守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇   作:ギアっちょ

279 / 283
ジョーイ係長は至高のカレーを売りたい

 街の中央広場には、食欲を刺激する香りが渦巻いていた。

 

 欧風ビーフカレー。

 インド風スパイスカレー。

 北海道のスープカレー。

 海鮮カレー。

 野菜を煮込んだ甘口カレー。

 各地から集まった店が屋台を並べる、年に一度のカレーフェスである。

 

 桂木弥子は、広場へ足を踏み入れた瞬間から目を輝かせていた。

 

「カレーの香りが三十種類くらいします!」

 

 シン・アスカが驚く。

 

「匂いだけで種類までわかるんですか!?」

 

「わかりませんけど、それくらい幸せって意味です!」

 

「雰囲気だった!」

 

 すえぞうも鼻を動かした。

 

「カレー!」

 

「はい、今日はカレーですよ!」

 

「ハラへった!」

 

「私もです!」

 

 弥子とすえぞうは、ほとんど同時に広場へ駆け出そうとした。

 

 アスラン・ザラが二人を止める。

 

「待ってください。まず会場案内を確認します」

 

「カレーを食べるだけですよ?」

 

「最近、食べ物を無警戒で口に入れられる状況ではありません」

 

 怪盗Xiが深く頷いた。

 

「正しいよ。カレーだからって安全とは限らない」

 

 キラ・ヤマトが苦笑する。

 

「普通のカレーフェスなんだから、そこまで警戒しなくても」

 

「普通のふりをして、あの親父の商品が混ざってたらどうするの?」

 

 Xiが言った直後だった。

 

 弥子が、広場の奥を振り返った。

 

「……すごくいい匂いがします」

 

「どの店ですか?」

 

 シンが尋ねる。

 

 弥子は一点を指差した。

 

 会場の端。

 

 他の屋台から少し離れた場所に、黒いテントが立っていた。

 

 その前には、大きなのぼりが何本も並んでいる。

 

『至高の高級和牛ゴロゴロカレー』

『激辛!』

『それでも構わないチャレンジャーだけ求む!』

『銀歯・差し歯・詰め物のある方はご遠慮ください』

『大切な思い出をお持ちの方にも推奨しておりません』

『店員は試食を推奨しておりません』

 

 シンは、最後の一行を二度見した。

 

「店員が推奨してない!?」

 

 キラも困惑する。

 

「売る側が書く注意書きじゃないよね」

 

 ラクス・クラインは、のぼりを順番に読んだ。

 

「注意事項が増えるほど、食べられる方が減っていきますわね」

 

 Xiは黒いテントを見た。

 

 屋台の看板。

 

 黒地に銀色の文字。

 

 その隅に、小さな六角形の紋章がある。

 

『HEXSACS FOOD DEVELOPMENT』

 

 Xiの顔から表情が消えた。

 

「あのクソ親父……」

 

 アスランも看板を確認する。

 

「ヘキサクスですか…」

 

 弥子はカレーの香りとヘキサクスの紋章を交互に見ていた。

 

「でも……すごく美味しそうな匂いです」

 

「弥子、近づかないでください」

 

「見るだけです!」

 

「その言葉は信用できません」

 

「まだ何も食べてません!」

 

「目が試食しています」

 

「目は食べません!」

 

 一行が屋台へ近づくと、テントの前で一人の男が声を張り上げていた。

 

 くたびれたスーツ。

 

 腕まくりしたワイシャツ。

 

 首にはタオル。

 

 年齢は四十代半ばほど。

 

 声には、はっきりと関西の訛りがあった。

 

「さあ、いらっしゃい!

