守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 作:ギアっちょ
「しょっぱいものの次は、甘いものですよね!」
桂木弥子がそう宣言した時、泉京香は反射的に手帳を閉じた。
場所は、いつものカフェテラス。
先日のもんじゃ焼きとそばめしの余韻が、まだ一部の胃袋には残っている。
少なくとも、泉はそう思っていた。
「弥子さん」
「はい」
「先日、もんじゃ焼きの後にそばめしを追加しましたよね」
「はい」
「しかも、味変で塩ダレそばめしも食べましたよね」
「はい」
「その次に、甘いものですか」
弥子は堂々と頷いた。
「はい!」
泉は軽く額に手を当てる。
「即答しないでください」
足元では、すえぞうが胸を張っていた。
「ハラへった」
怪盗Xiが言う。
「すえぞうは常時だから判定外」
ファティマ・バクスチュアルは、Xiの隣で静かに首をかしげる。
「常時、空腹」
「そう。こいつは食欲が常時接続」
「常時接続」
「そこ覚えなくていい」
弥子は身を乗り出した。
「でも、泉さん。しょっぱいものの後って、甘いものが欲しくなりますよね?」
泉は少しだけ黙った。
「……理屈としては、わからなくもありません」
Xiが即座に反応する。
「わかるんだ」
「味覚の切り替えとしては、自然です。ただし、摂取量の管理は必要です」
弥子の目が輝いた。
「つまり?」
泉は咳払いした。
「……最近、駅前に新しくできたクレープ店があります」
「泉さん!」
「さらに、少し歩いた先に、季節のジェラートが評判のお店もあります」
弥子は両手を合わせた。
「泉さん、最高です!」
Xiは半眼で泉を見る。
「止める側じゃなかったのか」
泉はきっぱり答えた。
「調査と管理は両立します」
「雑誌編集者っぽい言い訳だ」
「言い訳ではありません。実際、流行りの店の情報は仕事柄入ってきますから」
レディオス・ソープは興味深そうに頷いた。
「流行りの店。つまり、今この地域で人々が好む味の調査だね」
ラキシスが微笑む。
「ソープ様、今日は普通のスイーツです」
「うん。普通のスイーツ」
Xiが小さく呟く。
「普通って言葉がこんなにありがたいとはな……」
キラ・ヤマトも笑った。
「今日は何も起きないといいね」
ラクス・クラインが穏やかに言う。
「きっと大丈夫ですわ。泉さんが案内してくださるのですもの」
泉は少しだけ背筋を伸ばした。
「はい。今日は、怪しい移動販売車も、消える店舗も、出所不明の贈呈品もなしです」
弥子が拳を握る。
「平和なスイーツ食べ歩き!」
すえぞうも元気よく言った。
「うっす!」
一行は、泉の案内で駅前へ向かった。
最初の店は、小さなクレープ店だった。
白い外壁に、淡い色の看板。
店先には、季節限定のメニューが並んでいる。
**いちご生クリーム**
**チョコバナナカスタード**
**抹茶あずき白玉**
**塩キャラメルナッツ**
**季節の桃とヨーグルトクリーム**
弥子はメニューを見上げて、完全に止まった。
「選べない……」
Xiが言う。
「珍しく止まったと思ったら、処理落ちか」
泉は手帳を開く。
「定番ならチョコバナナ生クリーム。季節感なら桃とヨーグルトクリーム。満足感ならカスタード入り。カロリーを抑えるなら、クリーム少なめで果物系ですね」
弥子が感動したように見る。
「泉さん、頼もしい!」
「情報として知っているだけです」
「でも、泉さんは何にするんですか?」
泉は少し迷った。
「私は……桃とヨーグルトクリームにします。生クリーム少なめで」
Xiが笑う。
「計算してる」
「しています」
バクスチュアルがメニューを見つめていた。
「薄イ、生地。中身、包ム」
Xiが頷く。
「クレープだね」
「携行性、高イ」
「そこから入る?」
「片手、保持。歩行中、摂取、可能」
「まあ、合ってるけど」
バクスチュアルは、さらにメニューを見る。
「甘イ?」
「甘い」
「Xiサン、選ブ?」
Xiは一瞬だけ黙った。
泉と弥子が同時に反応した。
弥子がにやにやする。
「Xiさんが選ぶんですか?」
泉も穏やかに言う。
「珈琲豆だけでなく、クレープも選ばれるのですね」
Xiは顔を逸らす。
「うるさいな。初めてなら食べやすいやつを選んだ方がいいだろ」
バクスチュアルは、淡々と聞く。
「Xiサン、オススメ」
Xiはメニューを見て、少し考えた。
「……桃とヨーグルトクリーム。甘いけど、重すぎないと思う」
バクスチュアルは頷く。
「ソレ」
弥子が小声で泉に言う。
「完全にデートの延長ですね」
泉も小声で答える。
「静かに見守りましょう」
Xiが言う。
「聞こえてるからな」
ソープは、いちご生クリームを選んだ。
