守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇   作:ギアっちょ

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ジョーイ係長はヴィンテージワインを煮込みたい

 ヘキサクス社、特殊食品倉庫。

 

 棚の最上段に、一本のワインボトルが置かれていた。

 

 黒に近い深緑色の瓶。

 

 厚く積もった埃。

 

 封蝋には、古びた『6』の紋章。

 

 ラベルには、かすれた金文字で商品名が記されている。

 

我が一族の地下深くで、数百年熟成させた特製赤ワイン

至福の味と、真紅の余韻を貴方に

常人が飲めば、一週間、全身から赤い汗が流れ続ける

慣れるとクセになる

 

 ジョーイ係長は、最後の一文まで読み終えた。

 

「慣れる前に洗濯物が全滅するやろ」

 

 食品開発スタッフが、保管記録を差し出した。

 

「現存数の少ない、極めて希少な製品です」

 

「存在そのものがヴィンテージやな」

 

「地下貯蔵庫の整理中に発見されました」

 

「忘れられとったんか?」

 

「最終出荷記録は残っておりません」

 

「そら売れへんやろ。赤い汗が一週間出るワインを、誰が買うねん」

 

「会長は、白い礼服を着る者への贈答用として開発を」

 

「嫌がらせの対象を限定するな!」

 

 ジョーイ係長は、瓶を慎重に持ち上げた。

 

 重い。

 

 中の液体は、灯りを透かしても底が見えないほど濃い赤色だった。

 

「味は、ほんまにええんか?」

 

「当時の試飲記録では、非常に高い評価を得ています」

 

「誰が試飲した?」

 

「常人ではない方々です」

 

「参考にならん!」

 

「熟成技術、原料となる葡萄、樽の品質に問題はありません」

 

「ほな、また最後に悪意だけ足されたんか」

 

「会長承認時に、発汗へ作用する特殊成分が追加されました」

 

「商品完成後に不良品へ加工するな!!」

 

 ジョーイ係長は瓶を机へ戻した。

 

 これまで扱った商品と同じだった。

 

 象のコーヒーは、製法の印象が強烈なだけで、味と安全性は一級品。

 

 コーンスープは、中身ではなく缶の飲み口に悪意があった。

 

 爆音煎餅も、パチパチラムネも、効果と場所を説明すれば商品になった。

 

 このワインも、数百年という時間と技術を費やして造られている。

 

 問題は一つ。

 飲んだ人間の汗を赤くすること。

 

「これ、どうにかならんか?」

 

「飲用しますか?」

 

「せえへん!」

 

 ジョーイ係長は即答した。

 

「まずログナー司令に持っていく。

 毒性、作用時間、原因物質、全部調べてもらう」

 

「販売を検討するのですか?」

 

「安全ならな」

 

「安全でなければ?」

 

「煮る」

 

「……煮る?」

 

「ワインは飲むだけやない。料理にも使えるやろ」

 

 ジョーイ係長は、黒赤い瓶を指差した。

 

「加熱して悪意だけ飛ばせるなら、中身は助けられる」

 

     ◇

 

 検査室。

 

 厳重な防護容器の中に、ヴィンテージワインが置かれていた。

 

 ログナーは、採取した少量の液体を分析装置へ通している。

 

 その横には、アスラン、シン、Xi、弥子、食品開発スタッフ。

 

 そして、少し離れた場所にはカイエンとアウクソーもいた。

 

「飲めば一週間、赤い汗か」

 

 カイエンが瓶を眺める。

 

「随分と大げさな酒だナ」

 

 アウクソーが静かに言った。

 

「マスター。飲まないでください」

 

「飲むとは言ってねぇヨ」

 

「先ほどから瓶を見ています」

 

「見るくらいいいだろ」

 

 ログナーが分析結果を表示した。

 

「毒物ではない」

 

 ジョーイ係長が尋ねる。

 

「ほんまですか?」

 

「皮膚、血液、汗腺への恒久的な損傷はない。

 色素前駆体が代謝され、発汗時に排出される」

 

「赤い汗が出る以外は?」

 

「健康上の重大な影響は確認されない」

 

 シンが少し首を傾げた。

 

