守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
その酒屋の店主は、学習していた。
数量限定レモンサワー。
飲むと全身からすっぱい汗が出るという、意味のわからない酒。
あれを売ってしまった時、店主は心の底から思った。
世の中には、見た目が普通でも売ってはいけないものがある。
そして、裏面の会社名は必ず確認するべきだ。
だから、その日。
問屋の男が笑顔で箱を置いていった時、店主はすぐに怪しんだ。
「いやあ、健康志向の商品なんですよ。見本です。タダでいいから置いといてください」
箱には、こう書かれていた。
『熟成黒酢』
『からだの動きを、音で感じる。』
『節々まで届く、黒の一滴。』
『一歩ごとに響く、発酵の力。』
店主は箱を見た。
黒酢。
健康飲料。
酒屋の片隅に置いても、まあ、不自然ではない。
だが。
裏面の小さな文字を見た瞬間、店主は動きを止めた。
『HEXSACS VINEGAR WORKS』
店主は、すぐに電話を取った。
「もしもし。あのう、また変なのが来ましてねぇ」
*
数十分後。
ログナー司令が酒屋に到着した。
隣には、アスラン・ザラ。
その少し後ろに、怪盗Xi、桂木弥子、シン・アスカ、キラ・ヤマト、ラクス・クライン。
なぜかダグラス・カイエンとアウクソーもいた。
カイエンは店先で、棚に並ぶ普通の酒を見ている。
「今度こそ普通の酒だろうナ」
ログナーが冷たく言った。
「お前は酒を選ぶな」
「そこまで言うかヨ」
「前例がある」
「あれは限定だったんだヨ」
Xiが呆れたように言う。
「師匠、その言い訳もう定番になってるよ」
店主は、奥から問題の箱を出した。
「これなんですよ。見本だって言われたんですが、前の件がありましたからねぇ」
ログナーは箱を見る。
「販売したか」
「してません」
「開封は」
「してません。会社名を見た時点で怖くなりまして」
シンが感心した。
「酒屋さん、完全に学習してる……!」
Xiも頷いた。
「ヘキサクスは開けない、売らない、食べない。町内標語が効いてる」
弥子は箱のコピーを読んだ。
「“からだの動きを、音で感じる”……普通なら健康食品っぽいんですけど」
アスランが真顔で言った。
「ヘキサクス製品の場合、文字通りの可能性がある」
キラが苦笑した。
「嫌な信頼性だね」
ラクスも箱を見つめる。
「“節々まで届く、黒の一滴”……少し不安になる言葉ですわね」
ログナーは手袋をつけ、箱を開けた。
中には、小瓶入りの黒酢が整然と並んでいた。
濃い琥珀色。
落ち着いたラベル。
見た目だけなら、高級感がある。
「見た目は普通なんですよね……」
弥子が言った。
Xiは即答した。
「あの親父の商品は、見た目が普通なほど危ない」
カイエンは小瓶を一本つまみ上げた。
「黒酢?」
アスランがすぐに言った。
「カイエンさん。飲まないでください」
「まだ飲んでねぇヨ」
ログナーも言った。
「戻せ」
「酢だろ。酒でも梅干しでもねぇ」
「ヘキサクス製品だ」
「健康にいいんじゃねぇのか? こういうの」
シンが言った。
「普通なら、そういうイメージですけど!」
カイエンはラベルを読む。
「“からだの動きを、音で感じる”ねぇ」
Xiが嫌な顔をした。
「師匠、そこを疑って」
「どうせ大げさな宣伝文句だろ」
「前もコピーに釣られたよね」
「今回は限定じゃねぇ」
アウクソーが静かに言った。
「マスター。お戻しください」
「一口くらいで何が起きるんだヨ」
全員が、同時に「あっ」という顔をした。
カイエンは小瓶の封を開けた。
そして、ほんの一口だけ飲んだ。
「……酸っぱ」
沈黙。
五秒。
十秒。
何も起きない。
シンが恐る恐る言った。
「普通……?」
カイエンは少し得意げに笑った。
「ほら見ろ。たまにはこういうのもあるヨ」
