守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
カフェテラスに、泉京香がやって来た。
片手には資料袋。
もう片方の手には、小さな紙コップ。
紙コップの中には、薄い琥珀色の液体が入っている。
「皆さん、お疲れ様です」
泉は、いつものようにきちんと頭を下げた。
岸辺露伴は、その後ろから少し遅れて歩いてくる。
「泉くん。編集者というのは、
どうして漫画家の休憩時間にまで原稿の話を持ち込むんだい?」
「先生が締切を守らないからです」
「……挨拶代わりに刺してくるな」
泉は涼しい顔で言った。
「事実ですので」
シン・アスカは、そのやり取りを見て苦笑した。
「いつも通りですね」
アスラン・ザラは、泉の手元を見た。
「泉さん。その飲み物は?」
「ああ、これですか。さっき駅前で健康茶の試飲を配っていたんです」
その一言で、数人の表情が変わった。
怪盗Xiが顔を上げる。
「試飲?」
キラ・ヤマトも、少しだけ目を細めた。
「駅前で?」
泉は紙コップを見た。
「はい。緑色のエプロンを着た、配達員さんみたいな女性が。
保温ポットと試飲用の紙コップを持っていて」
桂木弥子が、少し身を乗り出した。
「健康茶……」
すえぞうも反応した。
「ハラへった!」
「すえぞう、お茶は食べ物じゃないですよ」
「うっす!」
泉は苦笑した。
「心まですっきりする、正直な毎日に、とか言ってました。
セイロン健康茶だそうです」
Xiの顔が、嫌そうに歪んだ。
「セイロン……?」
シンが首を傾げる。
「セイロンティーって、スリランカの紅茶ですよね?」
「そうですね」
泉が頷く。
「だから、普通のお茶だと思って、一口だけ」
空気が凍った。
アスランが真顔になった。
「飲んだんですか」
「一口だけですけど」
弥子が慌てる。
「泉さん、体調は!? お腹は!? 涙は!? 関節は鳴ってませんか!?」
「いえ、特には」
泉は少し困った顔をした。
「普通にお茶でしたよ。少し渋かったですけど」
露伴は紙コップを覗き込んだ。
「ふむ。香りは悪くないな」
アスランが即座に言った。
「露伴。飲まないでください」
「飲まないよ。僕は見るだけだ」
「その言葉は信用できません」
「君もずいぶん失礼になったな」
Xiは泉から紙コップを受け取り、底に貼られた小さなシールを見た。
そこには、細い文字でこう書かれていた。
『HEXSACS CEYLON HEALTH LAB』
Xiの顔が一瞬で冷たくなった。
「あのクソ親父……今度は紅茶かよ」
シンが叫んだ。
「やっぱりヘキサクスじゃないですか!」
泉は目を丸くした。
「えっ。これもですか?」
ログナー司令が、いつの間にかカフェテラスの入口に立っていた。
「試飲配布は通行止めだ」
シンはもう驚かなかった。
「司令、やっぱり来るんですね」
「必要な配置だ」
「便利すぎる……」
ログナーは紙コップを確認した。
「摂取量は」
「本当に一口です」
「現時点で自覚症状は」
「特にありません」
露伴が腕を組む。
「泉くん。今日の僕のネームについて、率直にどう思う?」
アスランが止めるより早く、泉は即答した。
「面白いです。
ただし、締切を守らない人が構成の美しさを語っても説得力は半減します」
露伴は少し黙った。
シンも黙った。
キラも、ラクスも、弥子も、Xiも黙った。
そして露伴が言った。
「……いつも通りじゃあないか」
シンが思わず叫んだ。
「変化がわからない!」
泉は首を傾げた。
「変化?」
露伴は少し不満そうに言った。
「いや、いつもよりほんの少し切れ味が鋭い気もするが、君は元からそういうところがある」
「先生にだけは言われたくありません」
「ほら、いつも通りだ」
Xiが口元を押さえた。
「これは……効いてるのか、効いてないのか判定が難しいやつだ」
その時、Xiの端末が鳴った。
件名。
