守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
寒い日だった。
吐く息が白い。
指先が冷たい。
こういう日に、自販機の「あたたか〜い」欄で缶入りコーンスープを見つけると、人は少しだけ救われた気持ちになる。
少なくとも、桂木弥子はそうだった。
「あっ、コーンスープありますよ!」
商店街の端。
カフェテラスから少し歩いたところにある自販機の前で、弥子は目を輝かせた。
隣にはシン・アスカ。
その足元近くには、すえぞう。
少し後ろには怪盗Xi。
そして、なぜか当然のように脳噛ネウロがいた。
「寒いですし、ちょうどいいですね」
シンは自販機を見上げた。
「すーぷ!」
すえぞうが羽をばたばたさせる。
「缶スープかあ」
Xiは少し笑った。
「最後の一粒が出るか出ないかまで含めて、冬の文化だよね」
「出します」
弥子は真顔で言った。
「私は必ず出します」
「そこまでの決意が必要なんですか!?」
シンがツッコむ。
弥子は小銭を入れた。
がこん、と音がして、缶入りコーンスープが落ちてくる。
さらに、もう一本。
さらに、もう一本。
シンが目を丸くした。
「なんで三本買ってるんですか」
「一本目は飲む用です」
「はい」
「二本目は粒の出方を確認する用です」
「はい?」
「三本目は予備です」
「コーンスープに予備!?」
すえぞうも真似して、自販機の取り出し口を覗き込んだ。
「よび!」
「覚えなくていいからな、すえぞう」
弥子は一本目の缶を手に取った。
缶を振る。
上下に振る。
横に振る。
小刻みに振る。
缶の底を軽く叩く。
「そんな儀式みたいに振るんですか」
シンが言った。
「缶コーンスープには礼儀があります」
「礼儀!?」
弥子はプルタブを開けた。
白い湯気がふわりと上がる。
甘いコーンの香り。
寒い日の空気に、それは反則的なほどよく合った。
「いただきます」
弥子は飲んだ。
少しだけ表情が緩む。
「……味はおいしいです」
「じゃあいいじゃないですか」
「まだです」
「まだ?」
弥子は缶を傾けた。
少し振る。
また飲む。
さらに振る。
缶を斜めにし、角度を変え、底を叩き、再び口をつける。
だが。
「……出ません」
弥子が低い声で言った。
シンは首を傾げた。
「何がですか」
「コーンが」
「ああ、最後に残るやつですよね」
「違います」
弥子の目が真剣だった。
「最初から一粒も出ません」
シンの顔が引きつる。
「そんなことあります!?」
すえぞうが弥子の真似をして、まだ開けていない缶を振った。
「フル!」
「すえぞう、落とすなよ!?」
「コーン!」
弥子は二本目を開けた。
飲む。
振る。
叩く。
傾ける。
沈黙。
「……出ません」
シンは不安になってきた。
「たまたまじゃないですか?」
弥子は三本目を見た。
「これが最後の希望です」
「コーンスープ一本に背負わせるものが重い!」
三本目。
開ける。
振る。
飲む。
振る。
飲む。
缶の口を覗く。
弥子の表情が、絶望に変わった。
「出ません」
すえぞうが悲しげに鳴いた。
「コーン、デナイ!」
その時、Xiが缶を拾い上げた。
「……ん?」
彼の指が、缶の側面で止まる。
小さく印刷されたメーカー名。
そこには、こう書かれていた。
HEXSACS FOODS
ヘキサクス食品工業
Xiの目が、わずかに冷えた。
「……あのクソ親父」
シンが振り向く。
「ヘキサクスって……」
弥子も缶を覗き込んだ。
「どこかで聞いたような……」
ネウロが、口元を歪めた。
「ほう」
シンがびくっとした。
「うわ、いた!」
「最初からいたぞ」
「気配を消さないでください!」
ネウロは缶をつまみ上げた。
「なるほど。殺意ではない。毒でもない」
「まだ検査してないでしょ!」
弥子が言う。
ネウロは愉快そうに笑った。
「だが、これは悪意だ」
Xiは缶を睨んでいた。
「やりそうで嫌なんだよ。こういうの」
シンは缶を見る。
「いや、でも……ただコーンが出ないだけですよね?」
ネウロがゆっくりとシンを見た。
「甘いぞ、シン・アスカ」
「何がですか」
「あの男が関わっているなら、“ただ腹が立つだけ”で済む保証はない」
シンは黙った。
弥子も、少し顔を引きつらせた。
「毒とか……入ってるんですか?」
「毒ならわかりやすい」
ネウロは言った。
「あの男は、もっと悪趣味なものを好む」
Xiが缶を手の中で回した。
「ログナーに回した方がいい」
シンが頷いた。
「そうですね。さすがにシックス絡みなら検査が必要です」
