守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎   作:ギアっちょ

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午後。

街路樹の並ぶ通りに面した、小さなカフェテラス。
白いパラソル、金属の丸テーブル、行き交う人々のざわめき。
春とも初夏ともつかない柔らかな空気が流れていた。

その一角に、
ダグラス・カイエンは一人で座っていた。

黒のジャケット。
長い髪。
脚を組み、片手でカップを持つ仕草まで、妙に完成されている。

傍目には、ただの絵になる男だった。

ただし中身は、
ヒューア・フォン・ヒッター子爵であり、
ハスハの剣聖ダグラス・カイエンである。

本人は、わりと機嫌がよかった。

「やれやれ……」
小さく息をつく。
「たまにはこういうのも悪くない」

通りを行く人々へ、
何気なく視線をやる。

若い娘たち。
買い物帰りらしい御婦人。
仕事の合間らしい会社員。

眺めるだけだ。
まだ声はかけていない。
まだ、である。

「……さて」
カップを置く。
「いっちょ、御婦人相手に軽く一花咲かせるのも悪くないか」

その顔は、
完全にヒッター子爵モードだった。

気さくで、
どこか明るく、
少しばかり危うい色気をまとった、
“絵に描いたような伊達男”。

そこへ。

「やはり君か」

声がした。

カイエンは目だけを動かす。
立っていたのは、岸辺露伴だった。

カイエンは数秒黙ってから、
口元だけで笑う。

「ほう」
「漫画家先生」
「今度は偶然じゃなく、ちゃんと狙って来た顔だな」

露伴は当然のように向かいの席へ座った。

「偶然を装っても、君には通じないだろう」

「わかってるなら結構」
カイエン。
「で、今度は何だい」
「また“読ませろ”か?」

露伴は即答した。

「今日は違う」
「普通に話を聞きに来た」

カイエンは眉を上げる。

「ほう?」

「安心しろ」
露伴は平然としている。
「今日は無理に読もうとはしない」

カイエンは深く椅子へもたれた。

「それを“安心しろ”のあとに言うのはどうかと思うがね」

露伴は気にしない。

「前回までで分かった」
「君には隙がない」
「だから今回は、普通の取材から始める」

カイエンが吹き出しかける。

「やれやれ」
「“普通の取材”で済む相手じゃないだろう、君は」

「それでも譲歩している」
露伴。
「僕の中ではかなりの妥協だ」

「知ったことかい」


岸辺露伴は機をうかがう

露伴はカイエンを見ていた。

 

前回までと違う。

今日は明らかに空気が軽い。

 

危険な圧はある。

あるが、それより先に

人当たりのよさが前へ出ている。

 

露伴はその違いを見逃さない。

 

「今日は少し違うな」

 

「何がだい」

カイエン。

 

「前より軽い」

露伴。

「ミュージアムの時はもっと“切っ先”みたいな空気だった」

「今日は……そうだな」

「少し女を口説く気のある男の顔をしている」

 

カイエンが笑う。

 

「見てるねえ、漫画家先生」

 

「当然だ」

露伴。

「君は観察しがいがある」

 

「それは光栄」

カイエンは気だるげに首を傾けた。

「で?」

「今のぼくは、どう見える?」

 

露伴は一拍置いてから言った。

 

「危険なのに、入りやすそうに見せている男」

 

カイエンの目がほんの少しだけ細くなる。

 

「なるほど」

「悪くない評だ」

 

露伴はさらに踏み込む。

 

「つまり、こっちのほうが厄介だ」

「前回みたいに最初から“近づくな”と出ている男より、

今日みたいに笑っている男のほうが、余計に気になる」

 

「そいつはどうも」

カイエンは肩をすくめる。

「君もなかなか、ろくな感性をしてない」

 

店員がコーヒーを運んでくる。

 

露伴が一口飲む間に、

カイエンは通りの向こうを見た。

 

若い女たちが二人、笑いながら歩いていく。

 

露伴はその視線の動きまで見ていた。

 

「やっぱり見ているな」

 

「何をだい」

 

「女」

露伴。

 

カイエンはしれっと答える。

 

「御婦人を眺めるのは男の嗜みだろう?」

 

「さっきはギャルも見ていた」

 

「若い文化の観察さ」

 

露伴が鼻で笑う。

 

「便利な言い訳だな」

 

「本音と建前を使い分けるのも嗜みだよ」

カイエン。

 