その瞬間。
Xiの端末が鳴った。
件名。
『一族自慢の一品について』
Xiは画面を見て、額に手を当てた。
「あー……来た」
ログナーが短く言う。
「読み上げろ」
Xiは嫌そうに読み上げた。
『我が一族の醸造蔵で熟成させた、特製の黒酢だ。
常人が飲むと、関節が古い扉のように軋む音を立てるが……
酢の力で、己の可動域を音で実感できるよう仕上げた。
慣れるとクセになる。』
店内が静まり返った。
シンが叫んだ。
「音で実感しなくていい!!」
弥子も箱を見た。
「“からだの動きを、音で感じる”って、そういう意味!?」
キラは苦笑した。
「またコピーに嘘は少ないんだ……」
カイエンは眉をひそめた。
「関節が鳴る? そんなもん――」
そう言って、一歩踏み出した。
ギシ。
全員が止まった。
カイエンも止まった。
「……」
シンが小声で言った。
「鳴りましたよね」
「床だヨ」
カイエンは即答した。
ログナーが店の床を見た。
「床は動いていない」
「じゃあ下駄だ」
アウクソーが静かに言う。
「マスター。今の音は、左膝からでした」
「はっきり言うなヨ」
カイエンは肩を回した。
ギィ……。
シンが叫んだ。
「肩!」
「椅子だ」
「椅子に座ってません!」
カイエンは腕を軽く振った。
キシ。
「肘です」
アウクソーが即座に言った。
「確認すんな」
「とても聞き取りやすかったです」
「褒めてねぇだろ、それ」
Xiは腹を抱えかけている。
「師匠、古い屋敷みたいな音してる」
「笑うな」
ネウロは、いつの間にか酒屋の片隅に立っていた。
「ククク……達人の無音の初動を、古い民家の床板に変える悪意か。実にくだらん」
シンが振り返る。
「いつからいたんですか!?」
「軋みの匂いがしたのでな」
「匂いじゃなくて音です!」
ログナーはカイエンを見た。
「カイエン」
「何だヨ」
「今のお前は、騎士戦において最も避けるべき状態だ」
カイエンの顔が少し険しくなる。
「……何だヨ」
「初動が読める」
「……」
「剣筋が聞こえる」
「……」
「フェイントも音でわかる」
「そこまで言うかヨ」
「事実だ」
カイエンは不機嫌そうに口を曲げた。
「だったら、音がしても読めねぇくらい速く動きゃいいだろ」
ログナーが即座に言った。
「やめろ」
「何でだヨ」
「音が増える」
シンが思わずツッコんだ。
「そこなんですか!?」
カイエンはログナーを睨む。
「うるせぇナ。説教すんなヨ」
そのまま、軽くログナーの肩を小突こうとした。
普段なら、誰も気づかないほど自然な動きだった。
少なくとも、普通の人間なら。
だが今回は違った。
肩が鳴った。
ギィ。
肘が鳴った。
キシ。
手首が鳴った。
ギギ。
ログナーは、寸前で一歩ずれた。
「右手だな」
カイエンの手は空を切った。
「読むなヨ!」
「読んだのではない。聞こえた」
「余計悪いわ!」
アウクソーが静かに言う。
「マスター。肩、肘、手首の順で申告しておりました」
「申告って言うな」
「次の動作は左膝から始まると思われます」
「俺の膝を部下みてぇに扱うなヨ」
シンはもう笑いをこらえきれない。
「剣聖の攻撃が、音声ガイド付きになってる……!」
アスランは真面目に分析していた。
「これは潜入任務では致命的です」
Xiが頷く。
「怪盗業でもアウトだね。忍び込む前に廊下でバレる」
キラが言った。
「戦闘でも、タイミングが全部聞こえるのは厳しいね」
ラクスが少し困ったように言う。
「ご本人にとっては、とても不本意ですわね」
カイエンは腕を組もうとした。
ギシ。
キシ。
「腕を組むだけで鳴るんですか……」
弥子が呟いた。
「鳴ってねぇ」
「鳴ってます」
弥子は即答した。
すえぞうが店先から顔を出す。
「ギシギシ!」
カイエンが言った。
「お前まで言うな」
「エライ?」
シンが首を傾げた。
