守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
それは、一本の電話から始まった。
桂木弥子の端末が鳴ったのは、昼下がりのことだった。
カフェテラスでは、珍しく何も起きていなかった。
シン・アスカは、アイスコーヒーを前にしてほっとしている。
アスラン・ザラは、今日こそ平穏に終わってほしいという顔をしている。
キラ・ヤマトは、ラクス・クラインと穏やかに話している。
怪盗Xiは、平穏という言葉を信じていない顔で、頬杖をついていた。
すえぞうは、弥子の皿にある焼き菓子を見ている。
「ハラへった!」
「すえぞう、さっき食べたでしょ」
「ハラへった!」
「元気ですね……」
シンが苦笑した時、弥子の端末が震えた。
「はい、桂木です」
相手の声は、以前の駄菓子屋のおばちゃんだった。
『ああ、弥子ちゃんかい? ちょっとねぇ、また変なのが来たんだよ』
弥子の表情が変わった。
「変なの?」
Xiが顔を上げた。
「……その言い方、嫌な予感しかしない」
『この前の、ほら、口の中でプチプチするラムネがあったろう?』
「ありましたね」
『あれと同じような会社の名前が、箱の裏に書いてあってねぇ』
Xiは、静かに目を閉じた。
「あのクソ親父……」
シンが身を乗り出した。
「え、もう確定ですか!?」
アスランはすぐに立ち上がった。
「ログナー司令に連絡を」
弥子は端末を握り直した。
「おばちゃん、それ、売り場には出してないですよね?」
『出してないよ。なんか怪しいと思ってねぇ』
その一言で、全員が少しだけ安堵した。
*
ログナー司令が到着したのは、驚くほど早かった。
いや、もともと近くにいたのかもしれない。
誰も深く聞かなかった。
聞いても、きっと「必要な配置だ」としか返ってこない。
*
数十分後。
一行は、例の駄菓子屋の前にいた。
店先には、昔ながらの飴、ガム、ラムネ、くじ付きチョコ、小さなゼリー。
子どもたちの笑い声。
平和な駄菓子屋だった。
その奥で、おばちゃんが手招きしている。
「ああ、来てくれたんだねぇ」
ログナーは短く頷いた。
「通報、感謝します」
「いやあ、前のことがあったからねぇ。また学校の先生に怒られるのも嫌だし」
シンが小声で言う。
「完全に学習してる……」
Xiは感心したように言った。
「おばちゃん、有能すぎる」
おばちゃんは店の奥から段ボール箱を持ってきた。
まだ開封されていない。
側面には、渋い筆文字でこう書かれていた。
『特製塩昆布』
『我が一族の漁村で作らせた逸品』
『ご飯に、お茶漬けに、涙の一膳。』
弥子がラベルを読んで、眉をひそめた。
「涙の一膳……?」
キラが小さく呟く。
「普通なら、ちょっと情緒あるコピーなんだけどね」
Xiが冷たい顔で言った。
「あの親父の商品だと、だいたい文字通りだから嫌なんだよ」
アスランは箱の裏を確認した。
そこには、小さな文字で製造元が記されている。
『HEXSACS MARINE PRODUCTS』
「ヘキサクスですね」
ログナーが頷いた。
「販売停止。現時点で通行止めだ」
おばちゃんは申し訳なさそうに言った。
「問屋の人がねぇ、なんか無理やり置いていったんだよ。
“見本! タダでいいから!”って」
シンが叫ぶ。
「その時点で怪しい!」
「そうなんだよねぇ。でもタダって言われると、つい受け取っちゃってねぇ」
弥子は箱を見た。
「でも、売らなかったんですね」
「裏の会社名を見たら、なんか聞き覚えがあってねぇ。
前のプチプチするラムネのところだったかねぇって」
Xiは深々と頷いた。
「おばちゃん、今この町で一番ヘキサクス製品への警戒心が高いかもしれない」
ログナーは真顔で言った。
「販売前に通報した判断は正しい」
おばちゃんは少し照れたように笑った。
「そうかい? じゃあ、売らなくてよかったねぇ」
「よかったです!」
弥子が力強く言った。
「塩昆布ですら信用できない世界、嫌ですけど!」
すえぞうが箱を見た。
「しおこんぶ?」
弥子はすぐにすえぞうを抱えるようにして箱から遠ざけた。
「すえぞうは食べません!」
「ハラへった!」
「普通のお菓子にしましょう!」
「うっす!」
シンがほっとした。
「今回は誰も食べない方向でお願いします……」
ログナーは手袋をつけ、箱を慎重に開封した。
