが半眼になる。

 

「そこは変わらないのかよ」

 

弥子は笑った。

 

「でも、今のは普通の“ハラへった”だよ」

 

「違いがわかるのか?」

 

「わかる!」

 

「プロだな、ハラヘリの」

 

バクスチュアルが真面目にメモするように呟いた。

 

「普通ノ、ハラヘリ……シックス製ノ、ハラヘリ……違ウ」

 

Xiは少し笑った。

 

「そこは覚えなくてもいいけど、まあ、大事かもな」

 

キラはドーナッツを食べながら言った。

 

「普通の味って、安心するね」

 

ラクスも頷く。

 

「ええ。満たされる味ですわ」

 

弥子が胸を張る。

 

「そう! ドーナッツは満足してこそ!」

 

ネウロが笑う。

 

「貴様の満足には、量が必要だがな」

 

「それはそれ!」

 

Xiはシックスからのメールを削除しながら、空を見上げた。

 

「怪盗Xiは、ドーナッツも信用しない」

 

それから、弥子が手にした普通のドーナッツを見て、付け加えた。

 

「……ただし、ちゃんと満足できる普通のドーナッツは別だ」

 

すえぞうが胸を張った。

 

「ドーナッツ、もっと」

 

弥子が笑う。

 

「よし、もう一個いこう!」

 

Xiは呆れたように言う。

 

「結果的に、シックスのせいでドーナッツ消費量が増えただけじゃないか」

 

ネウロは実に楽しそうだった。

 

「ククク……策の効果が、敵の満足度を高めるための追加購入に転じたわけだ」

 

キラが苦笑する。

 

「失敗ってことでいいのかな」

 

ラクスが微笑む。

 

「少なくとも、皆さんは楽しそうですわ」

 

弥子とすえぞうは、並んでドーナッツを食べている。

 

「おいしいね、すえぞう」

 

「うっす」

 

「満足?」

 

「ハラへった」

 

「じゃあ、もう一個だね」

 

Xiはその光景を見て、肩をすくめた。

 

「ハラヘリコンビの日常は、穴が空いてるくらいじゃ埋まらないってことか」

 

バクスチュアルが首をかしげる。

 

「穴、空イテル、ノニ……埋マラナイ?」

 

「ややこしいこと言ったな、今の俺」

 

ネウロが笑う。

 

「要するに、空腹こそが奴らの日常ということだ」

 

弥子は口元に砂糖をつけたまま言った。

 

「そういうこと!」

 

Xiは笑って、ドーナッツの箱を閉じた。

 

商店街に、甘い匂いが戻っていた。

 

それは、シックスの仕掛けた満たされない甘さではなく。

 

ちゃんと食べて、ちゃんと笑える、普通のドーナッツの匂いだった。

 

 

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