守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
領収書というものは、事実である。
何を買ったのか。
どこで買ったのか。
いくら払ったのか。
誰が食べたのか。
そこまでは書かれていないが、少なくとも金額だけは嘘をつかない。
問題は、その金額の向こう側にある光景が、時に常識を超えることである。
「……こちらが、商店街食べ歩きの領収書一式です」
泉京香は、きっちり角を揃えた封筒をテーブルに置いた。
場所は、いつものカフェテラスではない。
今回は少し落ち着いた個室である。
理由は単純だった。
領収書を広げるには、風がない場所の方がいい。
そして、場合によっては人に聞かれない方がいい。
テーブルの向かいには、ログナー司令が座っていた。
その隣に、怪盗Xi。
さらに少し離れて、ファティマ・バクスチュアルが静かに座っている。
少人数だった。
少人数にした。
少なくとも、泉はそう理解していた。
「泉京香殿。ご足労いただき、感謝します」
ログナーは丁寧に頭を下げた。
「いえ。同行した以上、会計管理も必要だと思いましたので」
Xiがにこにこと笑った。
「編集者って、そこまでやる仕事だっけ?」
「通常はやりません」
泉は即答した。
「ですが、通常の取材でも、通常の食事会でも、通常の散歩でもありませんでしたので」
ログナーが深く頷いた。
「その認識は正確です」
バクスチュアルも静かに言った。
「通常デハ、アリマセン」
「全員から通常じゃないって言われてるね」
Xiは楽しそうだった。
泉は封筒を開いた。
中には、店舗ごとに分けられた領収書とメモが入っている。
コロッケ屋。
たこ焼き屋。
団子屋。
焼き鳥屋。
ジェラート屋。
肉まん屋。
ドーナツ屋。
クレープ屋。
それぞれ、日付、金額、人数、購入内容、追加注文の有無まで整理されていた。
ログナーはそれを一枚ずつ確認した。
「コロッケ、人数分」
「はい」
「たこ焼き、六個入り二舟」
「はい。熱さ対策のため、分割して配布しました」
「団子、三種類を切り分け」
「はい」
「焼き鳥、人気上位三種」
「はい。串の安全管理も実施済みです」
ログナーはそこで少しだけ目を閉じた。
「すえぞう殿による串の誤飲は」
「ありません」
バクスチュアルが静かに補足した。
「串ハ、危ナイ。ソウ伝エマシタ」
「バクスチュアル。よくやった」
「承知シマシタ」
Xiが横から言った。
「すえぞう係、板についてきたね」
バクスチュアルはXiを見た。
「係デハ、アリマセン」
「じゃあ、安全管理補助」
「ソレナラ、少シ、正シイデス」
ログナーが資料に書き込む。
「バクスチュアル、安全管理補助。通行可」
「書くんだ」
Xiが笑った。
泉は次の束を差し出した。
「こちらがジェラート店です。一人一カップ、ダブルまで。トリプルは止めました」
「極めて適切です」
ログナーの声には、わずかな安堵があった。
「姫様は」
「ヨーグルトといちごです」
ログナーの手が一瞬止まった。
「フローズンヨーグルト関連企画では」
「ありません」
泉は即答した。
「通常のジェラートとして処理しています」
「通行可です」
ログナーは、少しだけ深く息を吐いた。
Xiが小声で言った。
「そこ、緊張するんだ」
「当然だ」
「姫様とヨーグルトの組み合わせ、警戒対象なんだね」
「前例がある」
バクスチュアルが言った。
「前例ハ、大事デス」
泉も頷いた。
「前例がある場合、事前確認が必要です」
Xiは肩をすくめた。
「常識ある社会人が二人いると、逃げ道が少ないなあ」
「逃げる必要のあることをしなければいいのでは?」
泉が言った。
「それが正論なんだよね」
バクスチュアルが言った。
「正論ハ、便利デス」
「便利って言い方、ちょっと好きだな」
泉は続けた。
「肉まん店では、四種類を一つずつ購入して分割。ドーナツ店ではミニドーナツ詰め合わせ。クレープ店では各自一つずつ。追加注文はありません」
ログナーは顔を上げた。
「追加注文なし」
「はい」
「本当に」
「はい」
バクスチュアルが補足する。
「ラキシスハ、追加シマセンデシタ」
ログナーは、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「姫様は、確かに加減してくださったのですね」