『一族自慢の一品について』
Xiは深く息を吐いた。
「来た」
ログナーが言った。
「読み上げろ」
Xiは、ひどく嫌そうな声で読み上げた。
『我が一族の高地農園で摘ませた、特製のセイロン健康茶だ。
常人が飲むと、カフェインで舌が正直になりすぎ、
本音と正論しか言えなくなるが……
他者の退路を蒸し上げる、実に“セイロ”な一杯に仕上げた。
慣れるとクセになる。』
沈黙。
シンが叫んだ。
「セイロンティーをダジャレで改悪するな!!」
キラも顔をしかめた。
「スリランカに謝った方がいいと思う」
弥子は紙コップを見た。
「本音と正論しか言えなくなるお茶……」
ラクスは静かに言った。
「言葉に濁りがなくなる、という表現ですと美しく聞こえますけれど、
人に向けるには危ういですわね」
Xiは端末を閉じた。
「親父、ついにダジャレで人間関係を壊しに来た」
ネウロが、いつの間にか泉の背後に立っていた。
「ククク……正論とは便利な刃だ。嘘ではないからこそ、相手の逃げ道を奪いやすい」
シンが振り返る。
「いつからいたんですか!?」
「人間関係が蒸される匂いがしたのでな」
「そんな匂いあります!?」
ネウロは泉をじっと見た。
「作用はしている。だが変化量が小さい」
泉は少し不服そうに眉を寄せた。
「それはどういう意味ですか」
ログナーが紙コップの成分を確認しながら言った。
「泉京香殿は、元から発話内容における正論比率が高い。効果が出ても差分が小さい」
シンが吹き出しそうになった。
「司令、言い方!」
露伴は肩をすくめた。
「ひどい分析だな」
泉は即座に言った。
「先生の日常的な締切遅延よりは、かなり穏当な分析です」
露伴が一瞬黙る。
「……やはり少し効いているな」
アスランが真面目に頷いた。
「いつもより退路が少ないです」
Xiが笑う。
「泉さん、軽度セイロニスト化」
泉は紙コップを見た。
「私、そんなに普段から正論ばかり言っていますか?」
全員が、微妙に視線を逸らした。
泉が眉を上げる。
「皆さん?」
露伴が言った。
「そういうところだよ、泉くん」
ログナーは検査結果をまとめた。
「毒性なし。
薬物性なし。
記憶改変なし。
精神誘導なし。
魔界由来なし」
シンが一応ほっとする。
「今回はそこまで危険じゃないんですか?」
「ただし」
ログナーは続けた。
「摂取後、言語抑制および対人配慮に関わる判断が一時的に低下。
本音、正論、指摘事項が濾過されず発話される」
弥子が言った。
「濾過されない正論……」
ネウロが笑った。
「水質は澄んでも、人間関係は濁る」
キラが苦笑する。
「お茶っぽく言わないで」
ログナーはさらに続けた。
「会議、交渉、編集打ち合わせ、夫婦喧嘩、作戦会議、SNS投稿前、謝罪中、初対面の挨拶での摂取は通行止め」
シンが叫んだ。
「SNS投稿前は本当に駄目なやつ!」
露伴は少し考えた。
「編集打ち合わせで飲ませると、ネームの欠点をすべて言う編集者が完成するわけか」
泉は静かに言った。
「先生は、飲ませなくても欠点を言われています」
「……やはり少し効いている」
アスランは紙コップから距離を取った。
Xiがそれを見て言う。
「アスランは絶対飲まないでね」
「なぜだ」
キラが即答した。
「正論が強すぎるから」
シンも頷く。
「逃げ場がなくなるからです」
アスランは少しだけ不本意そうだった。
「俺はそこまで……」
カイエンが横から言った。
「お前が飲んだら、作戦会議が処刑場になるナ」
シンが頷く。
「それです」
「そこまでか」
露伴の目が少し光る。
「正論で退路を蒸すアスラン・ザラ……観察価値があるな」
アスランが即座に言った。
「露伴。実験しないでください」
「まだ何も言っていない」
「言う顔でした」
Xiが笑った。
「アスランの露伴センサー、また精度上がってる」
ログナーは紙コップを回収容器に入れた。