 ヘキサクス食品開発部が総力を挙げた、至高の高級和牛カレーや!」

 

 通りかかった客が足を止める。

 

「お、美味しそう」

 

「せやろ! 肉は厳選した高級和牛! 玉ねぎは飴色になるまで炒め、十数種類のスパイスを独自配合!」

 

 客はのぼりを見た。

 

『銀歯・差し歯・詰め物のある方はご遠慮ください』

 

「……やっぱりやめます」

 

「ちょっと待って! まだ説明の途中や!」

 

 客は足早に去っていった。

 

 男は肩を落とした。

 

「また逃げられた……」

 

 テントの奥にいた白衣姿の食品開発スタッフが言う。

 

「係長。注意事項を読んだ上で立ち去るのは、正常な判断です」

 

「わかっとる! わかっとるけど、

 一皿も売れへんかったら開発費を一円も回収できんやろ!」

 

「だからといって、注意事項を外すわけにはいきません」

 

「せめて『店員は試食を推奨しておりません』は外せんか!?」

 

「良心が許しません」

 

「良心が販促を邪魔しとる!」

 

 Xiが屋台の前へ立った。

 

「何やってるの?」

 

 男が振り返る。

 

「お、客か!?」

 

「違う。関係者の身内」

 

「身内?」

 

 Xiは看板の紋章を指差した。

 

「シックスの息子」

 

 男の顔が引きつった。

 

「会長の……?」

 

「怪盗Xiだよ」

 

 男は姿勢を正した。

 

「ああ、あんたが例の!」

 

「例のって何?」

 

「会長が売上より反応を気にしとる相手や」

 

「それ、会社としておかしいって気づいてる?」

 

「毎日気づいとるわ!!」

 

 男は胸元の社員証を示した。

 

「ワシはジョーイ。ヘキサクス社営業管理部の係長や。

 今日はこの屋台の販売責任者として駆り出されとる」

 

 シンがのぼりを見た。

 

「販売責任者なのに、店員が試食を止めてるんですか?」

 

「食品開発の連中が、絶対に書け言うたんや」

 

 白衣のスタッフが真顔で答える。

 

「書かずに販売することは、我々の倫理に反します」

 

 アスランが言う。

 

「書いてあっても販売すべきではありません」

 

「それは今から判断する」

 

 低い声がした。

 

 ログナー司令が、屋台の前に立っていた。

 

 ジョーイ係長が固まる。

 

「……どちらさん?」

 

 Xiが答える。

 

「通行止めの人」

 

「説明が短すぎるやろ」

 

 ログナーはのぼりを読んだ。

 

「銀歯、差し歯、詰め物のある者は摂取不可」

 

「はい」

 

 スタッフが答える。

 

「大切な思い出を持つ者にも推奨しない」

 

「はい」

 

「店員も推奨しない」

 

「はい」

 

 ログナーは短く言った。

 

「販売停止」

 

 ジョーイ係長が両手を上げた。

 

「ちょっと待ってくれ! まだ一皿も売れてへん!」

 

「それは幸いだ」

 

「売る側には不幸や!」

 

 ログナーは調理器具と鍋を確認する。

 

「このカレーは、以前カフェテラスへ送られたものと同一か」

 

 Xiも思い出した。

 

「前に親父が送りつけてきた、“銀歯が抜けるほど辛いカレー”?」

 

 白衣のスタッフが頷いた。

 

「厳密には、同一レシピで新たに製造したものです」

 

 弥子が鍋を見つめる。

 

「高級和牛ゴロゴロ……」

 

 アスランが前へ出て、弥子の視線を遮った。

 

「駄目です」

 

「まだ何も言ってません!」

 

「表情が前回と同じでした」

 

「今回は注意書きがあります!」

 

「注意書きがあれば食べてよいわけではありません」

 

 ジョーイ係長は説明を始めた。

 

「このカレーはな、元々は食品開発部が本気で作った最高級のビーフカレーなんや」

 

 白衣のスタッフが、わずかに胸を張る。

 

「牛肉は赤身と脂のバランスを厳選。玉ねぎは三時間かけて炒めています。フォンドボーに香味野菜、果実の甘みを加え、香辛料は香り、刺激、余韻の三段階に分けて配合しました」

 

 弥子の目が輝く。

 

「絶対に美味しいやつです!」

 

「味だけならな」

 

 ジョーイ係長は遠い目をした。

 

「問題は、完成品を会長に持っていった後や」

 

 食品開発スタッフは、その日のことを思い出した。

 

     ◇

 

「会長。完成しました!」

 

 ヘキサクス食品開発室。

 

