守るべきもの、怒るべきもの、斬るべきもの、喰うべき謎 ――キラ、承太郎、カイエン、ネウロのごった煮会話劇 作:ギアっちょ
夕方。
空条徐倫は、ホテルのロビーで腕を組んでいた。
大理石の床。
高い天井。
磨き上げられた柱。
静かに流れる音楽。
行き交う宿泊客たちは、誰もが少しだけ上品に見える。
少なくとも、待ち合わせ相手を疑いながら入口を睨んでいる徐倫よりは。
「遅い」
約束の時間まで、あと三分あった。
「娘を呼び出しておいて遅刻とか、あの親父……」
「まだ時間前だ」
背後から低い声がした。
徐倫が振り返る。
白い帽子。
長いコート。
見慣れた無愛想な顔。
空条承太郎が、そこに立っていた。
「後ろから現れるな!」
「正面から来た」
「あたしが見てなかった方角から来たら、後ろと同じだ!」
「そうか」
「納得するな!」
承太郎は徐倫の前を通り、レストランの入口へ向かった。
徐倫はその背中を追いかける。
「ちょっと待て!」
「何だ」
「何だじゃない。説明しろ」
「食事をする」
「それは夕飯の意味だろ! 何で急にあたしを誘ったんだって聞いてんの!」
承太郎は少しだけ足を止めた。
「都合が悪かったか」
「悪いとは言ってない!」
「なら問題ない」
「問題があるから聞いてるんだよ!」
承太郎は再び歩き出した。
徐倫は横へ並ぶ。
「普段ろくに連絡もしない親父が、いきなりホテルで夕飯だぞ? 何かあると思うだろ」
「食事がある」
「そういう禅問答はいらねぇ!」
徐倫は、レストラン前に置かれた看板を見た。
特殊食品正常化記念ディナー
本来の美味しさを、安全な料理としてお楽しみください
安全性確認済み
徐倫の視線が止まった。
「親父」
「何だ」
「最後の一行は何だ」
「安全性確認済みだ」
「読めばわかる! 普通のディナーで、わざわざ安全性を宣言する必要があるのかって聞いてんだ!」
「この料理には必要だ」
「帰る」
徐倫が踵を返した。
承太郎が言う。
「味はいい」
徐倫の足が止まる。
「……食べたことあるのか?」
「ああ」
「親父が?」
「ああ」
「生きてるな?」
「見ればわかる」
「今の親父が本物だって保証は?」
「疑いすぎだ」
「この看板を見た後に言われたくない!」
承太郎はレストランの扉へ手をかけた。
「ログナーが検査している」
徐倫が振り返る。
「誰だよ」
「信頼できる」
「説明が肩書ごと省略されてんだよ!」
「安全だ」
「それを最初に言え!」
「看板に書いてある」
「あんたの口から言えって意味だ!」
承太郎は徐倫を見た。
ほんの少しだけ間を置く。
「安全だ。味もいい」
「……本当だな?」
「ああ」
徐倫は看板をもう一度見た。
特殊食品。
正常化。
安全性確認済み。
どの言葉も夕食への期待より警戒を育てる。
しかし、承太郎が自分から店を選び、予約までしたらしい。
その事実の方が、料理の危険性より珍しかった。
「わかった」
徐倫はため息をついた。
「食べる。ただし、変なことが起きたら親父の責任だからな」
「問題ない」
「その台詞、信用されてないって自覚しろよ」
◇
レストランの中は静かだった。
窓の向こうには、夜の街が広がっている。
テーブルには白いクロス。
小さな花。
磨かれたグラス。
徐倫と承太郎は、窓際の二人席へ案内された。
給仕が椅子を引く。
「空条様、お待ちしておりました」
徐倫が眉を上げた。
「予約したんだ」
「ああ」
「いつ?」
「四日前だ」
「四日前から誘うつもりだったなら、四日前に連絡しろよ!」
「予定が変わる可能性があった」
「だったら仮の予定として聞けばいいだろ!」
「確定していない情報を伝える必要はない」
「誘いは作戦指令じゃねぇんだよ!」
給仕は、わずかに視線を逸らした。
笑いを堪えているようにも見える。
「本日は、特殊食品正常化記念コースを二名様分で承っております」
徐倫はメニューを開いた。
「この“特殊食品”っていうのは?」
「元の商品には、それぞれ少々特殊な性質がございました」
「少々?」
給仕が一瞬だけ黙る。
「現在は、すべて通常の食事として安全にお召し上がりいただけます」
