守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇   作:ギアっちょ

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ジョーイ係長は象のコーヒーを売りたい その1

 特殊食品在庫正常化責任者。

 その肩書を与えられて、二日目の朝。

 ジョーイ係長は、会議室の机に置かれた黒い箱を睨んでいた。

 

 箱の中央には、銀色で大きく数字の『6』。

 

 その下には、流麗な英字で商品名が記されている。

 

『BLACK IVORY TYPE』

 

 さらに小さな文字で、

 

『我が一族の象が、体内で磨き上げた至高の一粒』

 

 と書かれていた。

 

「……まず、この箱から直そか」

 

 食品開発スタッフが尋ねる。

 

「品質ではなく、包装からですか?」

 

「高級感はある。せやけど『体内で磨き上げた』言うたら、知らん客は象が腹筋で豆を研磨しとると思うやろ」

 

「実際には、消化器官を通過しております」

 

「もっと生々しいわ!」

 

 ジョーイ係長は箱を開けた。

 

 中には黒い袋が収められている。

 

 封を切っていないにもかかわらず、ほのかに甘い香りが漂っていた。

 

「これが、象の……」

 

「排泄物から回収したコーヒー豆です」

 

「朝一番から正確に言わんでええ!」

 

「事実ですので」

 

「事実にも、出す順番があんねん!」

 

 スタッフは手元の資料を確認した。

 

「一族が管理する象に、コーヒーの果実とバナナを与えています。消化過程を経て排出された豆を回収し、洗浄、選別、乾燥、焙煎しております」

 

「衛生管理は?」

 

「製造部門の記録上は問題ありません」

 

「記録上、いうのが怖いねん」

 

「では、販売候補から外しますか?」

 

 ジョーイ係長は腕を組んだ。

 

 倉庫には、他にも大量の在庫がある。

 

 飲めば働く意味を忘れる栄養ドリンク。

 

 食べれば初恋を忘れるチョコレート。

 

 摩擦係数をゼロにするオリーブオイル。

 

 粘膜へ攻撃を仕掛けるパイナップル。

 

 それらに比べれば、象の消化器官を通ったコーヒー豆は、製法こそ強烈だが、まだ食品の範囲に収まっている。

 

「外すとは言うてへん。せやから、まずは徹底的に調べるんや」

 

「販売前検査ですね」

 

「そうや。ワシの初仕事やぞ。客に何かあってから『知りませんでした』では済まへん」

 

 スタッフは少しだけ表情を和らげた。

 

「承知しました」

 

 ジョーイ係長は、五千枚刷られた新しい名刺を一枚取り出した。

 

 そこには今日も、長い肩書が印刷されていた。

 

株式会社ヘキサクス

営業管理部 係長

特殊食品在庫正常化責任者

ジョーイ

 

「ほな行くで」

 

「どちらへ?」

 

「通行止めの人んとこや」

 

     ◇

 

 検査室。

 

 ジョーイ係長の前には、ファルク・U・ログナーが座っていた。

 

 その隣にはアスラン・ザラ。

 さらに、怪盗Xiまで同席している。

 

 ジョーイ係長は、改めて三人を見た。

 

 AKD総司令。

 

 世界平和監視機構コンパスの一員。

 

 ゾディア会長の息子で、怪物強盗。

 

 そして自分。

 

 営業管理部係長。

 特殊食品在庫正常化責任者。

 

「……何度見ても、初仕事の相手が重いな」

 

 Xiが笑った。

 

「昨日も同じこと言ってなかった?」

 

「今日も重いもんは重いんや!」

 

 アスランは黒い商品箱を確認した。

 

「これが、以前我々にも送ってこられたコーヒー豆ですね」

 

「そうらしいです。あの時は未開封で回収されたとか」

 

 Xiが箱を見て顔をしかめる。

 

「親父から『一族の象が体内で磨いた』って送られてきたやつ」

 

「飲まなかったんか?」

 

「飲むと思う?」

 

「正しい判断やな」

 

「親父の会社の係長に褒められても複雑なんだけど」

 

「ワシまで一緒にすな!」

 

 ログナーは、密封状態の袋を検査機器へ移した。

 

