守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
商店街の外れにある小さな神社は、その夜、提灯の光に包まれていた。
前に行った縁日とは、また別の場所。
けれど、境内に満ちる音と匂いは、よく似ている。
太鼓の音。
子供の笑い声。
ソースの焦げる匂い。
焼きそば。
フランクフルト。
円盤焼き。
ベビーカステラ。
かき氷。
そして、粉モノの屋台。
たこ焼き。
お好み焼き。
イカ焼き。
ねぎ焼き。
焼きそば。
「お祭りだ!」
桂木弥子は、境内へ入るなり目を輝かせた。
隣では、すえぞうも胸を張る。
「ハラへった」
怪盗Xiは、ふたりを見てため息をついた。
「相変わらず反応が同期してるな、ハラヘリコンビ」
泉京香は、境内に並ぶ屋台を見回して言った。
「今日は文化調査、でしたよね?」
レディオス・ソープは楽しそうに頷く。
「うん。前のお祭りとは違う地域の縁日らしいからね。食べ物の種類や雰囲気の違いを見るのも面白いと思って」
ラキシスはソープの隣で、穏やかに微笑んでいる。
「ソープ様、熱いものは少し冷ましてから召し上がってください」
「そうだね、ラキシス」
Xiは二人を見てから、境内へ視線を戻した。
「文化調査って言えば聞こえはいいけど、実態はほぼ食べ歩きですよね」
弥子が即答する。
「食文化調査だよ」
「便利な言葉だな」
岸辺露伴は、少し離れた場所で屋台の配置を眺めていた。
「屋台というのは、観察対象としては悪くない。
人間の欲望が非常にわかりやすく配置されている」
泉が苦笑する。
「露伴先生、そういう言い方するとまた誤解されますよ」
「誤解じゃあない。正確な分析だ」
すえぞうが、たこ焼き屋の前で足を止めた。
「アツイ! ウマイ!」
Xiが即座に反応する。
「待て。前回の記憶で判断するな」
弥子も、たこ焼きの看板を見て少しだけ立ち止まる。
「たこ焼き……」
Xiが横から言う。
「今日はたこ焼きは一回スルーしよう。前回、シックス製だったかもしれないし、買ってなかったかもしれないし、何もわからなかったからな」
泉が真面目に頷く。
「出所不明の食品は、再発防止策として避けるのが妥当ですね」
「さすが常識人枠」
弥子は未練がましくたこ焼き屋を見た。
「でも、たこ焼きはお祭りの基本だよ」
Xiは腕を組む。
「基本だからこそ罠に使われる」
露伴が横から言う。
「今回はたこ焼きを避けるわけか。学習しているな」
「先生にそう言われると、なんか腹立つな」
すえぞうはたこ焼き屋を見つめたまま、ぽつりと言う。
「ハラへった」
弥子は少し考えた。
「じゃあ……お好み焼き!」
Xiはすぐ顔をしかめた。
「“じゃあ”で粉モノ隣接ジャンルに行くな」
「たこ焼きは避けたよ?」
「避けた先が同じソース圏内なんだよ」
ソープが興味深そうに、鉄板の上で焼かれているお好み焼きを眺める。
「これは、たこ焼きとは違って平たいのだね」
弥子が説明する。
「そうです。キャベツとか具材を生地に混ぜて、鉄板で焼いて、ソースとマヨネーズと青のりとかをかけます」
ラキシスが微笑む。
「香ばしい匂いがしますね」
泉は冷静に言った。
「ただ、青のりは歯に付きやすいので注意が必要です」
Xiが泉を見る。
「そこまで現実的に言われると、急に食べ物としての危険度が上がるな」
弥子は屋台を指差した。
「でも、あそこのお好み焼き、すごくおいしそう」
看板には、
ふわふわ特製お好み焼き
濃厚ソース仕上げ
と書かれていた。
特に怪しい六の字はない。
ヘキサクスのロゴも見当たらない。
店員も普通の祭り屋台の人に見える。
Xiはじっと見た。
「……六個入りとかじゃない」
泉が頷く。
「お好み焼きは基本一枚売りですからね」
「そこが逆に油断ポイントか」
弥子はすでに買っていた。
「一枚ください!」
「早い」