 白衣のスタッフは、誇らしげに一皿のカレーを差し出していた。

 

「香り、コク、まろやかな味わい。これ以上のビーフカレーはありません!」

 

 シックスは一口食べた。

 

 肉を噛み、ルーを味わい、静かにスプーンを置いた。

 

「美味いな」

 

 スタッフの顔が明るくなる。

 

「ありがとうございます!」

 

「だが、悪意が足りない」

 

 スタッフの笑顔が止まった。

 

「……はい?」

 

「美味いだけでは、我が一族の商品とは呼べぬ」

 

「食品は美味しければよいのでは?」

 

「食べた者の記憶に残せ」

 

「感動によって、でしょうか」

 

「銀歯が抜ける辛さで」

 

「食品開発会議に出てよい表現ではありません!」

 

 シックスは平然と続けた。

 

「銀歯のない者にも作用を与えろ」

 

「なぜですか!?」

 

「公平ではない」

 

「公平の使い方が間違っています!」

 

 研究の末。

 

 辛味成分は大幅に増加した。

 

 ブート・ジョロキアを含む複数の激辛唐辛子が配合された。

 

 さらに、銀歯のない者には、忘れたい甘い記憶が抜け落ちる場合があるという、食品とは思えない作用まで追加された。

 

 完成品をシックスが試食した。

 

 シックスは一皿を平然と完食した。

 

「辛味が弱いな」

 

「弱い!?」

 

「肉の甘みが勝っている」

 

「そこはカレーとして褒めるところです!」

 

「悪意が埋もれている。増やせ」

 

「常人が食べられなくなります!」

 

「私は食べられる」

 

「会長は品質管理の基準になりません!!」

 

     ◇

 

 ジョーイ係長は、話を締めくくった。

 

「そうして完成したんが、これや」

 

 シンは鍋から一歩離れた。

 

「完成させちゃ駄目だったんじゃ……」

 

 キラが言う。

 

「ブート・ジョロキアまで使っているなら、辛さだけでもかなり危険だね」

 

 ラクスも表情を曇らせる。

 

「その上、記憶に作用する可能性まであるのですね」

 

 Xiは頭を抱えた。

 

「あの親父を試食担当にするなよ……」

 

 スタッフは疲れた声で答えた。

 

「我々も、途中から同じことを申し上げました」

 

 弥子が手を上げる。

 

「質問です」

 

「どうぞ」

 

「虫歯も銀歯もない人なら」

 

「弥子ちゃん?!」

 

 アスランが止める。

 

「最後まで聞いてください!」

 

 Xiが答えた。

 

「銀歯がない場合、忘れたい甘い記憶が抜ける可能性がある」

 

 弥子は手を下ろした。

 

「……それは困ります」

 

 シンが驚く。

 

「カレーを諦めた!?」

 

「甘いものの記憶は大切です!」

 

「そっちの甘い記憶なんですか!?」

 

 ネウロが、いつの間にか鍋の横に立っていた。

 

「ククク……甘味の記憶か、人生の甘い記憶か。どちらが抜けるかは食べてみなければわからんぞ」

 

「余計に食べられません!」

 

 弥子は鍋から離れた。

 

 ログナーはスタッフへ尋ねる。

 

「記憶への作用を、事前の同意によって正当化するつもりか」

 

「いいえ」

 

 スタッフは即答した。

 

「我々は、できれば誰にも食べてほしくありません」

 

 ジョーイ係長が叫ぶ。

 

「売る側が言うな!」

 

「係長も本心では食べてほしくないでしょう」

 

「そら食べて銀歯抜けたり、思い出なくしたりされたら寝覚め悪いわ!」

 

「では、販売を中止しましょう」

 

「せやけど売上は欲しいんや!」

 

 シンが言う。

 

「心が二つある……」

 

 ジョーイ係長は頭を抱えた。

 

「在庫を捨てたら、高級和牛も玉ねぎもスパイスも全部無駄になる。開発費も、出店料も、運搬費も回収できへん。それでワシが“何とか売れ”言われて、ここに立っとるんや」

 

 ログナーは冷静に言った。

 

「売るな」

 