「製造記録は」

 

 食品開発スタッフが資料を差し出す。

 

「こちらです。飼育記録、給餌内容、回収日時、洗浄工程、乾燥工程、焙煎記録、保管温度を記載しております」

 

 ログナーは無言で目を通した。

 

 アスランも給餌内容を確認する。

 

「バナナを与えているのは、香りづけですか」

 

「はい。豆へ直接香料を添加しているわけではありません」

 

 ジョーイ係長が口を挟む。

 

「直接バナナ味にしたら、それはもうコーヒーなんかフルーツ牛乳なんかわからへんからな」

 

「果実香は弱いものです」

 

「そこは後でマスターに確認してもらお」

 

 分析が始まった。

 

 一般細菌。

 大腸菌群。

 カビ毒。

 残留農薬。

 重金属。

 異常なアルカロイド。

 薬物性。

 精神干渉。

 記憶への作用。

 感情誘導。

 味覚操作。

 魔界由来物質。

 未知の微細機械。

 象由来の病原体。

 

 ジョーイ係長は並んだ項目を見て、額を押さえた。

 

「コーヒー豆の検査表に『記憶への作用』がある会社、嫌やなぁ……」

 

 Xiが言う。

 

「初恋を忘れるチョコレートを作ってる会社だからね」

 

「言い返せへん!」

 

 検査が進む間も、ジョーイ係長は落ち着かなかった。

 

「飲んだら鼻が伸びたりせん?」

 

「しない」

 

 ログナーが答えた。

 

「象の声が聞こえるようになるとか」

 

「ならない」

 

「前世が象やった記憶が蘇るとか」

 

「記憶への作用はない」

 

「象を見ると頭を下げたくなるとか」

 

「精神干渉もない」

 

「象に踏まれたような頭痛は?」

 

「ない」

 

 アスランが言った。

 

「係長。現時点で検査にない作用まで想像すると、確認が終わりません」

 

「せやけどヘキサクス製品やぞ」

 

「それは理解しています」

 

「アスランさんまで否定できへんやないか!」

 

 数時間後。

 ログナーは分析結果をまとめた。

 

「病原性微生物、毒性物質、薬物性成分は検出されていない」

 

 ジョーイ係長が身を乗り出す。

 

「記憶は?」

 

「影響なし」

 

「人格は?」

 

「影響なし」

 

「鼻は?」

 

「伸びない」

 

「象は?」

 

「呼べない」

 

「ほんまに普通のコーヒー豆なんか?」

 

「製法が特殊なだけだ」

 

 アスランが補足する。

 

「洗浄と焙煎も適切です。ただし、販売時には製法を正確に表示してください。食品の由来を誤解させる説明は避けるべきです」

 

「隠す気はありません。ただな」

 

 ジョーイ係長は商品箱を持ち上げた。

 

「表にでっかく『象の糞から回収!』って書いたら、味を知ってもらう前に客が逃げるんですわ」

 

 Xiが言う。

 

「親父は喜びそうだけどね」

 

「会長の趣味で販促するな!」

 

 ログナーは報告書へ署名した。

 

「衛生、成分、安全性に問題なし。適切な説明と少量販売を条件に、試験販売は通行可」

 

 ジョーイ係長の顔が明るくなった。

 

「通行可!」

 

「ただし、初回は限定販売とし、購入者の反応を記録しろ」

 

「もちろんです!」

 

「異常が確認された時点で即時中止」

 

「わかってます!」

 

「焙煎器具、抽出器具は通常商品と分離する」

 

「マスターにも伝えます!」

 

 Xiが黒い袋を見た。

 

「本当に売るんだ」

 

「売る。それがワシの仕事や」

 

「僕は飲まないよ」

 

「まだ勧めてもへん!」

 

「先に言っておこうと思って」

 

「会長の息子が営業妨害すな!」

 

     ◇

 

 午後。

 ジョーイ係長は、例の純喫茶を訪れていた。

 

 木製の扉。

 落ち着いた照明。

 使い込まれたカウンター。

 棚にはさまざまな産地のコーヒー豆が並んでいる。

 