「じゃあ、飲んでも大丈夫なんですか?」

 

 アスランが真顔で答えた。

 

「翌日、全身から赤い汗を流している人間がいたら、周囲は救急車を呼ぶ」

 

「確かに」

 

「衣類、寝具、椅子、車のシートにも色が移る可能性がある」

 

 ジョーイ係長が顔をしかめる。

 

「健康被害がなくても、社会生活への被害がデカいねん」

 

 弥子が尋ねた。

 

「黒い服を着て飲めば?」

 

「飲む方向で解決策を探さんでええ!」

 

 ログナーは、シックスによる商品説明と分析結果を照合した。

 

「作用時間についても誇張がある」

 

「一週間やないんですか?」

 

「標準的な一杯なら、二十四時間から三十六時間。

 代謝が遅い者でも、四十八時間程度だ」

 

「一日から二日やないですか!」

 

「一本近く飲み、かつ代謝が極端に遅い場合のみ、一週間前後まで延びる可能性がある」

 

 Xiが呆れたように言った。

 

「親父、最大値を標準みたいに言ってたんだ」

 

 ジョーイ係長が頭を抱える。

 

「商品説明で怖さを盛るな!」

 

 食品開発スタッフが答えた。

 

「会長は、一週間という方が印象に残ると」

 

「ワインの余韻を被害期間で表現すな!」

 

 シンは白いシャツの袖を見た。

 

「一日でも嫌ですよ。夏だったら最悪だ」

 

「白い服は全滅やな」

 

 ジョーイ係長は、ログナーの白い服へ目を向けた。

 

「そう考えると、“血の十字架を背負う”ミラージュ騎士団の式典用に」

 

「却下する」

 

 ログナーは一秒も迷わなかった。

 

「まだ最後まで言うてません」

 

「白い制服に赤い汗が染みる」

 

「一番アカン組み合わせですね」

 

「血の十字架は背負うものだ。汗として流すものではない」

 

 Xiが感心したように言う。

 

「今日の断り方、格好いいね」

 

 カイエンが笑った。

 

「黒騎士だけ飲めばいいんじゃねぇかナ」

 

「マスター」

 

 アウクソーが名前を呼ぶだけで、カイエンは両手を上げた。

 

「冗談だヨ」

 

 弥子はワインの瓶を見つめた。

 

「では、加熱したらどうなりますか?」

 

 ジョーイ係長も身を乗り出す。

 

「そこです。赤い汗の原因物質、熱で分解できませんか?」

 

 ログナーは、少量ずつ分けた試料を示した。

 

「これから調べる」

 

 弥子が尋ねる。

 

「ビーフシチューにするのは?」

 

「まだ早い」

 

「牛肉は用意してあります」

 

「何でや!!」

 

     ◇

 

 加熱試験は、段階的に行われた。

 

 六十度で三十分。

 原因物質は、ほとんど変化しなかった。

 

 八十度で三十分。

 作用は弱まったが、完全には消えない。

 

 九十度で二十分。

 残留量は大きく減少した。

 

 そして、九十五度以上で三十分。

 ログナーは、再分析した試料を確認した。

 

「検出限界以下だ」

 

 ジョーイ係長が聞き返す。

 

「赤い汗は出ない?」

 

「この加熱条件を満たせば、原因物質は分解される」

 

「味と香りは?」

 

 食品開発スタッフが、加熱後の試料を確認する。

 

「熟成由来の香味成分は残っています。アルコールは大きく減少しますが、酸味、果実香、樽香には十分な価値があります」

 

「よっしゃ!」

 

 弥子も拳を握った。

 

「ビーフシチューにできます!」

 

「一番喜んどるやないか!」

 

 アスランは試験記録を確認した。

 

「煮詰めた場合、原因物質だけが濃縮される可能性は?」

 

「分解前に煮詰めればあり得る」

 

 弥子が一歩下がった。

 

「美味しさだけ濃縮してください」

 

 シンが言う。

 

「食欲で危険性を選ばないでください」

 

 ログナーは条件を追加した。

 

「先に九十五度以上で三十分加熱し、その後に煮詰める。加熱時間と温度の記録を残すこと」

 

