守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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午後。

都内の小さな企画ミュージアム。
期間限定の展示は、古今東西の肖像画と人物デッサンを集めた特別展だった。

静かな照明。
抑えめの空調。
壁に整然と並ぶ額装。
来場者の足音さえ、ここではどこか遠慮がちになる。

芸術を前に、誰もが少しだけ静かになる場所。

……のはずだった。

「ねえ」
桂木弥子が小声で言った。
「なんでこのメンツで肖像画展に来てるの?」

キラ・ヤマトは展示解説パネルを見ながら、困ったように笑う。

「なんで、って言われても……」
「たまには落ち着いたところに行こう、って話だったんだけど」

「絶対メンバー選定の時点で間違ってると思う」
弥子。

少し前を歩いているのは、
空条承太郎とダグラス・カイエン。

承太郎はいつも通り無駄がない。
静かで、必要以上に展示へ感想も漏らさない。
ただ、ちゃんと見ている。

カイエンは気だるげな歩き方のまま、
展示の前では時々足を止める。
長髪に黒っぽい装いが妙にこの空間へ馴染んでいて、
本人よりむしろ周囲のほうが落ち着かない。

そのさらに少し後ろに、脳噛ネウロ。

「ククク……」
ネウロは薄く笑った。
「人間はこうして“描かれた顔”をありがたがるのだな」
「実物よりも、加工された像を愛でるとは滑稽だ」

「お願いだから美術館で美術館にケンカ売らないで」
キラ。

弥子が即座に頷く。

「そうよ!
今日は静かに鑑賞するの!」

「貴様が言うか、騒音娘」
ネウロ。

「うるさい!」

その少し離れた場所で、
岸辺露伴は担当編集の泉京香と展示を見ていた。

「先生、この前の話ですけど」
泉が小声で言う。
「次の読み切り、人物描写を強めるなら、やっぱり取材を……」

露伴は返事をしない。

していないというより、
聞こえていなかった。

視線の先にいる、
ひとりの男に完全に意識を持っていかれていたからだ。

長い髪。
力の抜けた立ち姿。
絵の前に立っているだけなのに、
まるでその男自身が額装された作品みたいに完成されている。

なのに――
完成されているだけではない。

露伴はわかる。
こういう人間は、見た目だけでは終わらない。

何かをくぐってきた人間の立ち方だ。

泉が異変に気づく。

「……先生?」

露伴は小さく呟いた。

「なんだ、あれは」

「え?」

「いや、あの男だ」
露伴の目はカイエンに固定されたままだった。
「見ろ、泉くん」
「絵を見ている姿が、すでに一枚の絵になっている」

泉もそっとそちらを見る。

「えっと……長髪の人ですか?」

「そうだ」
露伴の声が低くなる。
「しかも、ただ絵になるだけじゃない」
「あれは……危ない」

泉は少し嫌な予感を覚える。

「先生、その“危ない”って、取材したい方向の危ないですか?」

露伴は答えない。

答えないが、
その沈黙が答えだった。

泉が頭を抱えそうになる。

「やめてくださいよ……」
「今日の先生、もう目が“見つけた時の目”になってるんですけど」

露伴はなおもカイエンを見ていた。

そして、その近くにいる見覚えのある男にも気づく。

「……承太郎さん?」

承太郎がわずかに振り向く。

「……露伴か」

泉が小さく呻く。

「知り合いまでいた……最悪だ……」


岸辺露伴は踏み込みたい

露伴は迷わなかった。

 

「泉くん」

 

「はい」

 

「君はもう帰っていいよ」

 

「またそれですか!?」

泉は小声で叫ぶ。

「まだ何も終わってないですよ!? 打ち合わせも!!」

 

「後だ」

露伴はメモ帳を取り出す。

「今、もっと面白いものがここにある」

 

「先生ぇ……」

 

だが止まらない。

露伴は、展示室の一角にいる五人へ歩み寄っていく。

 

キラが最初に気づいた。

 

「あっ」

 

弥子も気づく。

 

「うわ」

「来た」

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……よい」

「やはり我慢できなかったか、人間」

 

露伴はまず承太郎を見る。

 

「承太郎さん」

「少し話をさせてくれないか」

 

承太郎はものすごく面倒くさそうに帽子のつばを押し上げた。

 

「……やれやれだぜ」

 

弥子がすぐ言う。

 

「また来た、この人!」

 

キラが小声で承太郎へ聞く。

 

「知り合いなんだよね……?」

 

承太郎は最低限だけ答えた。

 

「こいつは知り合いの漫画家だ」

 

キラが即座に突っ込む。

 

「あっさりしすぎ!!」

 

弥子も言う。

 