 カフェテラスの華やかさとは異なる、静かで昔ながらの店だった。

 

 ジョーイ係長は緊張しながら、マスターへ新しい名刺を差し出した。

 

「株式会社ヘキサクス、営業管理部係長。兼、特殊食品在庫正常化責任者のジョーイです」

 

 マスターは名刺を受け取り、肩書を読んだ。

 

「特殊食品在庫正常化責任者」

 

「そこ、真顔で読まれると刺さるんですわ」

 

「珍しい肩書ですね」

 

「ワシも昨日初めて見ました」

 

 ジョーイ係長は黒い箱をカウンターへ置いた。

 

「今日は、こちらの豆を扱っていただけへんかと思いまして」

 

 マスターは箱を見る。

 

「象のコーヒーですか」

 

「ご存じで?」

 

「象の消化器官を通過した豆を使う、高級コーヒーの話は聞いたことがあります」

 

「話が早い!」

 

「ただし」

 

 マスターは箱の大きな『6』を見た。

 

「ヘキサクス製ですね」

 

「そこが一番の問題です」

 

「営業の方が認めるんですか」

 

「認めへんかったら話が進みません」

 

 ジョーイ係長は、検査結果をカウンターへ並べた。

 

「安全性は、ログナー司令側で確認済みです。病原性なし、毒性なし、薬物性なし、精神や記憶への作用なし。洗浄、選別、焙煎も問題なし」

 

「徹底していますね」

 

「せんと売らせてもらえません」

 

「当然でしょう」

 

「はい。ワシもそう思います」

 

 マスターは袋を開け、豆の香りを確かめた。

 

 甘く、柔らかな香り。

 

 深煎り特有の香ばしさの奥に、わずかな果実の気配がある。

 

「悪くない」

 

「まずは一杯、試していただけませんか」

 

 ジョーイ係長は続けた。

 

「無理に店へ仕入れてくれとは言いません。初回は十杯限定。豆は委託扱いにします。売れた分だけ代金をいただく。売れ残った分は、こちらで引き取ります」

 

 マスターはジョーイ係長を見た。

 

「店側の在庫リスクはない、と」

 

「はい。それに製法は隠しません。

 ただ、最初から糞の一文字だけを前に出して、客を驚かせる売り方もしません」

 

「では、どう説明します」

 

 ジョーイ係長は、用意してきた紹介カードを見せた。

 

本日限定十杯

象の消化過程を経て得られた希少なコーヒー豆

 

徹底した洗浄、選別、焙煎を実施。

やわらかな苦味と、果実を思わせる香りをお楽しみください。

 

製法の詳細は、ご注文前に説明いたします。

 

「嘘は書いてません」

 

「ええ」

 

「せやけど、客が味を想像できる順番で書きました」

 

「なるほど」

 

「事実は隠さない。

 ただし、事実の一部分だけで商品の価値を潰さない。それが営業やと思ってます」

 

 マスターはもう一度、豆の香りを確かめた。

 

「一杯、淹れてみましょう」

 

「ありがとうございます!」

 

 豆を挽く。

 店内に、香ばしい香りが広がる。

 マスターは湯の温度を整え、ゆっくりと注いだ。

 粉が膨らむ。

 黒い液体が、一滴ずつサーバーへ落ちていく。

 

 ジョーイ係長と食品開発スタッフは、息を止めるように見守っていた。

 

 マスターは抽出したコーヒーを一口飲んだ。

 

 目を閉じる。

 

 香りと後味を確かめる。

 

「苦味が丸いですね」

 

 スタッフの肩がわずかに動いた。

 

「はい」

 

「酸味は穏やか。後味に果実のような甘い香りが残る。製法を知らずに出されれば、上等な深煎りの豆だと思うでしょう」

 

 ジョーイ係長が拳を握った。

 

「売れますか?」

 

「価格次第です」

 

「そこは相談しましょう!」

 

 マスターは小さく笑った。

 

「今日、十杯だけ試してみましょう」

 

「ありがとうございます!!」

 

     ◇

 

 店頭に紹介カードが置かれた。

 