すえぞうも横から顔を出す。
「ハラへった」
弥子は笑った。
「すえぞうも食べる?」
「うっす」
Xiは警戒しながら言った。
「一応、少しだけにしろよ」
「わかってるって」
その後も、一行は屋台を回った。
焼きそば。
円盤焼き。
フランクフルト。
じゃがバター。
かき氷。
ベビーカステラ。
弥子は本当に多々買っていた。
泉が袋の数を見て、少し引いた。
「弥子さん、これ全部食べるんですか?」
「みんなで食べます!」
Xiが即座に言う。
「半分以上は弥子とすえぞうだろ」
「食文化調査だから」
露伴が呆れたように言った。
「食文化というより、胃袋による市場調査だな」
お好み焼きは、参道の少し外れにあるベンチで食べた。
紙皿の上に、濃いソースの香り。
マヨネーズ。
かつお節。
そして、青のり。
弥子が一口食べる。
「おいしい!」
すえぞうも、弥子から分けてもらった一切れを食べた。
「ウマイ」
Xiは少し安心した。
「普通の反応だな」
すえぞうはもう一口食べた。
「ウマイ」
弥子は笑う。
「よかったね」
ソープも少しだけ分けてもらい、ラキシスが冷まし具合を確認してから口にした。
「なるほど。ソースの香りが強いけれど、生地と具材がまとまっている。面白い料理だね」
ラキシスも小さく頷く。
「お祭りらしい味です」
泉は、青のりが口元についていないか確認しながら食べていた。
「濃い味ですけど、おいしいですね」
Xiは感心する。
「泉さん、ちゃんと食べ方が慎重だな」
「青のり対策です」
「常識人枠が頼もしい」
露伴はひと口食べて、少しだけ眉を上げた。
「悪くない。だが、ソースが強すぎる。素材より祭りの空気を食わせる料理だな」
弥子が笑う。
「それがいいんですよ!」
しばらくして、すえぞうが動きを止めた。
「……」
弥子が気づく。
「すえぞう?」
すえぞうは、口を少し動かしている。
「ムズムズ」
Xiが眉をひそめた。
「何が?」
すえぞうは少し考えた。
「マエバ……ウラ」
全員が止まった。
Xiがゆっくり聞き返す。
「お前、前歯の裏って概念あるんだ……」
弥子がすえぞうの顔を覗き込む。
「すえぞう、口開けてみて」
すえぞうは素直に大きく口を開けた。
「あー」
泉が少し身を乗り出す。
「青のり……ですかね」
Xiも覗き込む。
「……いるな」
「いるって何?」
弥子が言う。
Xiは真顔で答えた。
「前の牙の裏に、青のりが強い意志でいる」
露伴が興味深そうに見る。
「なるほど。鳥のような外見だが、口腔内はかなり爬虫類的というか、ドラゴンらしい構造をしているな」
Xiがすぐ制した。
「先生、今は生物観察じゃなくて青のり被害の話」
すえぞうは舌を動かしている。
「ムズムズ」
弥子が心配そうに言う。
「気になるんだね」
すえぞうは頷く。
「マエバ……ウラ」
Xiは少し考えた。
「まあ、お好み焼き食べたら青のりが歯につくのは普通にあるしな」
泉も頷く。
「ありますね。前歯の表側なら鏡で見えますが、裏側だと余計に気になるかもしれません」
「なんでそんな生活感ある解説ができるんですか」
「経験です」
ソープはすえぞうを見て、少し心配そうに言った。
「痛いわけではないのかな?」
すえぞうは首を振る。
「ムズムズ」
ラキシスが微笑む。
「少し気持ち悪いのでしょう」
弥子は水を差し出した。
「すえぞう、お水飲んでみる?」
「うっす」
すえぞうは水を飲んだ。
少し口を動かす。
「……ムズムズ」
Xiは肩をすくめた。
「まあ、そのうち取れるだろ」
それからも、縁日は楽しかった。
弥子は焼きそばを食べ、すえぞうはフランクフルトを見つめ、ソープは円盤焼きの構造を文化的に観察し、ラキシスはソープの食べるものを冷まし、泉は食べ歩きのゴミをきちんとまとめた。
露伴は途中で、金魚すくいの前で立ち止まり、やたら真剣な顔をしていた。
