守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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泉京香はHEXA-BOOSTを許さない

「これは……」

 

泉京香は、ログナー司令が差し出した資料を見て、言葉を失った。

 

いつものカフェテラスだった。

 

前回、ヘキサクスの拠点の一つがログナー配下の隠密部隊によって静かに制圧された。

人的被害はなく、建物被害も最小限。

関係資料は押収され、関係者数名も拘束された。

 

その後日談として、今日、ログナーが解析途中の資料を持ってきたのである。

 

テーブルには、泉、桂木弥子、怪盗Xi、バクスチュアル、キラ・ヤマト、ラクス・クライン、脳噛ネウロ、そしてすえぞうがいた。

 

すえぞうは、テーブルの下でてとてと歩いている。

 

「ハラへった」

 

弥子が反射的に答えた。

 

「あとで何か頼もうね」

 

「うっす」

 

その平和なやり取りとは対照的に、テーブルの上の資料には、あまりにも嫌な名前が記されていた。

 

**HEXA-BOOST**

 

弥子が目を見開く。

 

「これ……あの時の」

 

Xiの顔が険しくなる。

 

「三日三晩働けるとかいう、最悪の栄養ドリンクか」

 

泉は資料を睨むように見つめた。

 

「あれは、栄養ドリンクではありません」

 

ログナーは淡々と頷く。

 

「押収資料によれば、HEXA-BOOSTはヘキサクス社内で実際に配布されていた」

 

「配布……?」

 

泉の声が低くなる。

 

ログナーは続けた。

 

「研究部門、夜間監視班、物流管理部門、緊急案件対応チーム。繁忙期用の支給品として常備されていたようだ」

 

キラが静かに言った。

 

「飲ませていたんだね」

 

「飲ませていた、という表現が妥当だ」

 

ラクスの表情も、穏やかなまま硬くなった。

 

「福利厚生ではありませんわね」

 

泉が資料を一枚めくった。

 

そこには、社内通達らしき文書があった。

 

**疲労を感じる前に一本。

判断力を落とさず、生産性を維持。

人間を越えろ。疲労は退化だ。**

 

泉の手が、紙の端を強く掴む。

 

「……これは」

 

弥子が心配そうに見る。

 

「泉さん?」

 

泉はゆっくりと言った。

 

「完全にアウトです」

 

Xiが苦い顔をする。

 

「だろうな」

 

「労働時間の問題、健康被害の問題、薬物依存の問題、同意の有無、管理責任、全部アウトです」

 

ネウロが楽しそうに笑う。

 

「ククク……美食の狂気を、企業の机に並べたわけか」

 

弥子はネウロを見る。

 

「やっぱり、あのドーピングコンソメスープと似てるの?」

 

ネウロは目を細めた。

 

「似ているどころか、思想の根は同じだ。精密な配合で肉体を押し上げ、限界を誤認させ、人間を料理の素材のように扱う」

 

「料理の素材……」

 

キラが顔をしかめた。

 

ネウロは続ける。

 

「あの料理人は、自らの肉体を調理した。だがヘキサクスは、それを企業に持ち込んだ。薄め、整え、瓶に詰め、福利厚生の顔をさせた」

 

Xiは吐き捨てるように言った。

 

「福利厚生じゃない。消耗品だ」

 

ログナーは端末を操作し、別の資料を表示した。

 

そこには、社員の勤務記録らしきデータが並んでいた。

 

連続勤務。

仮眠時間の不足。

HEXA-BOOST支給本数。

作業能率。

異常行動報告。

離脱症状。

判断力低下。

 

弥子は顔を青くした。

 

「これ、本当に会社の資料なんですか……?」

 

ログナーは頷く。

 

「そうだ」

 

泉は怒りを抑えるように深く息を吸った。

 

「三日三晩働ける時点で、もうおかしいんです。人は休むものです。眠るものです。疲れるものです。それを“退化”などと呼ぶ会社が、まともなわけがありません」

 

Xiは押収資料の写真を見ていた。

 

そこには、拠点内の仮眠室が写っている。

 

狭いベッド。

床に転がった空き瓶。

机に並んだHEXA-BOOST。

目の焦点が合わないまま拘束された社員。

点滴を受ける者。

震える手で社員証を握る者。

 

Xiの表情が変わった。

 

「……こいつら、ヘキサクスの社員だろ」

 

ログナーは頷く。

 

「そうだ」

 

「でも、これじゃ……」

 

キラが静かに言った。

 

「働いていた人たちも、壊されてる」

 

Xiは黙る。

 

キラは、資料から目を逸らさなかった。

 

「シックスは、人を使ってるんじゃない。削ってる」

 

ラクスも続ける。

 

「命令系統にいた者と、薬物的な依存状態に置かれていた者を、同列には扱えませんわ」

 