「料理人にそこまでお願いするんですか?」

 

 ジョーイ係長が尋ねる。

 

「必要だ」

 

「ワイン一本に品質管理が重いな……」

 

「飲用は通行止め。加熱調理専用として、条件付き通行可」

 

 ログナーが判定を書き込む。

 

常温での飲用禁止。

 

標準的な摂取量でも、二十四時間から四十八時間の赤色発汗を生じる。

 

衣類、寝具等への色移りに注意。

 

九十五度以上で三十分以上加熱した後、調理に使用すること。

 

加熱後の原因物質は検出限界以下。

 

加熱工程を管理可能な業務用厨房に限り、条件付き通行可。

 

 ジョーイ係長は判定書を受け取った。

 

「これなら、売り先は決まっとる」

 

 シンが尋ねる。

 

「またホテルですか?」

 

「まずは、あのホテルや」

 

 コーンスープを採用してくれたホテル。

 

 中身の良さを信じ、厨房での活用法を一緒に考えてくれた料理長。

 

 ジョーイ係長は、迷わなかった。

 

「困っとった時に話を聞いてくれた相手を、次の商品が出た途端に忘れたらアカン」

 

     ◇

 

 数日後。

 

 ホテルレストランの応接室。

 

 料理長は、テーブルに置かれた古いワインボトルを見つめていた。

 

 ジョーイ係長の顔を見る。

 

「今度は、どこに問題がある商品ですか?」

 

「話が早いですね」

 

「前回、粒の出ないコーンスープでしたから」

 

「今回は、飲むと赤い汗が出ます」

 

 料理長は椅子から立ち上がりかけた。

 

「失礼します」

 

「待ってください!」

 

「帰るのはそちらです」

 

「一日から二日だけです!」

 

「期間を短くしても駄目です!」

 

 仕入れ担当者も眉間を押さえている。

 

「なぜ毎回、最初に強い情報を出すのですか」

 

「後から言うたら信用なくしますから!」

 

「先に言われても困ります」

 

「せやけど、今回は加熱で完全に無害化できます!」

 

 ジョーイ係長は、ログナーの検査報告書を差し出した。

 

 料理長は、立ち上がるのをやめた。

 

「加熱条件は?」

 

「九十五度以上で三十分。先に原因物質を分解してから、煮詰める必要があります」

 

「分析は?」

 

「ログナー司令が実施しました」

 

 料理長は報告書を読む。

 安全性。

 加熱温度。

 作用時間。

 原因物質。

 残留量。

 

 前回以上に細かな記録だった。

 

「味は残るのですか?」

 

「熟成由来の香りとコクは残ります」

 

「数百年熟成というのは?」

 

「そこだけは盛ってません。本物です」

 

「“そこだけは”という言い方が気になりますね」

 

 料理長は、古びた瓶をもう一度見る。

 

「それほど希少なら、もっと有名なレストランへ持ち込むこともできたでしょう」

 

「最初に、ここへ持ってきたかったんです」

 

「なぜです?」

 

 ジョーイ係長は、少し姿勢を正した。

 

「前に、缶から粒が出えへんスープの話を、最後まで聞いてくれたからです」

 

 料理長は黙った。

 

「あの時は、まだ売れる実績もありませんでした。会社の信用もなかった。それでも料理長は、中身を見てくれた」

 

「結果として、よいスープでした」

 

「せやから、次に良い商品が見つかったら、まずここへ持ってくる。それが筋やと思いました」

 

 仕入れ担当者が尋ねる。

 

「他店へ先に提案していないのですか?」

 

「してません」

 

「うちで断られた場合は?」

 

「その時に、次を探します」

 

 料理長は、検査報告書を閉じた。

 

「そこまで言われたら、試作くらいはしないといけませんね」

 

「ありがとうございます!」

 

「ただし、安全条件は厳守します」

 

「もちろんです!」

 

「そして最初に、“赤い汗が出ます”とは言わないこと」

 

「せやけど隠したら」

 

「“加熱調理専用のワインです”から始めてください!」

 

     ◇

 

 ホテルの厨房。

 

 大きな鍋に、少量のヴィンテージワインが注がれた。

 

 深い赤色。

 