「やっぱりアカンかぁ!」

 

「記憶障害を激辛チャレンジに含めるな」

 

「正論すぎて何も返せへん!」

 

 その時、弥子がもう一度鼻を動かした。

 

「でも、おかしいです」

 

 全員が弥子を見る。

 

「何がですか?」

 

 アスランが尋ねる。

 

「この鍋からも辛そうな香りはします。でも、さっき私が感じた、まろやかで優しいビーフカレーの香りは別の場所からです」

 

 白衣のスタッフが目を逸らした。

 

 弥子はテントの奥を見る。

 

「そっちです」

 

「弥子、勝手に入らないでください」

 

「入りませんけど、そっちに別のカレーがありますよね?」

 

 ジョーイ係長がスタッフを振り返った。

 

「……あるんか?」

 

 スタッフは観念したように答えた。

 

「あります」

 

 全員の視線が集まった。

 

「会長による最終承認前の試作品です」

 

 Xiが言う。

 

「普通のカレー?」

 

「はい」

 

「銀歯は?」

 

「抜けません」

 

「記憶は?」

 

「抜けません」

 

「辛さは?」

 

「一般的な中辛です」

 

 ジョーイ係長が叫んだ。

 

「そっちを売れや!!」

 

「製品承認を受けていません」

 

「危険物の方は承認されとるんか!?」

 

「会長からは」

 

「承認制度が壊れとる!!」

 

 スタッフはテント奥から、小さな鍋を運んできた。

 

 蓋を開けた瞬間。

 

 牛肉。

 炒め玉ねぎ。

 香味野菜。

 果実。

 バター。

 幾層にも重なったスパイスの香りが、柔らかく広がった。

 

 弥子の目が、かつてないほど輝く。

 

「これです!!」

 

 すえぞうも跳ねる。

 

「カレー!」

 

「これは食べられる方です!」

 

「ハラへった!」

 

「私もです!」

 

 アスランはログナーを見る。

 

「安全確認をお願いします」

 

 ログナーは普通版のカレーを検査した。

 

 毒性なし。

 薬物性なし。

 記憶への作用なし。

 精神干渉なし。

 異常な辛味成分なし。

 魔界由来なし。

 微細機械なし。

 通常の食品として、適切に調理されている。

 

 ネウロも一口分を解析した。

 

「ただの美味いカレーだ」

 

 Xiが確認する。

 

「本当に?」

 

「本当にだ」

 

「食べた後に、親父の声が聞こえたり」

 

「しない」

 

「肉が小型のシックスになったり」

 

「ならない」

 

 シンが顔をしかめる。

 

「箱の次は肉まで小型のシックスになるんですか」

 

「可能性は考えておくべきだよ」

 

「考えなくていいです!」

 

 ログナーは普通版の鍋を見た。

 

「こちらは通行可。ただし、危険版と調理器具、食器、保管場所を完全に分離すること」

 

 ジョーイ係長の顔が明るくなった。

 

「売ってええんか!?」

 

「安全性を表示し、通常の食品として適正に提供するならば問題ない」

 

「よっしゃあ!!」

 

 ジョーイ係長は、危険な注意書きののぼりを次々と倒した。

 

「スタッフ! 看板を書き換えろ!」

 

「何と書きますか?」

 

「決まっとる!」

 

 数分後。

 

 黒い屋台の前に、新しい手書き看板が掲げられた。

 

『普通に美味しい 至高の高級和牛カレー』

『中辛』

『銀歯は抜けません』

『記憶も抜けません』

『店員も試食を推奨します』

 

 シンが看板を見た。

 

「わざわざ書くと、逆に怪しい!」

 

 ジョーイ係長が叫ぶ。

 

「今までの看板より百倍マシや!」

 

 弥子が財布を取り出した。

 

「一皿ください!」

 

「まいど!」

 

「私も!」

 

「弥子、まず一皿です」

 

「一皿食べ終わってから次を注文します!」

 

「次がある前提ですか」

 

 ジョーイ係長は最初の一皿を盛りつけた。

 

 白いご飯。

 

 艶のある褐色のルー。

 