 限定十杯。

 最初の十分は、誰も注文しなかった。

 常連客はカードを読む。

 立ち止まる。

 製法の説明まで読む。

 そして、いつものブレンドを頼む。

 

 ジョーイ係長は、カウンターの端で落ち着かなくなっていた。

 

「やっぱり字面が強いか……」

 

 スタッフが言う。

 

「まだ十分です」

 

「営業にとって、客が商品を見てから黙って離れる十分は長いんや」

 

 やがて、常連らしい男性が紹介カードの前で足を止めた。

 

「象の消化過程?」

 

 マスターが答える。

 

「象の排泄物から回収した豆です」

 

 男性の顔が引きつった。

 

「そこまで正直に言うんですね」

 

「説明せずにお出しするわけにはいきません」

 

 ジョーイ係長は、男性へ無理に近づかなかった。

 

 少し離れた位置から、穏やかに声をかける。

 

「抵抗があるようでしたら、無理にお勧めはしません」

 

「売らないんですか?」

 

「売りたいです。ただ、嫌がる方に押しつけて売る商品ではありません」

 

「……安全なんですか」

 

「検査結果はこちらです。回収後に徹底洗浄し、選別、乾燥、焙煎しております。病原性も毒性も確認されていません」

 

「味は?」

 

 マスターが答える。

 

「私は美味しいと思いました」

 

 ジョーイ係長は続ける。

 

「珍しい製法に金を払うだけの商品にはしたくありません。

 味に納得できなければ、次は注文せんでええ。

 ただ、一度飲んでみたいと思われたなら、今日はそのための十杯です」

 

 男性は少し考えた。

 

 そして席に座った。

 

「じゃあ、一杯お願いします」

 

 ジョーイ係長の目が見開かれた。

 

「まいど!」

 

 声が大きくなり、慌てて口を押さえる。

 

「……ありがとうございます」

 

 マスターが一杯目を淹れた。

 

 カップが男性の前へ置かれる。

 

 男性はまず香りを嗅いだ。

 

 少しだけ安心した顔になる。

 

 一口飲む。

 

 ジョーイ係長とスタッフは、その様子をじっと見ていた。

 

 男性がもう一口飲む。

 

「……あ、美味しい」

 

 スタッフの手が小さく震えた。

 

 ジョーイ係長は、すぐには喜ばなかった。

 

「お身体に異常は?」

 

「え?」

 

「頭痛、めまい、記憶の混乱、鼻の違和感は?」

 

「鼻?」

 

「すみません。社内事情です」

 

 男性は困惑しながらも、もう一口飲んだ。

 

「普通に美味しいコーヒーですよ」

 

 ジョーイ係長は、今度こそ小さく拳を握った。

 

「売れた……」

 

 スタッフも頷く。

 

「一杯、売れました」

 

「誰も倒れてへん」

 

「はい」

 

「記憶も飛んでへん」

 

「はい」

 

「普通の商売や……!」

 

 男性が笑った。

 

「そんなに大変だったんですか?」

 

「聞かんといてください」

 

     ◇

 

 二杯目の注文は、意外な人物から入った。

 

「面白いね」

 

 柔らかな声がした。

 

 ソープが、紹介カードを読んでいた。

 

 その隣にはラキシス。

 

 少し離れて、ログナーも立っている。

 

 ジョーイ係長は姿勢を正した。

 

「い、いらっしゃいませ」

 

 ソープはカードの文章を読む。

 

「象の消化器官を通過することで、

 豆の苦味成分やタンパク質が変化するのかもしれないね」

 

「味より先に研究が始まっとる……」

 

「一杯いただけるかな」

 

「もちろんです!」

 

 ログナーが言う。

 

「検査済みだ」

 

「わかってるよ」

 

 ラキシスが微笑む。

 

「私も少しだけいただきますわ」

 

 マスターが二杯目と三杯目を淹れた。

 

 ソープは香りを確かめ、一口飲んだ。

 

「うん。柔らかい苦味だね。バナナ由来らしい香りも、ほんの少し残っている」

 

 食品開発スタッフが頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

「消化器官内の温度、酸性度、滞留時間を再現できれば、象を介さず同じ変化を起こせるかもしれない」

 