Xiが聞く。
「先生、やるの?」
「観察しているだけだ」
「負けたくない顔してますけど」
「黙れ」
すえぞうは、時々口を動かした。
「ムズムズ」
弥子がそのたびに、
「まだ取れない?」
と聞く。
すえぞうは、
「マエバ」
と答える。
Xiはそれを見ながら呟いた。
「お祭りの思い出が、すえぞうの前歯の裏に残ってるな」
泉が言う。
「言い方は綺麗ですが、内容は青のりです」
やがて、夜も更けてきた。
提灯の灯りが柔らかく揺れ、屋台も少しずつ片付けを始めている。
弥子は満足そうに息をついた。
「楽しかったね!」
ソープも頷く。
「うん。前の縁日とはまた違う雰囲気で、とても面白かった」
ラキシスが微笑む。
「よい文化調査でしたね」
Xiは少し疲れた顔で言った。
「被害らしい被害もなかったしな。すえぞうの青のりくらいで」
すえぞうが口を動かす。
「ムズムズ」
泉が言う。
「そこはまだ続いているようですが」
「まあ、命に関わるものじゃない」
その時だった。
Xiのスマホが鳴った。
ピロン。
Xiの表情が消えた。
「……このタイミング」
弥子が振り向く。
「まさか」
露伴が口元を歪める。
「来たか」
Xiはスマホを開いた。
差出人不明。
件名。
『粉モノの奥深さを知っただろう?』
Xiは嫌な予感を覚えながら本文を開いた。
『我が一族が裏社会の粉モノ文化を支配するために焼かせた、至高のお好み焼きだ。
濃厚なソースが脳を裏側から刺激し、慣れると癖になる。
常人が食べると、青のりが前歯の裏側に驚異的な吸着力で貼り付き、
丸一日は剥がれなくなるがね。』
沈黙。
Xiはスマホを握りしめた。
「やっぱりシックス製かよ!」
弥子がすえぞうを見る。
「すえぞうの前歯の裏、それ!?」
すえぞうは口を動かした。
「ムズムズ」
泉が引きつった顔で言う。
「被害が……地味ですね」
Xiは頷いた。
「地味だけど嫌だ」
露伴が少し考える。
「なるほど。口腔内に長く残る異物感による精神的妨害。あいつらしい陰湿さだ」
「分析が的確すぎて嫌ですね」
ソープは驚いたように言う。
「青のりが、丸一日も?」
Xiが説明する。
「普通の青のりはそこまで粘着しません。たぶん」
ラキシスはすえぞうを見て、少し心配そうに言った。
「すえぞう、大丈夫?」
すえぞうは胸を張った。
「エライ?」
Xiは頭を抱える。
「今回はエライというか、災難」
弥子はすえぞうの頭を撫でた。
「よしよし。すえぞう、よく頑張ったね」
「うっす」
泉が冷静に言った。
「ただ、原因がわかった以上、今日はこれ以上青のりを含む粉モノは避けた方がいいですね」
弥子が少しだけ不満そうにする。
「えー」
Xiがすぐ言う。
「えーじゃない」
「でも、お好み焼きの記憶がシックス製で終わるのは嫌だよ」
Xiは目を細めた。
「……また上書きか」
弥子は真剣だった。
「普通のお好み焼きで上書きしよう!」
泉が言う。
「ただし、出所が確かな店で」
「それは大事」
Xiは頷いた。
「縁日の屋台は、どれがヘキサクスだったかわからない。
ここで追撃したら、今度こそ別の粉モノ罠を踏む可能性がある」
弥子は少し考える。
「それは困る」
「だろ」
「普通のお好み焼きで上書きしたいのに、また青のり地獄が増えるのは嫌だ」
「食べ物基準だけど、判断は正しい」
ソープが言った。
「それなら、きちんとした鉄板焼きのお店へ行こうか」
ラキシスが微笑む。
「ソープ様も、普通のお好み焼きを召し上がってみたいのですね」
「うん。今日食べたものが本来のものか、確かめたい」
Xiは深く頷く。
「普通の確認、大事です」
一行は、商店街の駅寄りにある鉄板焼きの店へ向かった。
昔からある店で、店先の暖簾には大きく、
お好み焼き・鉄板焼き
と書かれている。
泉が店の外観を確認した。
「普通のお店ですね」
Xiも看板を確認する。