「元の性質を聞いてるんだけど」
「料理ごとにご案内いたします」
「小出しにされる方が怖いんだよ!」
承太郎がメニューを閉じた。
「今は問題ない」
「親父はそれしか言えないのか?」
「必要なことだ」
「必要なことしか言わないから、必要以上に疑われるんだよ!」
給仕が一礼して離れていく。
徐倫は水のグラスを持ち上げた。
「この水は普通だろうな」
「普通だ」
「元は飲むと身体が透明になるとかじゃないだろうな」
「水だ」
「こういう時だけ妙に説得力あるな」
◇
最初に運ばれてきたのは、魚介と季節野菜の前菜だった。
色鮮やかな野菜。
軽く炙った魚。
柑橘の香り。
給仕が説明する。
「こちらの前菜には、一般的な食材のみを使用しております」
徐倫が顔を上げた。
「普通の料理に、普通だという説明が必要なのか?」
「当コースでは、お客様に安心してお召し上がりいただくために」
「次から何か来るって宣言じゃねぇか」
承太郎は黙ってフォークを取った。
徐倫は疑わしそうに皿を見つめた後、魚を一口食べる。
爽やかな酸味。
魚の旨味。
野菜の歯応え。
「……うまい」
「ああ」
「これ、親父が店を選んだの?」
「ああ」
「誰かに教えてもらったんじゃなくて?」
「料理は知人から聞いた。店は確認した」
「下見までしたのか?」
「ああ」
徐倫のフォークが少し止まる。
「ふーん」
承太郎はそれ以上言わない。
徐倫も、それ以上は聞かなかった。
前菜を食べながら、しばらく静かな時間が流れる。
静かではあるが、気まずいわけではない。
承太郎は元々ほとんど話さない。
徐倫も、無理に会話を作るほど素直ではない。
しかし、何も言わずに食事を続けるだけでは、わざわざ誘われた意味がわからない。
徐倫が先に口を開いた。
「最近、何してるんだ」
「調査だ」
「何の」
「いくつかの事件を追っている」
「また危ないことしてるんじゃないだろうな」
「問題ない」
「何でもそれで済ませるな」
「お前はどうなんだ」
「あたし?」
「無茶はしていないか」
「してない」
「問題ないのか」
「……問題ない」
承太郎が徐倫を見る。
徐倫も承太郎を見る。
同じ言葉を使ったことに、二人とも気づいた。
「何だよ」
「別に」
「言いたいことがあるなら言え」
「お前も同じだ」
「うるせぇ」
承太郎は小さく息をついた。
「やれやれだぜ」
「その台詞で会話を打ち切るな」
◇
二品目。
白いカップに入った、濃厚なコーンポタージュ。
表面にはクルトンとパセリ。
徐倫はスプーンで中を探る。
コーンの粒が、いくつもすくい上げられた。
「普通のコーンスープに見える」
「今は普通だ」
承太郎が答えた。
徐倫はスプーンを止めた。
「“今は”?」
「問題ない」
「過去に問題があった言い方だろ、それ!」
「粒は出る」
「当たり前だろ!」
「以前は出なかった」
「だから何の話だよ!」
承太郎はスープを一口飲んだ。
「缶の飲み口に引っかかっていた」
「コーンが?」
「ああ」
「普通の缶でもたまにあるだろ」
「意図的に一粒も出ない構造だった」
徐倫は、スプーンの上のコーンを見た。
「……何のために?」
「飲んだ人間を苛立たせるためだ」
「暇なのか、その会社は!」
厨房の奥で、誰かがくしゃみをしたような音がした。
徐倫は続ける。
「で、これはどうやって直したんだ?」
「缶の上を全部開けて、鍋へ移した」
「構造を直してないじゃねぇか!」
「使う必要がない」
「まあ、そうだけどよ!」
徐倫は警戒しながらスープを口へ運んだ。
一口飲む。
表情が少し変わる。
「……うまい」
「ああ」
「コーンの甘味が濃いな」
「ああ」
「粒もちゃんと食べられる」
「ああ」
徐倫はスープをもう一口飲んだ。
「親父、これを食わせたかったの?」
「その一つだ」
「その一つ?」
「他にもある」
「料理が?」
「ああ」
「変な事件の相談じゃなくて?」
「違う」
「敵の能力を調べるための試食とかでも?」
「違う」
「じゃあ、普通に夕飯を食べるため?」
「ああ」
徐倫は承太郎を見た。
承太郎は、いつもと変わらない顔でスープを飲んでいる。
「……ふーん」
