守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇   作:ギアっちょ

287 / 296
ヒッター子爵は謎の美女とディナーを楽しみたい

 夕暮れの街。

 

 ホテルや高級店が並ぶ通りを、一人の男が歩いていた。

 長い黒髪。

 仕立てのよい上着。

 胸元を少しだけ開けたシャツ。

 歩き方には自信があり、すれ違う女性の姿を見つけるたび、さりげなく視線を送っている。

 その男の名は、ヒューア・フォン・ヒッター。

 

 一応、子爵。

 少なくとも、本人はそう名乗っていた。

 もちろん、その正体は剣聖ダグラス・カイエンである。

 

 だが、今日の彼は剣聖ではない。

 騎士でもない。

 国王でもなければ、星団最強位でもない。

 世を忍ぶ仮の姿。

 オシャレなスケベ野郎、ヒューア・フォン・ヒッター子爵だった。

 

「剣聖なんて名乗ると、女が緊張するからナ」

 

 誰に聞かれたわけでもなく、カイエンは呟いた。

 

 正体を隠すのは、身分を鼻にかけないため。

 

 剣聖の名声へ寄ってくる相手ではなく、一人の男として自分を見てもらうため。

 

 そう本人は思っている。

 

 ただし、これまでの言動を知る者が聞けば、おそらく全員が同じことを言う。

 ナンパ用の偽名である。

 

 カイエンが通りの先へ目を向けた。

 

 一人の女性が、ホテルのショーウインドー前に立っている。

 

 長い髪。

 

 細身のドレス。

 

 横顔は美しく、どこか人間離れした雰囲気さえ漂わせていた。

 

 通りを行き交う人々の中で、彼女だけが別の絵画から抜け出してきたように見える。

 

 カイエンの足が止まった。

 

「……これは、声をかけない方が失礼だナ」

 

 誰に対する礼儀なのかは不明だった。

 

 カイエンは髪を軽く整え、女性へ近づいた。

 

「こんばんは」

 

 女性が振り返る。

 

 その視線は静かだった。

 

「こんばんは」

 

「こんなところで一人か?」

 

「ええ」

 

「待ち合わせ?」

 

「いいえ」

 

「なら、ちょうどよかった」

 

 カイエンは自然な動作で、ホテルレストランの看板を示した。

 

「このホテル、面白いコースを始めたらしい。よかったら一緒にどうだ?」

 

 女性は看板を見る。

 

特別限定ディナー

数百年熟成ヴィンテージワインの牛ほほ肉煮込み

濃厚コーンポタージュ

希少コーヒー付き

 

「あなたのお誘いですか?」

 

「そういうこと」

 

「私の名前も知らないのに?」

 

「食事しながら聞けばいいだろ」

 

「ずいぶん慣れていらっしゃるのですね」

 

「まあナ」

 

 カイエンは軽く笑った。

 

「俺はヒューア・フォン・ヒッター。一応、子爵ってことになってる」

 

「ヒューア・フォン・ヒッター子爵様」

 

「堅苦しい呼び方はいいヨ。ヒューアで」

 

「では、ヒューア様と」

 

 女性は穏やかに微笑んだ。

 

「お招きにあずかります」

 

 カイエンの笑みが深くなる。

 

「決まりだナ」

 

「ごちそうになります」

 

「もちろん」

 

 女性は、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「助かります」

 

「ん?」

 

「いいえ。何でもありません」

 

     ◇

 

 ホテルレストラン。

 

 落ち着いた照明。

 

 白いテーブルクロス。

 

 静かに流れる音楽。

 

 広い窓の向こうには、夜景が広がっている。

 

 カイエンと謎の美女は、窓際の席へ案内された。

 

 給仕が椅子を引く。

 

「ご予約のお名前をお願いいたします」

 

 カイエンは胸を張った。

 

「ヒューア・フォン・ヒッター」

 

「承っております」

 

 カイエンが一瞬止まる。

 

「予約、してたか?」

 

 謎の美女が言った。

 

「先ほど、私が端末から取りました」

 

「仕事が早いナ」

 

「空席があって幸運でした」

 

 給仕は席を整え、二人へメニューを渡した。

 