「情報量なさすぎでしょ!」

 

承太郎が低く言う。

 

「面倒なのに見つかったな」

 

「君の知り合いかい?」

カイエンが承太郎へ聞く。

 

「腐れ縁みてぇなもんだ」

承太郎。

 

「やれやれだぜ」

 

二回目だった。

 

展示室を少し移動する。

 

五人と露伴、そして少し離れて泉京香。

泉は帰らず、結局遠巻きに見張っていた。

 

カイエンは一枚の肖像画の前で足を止める。

 

黒を基調とした古い貴族の肖像だ。

表情は穏やかなのに、目だけが冷たい。

 

露伴がその隣へ来る。

 

「君は、こういう絵をどう見る?」

 

カイエンは絵から目を離さずに言った。

 

「描いた人間が“見せたい顔”を描いてる」

 

露伴の目が少し鋭くなる。

 

「ほう」

 

「絵ってのはそういうもんだろう」

カイエン。

「見せたいものだけを残す」

 

露伴はすぐ返す。

 

「違うな」

「本当にいい絵は、見せたくないものまで漏れる」

 

カイエンがようやく露伴を見た。

 

二人の視線が初めて正面から合う。

 

キラが遠くから嫌な顔をする。

 

「……あの二人、今ちょっと空気変わったよね」

 

弥子が頷く。

 

「変わった」

「なんかやだ」

 

ネウロは楽しそうだった。

 

「ククク……よい」

「“描く側”と“隠す側”の会話というのは、実に香ばしい」

 

「そこを楽しむなよ」

キラ。

 

露伴はさらに踏み込む。

 

「君自身はどうなんだ」

「見せたい顔と、見せたくない顔、どちらが多い?」

 

弥子が即座に言う。

 

「ちょっとあんた、踏み込み方が急すぎる!」

 

キラも慌てる。

 

「露伴先生、それもう普通の美術館トークじゃないですよね!?」

 

露伴は聞いていない。

 

「君の立ち方は、ただの男の立ち方じゃない」

「実戦を知っている人間の重心だ」

「しかも、見せ方を知っている」

 

カイエンは薄く笑った。

 

「褒めてるのか、読みに来てるのか、どっちだい」

 

「両方だ」

露伴。

 

泉が遠くで頭を抱える。

 

「先生、早いよ……もう踏み込みすぎですよ……」

 

承太郎が一歩だけ近づく。

 

「露伴」

 

低い声だった。

かなり低い。

 

だが露伴は止まりきらない。

 

「承太郎さん、君には分からないかもしれないが」

「こういう人間はそうそういないんだ」

 

「だからだ」

承太郎。

「やめとけ」

 

「“やめとけ”が本気っぽい!」

キラ。

 

弥子が露伴を睨む。

 

「勝手に人の人生ほじくろうとしないでよ!」

 

露伴は平然と返す。

 

「ほじくる?」

「違うな。“読む”んだ」

 

ネウロが口元を吊り上げる。

 

「ククク……」

「どうした、漫画家。読むなら早く読め」

 

「煽るな!!」

キラと弥子が綺麗にハモる。

 

その時だった。

 

露伴の指先が、ほんのわずかに動いた。

 

ほんのわずか。

本当にわずか。

 

だが承太郎は、その気配を見逃さない。

 

「露伴」

もう一度、低く言う。

 

同時に、カイエンも静かに口を開いた。

 

「……ぼかぁ厄介事は苦手なんだが」

 

露伴の手が止まる。

 

カイエンの声は低い。

怒鳴っていない。

むしろ落ち着いている。

 

なのに、空気が変わる。

 

展示室の静けさとは別の意味で、

周囲の音が遠のいたような感覚。

 

弥子がぞくっとする。

 

「……うわ」

 

キラも息を止めた。

 

カイエンは露伴を見たまま言う。

 

「それ以上は、やめといたほうがいい」

 

露伴は笑わない。

でも、目だけはまだ死んでいない。

 

「……やはり、隙がないな」

 

「君が踏み込みすぎなんだよ」

キラ。

 

「失礼だな」

露伴。

「僕はまだ何もしていない」

 

「“まだ”って言った!」

弥子。

 

承太郎がさらに一歩だけ出る。

 

「露伴」

 

露伴は舌打ちこそしないが、

明らかに不満そうだった。

 

「分かっている」

「今日はやらないさ」

 

「今日はって何!?」

キラ。

 

ネウロだけが面白そうだ。

 

「ククク……

よいではないか」

「執着は物語を育てるぞ」

 

「おまえはほんとに他人が被害者だと止めないな!」

弥子。

 

「吾輩の獲物ではない」

ネウロ。

 

「最低!!」

 