 ジョーイ係長の目が輝く。

 

「量産できますか!?」

 

「理論上はね。あるいは、すえぞうの消化能力を」

 

「陛下」

 

 ログナーの声が止めた。

 

「通行止めです」

 

「まだ何もしていないよ」

 

「すえぞう殿を製造工程へ組み込もうとなさいました」

 

「参考にするだけだよ」

 

 ラキシスが、そっとソープの袖へ手を添えた。

 

「ソープ様。私は、普通の象のコーヒーがよろしいですわ」

 

 ソープは少し考えた。

 

「そうだね。まずは今ある豆を大切にしよう」

 

 ジョーイ係長が小声で言った。

 

「危うくもっと変なコーヒーが生まれるところやった……」

 

 ログナーが答える。

 

「止めた」

 

「ありがとうございます」

 

 ソープはカップを置いた。

 

「味はとても良いよ。製法だけで避けられるのは惜しいね」

 

 ジョーイ係長は勢いよく頭を下げた。

 

「そのお言葉、ありがたく頂戴します!」

 

「宣伝に使うの?」

 

「お名前は勝手に使いません!

 せやけど、味に問題ないという評価は記録させてください!」

 

「構わないよ」

 

 ジョーイ係長の営業記録へ、強い一行が加わった。

 

『試飲者評価。味、香りともに良好』

 

 ただし試飲者の肩書は、あえて伏せられた。

 

 書けば書くほど、コーヒーの話ではなくなるためだった。

 

     ◇

 

 四杯目は、岸辺露伴だった。

 

「象の排泄物から回収した豆を、人間が高級品として喜んで飲む」

 

 露伴は紹介カードを見ながら言った。

 

「価値観の逆転だな。これは面白い」

 

 泉京香が隣で言う。

 

「先生。今回は安全確認済みだそうです」

 

「僕を何だと思っている」

 

「取材と言って、確認前のぬか漬けを食べた漫画家です」

 

「いつまで言う気だ、泉くん」

 

「先生が同じことをしなくなるまでです」

 

 アスランも店へ入ってきた。

 

「露伴。今回の商品は分析済みです。適量なら問題ありません」

 

 露伴は少しだけ眉を上げる。

 

「君から通行可が出ると、逆に調子が狂うな」

 

「安全だからといって、何杯も飲まないでください」

 

「僕は弥子じゃない」

 

 露伴はカウンター席へ座った。

 

「一杯くれ」

 

 ジョーイ係長が笑顔になる。

 

「毎度ありがとうございます!」

 

「勘違いするな。取材だ」

 

「代金いただけるなら、購入目的は問いません!」

 

「強いな、この営業」

 

 マスターが四杯目を淹れる。

 

 露伴はカップへ顔を近づけ、香りを確かめた。

 

 一口。

 

 舌の上で味を追う。

 

 さらに一口。

 

 ジョーイ係長は、感想を待った。

 

「どうでしょう」

 

「香りは甘い。苦味は角が取れている。

 酸味は弱く、後味には果実のような香りがわずかに残る」

 

 食品開発スタッフが、真剣にメモを取る。

 

 露伴は続けた。

 

「製法を知らずに出されたなら、上等な豆だとしか思わないだろうな」

 

 ジョーイ係長の営業魂が反応した。

 

「先生!」

 

「何だ」

 

「今の感想、店内の紹介カードに使わせていただけませんか!?」

 

「断る」

 

「即答!」

 

「僕はヘキサクス商品の宣伝に来たんじゃない」

 

「せやけど先生、味の評価は本心でしょう?」

 

「そうだ」

 

「お名前は出しません! 文章だけ、正確に引用します!」

 

「僕の言葉を勝手に商品へ貼るな」

 

 泉が言った。

 

「先生。コーヒー代を取材費として経費計上するおつもりでしたよね」

 

「それとこれは別だ」

 

「取材対象の販売に少し協力してもよいのでは?」

 

「君はどちらの編集者なんだ」

 

「原稿を描いてくださる先生の編集者です」

 

 ジョーイ係長は頭を下げた。

 

「本日限定。店内だけ。お名前は出しません。表現も一字一句、先生に確認していただきます」

 