ラキシスは、ソープの分を確認しながら、同じものを小さめにしてもらう。
キラは塩キャラメルナッツ。
ラクスは抹茶あずき白玉。
弥子は散々迷った末に、チョコバナナカスタード生クリームを選んだ。
泉が言う。
「かなりしっかりした選択ですね」
「王道です!」
「王道はカロリーも王道です」
「おいしいものは高いところにあるんです」
Xiが突っ込む。
「山みたいに言うな」
クレープが手渡される。
薄い生地に包まれた、甘い香り。
果物。
クリーム。
チョコレート。
カスタード。
弥子は一口食べて、目を閉じた。
「おいしい……!」
すえぞうが弥子を見上げる。
「ウマイ?」
「すえぞうには、ちょっとだけね。包み紙は食べないでね」
「カミ?」
泉が即座に言う。
「食べません」
すえぞうは胸を張る。
「うっす」
弥子は、小さくちぎった生地の端とクリームを、すえぞうに渡した。
すえぞうは食べた。
「ウマイ」
少し間を置く。
「ハラへった」
Xiがため息をつく。
「クレープ一口で満たされるとは誰も思ってない」
バクスチュアルは、Xiに選んでもらった桃とヨーグルトクリームを両手で持っていた。
「柔ラカイ」
「落とさないように」
「ハイ」
彼女は少しだけ口にする。
「……甘イ」
Xiが見る。
「大丈夫?」
「酸味、アル」
「ヨーグルトだからね」
「桃、柔ラカイ」
「うん」
「嫌ジャナイ」
Xiは少しだけ笑った。
「そっか」
バクスチュアルは、もう一口食べる。
その表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
弥子と泉は、見なかったことにした。
ただし、見ていた。
ソープはクレープを観察していた。
「これは面白いね。生地が器であり、包装でもあり、食べられる外装でもある」
Xiが言う。
「ソープ様、食べられる外装って言い方が研究っぽいです」
ラキシスは微笑む。
「ソープ様、クリームがこぼれます」
「あ、本当だ」
キラは塩キャラメルナッツを食べながら言った。
「甘いけど、塩気があると食べやすいね」
ラクスも抹茶あずきを味わう。
「苦みと甘みの釣り合いが上品ですわ」
泉は桃とヨーグルトクリームを小さく食べて、満足そうに頷いた。
「これは正解ですね。季節感があって、比較的軽いです」
弥子が言う。
「比較的軽いなら、もう一個いけますね」
泉は即座に言った。
「いけません」
「早い」
「計算していますから」
Xiが笑う。
「タイトル回収が早い」
クレープ店を出ると、一行は少し歩いた。
次の目的地は、泉が調べていたジェラート店だった。
小さな店だが、ショーケースの中には色とりどりのジェラートが並んでいる。
ミルク。
ピスタチオ。
いちご。
チョコレート。
抹茶。
フローズンヨーグルト。
季節の桃。
塩キャラメル。
ラムレーズン。
弥子は、再び止まった。
「選べない……!」
Xiが呆れる。
「今日二回目の処理落ち」
泉はメニューを見ながら言う。
「私はフローズンヨーグルトにします。さっぱりしていますし、比較的カロリーも控えめです」
弥子が即答する。
「じゃあ私はトリプルで!」
泉は目を閉じた。
「比較の対象が極端です」
「だって、いちごとミルクとピスタチオで迷って……」
「迷った結果、全部にするのは弥子さんらしいですが」
キラが笑う。
「僕はミルクにしようかな」
ラクスはショーケースを見る。
「私は季節の桃にしますわ」
ソープは興味深そうに並ぶジェラートを見ている。
「冷たさと香りを同時に楽しむものだね」
ラキシスが優しく言う。
「ソープ様、一度にたくさん召し上がると、頭が痛くなりますわ」
「それも地球の経験かな」
「経験なさらなくて結構です」
Xiはバクスチュアルを見る。
「何にする?」
バクスチュアルは少し考えた。
「Xiサンハ?」
「俺は……塩キャラメルかな」
「同ジ」
弥子が小さく反応する。
「同じ」
泉が小声で言う。
「静かに」
Xiは聞こえないふりをした。
すえぞうはショーケースに顔を近づけようとして、泉に止められた。
「すえぞう、ガラスに近づきすぎです」
「ウマイ?」
「たぶんウマイです」
弥子が言う。
「すえぞうにはミルクを少しだけにしようか」
「うっす」
それぞれのジェラートが渡される。
店の外のベンチに座り、冷たいジェラートを食べる。
弥子はトリプルを手に、幸せそうに言った。
「これは……強い」
Xiが聞く。
「何に対して?」
「暑さと空腹と人生に対して」
「急に大きい」
泉はフローズンヨーグルトを口にして、少しだけ表情を緩めた。
「さっぱりしていて、おいしいです」
弥子がにこにこする。
「泉さん、ちゃんと楽しんでますね」