「前回比では、かなり」
泉は正確に言った。
「前回比、という条件付きですが」
「それで十分です」
ログナーは静かに言った。
「一歩前進です」
Xiがにやにやした。
「前菜一周減らすより、だいぶ進歩した?」
ログナーはXiを見た。
「その発言は通行可だ。事実だからだ」
「事実なら通るんだ」
「余計な事実は通さない」
「難しいなあ」
泉は表を一枚出した。
「こちらが総額です」
ログナーは受け取った。
沈黙。
長い沈黙ではなかった。
だが、その場の全員が、ログナーの目線の動きを見ていた。
「……一品単価は低い」
「はい」
「店舗ごとの負担もない」
「はい」
「商店街への売上貢献としては、むしろ良好」
「はい」
「食材庫の壊滅もない」
「ありません」
「トニオ殿の翌営業日への影響もない」
「ありません」
ログナーは、そこでようやく書類を置いた。
「通行可です」
泉はほっとした。
「よかったです」
「ただし」
ログナーは続けた。
「商店街全体を一つの巨大なコース料理として扱う運用は、次回以降、要検討です」
「同意します」
泉は即答した。
「次回は店舗数を絞る、または事前に上限金額を設定することを推奨します」
「素晴らしい」
ログナーの声には、本気の感心があった。
「泉京香殿。貴女は実に優秀です」
「ありがとうございます」
Xiが笑った。
「露伴先生の担当編集じゃなくて、AKDの経理補佐みたいになってるね」
泉は少しだけ目を細めた。
「その表現は少々困ります」
「でも事実っぽい」
「事実でも困ることはあります」
バクスチュアルが言った。
「事実ハ、時ニ、困リマス」
ログナーが頷いた。
「その通りだ」
そこで、Xiが一枚の紙をすっと差し出した。
「ちなみに、これも護衛経費として」
泉は受け取った。
見た。
眉を動かさずに言った。
「限定ドーナツ詰め合わせ、持ち帰り用」
ログナーの視線がXiへ向いた。
バクスチュアルもXiを見た。
Xiは笑顔だった。
「護衛中の糖分補給」
「現地で食べていませんね」
泉が言った。
バクスチュアルも続けた。
「Xi。アナタハ、コレヲ、現地デ、持ッテイマセンデシタ」
「よく見てるね」
「見テイマス」
ログナーが領収書をつまみ上げた。
「却下。通行止めだ」
「まだ申請しただけだよ」
「申請の時点で通行止めだ」
「厳しいなあ」
「お前にはこれでちょうどいい」
泉は紙を別の封筒へ入れた。
「不承認分として保管します」
「保管するんだ」
「再提出防止のためです」
Xiは笑った。
「泉さん、ほんと強いね」
「社会人なので」
「社会人ってすごいなあ」
バクスチュアルが静かに言った。
「社会人ハ、領収書ヲ、見逃サナイ」
「それ、名言っぽいね」
ログナーは資料へ追記した。
「Xiによる不適切経費申請、未遂。泉京香殿およびバクスチュアルにより阻止」
「正式記録に残るの?」
「残す」
「やだなあ」
「やるな」
「正論だ」
泉は次の紙を差し出した。
「こちらは、商店街側への印象メモです」
「印象メモ」
「はい。次回以降、訪問する可能性がある場合に備えて、店舗ごとの混雑状況、店主さんの反応、食べ歩きに向く商品かどうかを記録しました」
ログナーは受け取った。
コロッケ屋。
好意的。
揚げたて提供時は熱さ注意。
すえぞうさんは三秒しか待たない。
たこ焼き屋。
好意的。
熱さ注意。
弥子さんも危険。
団子屋。
切り分け対応可。
みたらしは服に付くと目立つ。
焼き鳥屋。
串管理必須。
バクスチュアルさんの補助が有効。
ジェラート屋。
味の種類が多く危険。
ダブルまで。
トリプル不可。
肉まん屋。
湯気にすえぞうさんが反応。
熱さ注意。
ドーナツ屋。
種類が多く危険。
ミニサイズ推奨。
クレープ屋。
締めとして有効。
追加注文注意。
ログナーは、しばらく黙って読んだ。
「完璧です」
「ありがとうございます」
「泉京香殿。貴女は本当に、なぜ露伴殿の担当編集をされているのですか」
泉は少しだけ困った顔をした。
「仕事ですので」
Xiが笑う。
「今の、けっこう深い質問だよね」
バクスチュアルが言った。
「露伴ハ、手ガ、カカリマス」
「それは否定しません」
泉は即答した。
ログナーも頷く。
「否定できません」
Xiは楽しそうに言った。
「本人が聞いたら怒りそう」