徐倫も視線を皿へ戻した。
「だったら最初からそう言えよ」
「食事をすると言った」
「それじゃ足りねぇんだよ」
「何が足りない」
「知らねぇ。自分で考えろ」
承太郎は少しだけ眉を寄せた。
まるで、難しい謎を渡されたような顔だった。
◇
ホテルの厨房。
料理長は、客席から戻った給仕へ尋ねた。
「スープへの反応は?」
「空条徐倫様も完食されました」
「評価は?」
「味は高評価です。ただし、承太郎様の説明が不足しているとのご指摘が」
ジョーイ係長が厨房の端で頭を抱えた。
「前回と逆や!」
食品開発スタッフが尋ねる。
「前回とは?」
「アスラン君は説明しすぎて怒られた。今回は承太郎さんが説明せんから怒られとる!」
「適切な説明量は、どの程度なのでしょう」
「相手に合わせるんや!」
「数値化できますか?」
「できるか!」
料理長が、次の料理を確認する。
数百年熟成ヴィンテージワインの牛ほほ肉煮込み。
「メインを出します」
ジョーイ係長は客席の方を見る。
「今度は赤い汗の説明や」
「承太郎様なら、簡潔に説明されるでしょう」
「簡潔すぎるのが心配なんや!」
◇
メイン料理が運ばれてきた。
牛ほほ肉の赤ワイン煮込み。
深い赤色のソース。
柔らかく煮込まれた肉。
豊かな香り。
徐倫は料理を見て、素直に目を輝かせた。
「これはうまそうだな」
「ああ」
「赤ワイン煮込み?」
「ああ」
「このワインも変なやつなのか?」
「加熱済みだ」
徐倫が顔を上げる。
「何を?」
「異常作用は消えている」
「だから元の異常を説明しろ!」
承太郎は少し考えた。
「飲むと汗が赤くなる」
「料理へナイフを入れた瞬間に言うな、クソ親父!」
「食べても問題ない」
「さっきから問題のある過去だけ置いていくな!」
「味もいい」
「順番が違うだろ!」
徐倫は皿を見た。
次に、承太郎を見る。
「本当に大丈夫なんだな?」
「ああ」
「食べたことある?」
「ああ」
「汗は?」
「出ていない」
「服も汚れてない?」
「食べこぼしていない」
「そういう普通の話をしてるんじゃねぇ!」
承太郎はナイフで肉を切り、一口食べた。
徐倫は、その様子をじっと見ている。
「毒見のつもりか?」
「違う」
「先に食べて見せたんだろ」
「俺の料理だ」
「素直じゃねぇな」
「お前に言われたくない」
「何だと?」
「冷めるぞ」
徐倫は反論しかけたが、料理の香りに負けた。
肉を一口食べる。
柔らかい。
濃厚なソース。
丸みのある酸味。
長い熟成による複雑な香り。
徐倫の眉間から、警戒が少しずつ消えていく。
「……これ、すげぇうまいじゃん」
「ああ」
「親父がうまい店を知ってるなんて、意外だな」
「どういう意味だ」
「食事に興味なさそうだから」
「必要なものは食べる」
「それ、栄養補給の話だろ」
徐倫はもう一口食べた。
「この料理を、あたしに食わせたかったの?」
承太郎は、ナイフを置いた。
徐倫を見ずに答える。
「そうだ」
短い言葉。
だが、今度は足りなくなかった。
徐倫はしばらく黙った。
「……そっか」
「ああ」
「だったら、そう言えよ」
「今言った」
「誘う時に言えって意味だ!」
「次はそうする」
徐倫が顔を上げる。
「次?」
「嫌なら構わん」
「またすぐ逃げ道を作る!」
「予定があるかもしれない」
「誘ってから聞け!」
「わかった」
「本当にわかったのか?」
「ああ」
徐倫は、少しだけ笑った。
「怪しいな」
◇
食事を続けながら、徐倫は尋ねた。
「で、この赤い汗って、どれくらい続くんだ?」
「一日から二日だ」
「もしかして、最初はもっと長いって言われてたんじゃないのか?」
「一週間という説明だった」
「全然違うじゃねぇか!」
「一本近く飲めば、その可能性はある」
「誰が一本飲むんだよ!」
「カイエンならやりかねない」
「誰だよ」
「油断の多い男だ」
「親父が他人をそう評価するって、相当だな」
「相当だ」
徐倫は肉を食べながら、少し考えた。
「でも、料理にすれば普通にうまいんだろ」
「ああ」
「最初から変な成分なんか入れなきゃよかったのにな」
「ああ」
「作った人は、味を褒められて嬉しかっただろうな」