「スープ……」
すえぞうが残念そうに缶を見る。
弥子は拳を握った。
「コーンスープの尊厳を守るためにも、検査です」
「それはちょっと違う気がするけど、今回は賛成です」
シンは深く頷いた。
数十分後。
缶入りコーンスープ三本は、ログナー司令の前に並べられていた。
飲みかけ一本。
開封済み一本。
未開封一本。
ログナーは静かに缶を見た。
「ヘキサクス食品工業」
その声に、わずかな温度もなかった。
Xiは腕を組んでいる。
「いかにも、って名前だろ」
「製造元の実態は確認する」
ログナーは缶を手に取った。
「飲んだ者は」
「私です」
弥子が手を挙げる。
「身体の異常は」
「コーンが出なかったこと以外はありません」
「それは身体の異常ではない」
「心の異常です」
「言いたいことはわかる」
ログナーは真面目に答えた。
シンが小声で言う。
「わかるんだ……」
検査は徹底していた。
毒物。
薬物。
遺伝子干渉。
精神誘導。
記憶改変。
魔界由来の力。
感情増幅。
呪的反応。
未知の微細機械。
シンは検査項目を聞いて、だんだん顔色を変えた。
「缶コーンスープに対する検査項目じゃない……」
「相手が相手だ」
ログナーは淡々と言った。
やがて、検査結果が出た。
「毒物反応なし」
弥子が息を吐く。
「よかった……」
「薬物反応なし。精神誘導なし。記憶改変なし。魔界由来の反応なし。遺伝子干渉なし。未知の微細機械も検出されない」
シンも安心した。
「じゃあ、飲んでも大丈夫なんですね」
「身体への害はない」
ログナーは言った。
「だが、缶の内部構造が悪質だ」
弥子の目が鋭くなる。
「悪質」
「飲み口の直下に、微細な段差がある」
ログナーは切断した缶の断面を示した。
そこには、普通なら気づかないほど小さな構造があった。
「液体は通す。だが、コーン粒だけを高確率で保持する」
シンが顔をしかめた。
「うわ、地味に最悪!」
すえぞうが叫んだ。
「コーン、デナイ!」
「そうだ」
ログナーは頷いた。
「設計上、出にくいのではない。出さないための構造だ」
弥子は震えた。
「許せません」
「そこまで!?」
シンが驚く。
「コーンスープにコーンがあるなら、出るべきです!」
「正論だけど圧がすごい!」
ネウロは、愉快そうに笑っていた。
「ククク……なるほど。殺さず、壊さず、ただ期待だけを削る仕組みか」
弥子がネウロを見る。
「期待?」
「人間は缶を振る時、期待している。最後に一粒でも口に入ることをな」
「期待します!」
「その期待を、寸前で裏切る」
ネウロの笑みが深くなる。
「腹は満たされる。身体に害はない。味も悪くない。だが、心に小さな棘が残る」
シンは顔をしかめた。
「最低だな」
Xiは小さく言った。
「最低なんだよ。あいつは」
その声は、いつもの軽い調子ではなかった。
ネウロはXiを横目で見た。
「貴様の父親らしいな」
「やめてよ。親子紹介みたいに言わないで」
Xiは缶を指で弾いた。
「でも、やり口はわかる。毒を入れると商品は回収される。洗脳すれば痕跡が残る。爆発させれば騒ぎになる」
「これは違う」
ログナーが言う。
「市場に紛れても、ただの不満で済む。だが不快感は残る」
「しかも安い」
Xiは苦笑した。
「一人一人に配らなくていい。流通に混ぜれば、勝手に誰かが買って、勝手にがっかりする」
弥子は缶を睨みつけた。
「コーンスープをなんだと思ってるんですか」
シンが言った。
「弥子さん、怒るポイントはわかるけど、圧がすごいです」
すえぞうも怒っている。
「コーン! デナイ!」
ネウロは満足げだった。
「これは謎ではない。悪意の試作品だ」
「悪意の試作品……」
弥子は呟く。
「ヘキサクス製自販機流通品は、当面監視対象とする」
ログナーは言った。
「シックス本人が直接差し入れたのではない。だが、実質的には差し入れと同じだ」
Xiは肩をすくめた。
「慣れると癖になる、一族自慢の一品ってわけだ」
「癖になりたくありません!」
弥子が即答した。
「だろうね」
Xiは苦笑した。
「僕もこれは嫌だ」
ネウロが弥子を見た。
「で、どうする?」
「どうする、とは」
「その不快感を抱えたまま帰るのか」
弥子は、はっとした。
そして、拳を握った。
「……口直しが必要です」
シンが嫌な予感を覚えた。
「口直し?」
「本物のスープを飲みに行きます」
「本物」
すえぞうが反応した。
「ホンモノ!」
弥子の目は真剣だった。
「こんなの、コーンスープへの侮辱です。ちゃんとした、本当においしいスープで上書きしないといけません」