「本日は、こちらの限定コースでよろしいでしょうか」

 

 謎の美女がメニューを開く。

 

「ヘキサクス特殊食品正常化記念コース」

 

 カイエンの眉がわずかに動いた。

 

「……名前からして怪しくねぇか?」

 

「面白そうですわ」

 

「まあ、ホテルが出すなら大丈夫だろ」

 

 カイエンは深く考えなかった。

 

「これを二人分」

 

「かしこまりました」

 

 給仕が去る。

 

 謎の美女が、正面からカイエンを見た。

 

「ヒューア様は、このホテルへよく?」

 

「今日が初めてだナ」

 

「それでも、女性を迷わず誘えるのですね」

 

「店を知らなくても、料理と相手がよければ楽しいもんだヨ」

 

「料理より先に、相手を評価なさるのですか?」

 

「君くらいの美人ならナ」

 

「ありがとうございます」

 

 女性は優雅に頭を下げた。

 

「ヒューア様は、どのようなお仕事を?」

 

「まあ、騎士みたいなことを少し」

 

「剣をお使いに?」

 

「多少はナ」

 

「お強いのですか?」

 

「そこそこだヨ」

 

「星団最強と呼ばれるほど?」

 

 カイエンの笑みが一瞬だけ固まった。

 

「……誰から聞いた?」

 

 女性は不思議そうに首を傾げた。

 

「冗談ですわ」

 

「驚かせるなヨ」

 

「失礼いたしました」

 

 カイエンはグラスの水を飲んだ。

 

 女性は口元に小さな笑みを残している。

 

「俺は、そういう大げさな肩書には興味ないんだ」

 

「そうなのですか?」

 

「一人の男として見てもらいたいからナ」

 

「だから、ヒューア・フォン・ヒッター子爵を名乗っていらっしゃる?」

 

「まあ、そんなところだ」

 

「子爵という肩書は残すのですね」

 

「そこは礼儀だヨ」

 

「なるほど」

 

 女性は素直に頷いた。

 その目が、少しだけ楽しそうだった。

 

     ◇

 

 最初に運ばれてきたのは、小さな前菜だった。

 

 魚介のマリネ。

 

 季節の野菜。

 

 赤いソースが皿の上へ美しく引かれている。

 

「こちらは通常の食材のみを使用しております」

 

 給仕が、なぜか最初に説明した。

 

 カイエンが顔を上げる。

 

「通常の食材?」

 

「はい」

 

「わざわざ言うことか?」

 

「当コースでは、重要なご案内となっております」

 

 給仕は一礼して去った。

 

 カイエンは前菜を見た。

 

「始まる前から不安になってきたナ」

 

 謎の美女は、楽しそうにフォークを取った。

 

「こちらは安全だそうですわ」

 

「こちらは、って言ったよナ?」

 

「食べてみましょう」

 

 女性が一口食べる。

 

「美味しいです」

 

「まあ、前菜は普通だナ」

 

 カイエンも食べる。

 

 魚介の旨味と、爽やかな酸味。

 

 確かに美味しい。

 

「悪くねぇ」

 

「ヒューア様は、食事に詳しいのですか?」

 

「美味いか不味いかくらいはわかるヨ」

 

「お酒も?」

 

「好きだナ」

 

「赤ワインなども?」

 

「もちろん」

 

「赤い汗が出るものでも?」

 

 カイエンのフォークが止まった。

 

「何の話だ?」

 

「こちらのメインに使われているワインです」

 

「飲むと汗が赤くなるのか?」

 

「常温で飲めば、一日から二日ほど」

 

「なんで君が知ってんだヨ」

 

「メニューの注意書きに」

 

 女性はメニューの端を示した。

 

 小さな文字で、

 

使用ワインは加熱調理専用です。

常温での飲用には適しません。

 

 と記されている。

 

「赤い汗のことまでは書いてねぇだろ」

 

「詳しい事情を調べました」

 

「食事の前に?」

 

「興味がありましたので」

 

「勉強熱心な美人だナ」

 

 カイエンは、そこで納得した。

 