承太郎は一瞬、徐倫を見る。
「そうだろう」
「何だよ」
「別に」
「またそれか」
徐倫はソースをパンにつけた。
「親父」
「何だ」
「この店へ来る前、ちゃんと安全性を調べたんだよな」
「ああ」
「何でそこまでしたんだ?」
「お前に食べさせるからだ」
徐倫の手が止まる。
「……それだけ?」
「十分だ」
徐倫は視線を逸らした。
「そういうこと、急に言うなよ」
「聞いたのはお前だ」
「聞かれても、もう少し言い方があるだろ」
「どう言えばいい」
「自分で考えろ」
「またそれか」
「考えろ、海洋学者」
承太郎は、わずかに口元を緩めた。
「難しい課題だ」
「スタンドより難しいみたいな顔するな」
「今日はスタンドの話はしていない」
「するなよ。絶対に」
「ああ」
その夜、スタンドは一度も現れなかった。
皿も飛ばない。
時間も止まらない。
糸も伸びない。
ただ父親と娘が、向かい合って夕食を食べていた。
◇
デザートは、チョコレートムースと果実のソース。
給仕は皿を置きながら言った。
「こちらには、特殊な食材を一切使用しておりません」
徐倫は深く息を吐いた。
「普通っていいな」
「味もいい」
「親父、普通の料理なら普通に感想を言えるんだな」
「いつもそうしている」
「“異常作用は消えている”を感想だと思ってるのか?」
「必要な情報だ」
「説明書としてはな!」
徐倫はムースを一口食べた。
「うまい」
「ああ」
「甘すぎない」
「ああ」
「親父は、こういう甘いもの食べるんだ」
「食べられないわけではない」
「嫌いじゃない?」
「特に」
「好きでもない?」
「特に」
「食べ物への感情が薄いな!」
承太郎はムースをもう一口食べた。
「今日は悪くない」
「料理が?」
「ああ」
徐倫は少し待った。
承太郎は続けない。
「それだけ?」
「他に何がある」
「……もういい」
徐倫は呆れたように笑った。
◇
食後のコーヒーが運ばれてきた。
柔らかな香り。
黒い液面。
徐倫はカップを持ち上げる前に、承太郎を見る。
「これも変なやつか?」
「味はいい」
「安全かって聞いてんだよ」
「安全だ」
「元は?」
「豆だ」
「それはコーヒー全部そうだろ!」
承太郎は自分のカップを持ち上げた。
徐倫はその動きを止めるように手を出す。
「待て」
「何だ」
「順番に聞く。毒は?」
「ない」
「薬物は?」
「ない」
「記憶が飛ぶ?」
「飛ばない」
「汗の色は変わる?」
「変わらない」
「口の中で三時間鳴り続ける?」
「ラムネではない」
「咀嚼音が爆発する?」
「液体だ」
「人間の尊厳に関わる問題は?」
承太郎が少し黙った。
徐倫の目が細くなる。
「今、間があったな」
「製法の印象だけだ」
「何をした豆なんだ」
「象の消化過程を経ている」
「……象が食べたのか?」
「ああ」
「その後、どうやって回収した?」
「排泄物からだ」
徐倫はカップを見た。
静かに受け皿へ戻す。
「飲まねぇ」
「そうか」
「止めないのか?」
「無理に飲ませる必要はない」
「親父は飲むの?」
「ああ」
承太郎は一口飲んだ。
いつもの無表情。
何の抵抗もない。
徐倫は、その様子を見ている。
「うまい?」
「ああ」
「本当に?」
「柔らかな苦味だ。果実に近い香りもある」
「何でこういう時だけ詳しく言うんだよ」
「聞いたからだ」
徐倫はカップへ鼻を近づけた。
確かに、香りは悪くない。
むしろ普通のコーヒーより柔らかく、甘い果実のような匂いがする。
「洗ってあるんだよな」
「ああ」
「殺菌も?」
「ああ」
「検査も?」
「ああ」
「ログナーってやつが?」
「ああ」
「親父も飲んで問題なかった?」
「ああ」
徐倫はカップを持ち上げた。
ほんの少しだけ口に含む。
目を細める。
「……うまい」
「ああ」
「悔しいな、これ」
「何がだ」
「製法を知った後でも、味はうまいってことだよ」
「事実は変わらない」
「だからって先に飲ませるなよ」
「俺は説明した」
「飲む前に説明したのは評価する」
「そうか」
「アスランってやつよりはマシらしいな」
「誰から聞いた」
「ホテルの給仕が、前のお客は説明の順番で揉めたって言ってた」