その時だった。
泉のスマートフォンが鳴った。
画面を見た泉の表情が、ほんの少しだけ変わる。
「先生です」
ログナーが言った。
「噂をすれば」
Xiが笑う。
「出た」
バクスチュアルは首を傾けた。
「露伴、デスカ」
「はい」
泉は通話を取った。
「はい、泉です」
『泉君。今どこにいる?』
電話越しの声は、岸辺露伴だった。
「少し、領収書の整理をしています」
『領収書? 何の?』
「商店街食べ歩きの件です」
『……誰の?』
「ラキシス姫様と、弥子さんと、すえぞうさんたちの」
電話の向こうで、沈黙があった。
『待て』
「はい」
『なぜ僕の担当編集が、ラキシス姫様の食べ歩きのお目付けをしている?』
泉は少しだけ目を閉じた。
来ると思っていた質問だった。
「先生が取材対象を増やしすぎた結果です」
『僕のせいにするな!』
「少なくとも、無関係ではありません」
ログナーが静かに言った。
「通行可です」
電話の向こうで露伴が反応した。
『今、誰かいたな。ログナー司令か?』
泉は答えた。
「はい」
『なぜ君がログナー司令と領収書を整理している?』
「ですから、商店街食べ歩きの件で」
『説明が循環している!』
Xiが小声で笑った。
「露伴先生、混乱してるね」
バクスチュアルが静かに言った。
「当然デス」
露伴は電話越しに続けた。
『泉君。君は僕の担当編集だ。AKDの経理担当ではない』
「承知しています」
『本当に承知しているのか?』
「もちろんです。ただ、現場で必要でしたので」
『現場とは何だ。なぜ商店街で姫様とすえぞうと弥子君の食べ歩きを管理する現場に、僕の担当編集がいる?』
泉は少し考えた。
「先生がいらっしゃると、取材が始まる可能性があるからです」
『何?』
「ですので、今回は私が」
『僕を外して君が行ったということか?』
「結果的には」
『結果的に、ではないだろう!』
ログナーが言った。
「露伴殿。泉京香殿は非常に優秀でした」
『返してくれ』
「人材の私物化は通行止めです」
『君が言うな!』
Xiが肩を震わせた。
「この電話、面白いね」
バクスチュアルがXiを見る。
「笑イ過ギデス」
「だって、露伴先生が完全に正論側なの珍しいし」
泉は電話に戻った。
「先生、ご用件は何でしょうか」
『用件? 用件は、次の打ち合わせだ。打ち合わせのために君を探していたんだ』
「承知しました。この処理が終わり次第、戻ります」
『この処理とは?』
「領収書の最終確認です」
『まだ続くのか』
「はい」
『……ちなみに、何を食べたんだ』
泉は沈黙した。
ログナーが目を細める。
Xiがにやりと笑う。
バクスチュアルが電話を見た。
泉は慎重に答えた。
「コロッケ、たこ焼き、団子、焼き鳥、ジェラート、肉まん、ドーナツ、クレープです」
『それは食べ歩きではなく、商店街の縦断取材じゃあないか』
Xiが吹き出した。
ログナーは静かに言った。
「的確です」
泉も認めざるを得なかった。
「否定はできません」
『なぜ僕を呼ばない』
泉は即答した。
「取材になるからです」
『取材したかったんだ!』
「ですから呼びませんでした」
露伴は黙った。
完全に墓穴だった。
ログナーが言った。
「今の発言は、全面的に通行止めです」
『電話越しに通行止めにするな!』
バクスチュアルが静かに言った。
「露伴。言葉ニ、出テイマシタ」
『誰だ今のは』
「バクスチュアルさんです」
『なぜバクスチュアルまでいる』
泉は説明した。
「Xiさんの監視補助です」
『なぜ怪盗の監視補助まで編集打ち合わせの周辺で行われているんだ』
Xiが電話に向かって言った。
「露伴先生、細かいこと気にするね」
『君が一番気にされる側だろう、怪盗Xi!』
「合ってる」
バクスチュアルが言った。
「合ッテイマス」
ログナーも言った。
「正確です」
Xiは少しだけ楽しそうに肩をすくめた。
「今日、みんな事実で殴るね」
泉は通話をまとめに入った。
「先生。領収書の整理はもうすぐ終わります。
戻りましたら、次の原稿の打ち合わせをいたします」
『……わかった』
露伴は不満そうだった。
『ただし、商店街食べ歩きの件は、あとで詳しく聞かせてもらう』
「取材としてですか?」
『参考資料としてだ』
「同じです」
『違う』
「要確認です」
ログナーが横から言った。
「その資料化は要審査です」