 大きな和牛が、看板通りにゴロゴロと入っている。

 

 弥子はスプーンですくい、口へ運んだ。

 

 全員が反応を待った。

 

 弥子の目が大きく見開かれる。

 

「美味しいです!!」

 

 すえぞうが身を乗り出す。

 

「うまい?」

 

「すっごく美味しいです!」

 

「カレー!」

 

 すえぞうにも、小さな子ども向けの皿が用意された。

 

 すえぞうは一口食べる。

 

「うまい!」

 

 スタッフの目に、わずかに涙が浮かんだ。

 

「ようやく……味を評価してもらえた……」

 

 弥子は夢中で食べ進める。

 

「最初に玉ねぎの甘みが来て、その後に牛肉の旨味が広がって、最後にスパイスの香りが残ります! 辛さも味を邪魔してません!」

 

 ジョーイ係長は胸を張った。

 

「せやろ! 開発スタッフが本気で作ったカレーや!」

 

 スタッフも誇らしげに頷く。

 

「本来は、これが完成品でした」

 

 Xiが言った。

 

「親父が何もしなければ、普通に大ヒット商品だったんじゃない?」

 

「我々もそう考えております」

 

 弥子が空になった皿を差し出した。

 

「二皿目ください!」

 

「早いな!?」

 

「一皿食べ終わりました!」

 

「言葉通りやけど、想定より早い!」

 

 カレーを食べる弥子の姿と、屋台から漂う香りに誘われて、周囲の客が集まり始めた。

 

「そのカレー、美味しそうですね」

 

「さっきまで危ない看板が出ていませんでした?」

 

 ジョーイ係長は声を張る。

 

「危ない方は販売停止や!

 今売っとるのは、安全確認済みの普通版! 銀歯も記憶も抜けへん!」

 

「普通の屋台では聞かない説明だ……」

 

「細かいことは気にすな! 味は保証する!」

 

 一人が購入した。

 

 その客が食べて、目を丸くした。

 

「美味い!」

 

 次の客が並んだ。

 

 さらに次の客も並ぶ。

 

 黒い屋台の前に、列ができ始めた。

 

 ジョーイ係長は次々と注文を取った。

 

「二皿! まいど!」

 

「ご飯大盛り一つ!」

 

「肉多めは追加料金や!」

 

「福神漬けもありますか?」

 

「普通の福神漬けや! 何も抜けへん!」

 

 シンが列を眺める。

 

「本当に売れてる……」

 

 キラも普通版のカレーを一口食べた。

 

「うん。これは売れるよ」

 

 ラクスも微笑む。

 

「とても丁寧に作られていますわ」

 

 カイエンは大きな肉を口へ入れた。

 

「悪くねぇナ。これなら酒より飯だ」

 

 アウクソーが静かに言う。

 

「マスター。おかわりをご希望ですか?」

 

「俺の顔を読むなヨ」

 

「既に空のお皿を差し出しておられます」

 

「じゃあ、おかわりだ」

 

 ログナーも一口だけ味を確認した。

 

「品質に問題なし」

 

 ジョーイ係長が言う。

 

「司令さんも、もう一皿どうや?」

 

「一皿で十分だ」

 

「弥子ちゃんは今、四皿目やぞ」

 

「比較対象にするな」

 

 弥子が振り返る。

 

「まだ四皿です!」

 

 アスランが言う。

 

「“まだ”ではありません」

 

 普通版のカレーは、一時間も経たずに速攻で売り切れた。

 

 ジョーイ係長は、空になった鍋を見つめていた。

 

「完売……」

 

 スタッフも信じられない顔をしている。

 

「会長承認前の試作品が、完売しました」

 

「売れたんや」

 

 ジョーイ係長は売上金を確認した。

 

「ワシらの商品が、普通に売れたんや!!」

 

 シンが言う。

 

「普通に作れば、普通に売れるんですよ!」

 

「それを会長に言うてくれ!」

 

 その時。

 Xiの端末が鳴った。

 

 Xiは画面を見て、嫌そうな顔をする。

 

「親父から」

 

 件名。

 

『至高のカレーについて』

 

 Xiはメールを開いた。

 