承太郎はコーヒーを飲んだ。
「似た者同士だ」
「親父とそのアスランが?」
「ああ」
「じゃあ、相手も苦労してるな」
「ああ」
徐倫はコーヒーをもう一口飲んだ。
「結局、全部食べちまった」
「ああ」
「親父の狙い通り?」
「食べるかどうかは、お前が決めた」
「そういうとこだけ尊重するんだな」
「いつもそうしている」
徐倫は、少しだけ目を伏せた。
「……そういうことにしとく」
◇
厨房。
料理長は、二人がコーヒーまで飲み切ったとの報告を受けた。
「完食です」
給仕が言う。
「料理への苦情は?」
「ありません」
「承太郎様への苦情は?」
「説明不足について、複数回」
ジョーイ係長が大きく頷く。
「予想通りや!」
食品開発スタッフが、アンケート用紙を運んできた。
一枚目。
料理は全部うまかった。
コーンスープも、ビーフシチューも満足。
コーヒーは製法を知ると迷うが、味はいい。
親父は説明が足りない。
次は普通の店でもいい。
空条徐倫
もう一枚。
味、安全性ともに問題なし。
娘も全品完食した。
再訪に支障なし。
空条承太郎
ジョーイ係長は、二枚を並べた。
「片方は親子の夕食感想。もう片方は現場検証報告や」
「内容としては、双方とも高評価です」
「承太郎さんの“娘も完食した”に、全部入っとるんでしょうけどな」
料理長が二枚を見比べた。
「お二人とも、次回を否定していませんね」
「そこは似とるんですよねぇ」
「仲がよいのでは?」
ジョーイ係長は少し考えた。
「本人らに言うたら、二人とも否定しそうですわ」
◇
会計を終え、承太郎と徐倫はホテルのロビーへ戻った。
外はすっかり暗くなっている。
徐倫は入口近くで立ち止まった。
「ごちそうさま」
「ああ」
「……何か言えよ」
「礼を言われた」
「だから、“どういたしまして”とかあるだろ」
「そうか」
「そこで終わるな!」
承太郎は帽子のつばへ手をかけた。
「料理はどうだった」
「アンケートに書いただろ」
「俺は読んでいない」
「うまかったよ」
「そうか」
「コーンスープも、シチューも。コーヒーも、まあ……味は」
「ああ」
徐倫は、少しだけ視線を逸らした。
「店を選んでくれたのも……ありがと」
承太郎は静かに頷いた。
「ああ」
「そこは“どういたしまして”だって言っただろ!」
「慣れていない」
「何にだよ」
「こういう食事にだ」
徐倫が承太郎を見る。
承太郎は正面を向いたままだった。
「じゃあ、何で誘ったんだ」
「誘いたかったからだ」
徐倫は言葉を失った。
数秒後、顔をしかめる。
「そういうのを最初に言えよ、クソ親父」
「今言った」
「もう食事終わってるだろ!」
「遅かったか」
「遅い!」
「次は先に言う」
徐倫は少し驚いた。
「本当に次があるのか?」
「嫌なら構わん」
「また逃げ道を作る!」
「都合があるだろう」
「とりあえず誘え。都合が悪かったら断る」
「わかった」
「普通の店だからな」
「検討する」
「何を検討するんだよ!」
「料理だ」
「変な食材を探すな!」
承太郎はホテルの出口へ向かう。
徐倫も、その隣へ並んだ。
「親父」
「何だ」
「次は、あたしが店を選んでもいい?」
「ああ」
「変なものが出ても文句言うなよ」
「安全なら問題ない」
「また安全から入るのか!」
二人は並んで夜道を歩いた。
肩が触れるほど近くはない。
かといって、離れているわけでもない。
どちらも相手へ歩調を合わせているとは言わない。
ただ、二人の歩く速さは同じだった。
「徐倫」
「何だよ」
「今日は来てくれて、ありがとう」
徐倫の足が、ほんの少しだけ止まりかけた。
すぐに歩調を戻す。
「……どういたしまして」
承太郎は何も言わない。
「そこは何か返せ!」
「返す必要があるのか」
「もういい!」
「やれやれだぜ」
「だから、その台詞で逃げるな!」
空条親子の夕食は、最後までスタンドバトルへ発展しなかった。
敵も現れない。
時も止まらない。
糸も伸びない。
爆発したのは徐倫の怒声だけだった。
料理はすべて美味しかった。
そして二度目の夕食は、互いに認めないまま、ほとんど決まっていた。