泉は少しだけ咳払いする。
「楽しむことと、管理することは両立します」
キラがミルクを食べながら言う。
「これ、優しい味だね」
ラクスも頷く。
「桃の香りがとても自然ですわ」
ソープはジェラートをひと口食べて、目を瞬かせた。
「冷たい」
ラキシスが微笑む。
「ゆっくり召し上がってくださいませ」
バクスチュアルは塩キャラメルを食べる。
「甘イ。少シ、塩」
Xiも同じ味を食べて頷く。
「甘すぎなくていいね」
「Xiサン、選ンダ」
「今日は自分の分も選んだだけ」
「同ジ」
「……そうだね」
バクスチュアルは、ほんの少し口元を緩めた。
「同ジ、嬉シイ」
Xiは横を向いた。
「そっか」
弥子と泉は、見なかったことにした。
やはり見ていた。
すえぞうは、弥子から小さく分けてもらったミルクジェラートを食べた。
「ツメタイ」
弥子が笑う。
「ジェラートだよ」
「ウマイ」
「よかったね」
すえぞうは、もう一口食べた。
「ツメタイ」
さらに一口。
「ウマイ」
そして少し固まった。
「……アタマ」
Xiが見る。
「どうした?」
すえぞうは目を丸くする。
「キーン」
全員が一瞬止まり、次の瞬間、弥子が笑った。
「すえぞう、アイスで頭キーンってなった!」
泉が言う。
「急いで食べるからです」
Xiは驚いたように言う。
「ドラゴンにもアイスクリーム頭痛あるのかよ」
ソープは興味深そうに身を乗り出す。
「幼体の神経系にも冷刺激による反応が――」
泉がすぐに制した。
「研究しないでください」
ラキシスも微笑みながら言う。
「ソープ様」
ソープはおとなしく頷いた。
「うん。今日は普通のジェラートだったね」
すえぞうは、少し間を置いて言った。
「エライ?」
弥子が即答する。
「エライ!」
Xiが笑う。
「頭キーンでエラいのか」
泉が言う。
「急いで食べすぎない学習をしたなら、エラいです」
すえぞうは胸を張った。
「うっす」
ジェラートを食べ終えても、何も起きなかった。
シックスからのメールも来ない。
移動販売車も消えない。
店員が不穏な笑みを浮かべることもない。
青のりも貼り付かない。
HEXA-BOOSTも出てこない。
Xiはスマホを見た。
通知はない。
弥子が気づく。
「Xiさん?」
「……何も来ないな」
泉が言う。
「来ません」
「普通のクレープと普通のジェラートだったんだな」
「そうです」
Xiは少しだけ息を吐いた。
「普通って、こんなに平和なんだな」
バクスチュアルが静かに言う。
「普通、甘イ」
Xiは彼女を見る。
「……そうだね」
弥子はトリプルの最後を食べ終え、満足そうに言った。
「おいしかったー!」
泉は手帳を開く。
「では、帰りは少し歩きましょう」
弥子の笑顔が少し固まる。
「歩くんですか?」
「はい。食べた分、少し歩きます」
「泉さん、やっぱりカロリー計算してましたね」
「しています」
Xiが笑う。
「さすが」
泉は真面目な顔で言った。
「おいしいものを楽しむためにも、体調管理は大事です」
キラが頷く。
「うん。無理をするんじゃなくて、ちゃんと食べて、ちゃんと動いて、ちゃんと休む」
ラクスが微笑む。
「良い休日ですわ」
ソープは空を見上げた。
「地球のスイーツ文化も奥が深いね」
ラキシスが言う。
「ソープ様、次は温かいお茶にいたしましょう」
「うん。それもいいね」
すえぞうが、弥子の横をてとてと歩く。
「ハラへった」
Xiは即座に突っ込んだ。
「今ジェラート食べただろ」
弥子は笑う。
「冷たいものは別腹なのかも」
泉が言う。
「弥子さん、それはすえぞうだけではなく、ご自分にも適用していませんか?」
「えへへ」
「否定してください」
すえぞうは胸を張る。
「うっす」
その日、一行は少し遠回りして歩いた。
クレープの甘さ。
ジェラートの冷たさ。
すえぞうの頭キーン。
泉のカロリー計算。
弥子の別腹。
Xiとバクスチュアルの同じ塩キャラメル。
それは、何も起きない一日だった。
何も起きないからこそ、ありがたい一日だった。
泉京香は歩きながら、手帳に小さくメモをした。
**クレープ店:季節限定、要再訪。
ジェラート店:フローズンヨーグルト良好。
ただし、弥子さんはトリプル注意。
すえぞうは急いで食べると頭キーン。**
そして最後に、少しだけ書き足す。
**平和な甘味調査。成功。**
泉は手帳を閉じた。
弥子が前方で振り向く。
「泉さん、次は何食べに行きます?」
泉は一瞬だけ考え、微笑んだ。
「まずは、今日はもう少し歩きます」
「はーい」
すえぞうが元気よく言った。
「うっす」
Xiはその後ろ姿を見て、小さく笑った。
何も起きない日。
それは、思っていたよりずっと甘かった。