 女性が美人なら、多少の不自然さは秘密めいた魅力へ変換される。

 いつもの油断だった。

 

     ◇

 

 二皿目。

 

 白いカップに注がれた、濃厚なコーンポタージュ。

 

 表面にはクルトン。

 

 刻んだパセリ。

 

 スプーンを入れると、コーンの粒がいくつも見えた。

 

 謎の美女が、一粒をすくい上げる。

 

「ちゃんと出ていますね」

 

 カイエンがスープを飲みながら尋ねた。

 

「何が?」

 

「コーンの粒です」

 

「皿に入ってるんだから、出るだろ」

 

「以前は、缶の飲み口へ引っかかり、一粒も出なかったそうです」

 

「また詳しいな」

 

「このコースの由来を調べましたから」

 

「食い物の取材でもしてるのか?」

 

「少し、興味があるだけです」

 

 カイエンもスプーンで粒をすくった。

 

「でも、うめぇナ。味はかなり濃い」

 

「コーンの甘味もありますね」

 

「粒も多い」

 

「すべて、お客様へ届くようになりました」

 

「言い方が妙に大げさだナ」

 

「長く待たされた粒ですから」

 

「コーンに感情移入してんのか?」

 

「少しだけ」

 

 謎の美女は、上品な動作でスープを飲み続けた。

 

 カイエンもすぐに一皿を空にする。

 

「もう一杯くらい欲しいナ」

 

「弥子さんなら、三杯ほど召し上がるでしょうね」

 

 カイエンが顔を上げる。

 

「弥子を知ってんのか?」

 

 女性は一瞬も動揺しなかった。

 

「有名な大食いの方でしょう?」

 

「あいつ、そんなに有名なのか?」

 

「一部では」

 

「さっきも聞いたナ、その言い方」

 

「世の中は広いですから」

 

 カイエンは少し首を傾げた。

 

 だが、目の前の女性は美しい。

 

 スープも美味しい。

 疑問は、その二つの前で簡単に沈んだ。

 

     ◇

 

 メイン料理が運ばれてきた。

 

 数百年熟成ヴィンテージワインの牛ほほ肉煮込み。

 

 白い皿の中央に、深い赤色のソース。

 

 ナイフを入れるだけで、肉は柔らかく崩れる。

 

 香りが立ち上った瞬間、カイエンの表情が変わった。

 

「こいつはいいナ」

 

 謎の美女も、ソースの香りを確かめる。

 

「長く熟成された香りが残っていますね」

 

「飲めねぇのが惜しい」

 

「飲むと、白い服が大変なことになります」

 

「黒い服ならいいだろ」

 

「寝具や椅子も汚れます」

 

「詳しすぎねぇか?」

 

「先ほど説明しました。興味がありますので」

 

「本当にそれだけか?」

 

 女性は微笑んだ。

 

「美人には、秘密の一つや二つあるものでは?」

 

 カイエンは数秒考えた。

 

 そして笑った。

 

「その通りだナ」

 

 完全に丸め込まれた。

 

 肉を一口食べる。

 

 ワインの酸味。

 

 牛肉の旨味。

 

 樽由来の香り。

 

 すべてが重なり、深い味になっている。

 

「美味い」

 

「ええ」

 

「酒のつまみにもなりそうだヨ」

 

「加熱前のワインを合わせてはいけませんよ」

 

「わかってる」

 

「本当に?」

 

「俺を誰だと思ってる」

 

 謎の美女は、意味ありげに答えた。

 

「ダグラス・カイエン」

 

 カイエンのナイフが止まった。

 

 女性はすぐに続けた。

 

「……ほどではないにしても、剣に自信のあるヒューア様でしょう?」

 

「今、最初に別の名前を言わなかったか?」

 

「有名な剣聖の名前ですわ」

 

「何で俺を見ながら言った?」

 

「雰囲気が少し似ています」

 

「そうか?」

 

「長い黒髪と、女性へすぐ声をかけそうなところが」

 

「後半は余計だヨ」

 

「失礼いたしました」

 

 女性は静かに肉を食べる。

 

 カイエンはしばらく彼女を見つめた。

 

 何かがおかしい。

 