泉は強く頷いた。

 

「そうです。罪がある人はいます。確実にいます。でも、被害者として保護しなければいけない人もいます」

 

ログナーは資料を並べ替える。

 

「現時点で、関係者は三分類している」

 

Xiが顔を上げる。

 

「三分類?」

 

「第一に、中核加害者。HEXA-BOOSTの危険性を知った上で、開発、配布、管理に関与していた者」

 

泉が頷く。

 

「それは処罰対象ですね」

 

「第二に、協力者または黙認者。危険性を認識しつつ、恐怖、保身、利害によって従っていた者」

 

ラクスが言う。

 

「事情聴取と個別判断が必要ですわね」

 

ログナーは頷いた。

 

「第三に、被害者社員。常用によって判断力、健康、精神状態を損なわれていた者」

 

キラが静かに息を吐く。

 

「助けるべき人たちだ」

 

Xiは歯を食いしばった。

 

「……俺、あの拠点を吹き飛ばす気だった」

 

泉は彼を見る。

 

「そうでしたね」

 

「師匠を雇って、MBTでも何でも使って、終わらせるつもりだった」

 

ログナーは淡々と言う。

 

「破壊していれば、資料も、投与記録も、社員の健康状態も失われていた」

 

Xiは何も言わなかった。

 

ログナーは続ける。

 

「誰が加害者で、誰が被害者かも判別できなかった」

 

キラがXiを見る。

 

「壊さなくてよかったんだよ」

 

Xiはしばらく黙っていた。

 

それから、低く言った。

 

「……悔しいけど、そうだな」

 

バクスチュアルが、静かにXiの隣に立つ。

 

「Xiサン」

 

「何?」

 

「助ケル、人、イル」

 

Xiは彼女を見る。

 

バクスチュアルは、資料の中の社員たちを見ていた。

 

「壊ス、ダケ、違ウ」

 

Xiは苦笑した。

 

「君に言われると、効くな」

 

「効ク?」

 

「効く」

 

バクスチュアルは少し考え、頷いた。

 

「ハイ」

 

ネウロは、資料の一枚を指で軽く叩いた。

 

「興味深いのは、ここだ」

 

弥子が覗き込む。

 

「何?」

 

「HEXA-BOOSTの初期配合記録だ。料理を装ったドーピング技術の痕跡がある」

 

泉が嫌そうな顔をする。

 

「またですか」

 

ネウロは笑う。

 

「数え切れない食材、薬物、精密なバランス。特殊な味付け。血液や尿からは決して検出されず、なおかつ全ての薬物効果を数倍にする――かつての狂った料理の思想を、かなり薄めている」

 

弥子が呟いた。

 

「ドーピングコンソメスープ……」

 

ネウロは満足そうに言った。

 

「ドーピングコンソメスープの企業版、とでも言うべきか」

 

泉が資料を閉じた。

 

「やはり許せません」

 

その声は静かだった。

けれど、誰よりも強かった。

 

「疲れた人に、“もっと働ける”液体を渡すのは危険です。疲れているなら休ませるべきです。眠らせるべきです。人間らしい判断ができる状態に戻すべきです」

 

弥子は黙って泉を見ていた。

 

泉は続ける。

 

「それを、働けるようになった、効率が上がった、生産性が伸びた、などと言って評価するのは……人を人として見ていません」

 

キラが頷く。

 

「うん」

 

ラクスも言う。

 

「コンパス側でも、被害者の保護と医療支援の手配を進めます。証言できる状態に戻すことも、今後の調査に必要ですわ」

 

ログナーは短く答えた。

 

「協力する」

 

Xiは、資料に写った空き瓶を見つめた。

 

「クソ親父……どこまで人を物扱いすれば気が済むんだよ」

 

ネウロが笑う。

 

「気が済むことなどないだろうな。シックスという男は、他者を壊す過程そのものを愉しむ」

 

弥子が拳を握る。

 

「最低」

 

すえぞうが、いつの間にかテーブルの上を見上げていた。

 

そこには、証拠品の写真として写されたHEXA-BOOSTの瓶があった。

 

すえぞうが言う。

 

「ノム?」

 

全員が同時に反応した。

 

「だめ!!」

 

「絶対にだめです!」

 

「飲むな!」

 

「駄目ですわ!」

 

「だめだよ、すえぞう!」

 

すえぞうは、少し驚いて目を丸くした。

 

「うっす」

 

泉が胸を押さえた。

 

「心臓に悪いです……」

 

Xiはすえぞうを見て言う。

 

「お前が三日三晩元気になったら、世界が困る」

 

ネウロが笑う。

 

「三日三晩、腹を空かせ続けるLEDドラゴン幼体。なかなかの災厄だな」

 

弥子が真顔になる。

 

「それは……食費が」

 

泉が即座に言う。

 