少し場を切り替えるように、

キラが別の展示へ歩き出す。

 

「ほ、ほら、次の部屋行こう」

「せっかく来たんだし、ちゃんと展示見ないと」

 

「そうだな」

と意外にもカイエンが言う。

「こっちの絵も悪くない」

 

弥子がぼやく。

 

「なんで当事者のほうが落ち着いてるのよ……」

 

承太郎は帽子を押さえた。

 

「慣れてるんだろ」

 

露伴はまだカイエンを見ていた。

 

だが今は追わない。

追えない。

 

その代わり、メモ帳を開いて何かを書きつける。

 

キラが嫌な顔をする。

 

「何書いてるんですか」

 

「別に」

露伴は答える。

「忘れないように、だ」

 

「何を!?」

 

「今の“止めろ”の空気をだ」

露伴。

「あれは描ける」

 

弥子が顔をしかめる。

 

「うわ、やっぱりネウロと同じ匂いがする!」

 

露伴が即答する。

 

「違う」

 

「違わないってば!」

弥子。

 

ネウロがくつくつ笑う。

 

「よい定型句だな」

 

承太郎が深く息をつく。

 

「……やれやれだぜ」

 

三回目だった。

 

展示を一通り見終え、

五人と露伴、それに泉がミュージアムの出口近くまで来た頃。

 

外の光は少し傾いていた。

 

弥子が露伴をじろりと見る。

 

「で、結局あんた」

「まだ諦めてないでしょ」

 

露伴は当然のように答えた。

 

「諦める理由がない」

 

「うわ、開き直った!」

 

キラが額を押さえる。

 

「お願いだから、本当に変なことしないでくださいね……」

 

露伴はメモ帳を閉じた。

 

「安心しろ」

「少なくとも、今日ここではやらない」

 

「“今日ここでは”って言い方!」

弥子。

 

カイエンが小さく笑う。

 

「やれやれ。

ずいぶん気に入られたもんだ」

 

「気に入ったよ」

露伴はきっぱりと言う。

「君みたいな男はそうそういない」

「描きたいし、読んでみたい」

 

キラがすぐ言う。

 

「後半怖いんですよその言い方!」

 

露伴は構わず続ける。

 

「だからまた会うだろうな」

 

承太郎がぼそりと呟く。

 

「面倒だ」

 

泉が小さく同意する。

 

「ほんとに……」

 

ネウロが笑う。

 

「ククク……

よいではないか」

「人間同士、互いの内側を暴きたがる様は見ていて飽きん」

 

「だからその立ち位置やめてよ!」

キラ。

 

弥子が最後に露伴を指差す。

 

「言っとくけどね!」

「あんた、今はまだ“有名漫画家”だからギリギリ我慢してるけど」

「変なことしたらほんとにネウロ枠だからね!」

 

露伴は少しだけ口元を上げた。

 

「それはそれで面白い評価だな」

 

「面白がるな!」

 

そして露伴は、承太郎を見た。

 

「承太郎さん」

 

「なんだ」

 

「また会った時は、もう少しまともに紹介してくれ」

 

承太郎は即答した。

 

「断る」

 

キラが吹き出しかける。

 

「即答だ……」

 

弥子も笑う。

 

「雑すぎる!」

 

露伴は肩をすくめた。

 

「やれやれ」

「君も大概だな」

 

承太郎が低く返す。

 

「おまえにだけは言われたくねぇ」

 

それを聞いて、なぜかカイエンが少しだけ楽しそうに笑った。

 

外へ出る。

 

それぞれの帰り道へ向かう前の、ほんの短い時間。

 

キラは小さく息をついた。

 

「……なんか、また面倒な知り合いが増えた気がする」

 

弥子が即答する。

 

「気のせいじゃないわよ」

 

ネウロは満足げだ。

 

「ククク……

退屈しない追加要員だ」

 

「増やさなくていいんだよ、そういうのは」

キラ。

 

カイエンは気だるげに言う。

 

「まあ、悪くない」

「少なくとも、ただの絵描きじゃなかった」

 

承太郎は最後に一言だけ。

 

「関わるなら気をつけろ」

 

誰に向けた言葉かは曖昧だったが、

たぶん全員に向けてだった。

 

そして少し離れた場所で、

露伴はまだこちらを見ていた。

 

メモ帳を閉じ、

何か考えるような目で。

 

泉が横で言う。

 

「先生」

 

「なんだ」

 

「あの人たち、絶対また関わりますよね」

 

露伴は、当然のように答えた。

 

「関わるさ」

 

「やっぱり……」

 

「だって、あれはまだ序章だ」

露伴。

「僕はまだ、何も読めていない」

 

その目だけが、少し危なかった。

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