 自分のことを知りすぎている。

 

 料理についても詳しすぎる。

 

 それでも、彼女から敵意は感じない。

 

 殺気もない。

 

 悪意もない。

 

 ただ、妙に楽しそうである。

 

「どこかで会ったことあるか?」

 

「今日が初めてですわ」

 

「本当に?」

 

「この姿では」

 

 カイエンの眉が動いた。

 

「今、何て言った?」

 

「このような場所でお会いするのは、初めてです」

 

「そう聞こえなかったけどナ」

 

「ワインの香りで、聞き違えたのでは?」

 

「飲んでねぇヨ」

 

「では、気のせいです」

 

「そうかナ……」

 

 疑いながらも、カイエンは肉を食べ続けた。

 

 美味しいものを前にすると、警戒心が鈍る。

 美女を前にすると、さらに鈍る。

 

 二つが同時に存在すれば、剣聖の危機察知能力でも役に立たなかった。

 

     ◇

 

 食後のデザート。

 

 濃厚なチョコレートムースと、赤い果実のソース。

 

 給仕が説明する。

 

「こちらのデザートには、ヘキサクス社製品を使用しておりません」

 

 カイエンが安堵した。

 

「今度こそ普通なんだナ」

 

「はい」

 

「普通のデザートで安心するコースって何だヨ」

 

 謎の美女は、チョコレートムースを一口食べた。

 

「美味しいです」

 

「君、さっきから全部美味しそうに食うナ」

 

「実際、美味しいですから」

 

「気に入ったなら、また誘ってやるヨ」

 

「また?」

 

「今度は別の店でもいい。夜景を見に行くのもいいナ」

 

「それは魅力的なお誘いです」

 

「この後、部屋で軽く飲み直すってのも」

 

「その前に、食後のコーヒーをいただきましょう」

 

「真面目だナ」

 

「最後まで味わいたいのです」

 

 やがて、黒いコーヒーが運ばれてきた。

 

 柔らかな苦味。

 

 果実のような香り。

 

 カイエンが一口飲む。

 

「これも悪くねぇ」

 

「象の消化過程を経たコーヒー豆です」

 

 カイエンが、ゆっくりカップを置いた。

 

「先に言えヨ」

 

「飲んだ後の方が、味を公平に判断できるでしょう?」

 

「それはそうだけどナ」

 

「美味しかったですか?」

 

「美味かったヨ」

 

「では問題ありません」

 

「君、ほんとにヘキサクスの商品へ詳しいナ」

 

「縁がありますから」

 

「関係者か?」

 

「そのようなものです」

 

 謎の美女は、コーヒーカップを静かに受け皿へ戻した。

 

「これで、親父との約束も果たしたことになるかな」

 

 カイエンの目が細くなる。

 

「親父?」

 

「ええ」

 

「君の親父が、これを食えって?」

 

「勝手に予約まで取ろうとしていました」

 

「変わった親父だナ」

 

「本当に」

 

 美女は深く息をついた。

 

「でも、親父に言われた通りに食べに来るのは癪だったんです」

 

「それで俺についてきたのか?」

 

「はい」

 

「俺が誘ったから?」

 

「それもあります」

 

「じゃあ、俺との食事も悪くなかったってことだナ」

 

「とても助かりました」

 

「助かった?」

 

「食事代も出してもらえますし」

 

 カイエンの表情が止まる。

 

「……それ、どういう意味だ?」

 

 美女が微笑む。

 

 その輪郭が、わずかに揺れた。

 

「そろそろ、いいかな」

 

 長い髪の色が変わる。

 顔立ちが崩れ、再構成される。

 細い首筋。

 華奢な肩。

 美しいドレス姿。

 それらが霞のように消えていく。

 

 カイエンは、言葉を失ったまま目の前を見ていた。

 

 数秒後。

 謎の美女が座っていた椅子には、怪物強盗Xiが座っていた。

 

 Xiは両手を軽く広げた。

 

「じゃーん!!」

 

 カイエンの口が開いた。

 

「僕でした」

 

 数秒の沈黙。

 

 カイエンの絶叫が、ホテルレストランへ響き渡った。

 