シンは頭を抱えた。
「言ってることは変なのに、今回ちょっとわかる……」
Xiが言った。
「まさか、トニオさんの店?」
弥子は頷いた。
「はい」
Xiは顔を引きつらせた。
「缶スープの口直しにしては、高くつかない?」
「心の傷には、ちゃんとしたスープが必要です」
ネウロが笑った。
「行くぞ、弥子」
「はい!」
シンが慌てる。
「え、ネウロも行くんですか!?」
「当然だ。失われた期待を、どう回収するか見物だ」
「見物なんですね!」
すえぞうは元気よく叫んだ。
「スープ!」
ログナーは静かに言った。
「領収書は回すように」
Xiが振り返った。
「そこまで見るの?」
「見る」
「缶コーンスープからトニオさんの店まで、経路が長いなあ」
「今回の発端はヘキサクス製品だ。記録は必要だ」
Xiはため息をついた。
「あのクソ親父……結果的に出費が増えてるじゃないか」
数十分後。
トニオ・トラサルディーの店。
目の前に置かれたのは、湯気の立つスープだった。
白い皿。
黄金色のスープ。
香りは甘く、濃く、柔らかい。
口に含むと、とうもろこしの甘味が舌に広がり、温かさが喉を通り、胃の奥まで落ちていく。
そして。
「コーンが……」
弥子の目に光が宿った。
「ちゃんと、出ます……!」
シンも一口飲んで、思わず黙った。
「うわ、本当にうまい……」
すえぞうは両羽をばたばたさせた。
「ウマい!」
Xiもスプーンを動かした。
「……コーンが出るだけで、ちょっと感動するの腹立つな」
ネウロは笑った。
「失われた期待を回収したわけだ」
弥子はスープを一口、また一口と味わった。
「これです。これがスープです」
「弥子さん、何かを悟ったみたいになってますよ」
シンが言う。
すえぞうは皿を覗き込んでいる。
「コーン!」
「すえぞう、皿に顔を入れるな!」
トニオは満足そうに微笑んだ。
「お口直しになったなら、何よりデス」
弥子は真剣な顔で頷いた。
「救われました」
「そこまで!?」
シンのツッコミも、少し弱かった。
なぜなら、シン自身も救われた気がしていたからだ。
その後、スープだけで終わるはずがなかった。
トニオの店で、スープだけ飲んで帰る。
そんなことが、桂木弥子とすえぞうのいる席で成立するはずがない。
前菜。
パン。
パスタ。
肉料理。
デザート。
さらに、なぜか追加のスープ。
シンは途中で諦めた。
ネウロは楽しそうに観察していた。
Xiは会計を見て、少し遠い目をした。
「……結果的に金額が高く付いた」
ネウロが、口元を歪めた。
「だが、いつも通りではある」
Xiは天井を見た。
「それが一番嫌なんだよ」
*
数日後。
ヘキサクス食品工業の試験ロットに関する報告書が、どこかの拠点で開かれていた。
シックスは、それを静かに読んでいた。
「毒物反応なし。身体被害なし。だが、不快感の発生を確認」
彼は、微かに笑った。
「人間は、期待を奪われるとよく顔を歪める」
部下が尋ねる。
「次のロットはいかがいたしましょう」
シックスは、しばらく考えた。
「粒を、あと一粒だけ飲み口近くに置け」
「出るように、ですか」
「違う」
シックスの笑みが、少し深くなる。
「出そうで、出ないようにだ」
部下は頭を下げた。
「承知しました」
*
その頃。
ログナー司令は、ヘキサクス製自販機流通品の監視リストを更新していた。
『缶入りコーンスープ。
毒性なし。
精神干渉なし。
内部構造に悪意あり。
市場流通品として監視継続。
桂木弥子、すえぞうの反応極めて大。
トニオ・トラサルディーの店にて口直し。
会計、想定より増加。』
ログナーは最後に一行、追記した。
『ヘキサクス製品は、たとえ食品であっても通行止め』
その横で、Xiは領収書を見ていた。
「本当に高くついたなあ……」
すえぞうが元気よく叫ぶ。
「スープ!」
弥子も頷いた。
「でも、本物のスープはおいしかったです」
シンは深くため息をついた。
「それはそうですけど……」
ネウロは笑った。
「シックスの悪意は、今日も見事に食費へ変換されたな」
Xiは顔をしかめた。
「あのクソ親父……」
その声は呆れと嫌悪と、少しだけ慣れた響きを含んでいた。
だが、すぐに首を振る。
「いや、慣れたら駄目だな」
ネウロは愉快そうに言った。
「癖になる前に、次の皿が来るぞ」
Xiはテーブルを見た。
弥子が追加で頼んだデザートが、運ばれてくるところだった。
「……本当に、いつも通りだね」
ネウロは答えた。
「だから言っただろう」
そして、楽しそうに笑った。
「いつも通りではある」