中には、小袋入りの塩昆布が整然と詰まっていた。
見た目は普通だった。
黒く艶のある昆布。
白い塩の粒。
いかにも、ご飯に乗せれば美味しそうに見える。
弥子は少しだけ目を奪われた。
「見た目は……美味しそうなんですよね……」
アスランがすぐに言った。
「弥子」
「食べません! 食べませんけど、塩昆布ってご飯に合うじゃないですか!」
キラが苦笑した。
「食欲と警戒心が戦ってる」
ラクスは静かに箱のコピーを読んだ。
「“しょっぱさ、心まで沁みる”とも書いてありますわ」
Xiが顔をしかめた。
「絶対ろくでもない」
ネウロは、いつの間にか店の奥にいた。
「ククク……塩気で涙を誘う。人間は実に安い刺激で動く」
シンが驚く。
「いつからいたんですか!?」
「涙の匂いがしたのでな」
「まだ誰も泣いてません!」
ログナーは小袋をひとつ取り出し、分析用の容器に入れた。
毒性。
薬物性。
記憶改変。
精神誘導。
魔界由来。
未知の微細機械。
塩分濃度。
涙腺刺激性。
粘膜反応。
食品としての安全性。
シンは検査項目を見て呻いた。
「塩昆布の検査項目じゃない……」
アスランが言う。
「ヘキサクス製品だからな」
「その一言で全部通るのが嫌です」
しばらくして、Xiの端末が鳴った。
全員の視線が集まる。
Xiは画面を見た。
件名。
『一族自慢の一品について』
Xiは無言で端末を見つめ、それから深いため息をついた。
「来た」
シンが慌てる。
「え、誰も食べてませんよね!?」
「だから面白いんだよ」
Xiは画面を見せた。
「完全に空振り」
そして、読み上げた。
『我が一族の漁村で作らせた、特製の塩昆布だ。
常人が食べると、しょっぱさで涙腺が緩みっぱなしになるが……
慣れるとクセになる。』
沈黙。
弥子が顔をしかめた。
「涙腺が緩みっぱなし……?」
シンが叫ぶ。
「やっぱり売っちゃ駄目なやつだ!」
キラは箱のコピーを見直した。
「涙の一膳って、そういう意味だったんだ……」
ラクスも静かに言う。
「泣けるほど美味しい、ではなく、本当に泣いてしまうのですね」
Xiは端末をしまった。
「あの親父の自動メールだけが虚しく届いたね」
ログナーは短く言った。
「販売前回収。被害なし」
おばちゃんは胸を撫で下ろした。
「ああ、売らなくてよかったねぇ」
すえぞうは首を傾げた。
「なみだ?」
弥子が言う。
「泣いちゃうやつです」
「エライ?」
「泣かない方が偉いです!」
「エライ!」
ネウロが薄く笑った。
「これは毒ではない。感情でもない。ただ涙腺という生理反応だけを緩める。泣く理由を本人から奪い、涙だけを垂れ流させる悪意だ」
シンが嫌そうな顔をした。
「地味に最悪ですね」
Xiが頷く。
「会議中とか、授業中とか、告白の場面とか、食べたら終わるやつ」
アスランが真面目に言った。
「潜入任務にも向かない」
シンが振り返る。
「向く食品があるんですか!?」
ログナーの解析結果が出た。
「毒性なし。薬物性なし。記憶改変なし。精神誘導なし。魔界由来なし」
弥子が一応ほっとする。
「それはよかったです」
「ただし、摂取後、強い塩味刺激により涙腺反応が過敏化。感動、悲しみ、悔しさ、懐かしさ、眠気、乾燥、あくび等に関係なく涙が出やすくなる」
シンが顔を引きつらせた。
「何でも泣くじゃないですか」
「会議、接客、戦闘前、交渉、映画鑑賞、読書、謝罪、説教中の摂取は通行止め」
キラが言った。
「映画鑑賞は逆にすごいことになりそうだね」
「感想が全部泣き顔になるな」
アスランが真面目に答えた。
弥子は小袋を見た。
「ご飯のお供としては……」
ログナーが即答した。
「通行止めだ」
シンが叫ぶ。
「塩昆布の存在意義が!」
ネウロが笑う。
「ククク……ご飯が美味しくて泣いているのか、塩で涙腺が壊れているのか、
本人にもわからぬ。実に小さい悪意だ」
Xiは腕を組んだ。
「あの親父、ほんと小さいところを攻めるよね」
おばちゃんは段ボールを見ながら言った。
「これは、持っていってくれるのかい?」
「全て回収する」
ログナーはそう言って、懐から封筒を出した。
おばちゃんが首を振る。
「いやいや、これはタダで置いていかれたもんだから、お代はいらないよ」
「保管、通報、販売停止判断の手間が発生している。補填対象だ」
「でもねぇ」
「受け取ってください」
おばちゃんは少し困ったように笑った。