「嘘だろ!!!」

 

 客たちが一斉に振り返る。

 

 給仕が驚いて立ち止まった。

 

 Xiは困ったように人差し指を口元へ当てる。

 

「静かにしてよ。ここ、高級レストランだよ」

 

「誰のせいだと思ってんだヨ!!」

 

「食事中は静かだったでしょ?」

 

「お前、最初から俺だって知ってたのか!?」

 

「ダグラス・カイエンだってこと?」

 

「声がデカい!」

 

「それとも」

 

 Xiは楽しそうに笑った。

 

「オシャレなスケベ野郎、ヒューア・フォン・ヒッター子爵だってこと?」

 

「その呼び方をするな!!」

 

「世を忍ぶ仮の姿なんだろ?」

 

「何でそこまで知ってんだヨ!」

 

「怪盗だからね」

 

「説明になってねぇ!」

 

 Xiは残っていたコーヒーを飲んだ。

 

「でも、変身は完璧だったでしょ?」

 

「完璧だったから怒ってんだ!!」

 

「師匠、最後まで気づかなかったし」

 

「途中でちょっと怪しいと思ったヨ!」

 

「でも、美人だから流した」

 

 カイエンが黙る。

 

「違う?」

 

「……うるせぇヨ」

 

「否定しないんだ」

 

「何でこんな真似した!?」

 

「親父の用意した席へ、そのまま座るのが嫌だったから」

 

「だからって美女に化ける必要ねぇだろ!」

 

「男の僕が誘っても、君はディナーを奢ってくれた?」

 

「奢らねぇヨ!」

 

「でしょ?」

 

「納得させようとすんな!!」

 

 給仕が、おそるおそる二人の席へ近づいた。

 

「お客様。ほかのお客様もいらっしゃいますので、少しお声を」

 

「すみません」

 

 Xiは素直に頭を下げた。

 

 カイエンも低い声で続ける。

 

「……悪かったヨ」

 

 給仕は伝票をテーブルへ置いた。

 

「こちら、お会計でございます」

 

 カイエンとXiが同時に伝票を見る。

 

 Xiは、伝票をカイエンの方へ滑らせた。

 

「子爵様、よろしく」

 

「割り勘だ」

 

「僕、財布を持ってきてないよ」

 

「怪盗なら金くらい持ってこい!」

 

「盗んだ金で払う方が問題だろ?」

 

「今日だけは盗めヨ!!」

 

「それをホテルで言うのはどうかと思う」

 

「誰のせいでこうなった!」

 

「僕を誘ったのは君だよ」

 

「俺が誘ったのは美女だ!」

 

「会計の直前までは美女だった」

 

「契約条件を途中で変えるな!!」

 

 給仕が、気まずそうに伝票を指差す。

 

「ご予約時には、ヒューア・フォン・ヒッター子爵様がお支払いになると伺っております」

 

 カイエンがXiを見る。

 

「お前だナ?」

 

「予約した時は美女だったよ」

 

「そこは関係ねぇ!!」

 

 Xiは頬杖をついた。

 

「料理は本当に美味しかった」

 

「話を変えんな!」

 

「コーンスープも、ビーフシチューも、コーヒーも」

 

「……美味かったけどヨ」

 

「なら、いい食事だったね」

 

「最後の五分で全部台無しだ!!」

 

     ◇

 

 ホテルの厨房。

 

 料理長は、客席から届いた騒ぎを聞きながら、仕入れ担当者へ尋ねた。

 

「何があったんです?」

 

「ヒューア・フォン・ヒッター子爵様のお連れ様が、途中で別人になったそうです」

 

「途中で?」

 

「変身を解除されたと」

 

 料理長は数秒黙った。

 

「料理への苦情ではないのですね?」

 

「お二人とも、すべて完食されています」

 

「では、問題ありません」

 

「ホテルとしては問題がある気がしますが」

 

「レストラン部門としては、完食と評価が重要です」

 

 そこへ給仕が、アンケート用紙を持って戻ってきた。

 

「お二人から、料理へのご感想をいただきました」

 

 料理長が用紙を見る。

 

 一枚目。

 