 果実と樽の香り。

 

 長い時間を閉じ込めたような複雑な芳香が、一気に立ち上がる。

 

 料理長が火加減を調整する。

 

「まず、指定どおり九十五度以上を維持」

 

 スタッフが温度を記録する。

 

「三十分間、加熱します」

 

 ジョーイ係長は、少し離れて鍋を見守っていた。

 

 アスランも記録表を確認している。

 

「温度を下回った場合は、そこから再計測してください」

 

「わかっています」

 

「鍋の中心温度で確認を」

 

「わかっています!」

 

 料理長が振り返る。

 

「お連れの方は、毎回こうなのですか?」

 

 シンが答えた。

 

「毎回です」

 

 ジョーイ係長は苦笑する。

 

「ラムネ売る時も、学校の先生みたいになっとりました」

 

 アスランは真顔のままだった。

 

「食品を提供する以上、安全確認は当然です」

 

「正しいから誰も止められへんねん」

 

 三十分後。

 

 ログナーが、加熱後のワインを再確認する。

 

「原因物質は検出されない」

 

 料理長が頷いた。

 

「では、料理に使います」

 

 牛ほほ肉。

 玉ねぎ。

 人参。

 香味野菜。

 ブイヨン。

 そして、加熱処理を終えたヴィンテージワイン。

 

 大きな鍋の中で、ゆっくりと煮込まれていく。

 

 時間とともに、ソースは濃さを増した。

 酸味は丸くなる。

 肉の旨味が溶け出す。

 樽香と果実香が重なり、厨房全体へ深い香りが広がった。

 

 弥子は厨房の入口から動かなかった。

 

「まだですか?」

 

「まだです」

 

「もう二時間です」

 

「牛ほほ肉が柔らかくなるまで待ってください」

 

「香りだけで、ご飯が食べられそうです」

 

 シンが言う。

 

「食べないでくださいよ」

 

「香りは食べられません!」

 

「弥子さんなら何とかしそうで怖いんです」

 

 すえぞうも鍋の方向を見ていた。

 

「ハラへった!」

 

「もう少し待ってな」

 

「うっす!」

 

     ◇

 

 完成した料理は、白い皿へ盛りつけられた。

 

 赤ワインのソースは、黒に近いほど深い赤色。

 

 牛ほほ肉は、ナイフを入れるだけで崩れるほど柔らかい。

 

 付け合わせのマッシュポテト。

 

 彩りの野菜。

 

 料理長は皿を弥子の前へ置いた。

 

「数百年熟成赤ワインの牛ほほ肉煮込みです」

 

 弥子は目を輝かせた。

 

「いただきます!」

 

 肉を一口。

 

 次に、ソース。

 

 弥子の表情が変わった。

 

「美味しいです!」

 

 ジョーイ係長が尋ねる。

 

「どんな感じ?」

 

「お肉がすごく柔らかいです。ソースは濃厚ですが、重すぎません。

 葡萄の酸味が丸くなっていて、後から香りが広がります!」

 

「汗は?」

 

「まだ普通です!」

 

 アスランが時計を見る。

 

「食後三十秒だ」

 

「経過観察のため、二皿目を」

 

「摂取量を増やしたら観察条件が変わる!」

 

 料理長が小さく笑った。

 

「安全性は既に分析済みです。おかわりは、味の評価としてお出ししましょう」

 

「ありがとうございます!」

 

「料理長まで弥子ちゃん側についた!」

 

 シンも一口食べた。

 

「これ、本当に美味しいです。ワインの味が主張しすぎてない」

 

 アスランも頷く。

 

「加熱条件を守れば、料理用として価値があります」

 

 すえぞうには、アルコールが十分に飛び、安全確認されたソースが少量だけ渡された。

 

 肉と一緒に口へ入れる。

 

「うまい!」

 

 弥子がすぐに尋ねる。

 

「赤くなっていませんか?」

 

「食べてすぐ汗は出えへん!」

 

 料理長は、完成したソースを改めて確認した。

 

「少量でも、かなり深みが出ます」

 

 仕入れ担当者が原価表を見る。

 

「一本から相当数の料理を作れますね」

 