「じゃあ、ありがたく」
Xiがぽつりと言う。
「ヘキサクスの嫌がらせが、今度は通報報奨金になった……」
弥子が頷いた。
「おばちゃんの正しい判断が報われるのは良いことです」
シンも言った。
「被害ゼロですもんね」
ログナーは店主へ確認した。
「今後、同様の商品、無料見本、強引な納品があれば販売前に連絡を」
「わかったよ。会社の名前も見るようにするよ」
「ヘキサクス名義なら開封しないでください」
「はいはい。ヘキサクスは開けない、売らない、食べない、だね」
Xiが笑った。
「標語になってる」
すえぞうが真似をした。
「ひらかない! うらない! くわない!」
弥子が拍手した。
「すえぞう、偉い!」
「エライ!」
ログナーは少しだけ頷いた。
「正しい」
おばちゃんは普通の駄菓子をいくつか袋に詰めた。
「せっかく来てくれたからねぇ。
これは普通のお菓子だよ。ヘキサクスじゃないよ」
シンが苦笑する。
「その確認、大事になってきましたね……」
弥子はすえぞうに普通のラムネを渡した。
「すえぞう、これは普通のラムネです」
「らむね!」
「プチプチしません」
「うっす!」
「泣きません」
「エライ!」
駄菓子屋の前を、近所の子どもたちが通りかかった。
「あ、通行止めの人だ」
「また来た!」
「今日は何が通行止め?」
ログナーは、段ボールを持ったまま答えた。
「塩昆布だ」
子どもたちは顔を見合わせた。
「塩昆布?」
「しぶい」
「なんで?」
シンが小声で言った。
「説明しづらい……」
おばちゃんが笑う。
「今日は売らないで済んだんだよ」
子どもの一人が言った。
「おばちゃん、えらい!」
おばちゃんは照れくさそうに笑った。
「そうかい」
すえぞうも言った。
「エライ!」
おばちゃんはさらに笑った。
「あら、ありがとうねぇ」
*
その後、ログナーが塩昆布の箱を回収し、
アスランが納入経路の確認を手伝っていた。
弥子はおばちゃんと話し、すえぞうは普通のラムネを食べている。
Xiは箱を見て、小さく息を吐いた。
「今回は誰も食べなかったね」
キラが頷く。
「よかった」
ラクスも微笑んだ。
「被害がないのが一番ですわ」
シンはしみじみと言った。
「誰も泣かない塩昆布回って、平和ですね」
ネウロが笑う。
「悪意が発動しないまま腐る。たまにはそういう結末も悪くない」
ログナーは報告書を作成した。
『ヘキサクス製塩昆布。
無料見本を装い、駄菓子屋へ箱単位で搬入。
販売店側が過去事例を記憶しており、販売前に通報。
被害なし。
製品は全数回収。
通報および保管協力に対し補填実施。
駄菓子屋店主の判断は適切。
ヘキサクス製品は、開けない、売らない、食べない。
通行止め。』
シンはその最後の標語を見て言った。
「これ、正式採用なんですか?」
「わかりやすい」
ログナーは短く答えた。
Xiが笑う。
「おばちゃん発の対ヘキサクス標語」
弥子も笑った。
「町内に貼っておきたいですね」
アスランは真面目に言った。
「効果はありそうだ」
キラが言う。
「でも、普通の商品まで怖がられたら困るね」
ラクスが頷く。
「だからこそ、会社名の確認が大切ですわ」
すえぞうはラムネを食べながら、元気よく言った。
「ヘキサクス、くわない!」
Xiは少し笑って、すえぞうの頭を軽く撫でた。
「それでいいよ」
おばちゃんは店先で、子どもたちに普通のお菓子を売っていた。
プチプチしないラムネ。
涙が止まらなくならない塩昆布。
酸っぱい汗をかかない飲み物。
過去の失敗が蘇らない梅干し。
普通というのは、実にありがたい。
弥子は普通の駄菓子を見ながら、しみじみ言った。
「普通のお菓子って、いいですね」
シンが頷く。
「最近、そればっかり言ってる気がします」
アスランも静かに言った。
「だが、事実だ」
Xiは回収された段ボールを見て、肩をすくめた。
「あのクソ親父の塩昆布、今回は誰も泣かせられなかったね」
ログナーは短く答えた。
「駄菓子屋が勝った」
その言葉に、おばちゃんが笑った。
「あらまあ。じゃあ今日は、うちの勝ちだねぇ」
すえぞうが両手を上げた。
「エライ!」
全員が少しだけ笑った。
ヘキサクス製塩昆布は、売られなかった。
誰も食べなかった。
誰も泣かなかった。
そして駄菓子屋のおばちゃんは、今日も普通のお菓子を売っていた。
それだけで、十分に勝利だった。