コーンスープは粒まで美味い。

ビーフシチューは最高だった。

食後のコーヒーも悪くない。

ただし同席者の正体確認はホテル側で行ってほしい。

 

ヒューア・フォン・ヒッター子爵

 

 料理長は眉を寄せた。

 

「最後の要望は、対応できませんね」

 

 二枚目。

 

料理はすべて美味しかった。

父の商品だと思うと複雑だが、正常化後なら問題ない。

同席者の反応も面白かった。

 

Xi

 

 料理長は用紙を置いた。

 

「料理は好評だったということですね」

 

「はい」

 

「なら、ジョーイ係長へ報告しましょう」

 

     ◇

 

 翌日。

 ヘキサクス社、営業管理部。

 

 ジョーイ係長は、ホテルから届いた販売報告書を読んでいた。

 

「限定コース、二名分」

 

「はい」

 

「完食」

 

「はい」

 

「追加注文の可能性あり」

 

「はい」

 

「客席で一名が別人へ変身」

 

「はい」

 

 ジョーイ係長は報告書を机へ置いた。

 

「最後だけ、営業報告書に要るか?」

 

 食品開発スタッフが答える。

 

「ホテル側から、今後の参考情報として」

 

「何の参考にするんや」

 

 Xiが営業管理部へ入ってきた。

 

「料理、美味しかったよ」

 

「ほんまに食うたんか」

 

「全部」

 

「ヴィンテージワインの煮込みも?」

 

「美味しかった」

 

「象のコーヒーも?」

 

「悪くなかったよ」

 

 ジョーイ係長は少し感動した。

 

「ついに会長の商品を、お前が普通に評価した……!」

 

「料理になってたからね」

 

「正常化の成果や!」

 

「ただ、代金はカイエンが払った」

 

「何でや!?」

 

 Xiは昨夜の経緯を簡単に説明した。

 

 ジョーイ係長は途中から額を押さえた。

 

「何で美女に化ける必要あったんや」

 

「男の僕を、カイエンがディナーに誘うと思う?」

 

「思わんな」

 

「でしょ?」

 

「納得したらアカン気がする!」

 

 食品開発スタッフが尋ねた。

 

「販売実績としては、二名様にご満足いただけたと」

 

「料理だけはな!」

 

「同席者との時間についても、Xi様は面白かったと」

 

「カイエンさんの満足度がマイナスや!」

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 ログナーの前に、カイエンが立っていた。

 

 その隣にはアウクソー。

 

 少し離れた場所に、シンとアスランもいる。

 

 ログナーはホテルから届いた報告書を読んでいた。

 

「ヒューア・フォン・ヒッター子爵として、食事をしたそうだな」

 

 カイエンの顔が引きつる。

 

「何でお前まで知ってんだヨ」

 

「ホテルの記録に残っている」

 

「消せ!」

 

「必要ない」

 

「必要あるだろ!」

 

「料理は美味かったか」

 

「……美味かったヨ」

 

「コーンスープは」

 

「粒までちゃんと入ってた」

 

「ビーフシチューは」

 

「最高だった」

 

「コーヒーは」

 

「美味かった」

 

 ログナーは短く頷いた。

 

「なら問題ない」

 

「あるだろ! 同席者がXiだったんだぞ!」

 

「変身を見破れなかったのか」

 

「そこを責めるな!!」

 

 シンが小声で言う。

 

「剣聖でも気づかない変身って、すごいですね」

 

 カイエンが振り返る。

 

「感心すんな!」

 

 アスランは真面目な顔で尋ねた。

 

「相手の素性を確認せずに、ホテルへ誘ったのですか?」

 

「ナンパする時に身元調査なんかするかヨ!」

 

「今後はした方がいい」

 

「できるわけねぇだろ!」

 

 アウクソーが静かに言った。

 

「マスター」

 

「何だヨ」

 

「今後、初対面の女性を安易に食事へ誘わないでください」

 

「問題はそこじゃねぇ!」

 

「偽名も使わないでください」

 

「そこでもねぇヨ!」

 

 ログナーが報告書を閉じる。

 

「自分は偽名を使い、相手の偽装は見抜けなかった」

 