「希少な原料ですから、常設メニューにはできません」

 

「限定コースなら?」

 

「十分可能です」

 

 ジョーイ係長が尋ねる。

 

「採用していただけますか?」

 

 料理長は少し考えた。

 

「まず、秋の限定メニューとして使いましょう」

 

「秋?」

 

「色も由来も、ハロウィーンに合います」

 

 料理長はメニュー案へ文字を書いた。

 

ハロウィーン限定

 

数百年熟成ヴィンテージワインの

真紅の牛ほほ肉煮込み

 

 その下へ、仕入れ担当者が小さく付け加える。

 

※十分に加熱調理しております。赤い汗は出ません。

 

 ジョーイ係長が顔をしかめた。

 

「最後の一文、必要ですか?」

 

「必要でしょう」

 

「知らん人には逆に怖くないです?」

 

「知っている人には安心です」

 

 弥子が三皿目を食べながら言った。

 

「私は安心しておかわりできます!」

 

 シンが皿の数を見る。

 

「もう経過観察でも味見でもないですよね?」

 

「継続品質の確認です!」

 

「まだ提供開始前です!」

 

     ◇

 

 ハロウィーン期間。

 

 ホテルレストランの入口には、深紅の料理写真が飾られた。

 

数百年の眠りから目覚めた、幻のヴィンテージワイン

牛ほほ肉とともに、じっくり煮込みました

一日十食限定 *赤い汗は出ません

 

 料理名と由来に興味を持った客が、次々に注文した。

 

「数百年熟成って本当?」

 

「赤い汗は出ないんですよね?」

 

「注意書きが妙に具体的」

 

「でも、美味しそう」

 

 最初の十食は、夕方を待たずに完売した。

 

 翌日も完売。

 

 週末には、予約客だけで提供数の半分が埋まった。

 

 アンケートには、好意的な感想が並んだ。

 

肉が柔らかく、ソースの香りが素晴らしい。

ハロウィーンらしい見た目だが、味は本格的。

前回のコーンスープも美味しかった。

この限定料理を目当てに、また来たい。

赤い汗が出ないと聞いて安心した。

 

 ジョーイ係長は、最後の感想を二度読んだ。

 

「やっぱり書いといてよかったんかな……」

 

 料理長が追加発注書を差し出した。

 

「次の週末分として、もう一本お願いできますか」

 

「もちろんです!」

 

「残りは、どの程度あります?」

 

「ごく少数です。せやから、まずこちらの必要数を確保します」

 

「他のレストランからも問い合わせが来ているのでは?」

 

「来てます」

 

「高値で買うという話も?」

 

「あります」

 

「それでも、うちを優先すると」

 

 ジョーイ係長は頷いた。

 

「最初に鍋へ入れてくれたのは、料理長ですから」

 

 料理長は発注書を机へ置いた。

 

「では、最後まで大切に使いましょう」

 

「お願いします」

 

 厨房では、食品開発スタッフが料理人たちの作業を見ていた。

 

 自分たちが守ってきた熟成技術。

 

 数百年の時間。

 

 葡萄と樽の香り。

 

 それらが、ようやく誰かの食事になっている。

 

 客席から声が聞こえた。

 

「このソース、美味しいね!」

 

「また来年も食べたい」

 

 食品開発スタッフは、小さく頭を下げた。

 

 誰に対してでもない。

 ただ、その言葉へ応えるように。

 

     ◇

 

 その夜。

 

 シックスの前へ、販売報告書が提出された。

 

「ヴィンテージ赤ワイン、ホテルレストランにて加熱調理用として採用」

 

 部下が読み上げる。

 

「ハロウィーン限定メニュー、連日完売。追加注文あり」

 

 シックスは、料理写真を見る。

 

「赤い汗は出たか」

 

 ジョーイ係長は答えた。

 

「出ませんでした」

 

「一人も?」

 

「一人もです」

 

「では、私のワインではない」

 

「数百年熟成の味は残っとります!」

 

「人間は苦しまなかったのか」

 

「おかわりしました」

 

「誰が」

 

「弥子ちゃんが五皿」

 

 シックスは少し黙った。

 

「常人の試食結果を出せ」

 