 露伴はジョーイ係長を見た。

 

「……営業としての粘りは認めるよ」

 

「ありがとうございます!」

 

「褒めてない」

 

「使ってええということで?」

 

「僕の名前を出すな。文意も変えるな」

 

「承知しました!」

 

 数分後。

 

 紹介カードへ新しい一文が加わった。

 

試飲者評

「製法を知らずに出されたなら、上等な豆だとしか思わない」

 

 露伴は、その文章を見て言った。

 

「引用符の位置はそこだ。句点も落とすな」

 

「細かい!」

 

「僕の言葉を使うなら当然だ」

 

「はい、先生!」

 

 そのやり取りを聞いていた別の客が、紹介カードを見る。

 

「上等な豆、か」

 

 五杯目が売れた。

 

 さらに、その客が美味しいと口にしたことで、六杯目が売れた。

 

 ソープが飲んでいたことに気づいた客が、七杯目を注文した。

 

 露伴の率直な感想を聞いていた常連客が、八杯目を頼んだ。

 

 ジョーイ係長は、客ごとに説明を変えた。

 

 珍しい製法に興味を持つ客には、豆ができるまでの工程を話した。

 

 衛生面を心配する客には、検査結果を見せた。

 

 味を重視する客には、マスターと露伴の評価を紹介した。

 

 嫌悪感を示す客には、無理に勧めなかった。

 

「一度断った客を追いかけるな」

 

 ジョーイ係長はスタッフへ言った。

 

「この商品は、納得した人に飲んでもらって初めて次につながる。驚かせて一杯だけ売っても、商売にはならへん」

 

「はい」

 

「味で二杯目を選んでもらう。それが目標や」

 

 九杯目。

 

 そして午後三時を少し過ぎた頃。

 

「まだありますか?」

 

 最後の客が尋ねた。

 

 ジョーイ係長は、紹介カードの数字を確認した。

 

 残り一杯。

 

「あります。本日最後の一杯です」

 

「では、それをお願いします」

 

「ありがとうございます!」

 

 十杯目が、マスターの手で丁寧に抽出された。

 

 客が飲む。

 

 少し驚いた顔をする。

 

「本当に、普通に美味しいですね」

 

 ジョーイ係長は笑った。

 

「普通に美味しい。それが一番うれしい褒め言葉ですわ」

 

 店頭の紹介カードへ、

 

本日分 完売

 

 の札が掛けられた。

 

 食品開発スタッフは、空になった豆の容器を見つめていた。

 

「完売しました」

 

「十杯やけどな」

 

「十杯、すべて売れました」

 

「副作用は?」

 

「確認されていません」

 

「苦情は?」

 

「ありません」

 

「返金は?」

 

「ありません」

 

 ジョーイ係長は、売上伝票を両手で持った。

 

「普通の売上伝票や……」

 

「はい」

 

「回収報告書でも、事故報告書でもない」

 

「売上伝票です」

 

「ワシ、これを会長の机に置いたる」

 

 Xiが言った。

 

「親父、喜ぶかな」

 

「会社に売上持って帰るんやぞ。普通の会長なら喜ぶ!」

 

「普通じゃないから聞いてるんだけど」

 

「今だけは黙っといてくれ!」

 

 露伴は席を立った。

 

「コーヒー自体は悪くなかった」

 

 ジョーイ係長がすかさず聞く。

 

「先生、もう一度お願いします!」

 

「録音するな」

 

「次回の販促資料に!」

 

「次回は自分の言葉で売れ」

 

「営業として厳しい!」

 

 泉が微笑む。

 

「でも先生の感想で、何杯か売れましたね」

 

「結果的にそうなっただけだ」

 

「結果的に販促へ協力しましたね」

 

「勝手に結果を出すな」

 

 ジョーイ係長は、露伴へ深く頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

「僕は取材しただけだ」

 

「目的が何でも、助かりました」

 

 露伴は少しだけ肩をすくめ、店を出ていった。

 

     ◇

 

 その日の夕方。

 

 ジョーイ係長は、試験販売報告書をシックスの前へ置いた。

 