露伴はメモ帳を取り出しかけ、

しかし出さずにやめた。

 

「今の、書きたいな」

 

「書くな」

カイエン。

 

「なぜ」

 

「君が書くとろくなことにならん」

 

「偏見だ」

露伴。

 

「経験則だよ」

カイエン。

 

しばらく、普通の会話が続いた。

 

露伴が作品について話し、

カイエンが思いのほかちゃんと返す。

 

露伴はさらに面白くなる。

 

話せる。

しかも、ちゃんと会話が成立する。

 

この男は、

ただ黙って圧を出しているだけの相手ではない。

軽口も叩くし、

人をいなすし、

時々やたら的確だ。

 

露伴は思う。

 

やはり面白い。

しかも前回まで見えていた顔だけじゃない。

この男は、場面ごとに顔を変える。

ならなおさら、読まないと駄目だ。

 

そこで露伴は、つい一歩深く踏み込んだ。

 

「君が本気で剣を抜くのは、どういう時だ?」

 

カイエンの笑みが、少しだけ薄くなる。

 

ほんの少しだけだ。

だが変わった。

 

「抜きたくない時だよ」

 

露伴の目が光る。

 

「いいな」

 

「よくないだろう」

カイエン。

 

「いや、いい」

露伴。

「その返しは嘘じゃない」

 

カイエンはコーヒーを口に運びながら言う。

 

「君、質問の角度が急に変わるな」

 

「変えないと見えないものがある」

露伴。

 

「やれやれ」

カイエンは小さく息をついた。

「それで普通の取材のつもりかい」

 

「かなり抑えてる」

露伴。

 

「質が悪いな」

 

露伴は、ここで確信した。

 

今日はいける。

少なくとも前回よりは、ずっと深く入れる。

 

その時だった。

 

「お待たせしました、マスター」

 

静かな声が割って入った。

 

アウクソーだった。

 

露伴の視線が、すぐにそちらへ向く。

 

やはり、この女もおかしい。

 

歩き方。

カイエンとの距離の取り方。

座る前の一礼の角度。

すべてが自然で、

すべてが整いすぎている。

 

カイエンが少し笑う。

 

「ちょうどいいところに来たな、アウクソー」

「漫画家先生が、ずいぶん熱心でね」

 

アウクソーは露伴を見る。

 

「そうでしたか」

 

露伴は目を細めた。

 

「君か」

「やはり来たな」

 

アウクソーは落ち着いた声で言う。

 

「待ち合わせですので」

 

「そうだろうな」

露伴。

「だが、君もやはりただ者ではない」

 

アウクソーは首をわずかに傾ける。

 

「ご期待に沿うような珍しいものではありません」

 

「いや、珍しい」

露伴は即答した。

「君は“珍しくないように見せるのが上手い”」

 

カイエンが横で面白そうにしている。

 

「さすが漫画家先生」

「今度はそっちへ行くわけか」

 

「当然だ」

露伴。

「君の危うさとは別の意味で、この人は異質だ」

 

アウクソーは、露伴の視線を受けても崩れない。

 

「観察はご自由かと思います」

 

「ほう」

 

「ただし、踏み込みすぎるのはおすすめしません」

アウクソー。

 

露伴の口元が少し上がる。

 

「君もそう言うのか」

 

「必要なことは申し上げます」

アウクソー。

 

カイエンが、わずかに肩を揺らして笑った。

 

「やれやれ」

「ぼくより手厳しいな」

 

「事実です」

アウクソー。

 

露伴はそのやり取りまで面白かった。

 

この二人の距離感。

仕える、仕えられる、という単純な言葉では片づかない何か。

 

露伴の指先が、

無意識に少しだけ動く。

 

その瞬間。

 

「漫画家先生」

 

カイエンの声が低くなった。

 

露伴の手が止まる。

 

「今日は“普通に話を聞くだけ”じゃなかったのかい?」

 

カイエンは笑っている。

笑っているが、

目の奥は少しも笑っていない。

 

露伴は一瞬だけ沈黙し、

それから小さく息をついた。

 

「……まだ何もしていない」

 

アウクソーが静かに言う。

 

「“まだ”という表現は、あまり安心できません」

 

「君もキラ・ヤマトみたいなことを言うな」

露伴。

 

「恐縮です」

アウクソー。

 

カイエンが少しだけ笑う。

 

「やれやれ。

どうやら君は、ぼくが一人だと少し油断するらしいな」

 

露伴は正直に答えた。

 