「他のお客さんも完食しました!」

 

「白い服は汚れなかったか」

 

「ナプキンにソースをこぼした人だけです」

 

「赤い汗ではなく」

 

「ただの食べこぼしです!」

 

 シックスは報告書をめくった。

 

「Xiは飲んだか」

 

「飲ませません!」

 

「加熱後の料理は」

 

「食べてません」

 

 Xiが部屋の入口から顔を出した。

 

「親父のワインって聞いたら、少し不安でね」

 

 ジョーイ係長が振り返る。

 

「ログナー司令が安全確認しとる!」

 

「でも親父の商品だよ?」

 

「ホテルで連日完売しとる!」

 

「じゃあ、今度一皿だけ食べようかな」

 

 シックスの目が、わずかに細くなる。

 

「予約を入れろ」

 

「会長が取るんですか!?」

 

「Xiが食べる」

 

「そこだけは仕事が早いな!!」

 

     ◇

 

 翌朝。

 

 特殊食品倉庫。

 

 ヴィンテージワインの棚には、わずかな空間ができていた。

 

 捨てられたのではない。

 

 飲んだ人間へ赤い汗を流させるためでもない。

 

 ホテルの厨房へ運ばれ、鍋へ注がれ、料理として客へ届いた分だった。

 

 ジョーイ係長は、在庫正常化記録を更新する。

 

数百年熟成ヴィンテージ赤ワイン

常温飲用:通行止め

九十五度以上、三十分以上の加熱調理:条件付き通行可

標準的な飲用時の赤色発汗:二十四時間から四十八時間

一週間という説明は最大推定値

ホテルレストランでの限定メニュー採用

連日完売

追加発注あり

最初に協力した取引先への供給を優先

 

 食品開発スタッフが、新しい書類を持ってきた。

 

「係長。他のホテルから、同じワインを使った料理を提供したいと問い合わせがありました」

 

「残りの本数を確認して、少量ずつや」

 

「高額で全量を買い取るというレストランもあります」

 

「断れ」

 

「前回と同様ですか?」

 

「売れへん時に一緒に使い方を考えてくれた相手がおる。売れた途端、全部よそへ渡したら筋が通らん」

 

「承知しました」

 

 さらにもう一枚。

 

「料理長から、来年のハロウィーン分を予約したいと」

 

「一年先!?」

 

「お客様から、来年も提供してほしいとの声が多いそうです」

 

「ワインより先にメニューがヴィンテージ化しとる!」

 

 ジョーイ係長は嬉しそうに頭を抱えた。

 

 数百年間、地下で眠っていたワイン。

 

 グラスへ注げば、一日から二日の迷惑を残す。

 

 鍋へ注げば、料理に深い香りを残す。

 

 変えたのは、熟成の味ではない。

 

 長い年月でもない。

 

 悪意が働く余地だけだった。

 

「係長」

 

 スタッフが尋ねる。

 

「今回も、正常化できたのでしょうか」

 

 ジョーイ係長は、ホテルから届いた追加発注書をファイルへ収めた。

 

「客が美味しい言うた」

 

「はい」

 

「ホテルも、また使いたい言うとる」

 

「はい」

 

「作った人の技術も、ちゃんと評価された」

 

「はい」

 

「ほな、十分や」

 

 ジョーイ係長は、ヴィンテージワインの棚を見上げる。

 

「ただし、絶対に飲むなよ」

 

 スタッフは深く頷いた。

 

「承知しました」

 

 倉庫の入口から、カイエンの声がした。

 

「一口くらいなら、一日で済むんだろ?」

 

「カイエンさん!!」

 

 アウクソーが、カイエンの腕を掴んでいる。

 

「冗談だって言ってるだろ、アウクソー」

 

「前にも聞きました」

 

「ほんとに飲まねぇヨ」

 

 ジョーイ係長は、ワイン棚の前へ立ちはだかった。

 

「飲みたかったら、ホテルでシチュー頼んでください!」

 

「分かったヨ。五皿食う」

 

「弥子ちゃんに張り合わんでええ!!」

 

 数百年の眠りから目覚めたヴィンテージワインは、その日もグラスではなく、鍋へ向かう準備をしていた。

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