『また君か!』
アウクソーがいないだけ、まだましだった。
もしこの場にアスランまでいたら、会話はさらに厳しくなっていただろう。
泉は通話を終えた。
個室に、少しだけ静けさが戻る。
Xiが笑った。
「露伴先生、今回は完全に置いていかれたね」
「必要な措置でした」
泉は淡々と言った。
「先生が同行していた場合、食べ歩きの安全管理に加えて、取材制御も必要になります」
ログナーは深く頷いた。
「人的リソースが足りませんね」
「はい」
バクスチュアルが言った。
「露伴ガイルト、仕事ガ、増エマス」
「これも否定できません」
泉は書類を整えた。
ログナーは最終報告書へ目を通す。
「では、結論をまとめます」
「お願いします」
「第一。商店街食べ歩き費用は、予算内。通行可」
「はい」
「第二。店舗ごとの売上貢献は良好。一店舗への過負荷なし」
「はい」
「第三。ラキシス様、弥子殿、すえぞう殿は、前回比で加減あり」
「前回比で」
「第四。Xiによる不適切経費申請は通行止め」
「まだ根に持ってる?」
「正式事項だ」
「はいはい」
「第五。バクスチュアルの安全管理補助は有効」
バクスチュアルは小さく頷いた。
「承知シマシタ」
「第六。泉京香殿の会計整理能力は極めて高い」
「恐縮です」
「第七。露伴殿の同行は、次回以降も要審査」
泉は即座に頷いた。
「強く同意します」
Xiが言った。
「露伴先生が知ったら怒りそう」
「もう怒っていました」
泉は書類を封筒に戻した。
「ですが、先生の場合、怒ることと納得することは両立します」
ログナーが少しだけ感心したように言った。
「なるほど。扱い慣れている」
「担当編集ですので」
バクスチュアルが静かに言った。
「社会人ハ、強イデス」
Xiが笑った。
「今日の結論、それでいいんじゃない?」
ログナーは書類へ判を押した。
「商店街は、条件付きで通行可」
もう一枚に、追加で書く。
「領収書の偽造、混入、不適切経費申請は通行止め」
Xiが肩をすくめた。
「僕用の一文だね」
「そうだ」
「即答だ」
泉は立ち上がった。
「それでは、私は先生の打ち合わせに戻ります」
ログナーも立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「泉京香殿。本日はありがとうございました」
「こちらこそ」
バクスチュアルも小さく頭を下げた。
「泉。助カリマシタ」
「いえ、バクスチュアルさんも、すえぞうさんの安全管理ありがとうございました」
「安全管理補助、デス」
「はい。安全管理補助です」
Xiが言った。
「僕は?」
泉は少し考えた。
「護衛兼、監視対象です」
「やっぱりそうなるか」
ログナーが言った。
「当然だ」
バクスチュアルも言った。
「当然デス」
泉も言った。
「当然です」
Xiは笑った。
「三方向から当然って言われた」
その後、泉京香はきっちり整理された資料を鞄に入れ、岸辺露伴のもとへ戻っていった。
*
彼女は担当編集である。
漫画家の予定を管理し、原稿を確認し、時に暴走を止める。
そして今回は、なぜかラキシス姫様の食べ歩き領収書を整理し、すえぞうの安全管理記録を確認し、怪盗Xiの不適切経費申請を却下した。
客観的には、明らかに業務範囲外だった。
しかし、必要だった。
常識ある社会人とは、必要な時に必要な処理をする者である。
たとえその必要が、商店街でコロッケとたこ焼きとクレープを食べ歩く姫様から発生したものであっても。
*
後日。
露伴は泉から一通り話を聞いたあと、不満そうに言った。
「やっぱり、僕も行くべきだったな」
泉は即答した。
「次回も要審査です」
「僕は漫画家だぞ」
「存じています」
「リアリティのある作品には、現場が必要だ」
「その現場で、先生は取材を始めます」
「当然だ」
「ですので要審査です」
露伴は黙った。
また墓穴だった。
*
その頃、ログナー司令の机には、きれいに整理された領収書ファイルが保管されていた。
表紙には、こう書かれている。
『商店街食べ歩き精算資料』
その下に、小さく追記。
『泉京香殿作成。極めて優秀』
さらにその下に、赤字で一文。
『Xi関連経費は要確認』
そして最後に、ログナーの筆跡で。
『暴走は通行止め』
商店街は、今日も平和だった。
少なくとも、領収書の上では。