「する」

「だが、君が一人でも隙だらけだとは思っていない」

 

「そいつは結構」

カイエン。

 

そこへ、店員がアウクソーの紅茶を運んでくる。

 

一瞬、場が落ち着いた。

 

露伴はそれでもなお観察をやめない。

 

アウクソーのカップの持ち方。

紅茶を口に運ぶ速度。

カイエンが話す時と、黙る時で微妙に視線の置き方が変わること。

 

全部が、面白い。

 

「君たち」

露伴がぽつりと言う。

「やはり一緒にいるとおかしいな」

 

カイエンが眉を上げる。

 

「褒め言葉かい?」

 

「かなり」

露伴。

「君一人でも面白い」

「だが、この人がいると別の輪郭が出る」

 

アウクソーは静かに返す。

 

「それは、マスターがあってのことです」

 

カイエンはグラスの水滴を指先でなぞりながら言う。

 

「謙遜するねえ」

 

「事実です」

アウクソー。

 

露伴は小さく笑った。

 

「君は本当に、そういう返ししかしないな」

 

「それで十分かと」

アウクソー。

 

「十分じゃない」

露伴。

「だからもっと知りたい」

 

「やれやれ」

カイエンが口を挟む。

「口説き方が下手だな、漫画家先生」

 

露伴が即座に返す。

 

「口説いてるわけじゃない」

 

アウクソーが静かに言った。

 

「端から見れば、そう見えなくもありません」

 

露伴が止まる。

 

「君までそう言うのか」

 

カイエンがとうとう吹き出す。

 

「ははっ」

「そいつは一本取られたな、漫画家先生」

 

露伴は不機嫌そうにコーヒーを飲んだ。

 

やがて日が少し傾く。

 

カイエンは席を立つ気配を見せた。

 

「さて」

「今日はこのくらいでいいだろう」

 

露伴がすぐ反応する。

 

「もう帰るのか」

 

「残念かい?」

 

「少しな」

露伴。

「今日は前回より進んだと思ったんだが」

 

カイエンは軽く笑う。

 

「それは君だけだろう」

 

「私も少しそう思います」

アウクソーが静かに言う。

 

露伴が目を向ける。

 

「ほう?」

 

「前回よりは、会話になっていたかと」

アウクソー。

 

「それはつまり」

露伴。

「次も少しは話せる余地がある、と受け取っていいのか?」

 

アウクソーは数秒だけ沈黙してから答えた。

 

「……ご自由に解釈ください」

 

カイエンが呆れたように言う。

 

「やれやれ。

そこははっきり切ってくれないのかい」

 

「マスターが少し楽しんでおられたので」

アウクソー。

 

カイエンは一瞬だけ言葉に詰まり、

それから笑う。

 

「君は本当に見てるな」

 

「事実です」

 

露伴はそのやり取りごと、全部気に入った。

 

「いい」

「やはり今日は来て正解だった」

 

カイエンは椅子から立ち上がる。

 

「やれやれ。

君は本当に、機をうかがうのが好きらしい」

 

「好きというより性分だ」

露伴。

 

「厄介な性分だな」

カイエン。

 

「褒め言葉として受け取る」

露伴。

 

「勝手にしろ」






帰り際。

露伴は最後に言った。

「次はもっと聞かせてもらう」

カイエンが振り返りもせず言う。

「腕のいい口説き方を覚えてから来ることだ」

露伴がわずかに口元を上げる。

「努力しよう」

アウクソーが静かに一礼した。

「失礼します」

「……恐縮です」
と露伴はなぜか小さく返した。

二人が去っていくのを見ながら、
露伴はメモ帳を取り出す。

書く。

ヒッター子爵モード
軽い
女を見る
だが軽薄ではない
アウクソー合流で輪郭変化
単独より危険
まだ読めない

そして最後に一言。

「やはり、面白い」

少し離れたところで泉京香が待っていた。
今日は途中合流だったらしい。

「先生」
「どうでした」

露伴はメモ帳を閉じる。

「前進だな」

「それ、先生基準ですよね」

「当然だ」

泉は半分呆れ、半分諦めたようにため息をつく。

「……また行くんですよね」

露伴は当然のように答えた。

「行く」
「まだ、何も足りない」

泉は空を仰ぐ。

「やっぱり……」

カフェテラスには、さっきまでの柔らかな空気だけが残っていた。
だがその裏で、
漫画家の執着は、またひとつ育っていた。
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