「六の字なし。ヘキサクスのロゴなし。移動販売車でもない。消えそうな気配もない」
露伴が呆れる。
「店に対する確認項目がおかしい」
「最近の被害履歴を考えたら妥当だよ」
店内に入ると、鉄板の熱とソースの香りが迎えてくれた。
店員が席へ案内する。
「いらっしゃいませ。お好み焼きですね。青のり、おかけしてよろしいですか?」
弥子は一瞬迷った。
普段なら迷わない。
だが今日は違った。
すえぞうが横で口を動かしている。
「ムズムズ」
弥子は真剣な顔で言った。
「今日は……青のり別皿で!」
Xiが目を見開く。
「弥子が青のりを別皿にした……」
泉も頷く。
「安全対策ですね」
ソープが少し驚く。
「別皿という選択肢があるんだね」
ラキシスが微笑む。
「よい判断です」
弥子は力強く言った。
「事件じゃないよ! 安全対策!」
露伴がぼそりと言う。
「誰も事件とは言っていない」
Xiが突っ込む。
「言いそうな空気だったろ」
テーブルの鉄板でお好み焼きを焼く。
そしてソース。
マヨネーズ。
かつお節。
ただし、青のりは別皿。
弥子はまず、青のりなしで一口食べた。
「……おいしい!」
Xiも一口食べる。
「うん。普通にうまい」
泉も頷く。
「安心して食べられる味ですね」
ソープはラキシスが冷ました一切れを口にする。
「なるほど。こちらは屋台のものより、より落ち着いて味わえるね」
ラキシスも微笑む。
「ソープ様のお口に合ってよかったですわ」
すえぞうにも、青のりなしの小さな一切れが渡される。
「ウマイ」
弥子が笑う。
「すえぞう、青のりなしなら大丈夫だね」
「うっす」
Xiは少し安心した。
「よし。お好み焼きの記憶は上書き完了だな」
露伴が言う。
「青のりなしのお好み焼きというのも、少し物足りない気はするがな」
弥子は別皿の青のりを見つめた。
「……少しだけなら」
Xiが即座に言う。
「今日はやめておけ」
泉も続く。
「丸一日は剥がれない可能性があります」
弥子は素直に手を引っ込めた。
「はい」
Xiが驚く。
「弥子が青のりで引いた」
泉が言う。
「危険認識が育っています」
「食べ物絡みだと育つんだな……」
すえぞうはまだ時々口を動かしていた。
「ムズムズ」
ソープが優しく言う。
「すえぞう、もう少しの辛抱だね」
すえぞうは胸を張る。
「エライ?」
弥子が即答する。
「エライ!」
Xiも笑った。
「まあ、エライ。被害報告もしてくれたしな」
すえぞうは満足そうに言う。
「うっす」
Xiはスマホのメールを削除した。
「怪盗Xiは、お好み焼きも信用しない」
弥子が青のりなしのお好み焼きを食べながら言う。
「でも、普通のお好み焼きは信用していいよ」
泉が付け加える。
「青のりの管理を適切にすれば、なお良いですね」
露伴が小さく笑った。
「青のりの管理、という言葉が出る食卓は初めてだな」
ソープは楽しそうだった。
「今日も、地球の食文化をひとつ学べたよ」
Xiは半眼になる。
「学びが毎回、妙な方向から来るんですよね」
ラキシスが穏やかに微笑む。
「けれど、皆さんご無事ですわ」
弥子は頷いた。
「縁日も楽しかったし、お好み焼きもちゃんと食べ直せたし、勝ちだね!」
すえぞうが言う。
「ハラへった」
Xiはすえぞうを見た。
「今、お好み焼き食べたばっかりだろ」
「ハラへった」
弥子は笑った。
「すえぞう、口のムズムズが気になって、食べた気がしなかったのかも」
Xiは遠い目をした。
「シックス製品の被害、地味なのに後を引くな……」
それでも、鉄板の上では普通のお好み焼きが湯気を立てていた。
ソースの香り。
かつお節の揺れ。
青のりは別皿。
それは、裏社会の粉モノ文化を支配するためのものではない。
普通に焼かれて、普通においしくて、普通に笑えるお好み焼きだった。
日常を取り戻すには、それくらいでちょうどよかった。