「象由来コーヒー豆、限定十杯。完売です」

 

 シックスは報告書を開いた。

 

「苦情は」

 

「ゼロです」

 

「健康被害は」

 

「ゼロです」

 

「返品は」

 

「ゼロです」

 

「Xiは飲んだか」

 

「飲んでません」

 

 シックスはそこで初めて、少しだけ目を細めた。

 

「そうか」

 

「一般のお客さんには売れました!」

 

「Xiには売れていない」

 

「会社の売上に、会長の息子が飲んだかどうかは関係ありません!」

 

「私にはある」

 

「経営と親子喧嘩を分けてください!」

 

 シックスは販売資料へ目を通した。

 

 安全性検査。

 顧客説明。

 限定販売。

 試飲者の評価。

 十杯完売。

 

 ジョーイ係長は黙って結果を待った。

 

「次は」

 

 シックスが言った。

 

「はい」

 

「量販店へ卸せ」

 

 ジョーイ係長の目が輝いた。

 

「ええんですか!?」

 

「ただし、包装の正面へ大きく記せ」

 

「何をです?」

 

 シックスは静かに答えた。

 

「象の糞から回収した、と」

 

 ジョーイ係長の顔が固まった。

 

「……どのくらい大きく?」

 

「商品名より大きく」

 

「売れるもんも売れへんわ!!」

 

「製法を隠すのか」

 

「隠しません! 裏面に正確に書きます! 表には味と香りを書くんです!」

 

「人間は真実を嫌うな」

 

「食品売り場には見せ方があんねん!!」

 

 シックスは薄く笑った。

 

「ならば、その真実も売ってみせろ」

 

「初仕事成功した直後に難易度上げんといてください!!」

 

     ◇

 

 倉庫へ戻ったジョーイ係長は、在庫表を開いた。

 

『象の糞から回収したコーヒー豆』

 

 在庫二百袋。

 

 試験販売使用、一袋。

 

 残り百九十九袋。

 

 まだ、ほとんど減っていない。

 

 それでも。

 

 ゼロだった売上が、十杯分生まれた。

 

 誰も倒れなかった。

 

 誰も何かを失わなかった。

 

 客は味に満足し、マスターは次回の販売にも前向きだった。

 

 食品開発スタッフの技術も評価された。

 

 小さな一歩。

 

 だが、確かな一歩だった。

 

 ジョーイ係長は、在庫表の分類欄を書き換えた。

 

販売候補

純喫茶での限定販売実績あり

次回販売、通行可

量販店向け包装は要再検討

会長案は通行止め

 

 スタッフが最後の一行を見た。

 

「会長案を通行止めにしてよろしいのですか?」

 

「売上を守るためや」

 

「会長へ見られた場合は?」

 

「その時はログナー司令の名前を借りる」

 

「許可は取られましたか?」

 

「今から電話する!」

 

 ジョーイ係長は、名刺入れからログナーの名刺を取り出した。

 

「AKD総司令に、パッケージの文字サイズ相談する日が来るとは思わんかったわ……」

 

 倉庫には、まだ百九十九袋のコーヒー豆が積まれている。

 

 その向こうには、正常化を待つ無数の商品。

 

 ジョーイ係長の営業力が試される日々は、始まったばかりだった。

 

 だが、最初の十杯は売れた。

 象の糞から回収された豆は、コーヒーになった。

 危険物ではなく、商品として。

 不良在庫ではなく、売上として。

 

 ジョーイ係長は売上伝票を見つめ、満足そうに頷いた。

 

「よし。まず一個や」

 

 食品開発スタッフが言う。

 

「次は、どの商品を正常化しますか?」

 

 ジョーイ係長は倉庫の奥を見た。

 

 食べた気がしないドーナツ。

 

 粒が出そうで出ないコーンスープ。

 

 赤いものを見ると食欲が湧くトマト。

 

 一個で満腹になる唐揚げ。

 

「……今日はコーヒーの余韻に浸らせてくれ」

 

「承知しました」

 

「明日から、また地獄や」

 

 普通の商売は、十杯だけだった。

 

 それでもジョーイ係長にとっては、十分に美味しい一日だった。

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