「残量は回収。泉京香殿は当面観察。効果は短時間と推定される」
泉は少しだけ不安そうに言った。
「私、何か失礼なことを言いましたか?」
露伴が言う。
「僕に対してはいつも通りだ」
「それは失礼ではなく業務上必要な指摘です」
「ほら」
シンは笑いをこらえた。
「本当にあまり変わらない……」
弥子は泉の肩をそっと叩いた。
「泉さん、大丈夫です。ちょっといつもより正直なだけです」
「それは大丈夫なんでしょうか」
ラクスが穏やかに微笑んだ。
「泉様の正直さは、誰かを傷つけるためだけのものではありませんもの。
けれど、無理に増幅する必要もございませんわ」
泉はほっとしたように頷いた。
「ありがとうございます」
Xiは外を見た。
「で、そのヘキサクスレディは?」
泉は思い出すように言った。
「緑のエプロンに、帽子。前回の発酵乳の方とは違う服装でした。でも……」
「でも?」
「なんでしょう。印象が薄いんです。顔を思い出そうとすると、ぼんやりして」
露伴が目を細めた。
「特徴がない、という特徴だな」
アスランが言う。
「逃走役としては厄介です」
Xiが苦笑した。
「営業としては最悪だけど、逃げるには最適」
ログナーは短く指示した。
「周辺の防犯カメラを確認。前回の発酵乳配布員との服装、体格、歩き方、自転車の特徴を照合する」
シンが言った。
「また自転車なんですか?」
泉が頷く。
「はい。銀色の自転車でした。後ろに保温バッグを固定していました」
ログナーの目がさらに冷たくなる。
「同一系統の配布員と判断。次は逃がさない」
Xiが少し肩をすくめた。
「ヘキサクスレディ、三回目はなさそうだね」
ネウロは笑った。
「ククク……逃げるために記憶から薄くなる者が、記録から追われる。
実に人間らしい罠だ」
*
泉の前には、普通の紅茶が置かれていた。
もちろん、製造元は確認済みだった。
弥子が言う。
「泉さん、こっちは普通のお茶です」
「ありがとうございます」
泉は普通の紅茶を一口飲んだ。
そして、少し息をついた。
「……普通のお茶って、安心しますね」
シンが深く頷いた。
「最近、本当にそう思います」
すえぞうがテーブルの焼き菓子を見ている。
「ハラへった!」
弥子が笑った。
「はい、普通のお菓子を食べましょう」
「うっす!」
露伴は泉を見た。
「で、泉くん。僕のネームについて、もう一度意見を聞こうか」
アスランが少し身構える。
泉は資料袋から原稿を取り出した。
「そうですね。面白いです。ただ、締切を守ってから言ってください」
露伴はしばらく黙った。
「……やっぱり変わってないな」
シンが小さく笑った。
「効果切れた後も同じこと言ってる」
Xiが言った。
「セイロニスト適性、高いなあ」
泉は少しだけむっとした。
「私は、必要なことを言っているだけです」
露伴が頷いた。
「そこが泉くんだ」
ログナーは報告書の最後にこう記した。
『ヘキサクス製セイロン健康茶。
自転車による試飲配布を確認。
泉京香殿が少量摂取。
摂取後、正論および本音の発話増加を確認。ただし平常時との差分は小。
理由:平常時より正論比率が高いため。
編集者としては通行可。
ヘキサクス製健康茶としては通行止め。』
泉がそれを見て言った。
「編集者としては通行可、というのは褒め言葉ですか?」
ログナーは答えた。
「はい」
泉は少しだけ安心した。
「なら、よかったです」
露伴は横から言った。
「僕としては、たまには退路を残してほしいがね」
泉は即答した。
「締切を守れば退路は不要です」
シンが吹き出した。
「泉さん、やっぱりあまり変わってない!」
カフェテラスには、いつもの空気が戻っていた。
ヘキサクスの健康茶は回収された。
ヘキサクスレディは、また逃げた。
セイロンティーへの風評被害は、ぎりぎり回避された。
そして泉京香は、ヘキサクス製品を一口飲んでも、あまり変わらなかった。
それが一番ひどかった。