「そのまとめ方をやめろ!!」

 

 そこへXiが現れた。

 

「おはよう、ヒューア子爵様」

 

 カイエンが振り返る。

 

「お前ぇぇぇ!!」

 

「昨日はごちそうさま」

 

「代金半分払え!」

 

「財布を持ってきたよ」

 

「ほんとか!?」

 

「でも、昨日の分は昨日の話だ」

 

「今持ってるなら払えヨ!!」

 

 Xiは楽しそうに笑った。

 

「またディナーへ誘ってくれたら考える」

 

「二度と誘わねぇ!!」

 

「じゃあ払う機会がないね」

 

「最初から払う気ねぇだろ!!」

 

 アウクソーがカイエンの腕を掴んだ。

 

「マスター。剣を抜かないでください」

 

「抜かねぇヨ!」

 

「手が柄にかかっています」

 

「気のせいだ!」

 

 ログナーが言った。

 

「ホテルでの戦闘は通行止めだ」

 

「ここはホテルじゃねぇ!」

 

「Xiへの斬撃も通行止めだ」

 

「何でも通行止めにすんな!!」

 

     ◇

 

 その日の午後。

 

 シックスは、Xiが限定コースを完食したという報告を受け取っていた。

 

「ヴィンテージワインの料理を食べたか」

 

「食べたよ」

 

「美味かったか」

 

「美味しかった」

 

「象のコーヒーも」

 

「飲んだ」

 

「そうか」

 

 シックスは満足そうに目を細めた。

 

 Xiは少し嫌そうな顔をする。

 

「親父の言う通りにしたわけじゃないからね」

 

「結果は同じだ」

 

「カイエンに奢らせた」

 

「それも悪くない」

 

「そこを評価しないでよ」

 

 シックスは販売報告書へ視線を落とした。

 

「ヒューア・フォン・ヒッター子爵」

 

「カイエンの偽名だよ」

 

「知っている」

 

「有名なんだね」

 

「本人が思うよりはな」

 

     ◇

 

 ホテルレストランでは、その夜も限定コースが提供されていた。

 

 粒の入ったコーンスープ。

 

 数百年熟成ワインの牛ほほ肉煮込み。

 

 デザート。

 

 象由来の希少コーヒー。

 

 料理は変わらず、一級品だった。

 

 アンケートには、新しい感想が加わっている。

 

ヒューア子爵の感想を見て注文しました。

 

本当に美味しかったです。

 

 ジョーイ係長は、その報告を読んで頭を抱えた。

 

「カイエンさんの偽名まで販促に使われとる……」

 

 食品開発スタッフが答える。

 

「率直な評価として、信頼されています」

 

「本人の信用なんか?」

 

「被害者の証言として」

 

「それは強いな!」

 

 

 数日後。

 

 カイエンのもとへ、ホテルから一通の封書が届いた。

 

ヒューア・フォン・ヒッター子爵様

 

先日はご来店いただき、誠にありがとうございました。

限定コースをお気に召していただけたとのことで、料理長一同、大変うれしく存じます。

次回のご来店を、心よりお待ちしております。

お連れ様の変身前後を問わず、お二人様でのご予約も承ります。

 

 カイエンは手紙を読み終えた。

 

 ゆっくりと顔を上げる。

 

「二度と行かねぇヨ!!」

 

 隣でアウクソーが言った。

 

「料理はお気に召したのでしょう?」

 

「めちゃくちゃ美味かったヨ!」

 

「では、次回は私が同行します」

 

「……それなら行く」

 

「本名で予約してください」

 

「ダグラス・カイエンで?」

 

「はい」

 

 カイエンは少し考えた。

 

「ヒューア子爵じゃ駄目か?」

 

「駄目です」

 

「世を忍ばせてくれヨ……」

 

 その夜。

 

 ヒューア・フォン・ヒッター子爵の名は、ホテルの優良顧客名簿へ登録された。

 

 怪物強盗Xiの笑い話にも登録された。

 

 そして剣聖ダグラス・カイエンは、またしても油断によってひどい目に遭った。

 

 ただし、ディナーそのものは最後まで最高だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。