「今の“エライ”は、偉いなのか、大変なのか……」
Xiが言った。
「両方じゃない?」
すえぞうは元気よく言った。
「カイエン、エライ!」
「やめろ。どっちの意味でも嫌だ」
ログナーは黒酢の瓶を回収し、検査を始めた。
毒性なし。
薬物性なし。
記憶改変なし。
精神誘導なし。
魔界由来なし。
骨、関節、筋肉への実害なし。
ただし摂取後数時間、関節運動時に軋み音を発生。
音量は、本人の運動量、関節数、動作の大きさに比例。
騎士の高速機動では音が連続し、初動の秘匿性を著しく損なう。
ログナーは結果を読み上げた。
「健康被害は確認されない」
弥子がほっとした。
「よかった……」
「ただし、騎士戦、潜入、奇襲、フェイント、静かな交渉、図書館、美術館、映画館での摂取は通行止め」
シンが叫ぶ。
「黒酢を飲んで映画館に行くことあります!?」
アスランが真面目に言った。
「静かな場で鳴るのは困る」
「それはそうですけど!」
ログナーは続けた。
「ご飯前、風呂上がり、健康目的での摂取も通行止め」
カイエンが言う。
「健康目的も駄目なのかヨ」
「健康ではなく騒音になる」
「言い方」
その時、レディオス・ソープが黒酢の小瓶を興味深そうに覗き込んだ。
「関節運動を音で確認できるのか。身体動作のフィードバックとしては面白いね」
ログナーが即座に言った。
「陛下、通行止めです」
「まだ何もしていないよ」
「“面白い”が出ました」
ソープは少し考える。
「訓練用に、初動の癖を音で確認できる飲料として――」
「通行止めです」
「騎士の稽古に使えば、自分の癖を――」
「通行止めです」
ラキシスがそっと言った。
「ソープ様。私は、普通の黒酢ドリンクがよろしいですわ」
ソープは微笑んだ。
「普通の黒酢か」
ログナーが言う。
「通行可です」
Xiが小声で言った。
「姫様ブレーキ、今日も強い」
カイエンはまだ不満そうだった。
「俺は普通の黒酢を飲んだつもりだったんだヨ」
ログナーが言った。
「ヘキサクス製だった」
「見てなかった」
「だから飲むなと言った」
「一口だけだろ」
「一口で鳴っている」
カイエンが軽く足を動かした。
キィ。
ログナーが視線を落とす。
「今のは右足首だ」
「いちいち報告すんな」
アウクソーが補足する。
「音質から見て、足首です」
「音質で判断するな」
ネウロが笑った。
「ククク……剣で斬る前に、関節が口を割る。達人ほど屈辱だろうな」
カイエンはネウロを睨んだ。
「黙れ魔人」
ネウロはさらに笑った。
「言葉より先に膝が鳴っているぞ」
「鳴ってねぇ!」
ギシ。
シンが吹き出した。
「今鳴りました!」
カイエンは黙った。
酒屋の店主は、気の毒そうに言った。
「これは……売らなくて本当によかったですねぇ」
ログナーは頷いた。
「正しい判断です」
「いやあ、前のレモンサワーで懲りましたからねぇ」
Xiが言う。
「酒屋さんも勝ったね」
店主は笑った。
「勝ちなんですかねぇ」
弥子は力強く言った。
「被害がカイエンさんだけで済みました!」
カイエンが睨む。
「済ませるな」
アスランは真面目に店主へ確認した。
「この商品を他に受け取った店は?」
「たぶん何軒かあると思います。問屋が同じなら」
ログナーの目が冷たくなる。
「納入経路を確認する」
店主はすぐに伝票を出した。
「これです。必要なら全部見てください」
「協力に感謝する」
ログナーは封筒を出した。
店主が慌てる。
「いやいや、今回は売ってもないし、飲んでもないですから」
「通報、保管、納入経路提供の手間が発生している。補填対象だ」
「でもねぇ」
「受け取ってください」
店主は苦笑して受け取った。
「じゃあ、ありがたく」
Xiがぽつりと言った。
「ヘキサクスの嫌がらせが、また通報報奨金になった」
キラが微笑む。
「今回はお店がちゃんと止めたからね」