「弥子さん、そこではありません」

 

「でも大事です!」

 

「大事ですが、そこではありません」

 

すえぞうは胸を張った。

 

「ハラへった」

 

弥子は反射的に言う。

 

「すえぞうには、普通のおやつを頼もうね」

 

泉が深く頷く。

 

「普通のおやつにしてください。栄養ドリンクでも、怪しいブースト飲料でもなく」

 

すえぞうは嬉しそうに言った。

 

「うっす」

 

ログナーは端末を閉じた。

 

「HEXA-BOOSTの現物は、すべて管理下に置いた。成分分析と流通経路の追跡を進める」

 

ラクスが言う。

 

「被害者の保護と証言確保はこちらでも支援しますわ」

 

キラはXiを見る。

 

「シックス本人には届いていないかもしれない。でも、彼のやったことを一つずつ止めていくことはできる」

 

Xiは小さく頷いた。

 

「……そうだな」

 

泉は、もう一度資料を見る。

 

HEXA-BOOST。

三日三晩働ける液体。

疲労を退化と呼ぶ、異常な思想。

人の限界を押し上げるのではなく、人の限界を無視して使い潰すための道具。

 

泉は静かに言った。

 

「私は、これを許しません」

 

弥子が頷く。

 

「うん」

 

泉は顔を上げる。

 

「働く人は、部品ではありません。疲れたら休む。眠る。食べる。帰る。それができない環境の方が、間違っています」

 

ネウロは面白そうに目を細める。

 

「人間らしい理屈だな」

 

泉はネウロを見た。

 

「人間ですから」

 

ネウロは笑った。

 

「悪くない」

 

Xiも、小さく笑った。

 

「泉さん、今回は一番強いな」

 

泉は少しだけ驚いた顔をしてから、すぐに真面目な表情に戻る。

 

「強い弱いではありません。常識です」

 

弥子がにこっと笑った。

 

「その常識が強いんですよ」

 

泉は少し照れたように咳払いした。

 

その時、店員が注文を取りに来た。

 

弥子はメニューを開く。

 

「じゃあ、すえぞうのおやつと、私のケーキと……」

 

Xiが呆れる。

 

「結局食うんだな」

 

「疲れたら食べる! 大事!」

 

泉は頷いた。

 

「それは正しいです」

 

ネウロが言う。

 

「では、吾輩は謎を食うとしよう」

 

弥子がすぐに言う。

 

「ネウロは普通のメニューから選んで」

 

「吾輩に人間の食事を求めるな」

 

「カフェにいるんだから、形だけでも!」

 

すえぞうが元気よく言う。

 

「ハラへった」

 

バクスチュアルが、すえぞうを見て呟いた。

 

「普通ノ、空腹」

 

Xiは頷いた。

 

「それでいいんだよ。ブーストなんかしなくていい」

 

キラも静かに言う。

 

「疲れたら休む。お腹が空いたら食べる。眠くなったら眠る。それができる方が、ずっといい」

 

ラクスが微笑む。

 

「ええ」

 

ログナーは、何事もなかったように珈琲を飲んでいた。

 

だが、彼が静かに拠点を制圧したからこそ、こうして証拠が残った。

被害者を見つけることができた。

裁くべき者と、助けるべき者を分けることができた。

 

Xiは、それを認めざるを得なかった。

 

「……吹き飛ばさなくて、よかったな」

 

ログナーは短く答える。

 

「当然だ」

 

カイエンがいれば、きっと「つまんねぇナ」と言っただろう。

ネウロも、攻撃衝動が満たされなかったことを不満に思っているかもしれない。

 

だが、泉京香は思った。

 

つまらなくていい。

 

派手でなくていい。

 

誰かを壊す液体を見つけたなら、まず止める。

飲まされた人がいるなら、まず助ける。

罪があるなら、きちんと裁く。

 

それが一番、人間らしい。

 

泉は資料を閉じた。

 

「HEXA-BOOSTは、二度と誰にも飲ませません」

 

すえぞうが、ちょこんと首をかしげた。

 

「ノム?」

 

泉は、はっきりと言った。

 

「飲みません」

 

「うっす」

 

弥子が笑った。

 

「すえぞうは、普通のおやつね」

 

「ウマイ?」

 

「うん。たぶんウマイよ」

 

すえぞうは嬉しそうに羽を揺らした。

 

「うっす」

 

テーブルには、少しずつ普通の注文が運ばれてくる。

 

ケーキ。

珈琲。

紅茶。

すえぞう用の小さなおやつ。

 

HEXA-BOOSTはない。

 

三日三晩働ける液体もない。

 

ただ、疲れたら休める場所と、お腹が空いたら食べられるものがある。

 

泉京香は、それで十分だと思った。

 

いや。

 

それが守られなければならない最低限なのだと、改めて思った。

 

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