『普通版を販売したそうだな』

 

 ジョーイ係長の顔が引きつる。

 

「もう知られとる!」

 

 Xiは続きを読んだ。

 

『悪意のない試作品は、我が一族の商品ではない』

 

 ジョーイ係長が叫んだ。

 

「売れたら商品や!!」

 

 メールには、さらに一文が続いていた。

 

『完成品の方を売れ』

 

 ログナーが即答する。

 

「通行止めだ」

 

 アスランも頷く。

 

「販売は認められません」

 

 スタッフは、危険版の鍋へ封印用の蓋を取りつけた。

 

「完成品は回収していただいて構いません」

 

 ジョーイ係長が頭を抱える。

 

「高級和牛が……開発費が……」

 

 Xiはメールへ返信した。

 

『普通版は完売した。危険版は一皿も売れてない』

 

 数秒後。

 返信が来た。

 

『Xiは完成品を食べたか』

 

 Xiは即座に返した。

 

『食べるわけないだろ』

 

 返信。

 

『ならば次は、食べたくなるよう改良しよう』

 

 Xiは端末を閉じた。

 

「あのクソ親父……」

 

 ログナーが言う。

 

「返信するな。刺激する」

 

「もう遅いよ」

 

 ジョーイ係長は、売上と危険版の鍋を交互に見ていた。

 

「普通版は完売。危険版は売上ゼロ」

 

 スタッフが言う。

 

「当然の結果です」

 

「会社なら、売れた方を商品化するべきやろ」

 

「はい」

 

「会長は、売れへん方を売れ言うとる」

 

「はい」

 

「ワシ、何のために営業しとるんやろ……」

 

 シンが慰める。

 

「少なくとも今日は、普通版が売れましたよ」

 

「せやな」

 

 ジョーイ係長は、少しだけ顔を上げた。

 

「売上記録も、お客さんの評価も残った。これを本社に持ち帰って、普通版の商品化をもう一回申請したる」

 

 Xiが言う。

 

「親父が却下すると思うけど」

 

「却下されたら、もう一回出す!」

 

「また却下されたら?」

 

「また出す!」

 

「意外と強いね、係長」

 

「中間管理職は、諦めたらそこで全部こっちの責任にされるんや!」

 

 切実だった。

 

 ラクスが穏やかに言った。

 

「多くのお客様が美味しいと感じた事実は、消えませんわ」

 

 キラも頷く。

 

「売れる商品だと証明できたんだから、今日は成功じゃないかな」

 

 スタッフは空の鍋を見た。

 

「我々が最初に作りたかったカレーを、ようやく多くの方に食べていただけました」

 

 弥子が五枚目の空皿を置く。

 

「本当に美味しかったです!」

 

「五皿食べた人の感想は説得力あるなぁ!」

 

 すえぞうも元気に言う。

 

「うまい!」

 

 ジョーイ係長は笑った。

 

「せやろ!」

 

 ログナーは、封印された危険版の鍋を回収した。

 

「銀歯、および記憶への作用を持つカレーは全数回収。普通版については、安全な製造工程を維持するなら販売に問題はない」

 

 ジョーイ係長が身を乗り出す。

 

「報告書に書いてくれるか!?」

 

「事実として記録する」

 

「頼む! 会長より、あんたの“通行可”の方が社内で説得力あるかもしれん!」

 

「それは会社として問題だ」

 

「知っとる!!」

 

 

 その日の夕方。

 

 ヘキサクス本社には、カレーフェスの報告書が届いていた。

 

 シックスは静かに目を通す。

 

「危険版、販売数ゼロ」

 

「はい」

 

 部下が答えた。

 

「普通版、用意した三十食は完売。追加の試食分もすべて消費されました」

 

「悪意がない」

 

「売上はあります」

 

「面白味がない」

 

「顧客満足度は高いです」

 

「Xiは食べていない」

 

「一般客は大勢食べました」

 

 シックスは報告書を閉じた。

 

「不採用だ」

 

 その瞬間。

 

 会議室の扉が開いた。

 

 ジョーイ係長が、売上記録とアンケートの束を抱えて入ってきた。

 

「ちょっと待ったぁ!!」

 

 部下たちが振り返る。

 

 ジョーイ係長は資料を机へ置いた。

 

「普通版は完売! 満足度九十八パーセント! 再購入希望九十四パーセント! 