ラクスも頷いた。
「正しい判断が報われるのは、よいことですわ」
ログナーは報告書を書き始めた。
『ヘキサクス製黒酢。
酒類販売店に無料見本として搬入。販売前に店主が通報。
販売店側の判断は適切。
ただしダグラス・カイエンが一口摂取。
摂取後、関節運動時に軋み音を確認。
健康被害なし。尊厳被害あり。
通常なら不可視・不可聴に近い初動が音声化。
騎士戦、潜入、奇襲、フェイント、ログナーへの不意打ち的ツッコミにおいて致命的。
飲料として通行止め。』
カイエンが横から覗いた。
「おい」
「何だ」
「“ログナーへの不意打ち的ツッコミ”って何だヨ」
「実例だ」
「消せ」
「通行止めだ」
「俺の報告書で遊ぶな」
「事実を書いている」
カイエンは文句を言おうとして、一歩踏み出した。
ギシ。
ログナーは見ずに言った。
「左膝」
「だから言うな!」
アウクソーが静かに言う。
「マスター。しばらく安静にされた方がよろしいかと」
「安静にしたら鳴らねぇのか」
「動かなければ」
「根本解決になってねぇヨ」
シンが笑いをこらえながら言った。
「剣聖が、動くと鳴るから安静に……」
カイエンが睨む。
「笑うな」
「すみません。でも、これは……」
弥子も口元を押さえていた。
「カイエンさん、剣は超一流なのに、酸味系に弱すぎません?」
「まとめるな」
Xiが指折り数える。
「レモンサワーで酸っぱい汗。梅干しで釣りの記憶。黒酢で関節ギシギシ」
「並べるな」
すえぞうが元気よく言った。
「すっぱい! ギシギシ!」
「楽しそうに言うな」
*
黒酢は全数回収された。
店主は普通の商品だけを棚に戻した。
カイエンは、できるだけ動かないように腕を組んでいた。
だが、腕を組み直すたびに小さく鳴る。
キシ。
ギシ。
「……うるせぇな」
ログナーが言った。
「うるさいのはお前の関節だ」
「言うと思ったヨ」
アウクソーが静かにタオルを差し出した。
「マスター。帰りはゆっくり歩きましょう」
「速く歩いたらどうなる」
「音が増えます」
「……」
シンが小声で言った。
「完全に古い床板扱い……」
アスランは真面目に言う。
「カイエンさん。次からは、検査前に飲まないでください」
「わかってるヨ」
ログナーが即座に言う。
「本当か」
「うるせぇナ」
「レモンサワーの時も、梅干しの時も、同じ流れだった」
「今回は健康にいいと思ったんだヨ」
「ヘキサクス製品に健康を期待するな」
弥子が深く頷いた。
「普通の黒酢なら、健康にいいかもしれません。でもヘキサクス製は駄目です」
キラも頷く。
「普通って大事だね」
ラクスが微笑んだ。
「普通の食品が、普通に体に良い。それだけでありがたいですわ」
ソープが少し考える。
「普通の黒酢を、普通に飲む……」
ログナーが警戒する。
「陛下」
「何もしていないよ」
ラキシスが穏やかに言った。
「ソープ様。普通でよろしいのですわ」
「そうだね、ラキシス」
Xiは黒酢の箱を見ながら、ため息をついた。
「あのクソ親父、今度は関節かよ」
ネウロが笑う。
「忘れるチーズ、思い出す梅干し、泣かせる塩昆布、鳴らす黒酢。日常を少しずつ壊す手口としては、実に小粒で悪趣味だ」
シンが言った。
「小粒なのに、被害者の尊厳だけはちゃんと削ってくるんですよね」
カイエンが言う。
「削れてねぇ」
ギシ。
ログナーが見る。
「削れている」
「関節の音で判断すんな」
その日の教訓は、単純だった。
健康食品でも、ヘキサクス製なら飲むな。
黒酢は普通なら健康に良いかもしれない。
だが、ヘキサクス製なら関節が鳴る。
そして、騎士にとって初動が音になることは、ほぼ敗北に近い。
カイエンは最後まで認めなかった。
「負けてねぇヨ」
ログナーは即答した。
「右肩が先に負けを申告していた」
「俺の肩を勝手に喋らせんな!」