 危険版は売上ゼロ!」

 

 シックスは静かにジョーイを見る。

 

「それで?」

 

「普通版を商品化しましょう!」

 

「悪意がない」

 

「いりません!」

 

 会議室が静まり返った。

 

 ジョーイ係長は止まらなかった。

 

「カレーに必要なんは、肉と野菜とスパイスと美味さや!

 銀歯を抜く機能も、記憶を抜く機能もいらん!」

 

「余の一族の商品には、特徴が必要だ」

 

「高級和牛ゴロゴロで十分特徴あるわ!!」

 

「平凡だ」

 

「売れる平凡は正義や!!」

 

 シックスの目が細くなる。

 

 部下たちは息を止めた。

 

 ジョーイ係長も、言った後で少しだけ青ざめた。

 

 だが、引かなかった。

 

「……会社の商品は、売るために作るもんです」

 

 しばらくの沈黙。

 

 シックスは、机に置かれた顧客アンケートを一枚だけ手に取った。

 

『牛肉が柔らかく、また食べたい』

 

 別の一枚。

 

『辛さがちょうどよく、子どもでも食べられそう』

 

 さらに一枚。

 

『普通に美味しかった』

 

 シックスは最後の一枚を見た。

 

 そこには、弥子の筆跡で大きく書かれていた。

 

『五皿食べました。また食べたいです!』

 

「……桂木弥子か」

 

「最大の顧客候補です!」

 

 ジョーイ係長は力説した。

 

「普通版を売れば、開発費も回収できる!

 スタッフも報われる! 会社も儲かる! 何が不満なんですか!」

 

 シックスは薄く笑った。

 

「私が不満だ」

 

「一番面倒な顧客やな!!」

 

「私は顧客ではない」

 

「ほな経営者として売上見てください!!」

 

 会議室の外まで、ジョーイ係長の声が響いた。

 

 

 その頃。

 

 カレーフェスを後にした一行は、普通の静かなカフェテラスに戻っていた。

 

 弥子は満足そうだった。

 

「美味しかったですね、至高のカレー」

 

 アスランが言う。

 

「普通版は、です」

 

「はい。普通版は」

 

 シンも頷いた。

 

「普通に美味しいのが一番ですよ」

 

 キラが笑う。

 

「普通に作って、普通に売って、普通に喜んでもらう。それで十分だよね」

 

 ラクスも微笑んだ。

 

「日常の美味しさは、それだけで特別ですわ」

 

 すえぞうが元気に言った。

 

「カレー!」

 

 弥子が頭を撫でる。

 

「また普通のカレーを食べましょう」

 

「うっす!」

 

 Xiは、シックスから届いたメールを削除した。

 

「あの親父、どうして普通に売るだけのことができないんだろう」

 

 ネウロが笑う。

 

「普通に満足できぬからこそ、奴は悪意を求めるのだ」

 

 ログナーは報告書の最後に記した。

 

『ヘキサクス製・至高のカレー。

 完成品は、極端な辛味および銀歯、記憶への作用を確認。販売、試食ともに通行止め。

 

 会長承認前の普通版は、安全性、味、品質に問題なし。

 カレーフェスにおいて完売。

 普通版の商品化は通行可。』

 

 ジョーイ係長がこの一文を盾に、

 ゾディア会長へ何度目の申請書を叩きつけることになるのか。

 

 それは、まだ誰にもわからなかった。

 

 ただ一つ、明らかなことがある。

 

 銀歯も。

 記憶も。

 悪意も。

 カレーには必要ない。

 

 必要なのは、香りと、コクと、柔らかな牛肉。

 

 そして、食べた者がもう一皿欲しくなる味だけだった。

 

 普通の至高は、その日、三十食すべて売り切れた。

 危険な至高は、一皿も売れなかった。

 会社経営として、どちらが正しいのか。

 

 ジョーイ係長だけは、最初から知っていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。